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旧・日本赤軍、和光晴生 公判と、重信房子 公判に注目を! 


2005年7月28日

                    塩見孝也


 7月5日、8日と連続的に重信房子さん公判を東京地裁で傍聴しました。弁護側立証の最終行程の部分です。

 5日は、旧赤軍派副議長・八木健彦君と当時の明治大学自治会での友人、この二人が証人となりました。

 8日は、彼女の娘(長女)の重信メイさんが証言に立った。

 重信公判は、徐々に大詰めを迎えようとしています。この弁護側証人は、後幾人かあるにしても、僅かで、その後、被告人質問となる。ここで愈愈、房子さんが発言します。

もちろん、弁護人、検察、裁判所の質問に答える形で。

彼女の発言は、注目すべきである。

これを終えると検事側論告求刑となり、弁護側最終意見陳述、判決となる。裁判官の任期交代が来年、4月故、それまでに判決が出されるのは間違いない。一審重信公判は、後、半年で、終わることになります。

重信公判は、依然、権力側の苛酷な超重弾圧、裁判の公正さ、など期待できない政治・報復裁判の過程の中にあり、我々は楽観的予断を持つことは出来ない。

しかし、この審理において以下三つのことは確認されても良いと思います。

1、        彼女の冤罪性、無実・無罪性は、全く明瞭であること

2、        この公判は、パレスチナ問題と一体、否、パレスチナ問題そのものであり、PLO・パレスチナ国民、パレスチナ政府、が関係、支援しており、政府・裁判所もなまなかに、お国の事情だけで、小手先の身勝手な判断を出すことは出来ないこと、議員で、政府閣僚でもあった(?)パレスチナ人民の英雄、ハイジャックの女王、ライラ・ハレッドさんもわざわざ日本に来て、証言に立ちました。

 米・イスラエルとパレスチナとの関係は依然深刻なものの、それでもこの緊張は、今は緩和傾向にあり、まして、日本は対パレスチナでは、機械的な対米追随から、それなりの自主性、柔軟な対応を姿勢はあること、これは日朝関係下のよど号のメンバー、女性達、とりわけ田中義三同志の12年判決の理不尽、苛酷振りと比較すればよく分かります。最も、このよど号メンバー弾圧・裁判も、今では、かなり6ヶ国協議の情況もあり、微かに光が射し込め始めていますが。

3、        昨秋の和光晴生公判で、彼への判決は、無念にも、無期ではあったものの、ことハーグ事件が、「重信最高指揮で、和光現場指揮」という検察側図式は、検察、警察の恐慌状態現出にもかかわらず、完全に否定され、「重信は関係してない」と認定されました。

  これは、判例となりますから、重信公判に有利に働くことは明白なことです。

   このことについては、重信公判に果たした、和光晴生さんと弁護、救援の功績は素晴らしい、といえます。

僕は、和光晴生同志には、いつも最大の敬意と尊敬を持って、その救援団体・ハルの会(救援誌「国境を越える騎士団」)と連帯し、傍聴や面会を、拙いながらやっています。

和光さんが不屈の革命家、コマンドを今も生き続け、しかも理論家、思想家として傑出した人物であることは、徐々に「情況」誌らで紹介され、認知されつつあります。が、もっともっと知られ、革命無罪の本質的正義の立場から、彼の革命的義侠心の何たるか、を日本民衆は学び、彼にかけられた極重刑、無期攻撃を粉砕すべきであることを切に訴えるものです。

八木君や明治の友人は、それぞれの立場で、重信さんを擁護しました。八木君は、彼の歴史的立場からして、自分の狭い、日和見主義的武装闘争清算主義の教条主義的立場に汲々せず、もっともっと、彼女を全叡智・全能を持って評価し、擁護すべき、とは思いました。それが、彼の義務でなかったのではないでしょうか?

メイさんの証言はあらゆる面で感動的でした。又重信さんのパレスチナ、アラブでの人間的生き様が活写され、最高に良かったと思います。

僕の知らない、沢山の輝ける重信像を教えられました。

メイさんの、パレスチナ・アラブでの生長の歴史、日本での祖父母、親族との交流、日本人・パレスチナ人としての生き様には強い強い、筋金入り、鋼鉄の、日・パレスチナ国際民衆連帯の芯が通っていることが分かりました。  

その毅然さは、裁判長が、「最後に裁判所に言いたいことはないですか?」と問うた時「どうか、公正な判断をお願いします」と潤いのある声質の中に、凛とした気迫が込められ、一瞬裁判官をたじろかせた、と見ました。そこには、ひとかけらの奴隷的な愁訴の気振りは見られなかった。



       2005年7月28日