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日本文化チャンネル桜 (SKYPerfecTV! ch.767)

日本よ、今... 「闘論!倒論!討論!2005」

4月2日放映分 (3月26日 収録)

                    塩見孝也


その4:論客の間でも意見の相違

      執権勢力内部の「従属」派と「自立」派の確執、両者の核武装論とは?。
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 この辺から、この4人の論客に意見の違いがあることも判ってきました。

 潮さんは、明らかに「東京裁判史観」肯定派であり、アメリカ精神肯定派であり、「日米安保至上」派、「従属肯定」派といえます。

 グローバリズムを肯定し、「日本のアメリカの一州化をも是認すること」を覚悟している、或いはそれを見通している人とお見受けしました。

 (潮さんは、「東京裁判批判」には加わりませんでした)

 他方に遠藤浩一さんら「東京裁判史観」批判派といえる論客達がおられるわけです。

 この人たちは、本質的には、「日本(資本主義=帝国主義)自立」派とも言えるし、ある面で「対米報復」派とも言えます。

 或いは、所謂「チャンネル桜」の主流、思想的「最保守派」といえます。

 この人々は、「日本独自核武装」肯定派でもあります。

 これらの人々が、「当面、対中、対北戦略において日米安保を堅持しつつ、政治的、経済的、軍事的な主体的力量を付ける」で一応その思想的矛盾を彌縫(びほう)しつつ、連合しているように見えました。

 しかし、最後まで「日米安保、対米従属」を堅持するか否かは、まちまちの様でした。

 これは、核武装においても、両派とも「核武装の緊要性を認める」ものの、その方法論の違いに現れます。

 「アメリカの核の傘に居続ける」派と、「日本独自の核武装をなすべき」派の違いです。

 「独自核武装」肯定派は保守派の中に、潜在的に膨大に居ますが、それが浮上しきれないのは、明らかにアメリカがそれを絶対的に許さないからであります。

 このアメリカの制動に抗して、これを実行することは、一定の期間、実質はアメリカからの訣別を意味し、民衆の協力を取り付けなければならず、戦後の対米従属体制の解体、脱却を意味し、それは民衆のヘゲモニー、力量如何では変革にも連なってゆく危険かあるからです。

 僕が、この辺を読みながら「あなた方は、皆さん核武装派でしょう」と挑発的な発言のあと、以下のように続けました。

「僕等は文字通りの意味での“専守防衛”は認めるものの、広島、長崎の原爆体験という教訓を活かした『非暴力、非核』こそが、日本人が発することが出来る、世界、人類に訴えられる価値ある、最高に日本人らしいメッセージと思っています。僕等は“何処そこの国が攻めてくるから、軍事力強化だ”という発想に、入り込まないように、今こそ、思想的に営為して、しっかりした覚悟を持たなければなりません。」

 「“何処そこの国まで核武装しているから、核均衡・核抑止戦略で平和を維持する”などといった、軍人的発想、主張は、通俗派の俗物の見解であり、こういった方向こそが亡国に危険を招きます。」

 「軍事の前に、人間観、政治観こそ、決定的に、哲学し、再検討し行かなければなりません。」

 「今こそ、日本人は“何処そこの国が攻めてくる……”“何処そこの国が核武装しているから、こちらも核武装だ”といったアホな、政治的、思想的論理、土俵に入り込まず、反核、非核、非暴力の大道を歩み、21世紀の人類の歩むべき道を先駆的に示すべきである。」

 そうすると論客の方々は、「塩見さんは、我々を核武装派だと決め付けていますが、決め付けないでください。核武装は重要な検討課題ではありますが、今すぐの核武装など考えていません。」と発言されました。

 これは、特に「被爆国日本にとっての核武装」という微妙な問題について、論客の方々の間にも、完全な一致は無いからでしょう。

 三上治さんも、以下のように続けました。

「『攻めてくるから、攻めて行く』では無く、攻めてこないように、思想的、政治的、道徳的に日本が、高いありようを示し、外交的努力も積めばよい。『軍事第一』の方向で備えるのではなく、まずは戦争を起こさせないように努力すべきだ。アジアの人々とどう共存、共栄し、日本人が貢献すべきかを真剣に考えましょうよ。」

「仮に攻めてくれば、ゲリラ戦でたたき出せばよいではないですか。そのほうが、双方先制核戦略など持って、核戦争となり、人類滅亡の危機になるよりはるかに英知ある行動ではないでしょうか?」
 
その5へ続く