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アメリカの非を鳴らすが、非を鳴らすなら、反安保の反米闘争を本気でやるべきである。その気が無いなら、やめるべきである。
実際は「ポーズの馴れ合い」なのですから、国民欺瞞であり、それなら正直に「国士」ぶらず、アメリカを礼賛し、「その一州になる」ことを宣言すべきではないでしょうか。
そうでないと言い張るなら、きっぱりと「愛国者(パトリオット)宣言」をやり、「自主独立」、「反米愛国」を貫くべきです。折衷主義の二股膏薬はみっともなく、やめるべきです。
これは、アメリカ人にも失礼と思わないのですか。
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先の戦争は人間の強欲、利潤追求を最大限に商品経済、つまり「市場経済」を通じて、システマティックに発現させる資本制帝国主義のシステムに原因があり、そのシステムの法則性にアメリカ、日本の双方の人間、民衆が惑わされ、それを主体的にコントロール、ないしは廃棄できなかったことに真の原因があり、アメリカ側の強欲、エゴのみに問題があるのではなく、日本側にも同等、同質の問題があったと、主体的に反省すべきです。
資本主義の煩悩的競争戦の蟻地獄に入り込んでしまうと、誰も彼もわかっていても、そこから脱却できず、その渦に巻き込まれてしまいます。
そのことを、貴方達はお分かりになっているはずのに、資本主義執権勢力の構成員として、又そこから実利を得ているが故に、隠しているといえます。
アメリカ側のみの不義を言い立て、自己の利便ゆえに、自己の責任を不問にする責任転嫁の陋劣な欺瞞的手口に陥ってはなりません。
「目糞対鼻糞」の、不毛で消耗な「戦争論」論争から脱却してゆくには、資本主義の法則の認識とその批判が必要であることを知るべきです。
「目糞対鼻糞」の地平に居る限り、その総括は「今度は絶対に負けない。一等国になるのだ。戦争とは、どんなことをしても勝つことなのだ。負けたらおしまいなのだ」、これは反転して「負ける戦争はしない。超大国のアメリカに戦争を挑んだのが判断の過ち。アメリカとの同盟を今度は是が非でも維持する」、こういった短絡的判断に「戦争論」は、切り縮められてゆきます。
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日本人の「自主独立」の「反米」対応は、幕末の「尊王攘夷」から始まったのであり、「草莽堀起」を唱えるなら、まず、幕末の維新の志士たちを模範にすべきである。
ところが、あなた方は、そのような攘夷の志士たちではなく、維新革命成功の後、権力に就いた大久保、山形らの革命を変質させた「反革命家」の権力者達を模倣しています。
彼等の採用した「欧米模倣」「脱亜入欧」「帝国主義的“富国強兵”」路線は日本の針路を誤らせましたが、あなた方は、またぞろ、その愚を踏襲せんとしています。
我々は、フランス革命は見習うが、反革命化し、覇権主義に落ち入ったナポレオンを見習うべきではありません。ましてや、エセナポレオンたる「小ナポレオン」、ナポレオン三世など見習うべきでないのです。
貴方がたが、やっていることは、実際は「大久保・山形」の路線であり、小ナポレオン的であり、決して「攘夷の志士たち」とは言えません。
あなた方は、「羊頭を掲げ、狗肉を売りさばいている」のではないでしょうか。
あなた方が侵略戦争の真の責任を取ろうとせず、又取りえないのは、戦前の復古に拘泥し、その前の維新の志士や維新直後のパトリオットの所まで還っていかないから、或いは還って行こうとしないから、今後の日本の進むべき道が見えてこないのではないでしょうか?
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