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八尾証言をどうみるか?
塩見孝也(自主日本の会代表)

(一)
僕は八尾さんの証言を聞き以下のことを考えざるを得なかった。
1.彼女の証言の真贋について。真か贋か?
2.この証言の彼我に与える政治的意義について。体制側は何を狙っているか。
3.朝鮮側はどおいう態度をとり、何を狙っているか。
4.「朝鮮のよど号グループ」はどう反応するか? しているか?
5.証言の信憑性の如何によって対応は当然違ってこようが、有本さん両親に「よど号グループ」はどおいう態度をとるべきか?とってゆくべきか?
 そもそも有本さんとその両親等をどう言う存在と捉えるべきか?この人々は敵か味方か、当然人民で人民として理解し合う関係に立たねばならぬ対象なのであろうが、お二人は何を考え、どんなふうな要求を持っているか。
6,我々日本の救援グループ(よど号グループの)はこれらの諸問題、諸論点を考察し総合しつつ、どう言う態度をとるべきか?

(二)
 事態は「よど号グループ」の救援だけを考えれば良い、というわけには行かなくなってきている、のではないか?
 この見地は基本的には僕の主観と言ってよい。そう言われても僕はよい、と思っているがこの見地を今のところ頭の中から放逐することが出来ないし、そうするつもりもない。
 彼女の証言は彼女の意図が何処にあるかは別にして僕の体験、知見に照らしてみた場合、細部はキチンと出来るだけ精査するにせよ、ほぼ真実であるか、それに類するか、それに近似する事態が在った、ように思えてならないのである。
 そして以下の見解は基本的には僕の上記感性、主観に基づく推認である、ことをあらかじめ断っておく。
そして、僕のこの推認を「よど号グループ」が科学的に覆してくれることを望んでいること、そうなれば、僕はその説に従う。こういった事態を心から歓迎するもことも誤解なきよう合わせて述べておく。
 しかし、この証言がほぼ真実であるとすれば、我々が救援してきた「よど号」グループが過ちを犯し、有本さんとその家族に迷惑をかけてきた、と言うことになり、有本さんはもちろん、有本さん両親にも、ある程度にせよ我々も知らない振りをするわけには行かなくなってきた、と言うことである。
  僕はこれまでの歴史的関係からして、彼ら「よど号グループ」がかなりとんでもない過ちを犯していたとしても、否!連合赤軍問題に類する過ちを犯していたとしても、それ程驚かないし幻滅もしない。
 冷戦終了を前後して国際的、国内的に人民運動の中で露呈してきたり、経験してきたりしてきた歴史的諸事実を反省的に振り返れば、彼らだけが例外であると言い切れないし、彼らが過ちを犯すことは決してあり得ないことではない、というのが僕の認識である。 このいことは朝鮮労働党ですら例外でないと考えている。僕らの世代は連合赤軍問題を始め、数限りない苦渋を経験してきたし、醒めた態度でそれに対処する方法も知っているからである。
 人民解放を追求する過程での過ちは不可避であり、その過ちを僕達の世代は直視出来る経験を持っている。重要なことは真実に照らして自己批判し、初心を捨てずより過ちを少なくする形で闘い続けてゆく経験を持っている。
 「無謬の人」や「無謬の党」と言った観念から解放されてきたのである。だから彼らが過ちを犯していたとしても、不思議ではないし、それを彼らが居直らず自己批判してゆく限り救援を続けてゆけるのである。
それよりも事実を正当化したり、嘘を言って居直ったりする彼らを救援する方がつらく、気が向かない。それでも多分僕は彼らが救援を拒否しない限り、僕自身の主体性を堅持しつつ救援を続けるであろう。
 僕は真実が欲しいのであり、それに基づく真実の行動が欲しいのである。
嘘は止めて欲しい、人を騙して、人を傷つけ、犠牲にして保身するような態度は絶対に止めて欲しい、と言うことである。嘘は当面の事態を乗り切れていったとしても、長い目で見れば、嘘は暴かれ、嘘つきはより深刻なしっぺ返しを受けるのである。
人は、革命家は決して絶対的存在でないし、過ちは犯す。その際、自己を絶対化せず謙虚に反省し、自己批判してゆくべきである。
 如何に苦しくてもそうして反省してゆくべきである。
(三)
 アメリカ側と日本側では可成りな態度の隔たりはあるが、この事件の政治的狙いは明らかである。体制側は朝鮮敵視、戦争準備の為にこのような証言をこれまでも引き出そうとしてきた。 ブッシュ政権の成立、9/11事件とアメリカのアフガン制圧、小泉政権の成立、そして娘さん達の帰国、とりわけ赤木さんの帰国と裁判、有本さんや「拉致連」のこれに伴った動きの活発化、公安警察の暗躍等々これらの諸情況の中で八尾証言の舞台は整えられていった。
