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年頭に当たって
今年の情勢の特質、迫りくる破局、情勢をしっかりと捉えぬこう


2006年 1月 21日

                    塩見孝也

1.虚妄の小泉選挙大勝-小泉幻想はすでに崩壊している。

 小泉首相は、先の選挙で大勝しました。

 しかし、これは、基本的に虚妄ともいえる、泡(あぶく)のような勝利であり、すでにそのインチキ振り、軽薄さが露呈されつつあるといえます。

 メディアを利用してイメージを上げ、実体の伴わない資産を築いた挙げ句、司直の手が入った某IT企業と同じです。

 大雑把に言って、この集票性は「改革だ、改革だ」と無内容に騒ぎ立て、メディアを最大限使って、「劇場選挙」方式で「小さな政府」「刺客の送り込み」「小泉チルドレン」ら小道具のキャッチフレーズを編み出し、小泉特有のポピュリズムで、必死で、「国と民族、民衆の在り様、展望を模索している」「国民」の間に「小泉なら、何か改革をしてくれそうだ」という「改革幻想」を作り出した、ことによります。

 しかし、ここまでが精一杯で限度だったのです。「改革」幻想は、ほんの数ヶ月経た今ですら、それが幻想、仮象であることをものの見事に暴露し始めています。

 何故なら、小泉政治は、外見の目配りの良さ、卒の無さ、気の利いた軽薄なポピュリズムで誤魔化しているが、これまでの、相変わらずの対米売国と保守反動の野合政治を、それをより対米従属、売国に傾斜させて、日本破局に向け漕ぎ出しているに過ぎない、と言えます。

 アジアからの孤立、米中連携による日本孤立化、経済不況、経済冷却の更なる深化、このことに伴う生活危機、民衆の生きる指針の喪失らら、これらの破局が日本を襲おうとしています。



2.アジアからの剣突の増大、これに伴うアジア貿易の冷却、経済の更なる墜落現象の継続、にもかかわらず売国と保守反動の相変わらずの野合・折衷政治の継続のもたらすものとは?

 小泉の対アジア侵略開き直りのアジア外交は中国、韓国(今は控えているが朝鮮国=朝鮮民主主義人民共和国もそうなのだ)を中心にして、APEC諸国らに強烈な反撥を招き、分けても日本経済復活の頼みの綱、中国から強い批判を浴びることになっています。

 中国の道理ある侵略戦争肯定の危惧、批判を無視し、強引に靖国参拝をなしたことにそれは、象徴的に凝集されています。

 幾ら、小泉首相が、「靖国参拝は、アジア侵略戦争の自己批判を踏まえての、国内同胞の戦争犠牲者の追悼だ」と詭弁を弄しても、「アジア侵略戦争遂行の責任者」を祀っている、しかも、国民・国家が公式に定めた慰霊機関でもない「靖国」に「参る」ことは、侵略を現実に受けたアジア諸国、民衆の心情を顧みない、まるで鼻っ面を張り飛ばすような無神経な行為と言えます。

 小泉は、このような二枚舌を使い、対アジア、外には「反省している」振りをし、他方、国内の「対アジア侵略聖戦」論を主張する保守反動勢力に迎合し、その両方の要求おも満足させた、と思い込んでいるようですが、中国の強硬な抗議、批判、経済規制から日本財界が、経済的展望の上で、慌て始めクレームを付け始めました。

 経済界は「政冷、経熱」どころか「政凍、経冷」(経団連)となっている、と危惧を表明し始め、中国市場を当て込んだ、日本経済の不況脱出など、今は夢物語になりつつあります。このことは、珍しくも「読売」の渡辺元社主が「今年から、“朝日”と同じ歩調を取る(論座)」と宣言し、小泉の対アジア姿勢を批判したことにも現れています。

 にもかかわらず、小泉は、保守反動右翼勢力やその代表・安部などと決して訣別できないばかりか、安部を第一の後継者にしたりして、自己の立脚基盤の両足、つまり「対米従属のグローバリズム・従属覇権」路線と「戦前超国家主義のファシズム政治への回帰」の路線を、前者を基調にしつつも、今一つの軸足として、それも頑迷に、維持し続けています。



