寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る

 

9月2日 東京地裁104号室での
検察による、重信房子さんの論告求刑を批判す。


                    塩見孝也


T. 9月2日、重信房子さんの論告求刑公判を傍聴しました。

 開廷は、13時15分ですが、この日は、傍聴券が先着順であることを考慮し、12時ごろに着き、並びました。

 それでも既に、救援の仲間達が5人程、来ていました。傍聴席、マスコミ席、両者とも満杯の状態となりました。

 結果は予想された如く、新聞、マスコミにも報道されたように、けしからん限りですが、無期求刑でありました。

 僕は、満腔の怒りを持ってこの論告を糾弾するものです。

 論告は、この4年余の長時間掛け、念入りに続けられてきた、彼女のリビヤ滞在のアリバイ、丸岡修証言(?)、証人の法廷を通じた反証的検証、PFLPの介在なしにはハーグ闘争はありえなかった問題やそこでの重信さんの地位、未だ未発足であった「日本赤軍」グループの状態やそこでの彼女の状態、或いは和光晴生さん公判での重信さん無関係の認定ら数々の弁護側、被告人の法廷弁論や証拠など全く、一顧だに、しないものでした。

 論告求刑文などというのは、正にそういうものと相場が決まっていますが、検察側に都合の良いところだけ並べ立て、――都合の悪いところなど、反批判さえせず、一切無視し――組み立てた、それにしても、えげつないほど、極めて恣意的、もっと言えば徹頭徹尾非情で、報復、見せしめの政治的攻撃に徹した「断罪文」という印象でした。


U. 重信さんは、全く無実、無罪と僕は信じています。

 何故なら、この裁判は、全くといって物証が無く、こと重信さんに関して言うなら、全く動機がはっきりしていないのです。

 そして、約30年前のことでありますから、新たに物証が見つけ出されることもありません。

 それ故に、結局、法廷闘争は、ほんの数人の供述者の供述書の信憑性、証拠能力の解釈に、検察、弁護側双方も鎬を削ることとなります。

 そこから、検察側は、
 1)何よりも日本赤軍の存在、重さ、所謂「凶悪犯罪性」を強調し、そこにおける重信さんの  「テロリストとしての、
  比類なき指導者性、地位、役割り」を強調します。


 つまり、重信さんを世間一般に流布され、信じられている「日本赤軍における絶対的な指導者存在」に仕立て上げていることです。

 すなわち、彼女の一言半句、一挙手一投足で、部下同志が将棋の駒のように動くような存在に祭り上げていることです。


 2)そうしておかないと、供述者の調書に記述されている、彼女の言質が、証拠価値として重みを持たなく
 なるからです。


 一寸、この裁判に関心をもたれている方なら、御承知のように、常識的に承認され、誰でも理解されているように、この裁判では、重ねて強調しますが、全く物証が無いこと、それゆえに、供述書をいかにも証拠である如く、装わせて述べる以外に、検察側にあっては有罪の決め手がない裁判と言えることです。

 これは、どんな法曹上の素人でも承認する、極めて簡明な常識事です。

 一般に、調書は、検察側の利益誘導や暴力、弾圧もあり、証拠価値は少なく、裁判では、何よりも物証とそれを関連付ける論理性が問題にされてゆきますが、検察側は、物証に事欠くが故に、供述調書の極めて、被告人の言質を並び立て、それに主観的、恣意的解釈をなしつつ、つぎはぎして行くこととなります。

 更に、敷衍すれば、その供述書も重信さんについてのことは、ほんに2〜3、数えるばかりで、しかも、それは、法廷で、翻されたり、虚為と否定されたりしているのです。だから、虎の子のこの供述書にのみ拘らざるを得ず、供述者の「供述」を「自分たち(検察)が全く知らず、供述を取ろうとも考えていなかった、予想もしていなかったことを、供述者が、自分の方から喋り始めた」「法廷でも喋り始めた」といかにも、真実味があるように、脚色したりして、恣意的に検察側は語るのです。

 重信裁判は、それが、S氏の「自分は間違いを犯したが、日本社会はそれを許容し、自分を更生させてくれました」とかの証言を巧妙に引用し、「だから、真面目な証言で嘘がない」とか「重信さんは、某会議で、武器や資金をふんだんに集められず、フォロウの体制も十分作れず、作戦遂行に危険をもたらした」とか言い、「深刻に同志達に自己批判した」とも彼女の“深刻な自己批判”を強調するわけです。