 八尾証言は有本さんの両親の娘への愛情に応えることを第一とするよりはブッシュの「悪の枢軸論」に応じた日本執権勢力の朝鮮敵視、戦争準備、朝鮮挑発戦略の一環である。このために体制側は有本さんの家族を徹底的に利用しようとしていることである。
 八尾さんは高沢と共に日米戦争勢力(日米安保体制推進勢力)に取り込まれ、今やその手先、先兵となって久しい。
 決して有本さん一家の人権、安寧を第一にしての証言したのではない。反動的意図と保身の為である。 
 朝鮮国側はどう受け止めたであろうか。どう対応するであろうか。
朝鮮側にあっては今回の証言は極めて不利である。事実でなかろうと事実であろうと。事実で在ればなをさら不利である。
証言のとうりであれば、国家が肩入れし、他国の公民を権力を発動しつつ、よど号グループが本人の意思を無視し無理矢理自国に連れて来ることを援助し、彼らが有本さんを「獲得」出来ないと判明した段階で、彼女を預かり、抑留し、「よど号グループ」の「革命行動」を応援した、ことになる。
そうであれば、この証言は従来の朝鮮国の「拉致疑惑」を立証する突破口となっているとも言える。更に言えば、この「拉致疑惑」の信憑性の増大をもって、これを名文に戦争挑発を仕掛けることを日米反動勢力は正当化するだろうし、国際法を平気で無視する「ならず者」国家という朝鮮国へのレッテルが更に認知され、朝鮮国はさらなる国際的孤立を招くこととなろう。
以上を鑑みれば、朝鮮国は有本さんが国内に在住してないこと、そんな事実はないことを望むだろうし、事実が在ったと認知するなら、国家と「よど号グループ」が一体となって隠蔽工作に向かうか、それとも紆余曲折はあれ、結局はその事態を「よど号グループ」の所為にして処理するであろう。
よど号グループが自らの単独行動として名乗りを上げる場合も万に一考えられないこともないがーこんなことがほぼあり得ないことは3/12直後のコメントやその次の「かりの会」の声明で明らかであるー普通の「リアル・ポリティックス」の常識に従えば、全くの国家犯罪だが朝鮮国家とよど号グループが連携し、「なかったことにする」のが一番良いことになる。
 3/15以降の情況や、これまでの朝鮮国の対応原則に照らせばこのような対応で事態は処理されているようにも思える。
しかし、朝鮮労働党も朝鮮政府も今回の有本問題、八尾証言にいつもと違ってコメントを出していない。それに比し「かりの会」のみ声明が出され、今(3/12現在)長文の次の声明が送られてきた。可成り矢継ぎ早である。
これはどうしたことであろうか。
 この問題を朝鮮側は「よど号グループ」「かりの会」の問題として 、意見を同じくするが発言する必要がないと判断しているからだろうか。
それとも、両者に判断の齟齬が生じているのであろうか。
前者なら従来の対応原則の中にあると見ればよい。後者の可能性は検討してみる価値はある。
 朝鮮国、現労働党が万が一にも現ブッシュアメリカ帝国主義と妥協することはないが、韓国や日本国と妥協してゆく可能性は前者に比べれば相当あるのである。
所謂、日米間の矛盾に付け込み、楔を打ち込み日本をアメリカから離間させる戦術である。
クリントン=ペリー時代のスタンスを復活する可能性である。しかしこの選択肢は常に中国型開放経済体制=市場社会主義路線の採用へと向かい、元労働党体制の崩壊の危機に連動する強いリスクを孕む。
とは言え何らかの形で有本問題に限ってならこおいう事態が進展する可能性もある。いずれにしても、有本さん問題・拉致問題は国際政治、労働党の政治と直結していると言うことであり、そうであることを前提にして我々救援者はどおいう態度、スタンスをとるか、ということである。
僕の態度、スタンスはいっさいの権威、権勢、情実関係に迎合せず真実に立脚するスタンスであり、嘘を拒否するスタンスであり、「よど号グループ」救援に依然として力を注ぐと同時に、それが有本さんとその家族への目配りを孕んでゆくような態度、スタンスである。
(三)
 有本さんは朝鮮敵視、戦争挑発の政治に易々と乗ぜられているわけではない、と思う。戦争を望んでないし、目下のところ外交攻勢によって娘の帰還を追求している。これ以上でもこれ以下でもない、ことを我々はしっかりおさえておくべきであろう。しかし、今後事態がこじれにこじれればこの方向に参画する可能性はある、にせよ。つまり有本さんは日朝友好戦略の政治を追求しているのでもなければ戦争推進戦略の政治を追求しているのでもない。特定の政治的見解にそって行動しているわけではない、ということである。この態度は今は亡き福留のおバーちゃんを想い起こして欲しい。彼女と同じ行動原則である。