3.小泉は道義の問題を、対米従属下での軍事力強化、超国家主義で代替させようとしている。―唯軍事主義で現在の事態を打開出来る、とするのは白日の夢に過ぎない。

 小泉政権は、口を開けば「日米安保は国家の礎石だ。アメリカとの友好が第一」と言い、アメリカに、そのポチとして犬馬の労をとってきましたが、決して、アメリカ帝国主義は、日本を英国に匹敵する世界戦略の第一の同盟国とは考えなくなってきていることです。というより、総考えてこなかったことを露呈させ始めてきた、と言えます。

 むしろ、これとは反対に、アメリカ執権勢力は、日本執権勢力の、この願望にコト寄せ、付け込み、政治的にも、経済的にも、或いは文化的にも、日本に無理難題を押し付け、「冷戦終焉」以降はこれが因で、日本は経済不況に陥り、軍事的・政治的に湾岸戦争、イラク侵略戦争、占領戦略に加担せしめられ、クニと民族、民衆の思想的、文化的拠り所を解体せしめられてきました。

 中東でも、これまで日本が築き上げてきた信用は、今や風前の灯となりつつあります。

 アメリカと中国は言うまでも無く体制の異なる国家であるから、潜在的に見れば、根本的なライバル関係にある国といえます。

 しかし、冷戦終焉以降の国際政治、つまりグローバリズム政治は、明らかにアメリカと中国のパートナーシップで創出されて来たこと、このことによってソ連スターリン主義体制は崩壊せしめられ来た、といえます。

 中国の文化大革命の清算、現代化・市場社会主義路線の採用、反ソ親米路線、アメリカのグローバリズム経済化路線の採用、この相互補完、相乗化が現代世界の基軸を米ソ冷戦、米ソ相互補完に替わって、創り出して来た、と言えます。

 そして、それは、対日本との関係では、歴史的には第二次世界大戦の「反ファシズム連合の盟友」としての「米中連合」と銘打たれ、金科玉条視され、もてはやされて来ています。

 このことを、対日本との関係、中国市場におけるアメリカと日本との関係で考えれば、日本の主体的対応如何では、両国のアジアでのリーダーシップ、覇権戦略においては、両者が連携し、日本を袋叩きにして、追い落とす可能性、危険を、これまでも十分に内包してきましたが、それが、小泉政治の不味さによって、決定的に露呈し始めて行く、ということであります。

 アメリカは、日本に無理難題を押し付けつつ、日本をより疲弊させ、隷従させようとしているわけです。

 そして、アメリカは中国と連携しつつ、アジア・中国市場において、日本を追い落としつつ、NO1になろうとしているわけです。

 さらに、狡猾にも、他方では、反共軍事戦略としては、日本と中国らアジアを分断し、相闘わせるべく、日本をアメリカのアジア覇権、支配の更なる忠実なる先鋒隊、アジアからの対アメリカ反撃の強力な衝立としての不沈空母基地に仕立て上げようとしているわけです。

 中国は「日中友好は日中双方の利益」という観点で、これまで中国現代化を、日本の資本、技術力、その他の近代化の経験を利用して推進してきたわけだが、経済的離陸、高度成長をやり遂げ、今やアジア、世界に経済膨張をなさんとする段階で、アメリカに隷属し、日米安保で自国を「仮想敵国」とする日本と、角逐を意識せざるを得なくなってきています。

 この段階で、日中双方が共存・共栄し、パートナーシップを確立し、アジアでの経済・政治共同体(「東洋のEU」、新「大東亜共栄圏」)を創出してゆくには、過去の歴史を日本側がしっかりと清算し、アメリカから自主・自立することで、信頼関係を作り出してゆくことであります。

中国はこう、と要求しているわけですのです。これは全く道理のある要求と言えます。

 ところが、アジア・太平洋戦争における戦争責任をアジア・太平洋諸国・人民に、冷戦にかこつけ、アメリカ帝国主義の庇護を受け、根本的に自己批判することを回避してきた、自民党ら執権勢力は、根本的なところで、これを受け入れることが出来ないから、日中関係は、米中関係以上に冷却してきているわけです。