 他にも、この種の、警戒心を持てばすぐすぐ分かるが、ぼおっと聴いておれば、すうっと、頭の中に入りこまされてしまう、引っかかった論述が、二、三ありました。

 これは、弁護人諸氏が、今後弁護側最終弁論で明瞭にしてくれるでしょう。

 更に、この事件に関する、彼女に関しての“動機”の究明に関する部分です。

 「山田氏の逮捕にまつわる、氏の奪還の必要性は、日本赤軍グループにとっても、重信本人にとっても、それまで追求されていた“翻訳作戦”の関係からして、組織防衛や本人の自己防衛からしても」「どうしてもやり遂げなければならぬ焦眉の作戦であった」とのたまうのです。

 これなど、完全な「推認」に属する「心理学」や「文学」に属する次元であり、しかも、重信さんを、それによって人格的に誹謗中傷する、断じて許されぬ手法だと思います。

 僕は「翻訳作戦の何たるか」は、未だ良く掴めていませんが、僕が聞いた限りでは、何故このグループ、とりわけ重信さんが、「陣頭指揮」するぐらいに、全体重を懸けねばらぬ、かは、全然納得の行くものではありませんでした。

 むしろ、PFLPらパレスチナ人の政治的行動、主導性を感じました。

 又、僕は、僕の30数年前の赤軍派議長であった当時の体験上からして、よど号ハイジャック事件や大菩薩軍事訓練事件の破防法的適用で、でっち上げられた手法、「推認される」という、権力者が証拠なしで、反権力の指導者を裁く常套の法律用語、「推認論」の手法を強く感じました。一体、重信さんが、何故特別に「無期刑」に値するほどの動機を持っていたか、さっぱり分かりませんでした。

 3)、最後の部分は、日本赤軍の闘いが、「アラブや世界のテロリズムの元凶である」ことに費やされていました。

 しかし、それは裏を返せば、次のことを、検察側が承認していることを意味すると思います。

 重信さんら、日本赤軍の闘いが「パレスチナ人の解放闘争における、日本民衆とパレスチナ民衆との国際主義的連帯」の象徴的存在であり、アラブにおいて日本民衆と日本人の真価を高からしめてきたことを、彼等が認めざるを得なかった、ということです。

 言い換えれば、アメリカに従属し、その言いなりになって、シオニズムを支持し、パレスチナ人の解放闘争を常に抑圧してきた、自民党ら日本執権勢力、日本帝国主義にとって、重信さんたちは、天人許されぬ、不倶戴天の相容れぬ存在であること、このような分子に対して、帝国主義支配階級が、一切の妥協もせず、政治的報復の見せしめ攻撃を決意していることを物語っているということです。

 そして、そのことは、更に、次のことを物語っています。

 権力、法務省官僚達、検察・警察が「考えたこと、話し合った」ことだけで、「罪となる」法律、「共謀罪」法制化の、典型的な先駆的実験台にしようとしていることです。

 丁度、和光晴生さんが、彼等コマンド・グループの作戦原則や秀でた射撃能力からして、殺意などなかったのに、殺人未遂を認定され、無期判決を受けたように。


V. 彼女は、英雄的革命家です。

 重信さんは、第二次ブント、赤軍派から出発しました。

 その後単独で、「パレスチナ解放・日本・パレスチナ国際連帯」の大義を実現すべく、身を挺して、パレスチナに渡航しました。

 そして、パレスチナコマンド達や諸ゲリラ組織と戦闘的友誼を結び、PLOと連帯しました。

 重信房子さんら、日本赤軍のグループ(当時正式に「日本赤軍」は発足していず、赤軍派日本支部がパレスチナにあった)は、輝ける奥平、安田、岡本3英雄同志を先頭に、連合赤軍問題露呈という、日本の困難な政治状況の中で、輝けるリッダ闘争を実現し、日本民衆とアラブ民衆を限りなく激励しました。

 また、日高さんらの尊い犠牲にも屈せず、その後幾つもの、国際主義の精神に満ち溢れた、国際遊撃戦を闘い不屈の反米闘争を戦い続けました。

 そのことによって、日本・パレスチナ、アラブの広範な民衆的連帯の地盤を拓き、それに確固たる一本の赤い心棒を通し続けてきたのです。

 帰国については、いろいろと要因があると思いますが、国際情勢の大転換という情勢の中で、今度は、「日本の情況、危ふし」と見て、 敢えて、身の危険を顧みず、日本に帰国して闘おうとした、と僕は考えます。