 娘へのどんな親でも持つ、尊いが極く極く普通の素朴で最もベーシックな愛情に基づいて、家族にとって最低限にして基本的要求である安否確認要求、身柄の安全要求、そして帰還要求を追求しようとしているだけなのである。
 この要求は何人も否定することが出来ない尊厳ある要求である。
 僕はこの要求が一日も早く叶うことを願うものである。 
 証言を前提にすれば、よど号グループが有本さんを連れていったのは私欲に基づくものでもなければ、暴力による強制でもないだろう。或いは革命の同志獲得と目的を隠し、騙して連れていったと言うのが基本側面であることを押さえた上でのことだが、朝鮮貿易、市場調査をやるために連れていった、という側面もちょっぴりはないわけではなかろう。 回りくどくなったが言いたかったのは暴力による連行ではなく一定程度の同意も伴っていた面があり、朝鮮に連れてゆく行程だけをとりだせば大きな問題となっていない、ことを言いたいだけである。
 同志獲得目的が実現されなかった場合は、有本さんの意志を尊重し、帰国を保障すべきである。このことががやられていないことが大問題なのである。そうされていず、今も有本さんの最初の意志に反して朝鮮国に止まらさせていたとすれば、否とどまらさせざるを得なかったとすればざるを得なかったとすれば、そして「よど号グループ」が出国、帰国について何もこれまでになし得てこなかったとすればー我々が想像し得ないような事情が在ったのであろうがーこれは本質的には無責任で革命の理想を語って、何もやらない偽善者、独善主義者、破廉恥な無能力者、自己保身の利己主義者と言わざるをえない。
こお言う場合は事態の推移を大筋で『拉致』と呼んだとしても差し支えない 。
 以上は冒頭でもしつこく断ってきたようにあくまで僕の感触に基づいた推認である。
そして正直僕はこの推認が「よど号」グループによって鮮やかに崩されることを内心期待している、ことも触れておいた。。
 しかし送られてきた「八尾証言は良心の告白か」を見れば全く科学的な反駁とはとても言えない代物である。こんことは別途論述する。朝鮮という離れ、朝鮮国に庇護されていることを条件につじつま合わせをしている印象が強く、とても僕の期待にこたえうものではない。
 さて上述を踏まえてさらに論を進めてゆこう。
 いずれにしても、この推認は「よど号グループ」がキチンと八尾証言に反論しない限り、国民的規模の推認となり、コンセンサスとなってしまう、と言うことである。
疑惑が全く根拠も挙げない単なる誹謗の類の疑惑であるなら、別に反証もせず無視しても構わない。しかし、今回は法廷に提出された「一緒に半ばまで連れていった本人」の極めて詳細にわたる「説得力」ある証言なのである。
 であれば「よど号グループ」がそれを否定するならば証言に立ち入ってその「でっち上げ性」「根も葉もなさ」「茶番劇性」を反証してゆくべきである。
 赤木志郎さんのような素っ気ない「有本さんを知らない、連れてきてない」と言った「木で鼻を括ったような」全くの紋切り口上は全く頂けないのである。
(四)
以上の(一)(二)(三)を踏まえた場合どの様な結論を僕は引き出すべきであろうか。第一、八尾証言を八尾さんの政治的意図と実際の証言内容を厳格に区別し、その政治的意図には断じて乗せられないようにしつつ、否、徹底的に批判、弾劾しつつも、そのことでもって証言内容まで否定するようなことはせず、それは参考にしたり,くみ取り、極力有本さんが自由に行動できるようにし、解放されるように努力することである。
第二にそのために日本と朝鮮が有本さん問題では外交的努力を積み上げ、歩み寄り、友好的解決策を迅速に出し、敵対と戦争気運を出来るだけ減少させ、その分だけ日朝友好の気運に転換させてゆくことである。このような大衆的キャンペーンをやるべきである。
第三に金子さん裁判は法律的には全く「拉致問題」とは別で一緒くたにされないように厳格な一線を画し、早期に解放されるように努力し、弾圧を加速させたり、別途のフレームアップに利用されないように努力することである。  
第四に朝鮮の「かりの会」の人々には自己保身にとらわれず(田中さんや柴田さんへも)真実を明らかにする態度をとるように要望し続けることである。田中さんや赤木恵美子さん救援勢力が「かりの会」声明などに惑わされず真実を見極める努力をし、別途に「平和と日朝友好を追求し、有本さんの人権と「よど号」の人々の人道的救援を推進する、有本さん問題の真相究明の会」(仮称)と言った風な有志組織を作り出し活動を開始すべきである。
第四は「よど号グループ」「かりの会」に関わり合ってきた人々がこれまでの経過のみにとらわれず、日本人として、人として真実を追究する態度をとり、事態を良く分析してゆくよう努力すべきであろう。

3/20
塩見孝也(自主日本の会代表)