 そればかりか、小泉自民党は、その反対に「靖国に参拝」し、「憲法改正」にまで、走り始めてきているのでありますから、アジア諸国、とりわけ、中国、南北朝鮮国の神経を逆なでするのは当然と言えます。

 小泉政治は、自ら米・中の連合した日本追い落とし、袋叩きを招いている、とも言えます。

 これまで、日本を尊敬してきた、マハティール等マレーシアすら日本の動きに批判的になり、中国に接近し始めています。

 このことは、過小評価できない事態と言えます。何故なら、戦後日本に友好的であった、インドネシア、タイ、フィリッピン、なども遅かれ、早かれ、マレーシアの後追いをするだろうし、冷戦体制化で、固い「絆」を創ってきた、韓国、台湾すら、韓国が、まずこれまでの反共冷戦路線を改め、反対に「反日」を掲げ、中国と連携し始めたように、台湾すら、今後「脱日」してゆく可能性すらあるのです。

 この、「脱日」現象は、既に中東でも、トルコのような一貫した真実に「友好」の国は例外として、「イラク派兵」「パレスチナ問題」で起こっています。

 日中の冷却の基本要因は、中国側に主因があるのではなく、明らかに日本側にあり、日本執権勢力が、敗戦後無反省、無総括をやり続け、アメリカに寄生しつつ、戦争責任をごまかし続けてきたことにあります。この意味で、日本執権勢力の自業自得と言い切れます。

 我が日本国に問われているのは、国家と民族、民衆のアジア・太平洋に対する敗戦責任おも内包した戦争責任の道義であり、それを誠実に実行することであり、そのための、国と民族、民衆の独立自主、自立、自尊の精神、気構えが要求されているのです。

 決して、決して「中国脅威」やそれからの「自衛」の問題ではありません。或いは「米国との協調、日米安保死守」ではないのです。

「中国脅威」からの「憲法9条改正」など、とんでもないことです。

日米安保を日本民衆、日本国民が廃棄すれば、対アジアの問題は6割から7割解決します。

 こんなヤブ睨み対応が、現在の日本破局への道を掃き清めようとしている、と言えます。

「道義」の問題に目をつぶり、それを「軍事力強化」で代行させるなど、全く愚かな、白日の夢と言えます。



4.日本社会の矛盾の激化、日本戦後既成政治の崩壊、日本民衆、日本人、日本民衆は、60年前の敗戦時の虚心に帰って出直そう。140年前の明治維新の生鮮な初心に帰り、西郷隆盛の精神を復活させよう。−今、祖国日本は日本近、現代史の総決算が問われている。

 i):経済不況―生活苦の深まり、民衆、国民の生きる指針のあやふやさ、病める日本の中での「人間の壊れ」の増大、環境危機、教育の混迷らの事態の深刻さは、心と人と人の関係、その命(いのち)を革(あら)ためる、革命、維新を要求しつつあります。

 ii):小泉ら“アメリカンスタンダード日本”にも展望は無い、いわんや唯武器主義、唯軍事主義の偏狭な“戦前型保守回帰型(超国家主義、侵略主義)日本”にも全く展望はない。小泉の選択したものとは?小泉路線を徹底的に批判する。同時に「戦前型保守回帰型」グループを徹底批判する。

 真に国を愛すること、真に国を憂う、こととは?真の愛国心とは?愛国心をどう打ち立てるか? 戦後史を見てゆく視点とは?維新以降の日本近代史を見てゆく視点とは?らを真正面から、思考停止を止め、真正面から考えてゆきましょう。

 iii)21世紀の世界の最先端の課題が今、日本に問われている。

 マルクス主義の超克―民衆、人間、民族、人類の連関をパトリオティズムと日本人(=人間)としての自主・自尊、民衆中心の世界人類共同体(=世界諸民族連邦)の展望の中に見定めよう。

 iv):売国と保守に沈淪する祖国を、「徳高き信義ある自主日本」に維新し、青年が希望を賭けるに値する新生日本を!


       2006年 1月21日