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日本文化チャンネル桜 (SKYPerfecTV! ch.767)

日本よ、今... 「闘論!倒論!討論!2005」

4月2日放映分 (3月26日 収録)

                    塩見孝也


その5:対アジアと対アメリカ ―― 真の安全保障とは

      日米安保を破棄し、徳高き、信義ある「自主日本」に。
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 この論客の方々と話しているうち、ますます僕は、今、我々に問われているのは、暴力、軍事、戦争の論理を超える思想、発想、哲学、理念だと思いました。一人、一人の人間の命と自主性を限りなく尊貴し、民族と国(くに)の自主性を大切にし、人類協同を実現することだと思いました。

 この観点で、僕は次のように言いました。

「あなた方のように、頭から中国を敵視し構えた様な対応をすれば、向うだってこちらをいいように思わず構えるわけで、これは人間と一緒です。こちらが、虚心で、真剣に友好・平和の姿勢で、心を開いて接すなら、向うだって心を開きます。」

「貴方がたの中国に与える、『ぎらぎらした印象』は、日米安保、対米従属の体制で、なおかつ靖国参拝をあえて強行するなどの、居直りと受け止められる様な対応をするところに原因があります。日本との関係で生じたアジアとのもつれ、いざこざは、我が日本国が、自主独立で、徳のある、信義ある対応をしないからです。中国側にもお家の事情があるわけですが、中国とのこの間の緊張は、我々日本側の対応にも半分以上問題があるからです」

「中国への非ばかり鳴らすのではなく、日本が日米安保を破棄し、アメリカの属国的位置から脱却し(代わりに日米平和友好条約、乃至は平和・友好条約を結び、引き続き、日米関係を極力良好に維持し)、アジアに対して他意の無いことを示すなら、対アジアに横たわる諸問題は6〜7割はたちどころに解決します。それどころか、中国とも、経済的に共存、共栄出来、極東のEUを作り出す展望も生まれます」

 この件で、僕が言いそびれてしまった言葉を以下に付け加えさせてください。

「冷戦開始初期の50年前後、日本は片面講和(対米英ら“自由主義国”)でなく、両面講和(対中国、対ソ連ら「社会主義国」も含めた)を結ぶべきであったと思います。これをやらず、アメリカ側のみに立って、朝鮮戦争に加担していった戦後日本の針路が問題だと思います。」

「これで、日本人は、戦争責任、日本の国と民族の在り様をきちんと煮詰めることなく、為政者達は、泥縄式にアメリカの懐に逃げ込み、その責任を放棄したのです。それが今、再燃してきているのです」

 僕は、「このツケとして、朝鮮半島との問題が、今大きく浮上している」と思っています。

 東西対立による半島の分断・固定化に加担、寄生し、戦後ずっと日本は、南北朝鮮人(韓国人、朝鮮人)と「在日」を苦しめ続けていました。

 冷戦構造が消失し始めている今の時期こそ、日本は、朝鮮人の南北統一に積極的に寄与すべきです。「在日」コリアンを差別せず、その民族的な苦しみの解決に寄与すべきと思っています。

 これが実現すれば、「日本人」、「朝鮮人」、「台湾人」、「中国東北部中国人」が連合協和し、更にベトナムら東南アジアの諸民族と連携すれば、又内側からは、中国民衆とも連帯して行けば、中国の大国主義、覇権主義への危惧は収まってゆくと思っています。

 また、中国には「世界のリーダー」として大人の風格を持って振舞って欲しいと思っています。

 その可能性を、中国は十分もっていると思っています。

 それぞれの民族と国には、それぞれの風土とその歴史からして、それぞれ固有の持ち味があります。

 日本は中国のように振舞えないし、中国は日本のように振舞えません。

 持ち味が違っている事こそ当たり前であり、重要なのです。

 異質であるがゆえに排除しあうのではなく、それぞれの持ち味を認め合い、持ち味を発揮しあいながら共存関係を作り、世界と人類に貢献すればよいと思います。

 日本は、列島の自然と地理的条件をしっかりと活かし、何よりも道徳的に優れ、信義に厚い、本来の日本のありようを実践してゆくことです。これが、日本の持ち味、役どころと思います。

 そのことによって、アメリカと中国、欧米とアジアの確執を緩和、解決し、人類に貢献してゆくことでができます。


 ところで、この論客の方々の言を聞くと、「何がなんでも他国に負けてはならない」とするこだわりがあるように感じられます。

 もしそうだとしたら、意味のないことだと思います。

 日本がアジアの平和に貢献する道の第一は、半島の朝鮮民族との、過去との関係に責任を負いつつ、とりわけ朝鮮をいたずらに敵視せず、国交正常化してゆく過程で、過去と拉致の問題を解決し、平和友好の関係を作り出すことだと思います。

 朝鮮の政権自身も、日本と同様必ずしも「一枚岩」ではない様であり、すんなりと国交正常化が出来るとは思えません。しかしこういった関係が成立すれば、日本は膝元を安定させ、世界の繁栄と平和に貢献できるのではないでしょうか。


