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日本文化チャンネル桜 (SKYPerfecTV! ch.767)

日本よ、今... 「闘論!倒論!討論!2005」

4月2日放映分 (3月26日 収録)

                    塩見孝也


その3:先の戦争をどう見るか?

     厳然たる侵略戦争、帝国主義戦争の歴史的事実、本質を否定してはならない。
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 この辺から、論戦は核心部分に入り始めます。

 つまり、「先の戦争をどう見るのか?」です。

 この点では、「戦後思想をどう見るか」は、このテーマ、論点にかかっていること、この評価と一体で、この評価・論争を避けては、「戦後思想をどう見るか」は成り立ってゆかないという点では、双方は完全に一致しました。

 そこでまず、クラウゼヴィッツの戦争論から「戦争とは別の手段による政治の継続である」を引用しつつ、その性格を帝国主義戦争、侵略戦争と考えていることを最初に指摘しました。

 日本とアメリカの独占資本が、アジア・太平洋地域での経済的利潤を独占しようとして、この地域の土地の独占、分捕りあいを、政治や経済だけの競争では決着が付かず、軍事・武力で決着付けようとした戦争であること。

つまり「日米帝国主義のアジア、太平洋地域の分割と再分割のために覇権を確立せんとする帝国主義(間)戦争、いわば「日米強盗戦争」でした。

 その「日米強盗戦争」が、アジア・太平洋の諸国家、諸民族、民衆にとっては、迷惑な「侵略行為」であり、それに対する「反侵略・植民地体制打破の民族独立」の戦いであったとも言えます。

 「アメリカのいう『反ファシズム解放戦争』、日本のいう『大東亜の欧米植民地主義からの解放戦争』も、日米双方の『帝国主義の強盗行為』を美名付け、名分化し、日米双方の民衆を騙し、戦争に動員せんとした人騙しの仕掛けに過ぎない」と主張しました。

 「その後ソ連スターリン主義が、この米英のいわゆる『反ファシズム解放戦争』に加担したが故に、そしてこの連合が勝利したが故に箔がつき、あたかもアメリカ帝国主義に正義と道徳的高さがあったかのごとく思われがちだが、それは明らかに間違いである。」

 「このアメリカの偽善性を批判、暴くのは当然であるが、一方で日本の『「大東亜解放戦争論』も結局は利潤追求、アジア・太平洋地域の支配、覇権の側面を覆い隠すための偽善的名文付けに過ぎない」と続けました。

「白人人種主義の横暴への、アジア・黄色人種のそれを糺す、戦い」というのも、その根底が、欧米を模倣した、強欲な資本主義システムを丸々肯定することにあったが故に、「オランダら欧米植民地勢力を叩きだした後、その後釜に日本型の植民地主義で居座ろうとする、欧米と同じく強欲で、偽善に満ちたもの」でしかないと。

 所謂、最初に述べた「目糞と鼻糞の戦争」論の再展開です。

 相手側、4人の論者は「大東亜の繁栄、共栄のための戦争」「白人至上の欧米のアジア植民地主義との戦い」と、従来の「独立自存の“聖戦"論」を繰り返さんとしたわけですが、さすがに、これを全面的に展開する方はいませんでした。

 むしろ目立ったのは、「先の戦争名称を『太平洋戦争』と日本人が平気で使うのはおかしい。東京裁判史観に毒されている所為だ」とか、南京虐殺の「数が違う」「出されてきた、虐殺の写真は別のところのもの」などの内容を主張しつつ、「それゆえ南京虐殺は存在しなかった」とかいった、私には本質と離れたとしか思えない主張でした。

 これと同じ論法で、「この侵略戦争で『2000万の人が死んだ』は数が違っている」、ここから、急に飛躍して、「だから“侵略戦争でない“」とか(何が、“だから”なのだ?)主張したりする「部分の曖昧さや、間違いを指摘して、全体の性格、本質まで否定する」論法です。

 その新手の白眉の主張は、1937年の盧溝橋事件は、「中国共産党、劉少奇がその挑発を指示した謀略であった。その文書も入手している」というものです。

 「最初の一発を撃ったのは誰だったか」とか、は、日米の経済、政治面の歴史的趨勢からすれば、それ自身殆ど意味の無い、主張で、中国大陸に侵略して行った側が誰で、それが侵略であったか、否かをぼやけさせようとした議論です。

 これなど、戦後の「冷戦構造」やその後の「アメリカ・ユニテラリティー(一極支配)体制」擁護から、結果解釈的に、ひねり出された最たるインチキ、ペテンの代物でした。
 つまり、中国を「仮想敵国」に設定して、それに照準を合わせて、過去の中国侵略をこじつけ的に解釈し、正当化せんとするご都合主義です。

 そして、この新種の主張をした論客は「私が、先の戦争で教訓化するものがあるとすれば、次のことです。日本が、日英同盟を破棄し、枢軸同盟を選んだことでした。英米との同盟を明治維新以来、苦労して獲得してきた、この同盟を破棄したことで、世界一の強国であった米国を敵に回したおろかな判断をしたことでした。軍事的には、全くおろかな選択であることは明瞭です」とも言い切りました。
  
 彼、潮匡人氏は「アジアの市場を失っても、英米の市場だけで、日本は十分今後やっていける」とも言い切ったのでした。

 しかし、当時の日本が「帝国主義資本制」を前提とする限り、アジア・太平洋地域で、「日米帝国主義」が、その利潤追求のために覇権争いを演ずるのは不可避で、米英と日本の共存、共栄はありえない空想であったといえます。

 民衆中心、人間中心、諸民族共和、人類協同の理念にたって、人間の強欲・弱肉強食をシステム化して定着化する資本制を肯定する限り、日米戦争は不可避なのでした。

 これを、唯一阻止する方向は民衆中心で、アジア・太平洋の民衆、アメリカの民衆と日本民衆が結合し、先述の理念の下、闘う以外には道はなかったのです。

 実際、そのように理解して戦ったコミュニストやリベラリスト、宗教者は少数ながらいたし、中国民衆と連帯してきた北一輝や宮崎稲天らの先覚者がいました。

 当時の日本は、日本の民衆を中心に、毛沢東らや時には国民党、或いはベトナムらの民族解放闘争の勢力と結合し、それを支援するべきであって、決して外に出てはならなかったのです。

 危機を打開するためには、自らの資本制システムのありようを自己否定し、変革すべきであったのです。

 明治維新以降の日本の執権者たちの路線をそのまま肯定する潮さんらは、大久保、山形らの様に、革命家から欧米摸倣に入り込み、欧米帝国主義の後追いしか考えなかった、「資本主義=帝国主義の肯定方向」ではなく、日本人、日本民衆の底力を信ずる、西郷らの革命的アジア主義者が居たことを一顧だにしていない様に思えます。

 戦後思想の総括は、ただ戦前に回帰することのみでは何の成果も挙げえず、明治維新直後の西郷・大久保の、日本の進路をめぐる論争、政治闘争のところまで帰って、考えていかなければならないのではないでしょうか?
 
その4へ続く