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塩見孝也が現代を総括する「新・遊行記」(その2ー7・8月篇)


 さてこの編は僕の7月、8月の遊行記である。
(一) この2ヶ月も僕は結構動き回っている。京都にも7月19日、大学時代の学 生運動の僚友・八木俊樹7回忌・著作集出版記念会や8月16日、藤本敏夫一周忌な どで京都に2回出向いている。加藤登紀子さんとも少し親しくなった。

又連合赤軍事件で亡くなった山田孝の31周忌を、今秋仲間達とやるたために、発起 人に立候補して下さる方を発掘するために奔走したりもした。今Mさん達が大車輪に なって、その実行委員会は動き出している。

 山田は前号の本誌で紹介させていただいた望月上史と共に、70年闘争を闘った世 代には、どうしても忘れるこの出来ない人であり、誰も追悼会をせずしては心が晴れ ない最重要な人の一人であった。

 彼は「死は平凡である。死を突きつけても、兵士達は“革命化”するわけがない」 と森、永田達に諫言した唯一人の人である。

 死ぬ前に「畜生、“共産主義化”とは一体なん何だ」と呪訴している。本物のイン テリなのである。

 革命左派の夫の吉野忠邦を愛し、身ごもっても山で闘い抜こうとした金子三千代さ んと新婚の幼い娘を抱えた妻を残し、山に出征した山田はマルクス主義の殉教者とし て極北を生き、たおれた人の代表である。こんな人達を復権し、世に伝える義務が僕 にはある。

 しかし、これは活動、それはそれ、稼がないと飯が食えない。家族からも顰蹙をか います。

 一水会や某大会社の社員教育・文化講座で講演もしています。幾つかのインタビュ ウーを受け、2本ほどの原稿を書いています。「連合赤軍始末記」でちょこちょこ話 に行きます。

 秋、出版予定の「僕の朝鮮論」の執筆も開始しています。可成り効率は良く稼いで いると思いこんでいるのだが、絶対量が不足で、財布の方はいつも持ち出しである。  その合間、かみさん孝行で伊香保の方に行ったり、「白船」が一時巧く行かず、ふ てくされて貸しビデヲばかり観て居たりもした。

 沢山、夜っぴいて見たが、「戦場のピアニスト」「黄泉還り」が良かった。「刑務 所の中」はマーマーだが、非人間的過酷さの描写は、手ぬるい。クリント・イーストウッドの 最新作はやや期待はずれ。

「狂気の桜」は少し、新右翼、民族派の気分を漂わせていた。

 しかし、ナント言ってもこの2ヶ月、そして今も全神経、全精力を投入してきたの は僕も携わっている「白船」運動のことである。

 これには引回されっぱなし、泣かされ放しで、やっとこさで、9月に至って目鼻が 付き、着実に軌道に乗り始めました。

 いつの間にか、梅雨が明け、夏が来、台風が一過し、今は自宅の近くの栗林では実 がはじけ始めている。季節の移ろいを味合う余裕もなかったのである。しかし、今猛 暑、盛夏と言った変な気候である。僕の気分の動揺の写し鏡なのだろうか。

 さて、今回はこの「白船」のことについて書くこととします。

(二)「白船」とは一般に「平和」を象徴する。

 しかし、日本にあっては次のことを意味する。

幕末、アメリカ・ペリー提督がは黒船艦隊を率い、日本に来襲し、暴力的に日本を、 「脱亜入欧」、つまり「欧米に見習い帝国主義としてアジアを侵略する」近代へと、 こじ開けた。又その結果、世界に先駆け、唯一国として被爆もせざるを得なかった。 この苦い歴史の反省から、「黒船」に対置する、平和の人間的、民衆的追求、民族自 主と人類共和の道の追求は日本人にとって、国民的祈願であった。これらのシンボル として僕らは「白船」を設定しているのである。

 「白船」のこのような、着想はアジア・太平洋戦を唯一国内地上戦として闘い、3 人に一人が亡くなったウチナンチュウの体験を音楽化してきた歌手、喜納昌吉の音霊 的イマジネーションから生まれたのである。

 元々のこう言った観点から、“300人の平和義士団の「白船」による訪朝”と 言った、破天荒なイメージが打ち出されたのである。

 そう、最初「週間新潮」(8/14号,8/28号)に、いみじくも「真夏の夜の 悪夢に終わるのではないか」と2週連続に亘って揶揄された事件として、少しは世間 に知られ始めた行動である。

 「新潮」は話題性十分と察知し、「スカルノ元インドネシア大統領夫人、デビ団 長」説を含んで、おまけに塩見までが「コメント」に応じたと、まことしやかに振る 舞い、情報を盗み取り、当て推量を書きまくった。

 デビ団長説は内々に在ったことは事実ですが、正式に決まっていたわけではない。  ご丁寧にコメントもしてない僕にコメント料まで送ってくる始末であった。僕は突 き返した。

 ここでは、デビさんが可哀想にも、槍玉に挙げられた。デビさんの言説は、一部腑 に落ちないところもあるが、概して正論、僕など共感するところ大である。

 「白船」の理念を理解せず、下司の勘ぐりをやり、低水準な攪乱をしているのは 「新潮」の方である。この暴露が、僕らの企図を実現する上でどれほど迷惑となった ことか!