 さて、上記で述べた様な僕の中国に対する見解に、強烈な反論が帰ってきました。

 「塩見さんらの中国認識は甘すぎます。三上さんの“構想”、塩見さんの国と民族の在り様の“精神”では上手くいきません。理想主義、空想主義です。」

 「中国は、年間軍事力は年々膨張する、一党独裁のファシズム国です」

 「常に戦争を意識化し準備している国で、これに何の備えもなしに対するは、“侵略してくれ”というようなものです。余りにも、現実を無視しています。」と。

 この辺の中国認識は、僕等とは大きな隔たりがあることを認識せざるを得なかったし、僕や三上氏がドン・キホーテと呼ばれるのは、自称「頑固者」としては誠に光栄・至極と思いました。

 しかしながら、中国に対して「一対一的」ライバル意識を持って対峙しようとすれば、必要以上にいつもびくびくし、「物凄い中国」と思い込んでしまえば、不信、予断と偏見の目を育ててしまいます。

 中国はもともと国土、人口共に「大国」です。それが、「市場社会主義」路線を採用し、高度経済成長期に入り、年々経済的実力をつけ、徐々に世界に重きを成しつつあります。

 財務省が1月26日に発表した2004年貿易統計速報によれば、昨年日本の(香港を含む)対中国貿易総額は、初めて対米国貿易総額を抜いたということです。ついに中国は日本の最大貿易国となったのです。

 対中国貿易は、日本の不況からの脱出の大きな梃子になりつつあります。

 もう10年もすれば、中国が、アメリカに伍しつつ、世界のリーダーシップを確保してゆくであろうことは、いやが上にもほぼ確実と思えます。

 この中国の台頭は、世界のあらゆる関係に地殻変動を呼び起こしており、それが日本・アメリカの為政者に脅威に映るのも確かではあります。

 本来中国は、古い優れた文化を持つ国です。「中国文化圏」は、中国の国土を越えた広がりを持っています。

 たしかに現在の共産党の一党独裁体制は問題でしょうし、新疆、チベットなどの民族問題もかかえています。

 しかしながら、近い将来に中国そのものが(旧ソ連の様に)分裂、崩壊する可能性は、まずないでしょう。

 また、中国が将来「中華帝国主義」的覇権国家になる可能性も全くないとは言えませんが、少なくともこれからの十年は、アメリカのように日本を巻き込むような脅威をなすとは考えられません。

 であれば日本は、中国を、アメリカを巻き込みつつ敵視して行くのは全く愚かなことです。

 むしろ、脅威は日米安保を通じて、アメリカの方から来ます。

 ベトナム戦争や、今回の大義無きイラク侵略への加担強制の様にです。

 万一、全面的な米中対立ともなれば、日本はアメリカの対中国先鋒国家にされかねません。

 これは、大義もなければ日本の国益にもなりません。

 アメリカは、大きな可能性を孕んだ国(くに)といえます。しかし、あらゆる面で正と反、明と暗、進歩と退歩を孕んだダイナミックな国(くに)です。

 総じて、僕はアメリカの民衆は好きです。

 しかし、とりわけ武力で自己を押し付け、利を簒奪しようとするアメリカの政治スタイルは、全面的にナンセンスと思っています。

 朝鮮戦争ではあやうく敗れかけ、ベトナムでは完全に敗れてショックを受けましたが、またぞろ湾岸戦争、今回のイラク侵略と傲慢さを復活させた様です。

 アメリカ本土への侵略を受けたことが無いが故に、9・11では、強烈なショックを受け、過剰反応のあげく半狂乱になってとんでも無いことをやらかしたわけですが、義の無いことをすれば、必ず、しっぺ返しを受けます。

 しかし、西部劇の私設シェリフ政治(マッチョ政治)を世界に拡張せんとするはた迷惑な「世界の憲兵」政治は、人間の強欲を最も純化して煽る資本主義システムを体現した軍産複合体と結びつき、簡単には除去されません。

 だが、アメリカの民衆はパトリオティズムを発揮し、この身勝手で強欲なシステムを、徐々にコントロールしてゆくようになるでしょう。

 ともあれ、このような現在のアメリカ政治に、何ゆえ日本が義理立てし、しっぽを振ってついてゆく必要があるのでしょう。

 日本は脇腹に突きつけられたドス(基地)など取り外し、アジアにもアメリカにも自主性を発揮するスタンスを確保すべきです。

 そのような、主体的、客観的条件も十分生まれていますし、我々日本人が、このことを自覚すれば、十分やり切れる能力を持っているのです。

 でないと、日本はこのままでは亡国(日本が日本でなくなる)の憂き目に遭います。

 日本は対米従属を止め、日米安保を破棄し自主独立の国となり、専守防衛の武徳をもった非核、非暴力の徳の高い国となるべきです。

 逆に米中の仲介者となり、世界の平和と繁栄に貢献する道をこそ選ぶべきです。

 それが、真の「安全保障」といえるでしょう。

 米中冷戦構造の再現の危険もないとは言えませんが、後戻りのできない資本、情報のグローバル化がすすむ中、その可能性はどんどん小さくなっています。

 むしろ、暴力、戦争的解決よりも、非暴力、人間と民族、人類の道徳的高さ、徳、そのような人類の世界史的な新しい文化、文明こそが求められてゆくでしょう。
 
その6へ続く