 このような、人物の帰国の巨大な影響力ゆえに、日本帝国主義国家権力は、彼女の行動に恐怖し、彼女を全力で執拗に追い続け、不当逮捕し、これまで述べてきたような、不法・不当の起訴のよって、法廷でのさらし者化の有罪化攻撃を繰り広げてきたのです。

 どんな人も、どんな戦いも、完全ではありません。

 重信さんにも、限界や欠点があり、日本赤軍の戦いにも、欠点・限界はあります。

 しかし、日本民衆が、それを持って、その人、その戦いの本質、主要な側面、基本的性格を見誤るとしたら、それは大馬鹿なことです。

 彼女は、紛れも無く、日本民衆が生み出した、輝ける英雄的革命家の一人です。

 彼女は、逮捕後の今も、不屈に日本民衆運動に寄与すべく、又日・パレスチナ民衆の国際主義的連帯に寄与すべく、法廷闘争を闘っています。

 かつて、「ハイジャックの女王」と言われた、パレスチナ人民・PLOの指導者の一人で、女性解放同盟のリーダー、ライラ・ハレッドさんは、わざわざ来日し、法廷に立ち「日本赤軍の戦いは、シオニズム国家・イスラエルとそれを後押しするアメリカ帝国主義とのパレスチナ民族、人民の独立、主権獲得の民族解放の戦争の一環にあります。正義の戦争は、決して“テロリストの戦い”でもなければ、まして犯罪行為などといえるものでは全くない」と。

  或いは、重信メイさんは母親の戦いと人格を擁護すべく、父親をパレスチナ人、母親を日本人にもつ、家族の立場から、重信さんが、母として、娘をどのように、打ち続く戦闘継続の中でも、革命的警戒心を持ちつつ、育ててきたか、その母親の輝ける思想性、精神、人格を余すところ無く陳述しました。

 そして、半分パレスチナ人の血を持つ、娘として、毅然とした態度で、裁判長に向かって「どうか公正なる判断をお願いします」と要求しました。

 私たちは、彼女の不屈の闘いの歴史と法廷闘争を擁護すべく、決起しなければなりません。

 断じて、権力、マスコミの薄汚い、「テロリスト元凶」攻撃や何の理由もない人格批判の攻撃に加担してはなりません。

 日米安保体制と従属覇権を前提とした「改革」選挙の、馬鹿騒ぎがやられています。日米安保体制と従属覇権を前提とする選挙など、結果は明らかです。

 日本人が、「奢れる日本人」の悪酔いから醒め、真の日本人に生まれ変わり、生きなおすために、我々は日本の民衆としてなすべきことをなそうではありませんか!


W. 重信さんの無罪に向けて。

 この公判には、未だ、よく知らないところが多々あります。

 これまで、僕は、この公判に、ずっと密着し続けてきたわけではなく、求刑文を精読的に読んだわけでもありません。

 したがって、この論告求刑批判については、不十分で論及不足があることは明らかです。

 それは、次の弁護側最終弁論(10月31日(月)、13時15分から)での、弁護団や重信さん本人の最終弁論に期待する以外にありません。

 その折、重信さんや弁護団が、僕の見解や注文、限界も包摂しつつ、この恣意的で、政治的報復心に満ち満ちた、論告文を鮮やかに批判、論駁し、彼女の無実、無罪を証明してくださるものと確信します。

 又、それ以前に重信房子さん救援会(機関紙、「オリーブの樹」)から、きちんとした論告求刑文批判が提出されるものと思います。

 これらを、参考にしつつ、重信さんの無実、無罪のキャンペーンを繰り広げ、10月31日の公判に集まろうではありませんか!

 尚、論告求刑の3大新聞らでの重信房子さん紹介の写真は、検察側提供なのでしょうが、修正が施されていると思えるもので、極めて実際の実物の本人とはずれた、イメージを与える、悪意に満ちたもので、メディアは実像を伝えるべきと思いました。

 又、来年春までには、必ずある判決に向けて、「不当判決を許さず、重信無罪を引き出す」キャンペーンと一大集会が用意されてゆきます。

 その実行委員会の準備会が、9月21日 18時半より、文京区民会館でもたれます。

 ご出席されんことを。 
 
 
       2005年9月14日