 本当にいつものこととは言え、情けない連中である。

この運動は戦争に反対し、平和を求める基本観点で、この一年間、どん底に陥り、 最悪の「今にも戦争が起こりそうな」日朝関係を民間外交で打破して行こうとする試 みです。  1,つまり、長らく日朝は戦争関係にありながら、「非戦」の状態にあったのが 「臨戦」の状態に転質して行っている深刻な状況を踏まえ、「日朝両国民、両国家は 戦争しない、戦争を起こさせない」という「不戦」を誓うこと。

2,締結と同時にないがしろにされ、反古にされかかっている、昨九月17日、両 国首脳間で、ピョンヤンにおいて宣言された、この「ピョンヤン宣言」を両国政府が 実施し、日朝国交正常化から東アジアの平和を目指す。

 3,米国等超大国は勿論朝鮮民主主義人民共和国も含め核と言う本性からしても、 日本国民の核体験からして、あらゆる核武装に反対する。

 4,拉致問題を人道的観点で、最優先して早期に解決する。

この4つを指標とする運動です。

 5,共和国に出向き、朝鮮民衆と交流、対話し、首脳部と言うべきコトは一歩も退 かず言い、交渉し、共和国を観望して回る、これが行動方針です。

 観望するだけなら出来るかも知れない。しかし、日朝両民衆が双方思うところ、信 ずるところをフランクに出し合い、交流、対話することは難しい。

 まして、首脳部と外交交渉するなど、更にお呼びでない。鼻にも引っかけられない だろう。

 そもそも、共和国と意見が異なったり、批判的であったりする人を「唯一思想、唯 一指導」「一心団結」の国が入国を許可するわけがない、誰もそう考えます。  全く持って、途方もない不可能極まる、とてつもないほどの夢想だ。論外の空想で ある。

そう誰しも感ずるのは当然である。正にそのとうり。破天荒なイメージである。  ところがどっこい、この凡百では思いつかない、奇想天外の途方もなさにこそ、こ の運動の生命があり、今の閉塞された日朝情勢を打開する鍵が潜んでいる。又それを 民間から体を張って、ピュアーかつ真剣にに追求するところに、実は可能性と現実性 が潜んでいる。

 閉塞されきり、国家のレベルでは様々な政治的利害が絡み、しがらみ多く、竦(す く)みあい、身動きがとれず、と言って双方戦争の愚は本心では回避したい、戦争は アホなコトである、は重々承知である、しかし無策ならドンドン戦争へと転げて行 く、こういう時、奇想天外な途方もなさを民間が仕掛け人となって、民間外交を実行 すればすくみ合いは打破されるのである。 僕ら同志達、「白船」平和義士団はこう 思ったのです。

  しかし、このような奇想天外な、ある種の芸術性を帯びた政治には、受ける側に 同様に以心伝心の才幹、インスピレーションの効いた、知恵者が居ないと成立しな い。

 何よりも実権がないと駄目である。

 最高トップのキム・ジョンイル氏の決断が要る。又両国の国情の違いに精通した、絶 妙の「使者」がいないといけない。更には「謀(はかりごと)は密なることを要す」 「維幕(いばく)にあって千里に謀を巡らす(史記)」と言った注意も必要とされ る。でないと行っても馬鹿扱いされ、昔なら使者は殺されてしまう。

 今なら「収容所」にぶち込まれるのが落ちである。下手をすれば「粛清」され、や はり殺されてしまう。 それ程危険な賭なのである。その前に漏洩すれば、逆に謀略 に遭い、こちら側で、仲間割れさせられ、コトは成らず、に終わる。

「史記」など引くと今の若い人はちんぷんかんぷんであろう。

 分かりやすく説明しよう。「レッドオクトーバーを追え」のハリソンフォードとショー ン・コネリーのような役者の掛け合いが必要なのである。

 僕らはこの後半部分は余り自信がなかった。雑で国際政治の謀略戦の世界に馴れて なく、余りに図撰であるから。

 しかし独裁者、キム・ジョンイル氏の「芸術性」「美学」に賭けたのである。実際 この部分で前半戦苦しみ、混乱におとしめられ、挫折しかかったのである。

 しかし 運動の抱負、理想、目的の高さ、捨て身のスピリットがそれを補って、 運動を成功させるものと楽天的であったのである。

   (三)5月頃から8月中旬頃までを、着想を練り上げ、使者を7月10日、送り出 し、その後「白船」を呼びかける直前までを前半戦とするなら、この階梯の総括は 「コトは半分成り、コト半分ならず」と言うところである。

 我が使者は、体を張って訪朝し、誹謗・中傷の査問の壁を突破し、僕が書いた「申 込書」をその宛先である「キム・ジョンイル国防委員長と労働党中央委員会」に紛れ もなく、伝えたのである。

 そしてトップの受け手、キム・ジョンイルさんは千両役者の風を持って「熱烈歓 迎」の答えを返し、使者はそれを日本国に伝えてきたのである。

 ところが、僕を初めとする我が陣営は己が追求したコトの正しさ、狙いの正鵠さを 自覚できず、にわかに凡暗(ぼんくら)となり、それ故それを半信半疑に受け止め、 相手のボールの投げ返しの構えの大胆さ、懐の深さ、度量、言行一致の真剣さを確信 出来なかったのである。この解答に残念ながら、懐疑を持ったのである。

 情けない限りである。その結果、敵に付け込まれ、内側から半分、分解の憂き目を 見る始末と相成ったのです。

 相手と使者を徹底的に信じる度量、覚悟が必要だったのである。

大統領に手紙を書き、返事が返って来たのに、それを疑うよなものである。

戦前の上御一人に直訴し、宮内庁から返事が来、「それを何かの間違いでは」と思い こむようなものである。

 使者の康(かん)パウロさんは手練の人である。 しかし結構彼は面妖なところが ある。孫悟空の如意棒のようにしゅみ山まで手を伸ばすような快挙もすれば、年中 「金がない、金がない」で借金に追われる、ホームレスまがいなのである。

 人を見極めるのは真に難しい。

 彼が8月25日マンギョンボ号で帰国し、真実が伝えられるに及んで、多少ジグザグに 及んだが、しっかり僕たちは事態をつかみ直し、体制を立て直し戦闘を再開したした わけである。

 11月初め、朝鮮の招待を信じ、百人目標の義士達を募り乗り込む。

少なくとも拉致家族の想い、原爆の資料や被爆者の悲惨は伝えるつもりである。

 まだ、交流の内容、企画は定かでない。交渉についても見えてこない。やって行く 内に肉が付いて行くはずである。

 僕らは10月30日から11月6日を想定し、船は無理で飛行機で行く予定であ る。

費用は20万から25万、近い内要領、段取りを公表します。

 沢山の有識者に加わってもらいたいものである。ビッグな影響力ある平和を願う 人々に参加していただきたいものである。

 しかし、安全パイの予定調和の旅行ではない。不可測な事態も考慮に入れなければ 成らない。その為の覚悟がいります。

 安全に全力を挙げますが、安全を第一にする人は加わってもらいたくない。その様 な人は何回も追求するから、2回目以降になされば良いと思う。

 「義士団」とは、どうも古風である。「忠臣蔵」か維新の志士達を連想する。そう 捉えられて、良しと僕たちは思っています。

 民衆を愛し、民族や國を愛する人々である。その「義」の為に身を捨てる覚悟が出 来た「さむらいーー士」こそ今必要とされている。

欧米風に言えばパトリオット(愛国者)のコマンドである。

義士団の中核部分には、あの今年2月下旬、空爆の可能性が3割程あった時、戦争 を起こさせない為に、イラクに行った仲間達がいる。人間の盾になっても戦争を起こ させないように、行動した人達が加わっている。

 普遍的な人類的平和の精神が必要である。しかし、その精神は、人類が歴史的に 存在してきた國と國、民族と民族の関係性を通じて貫かれなければならない。

 朝鮮民主義人民共和国の現状とその未来については、別に説明されなければならな いが、一つだけ言えることは次のことである。

 朝鮮は“絶対の國”であった。オールオアナッシングの國であった。それ故、他の國 と人々はこれまで「絶対賛美」の盲従か、それとも「絶対否定」の敵対か、以外 つ き合う選択肢はなかったのである。

 しかし、冷戦時代は朝鮮半島でも終えんしつつある。朝鮮もまた開放、改革の流れ に乗り出して行かなければならない。この過渡期の時代、もはやかつての“絶対”は 通用しなくなりつつある。

 であれば、日本人も又拒絶の絶対否定で没交渉の態度を採るのではなく 、その裏返しとして、「賛美」「盲従」の極少数の人の態度の二者択一ではなく、相 互が自主性を持ち、尊重しあってつき合う第三の交流の道が切り開かれる必要がある のである。 言うべきコトを言い合いながら、相互尊重しつき合う道が開かれつつあ るのである。

しかし、それは最初勇気ある、道理に徹すことが出来る人達の試行錯誤の努力が必要 なのである。

 今、まともに朝鮮とつき合う人は居ない。政治抜きのボランティアの人々か、何ら かの事情で盲従しなけれならない人々か、覚醒剤などで双方大儲けしようとするブ ラックな世界の人々である。このような人達だけのパイプは異常であり、双方の國を 歪め、疲弊させる

 このようなとき、普通の両国の人々が、普通につきあえる方法、意見が違う人々 が、その違いを前提にしても、気楽につき合う、方法、この方法を僕たち、「白船」 平和義士団は日本人、日本民衆の主体性に賭けて、切り開こうと決意している、と言 うことである。 その創造的、民衆奉仕の精神において覚悟し、それを個人の楽し み、生き甲斐としていることにおいて、「義士」を僭称するのである。