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鼎談  9・17日朝首脳会談をどう考えるのか
――いわゆる拉致問題に関して---「情況」12月号から


            塩見孝也・三上治・荒岱介、(司会・高橋順一)

高橋 朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)からの五人の拉致被害者の一時帰国が実現し、それに先立つ形で九月十七日に小泉とキムジョンイルとの間で国交正常化交渉が電撃的な形で行なわれ、かつその席上で北朝鮮側からこれまで一貫して否定してきた日本人の拉致行為を認め、五人生存、八人死亡というきわめて衝撃的な事実についての表明があり、朝鮮労働党のこれまでの態度を一八〇度転換し、そして謝罪しました。本日はこの一連の事態についていろいろな角度から議論していきたいと思います。そこでまず九月十七日から今回の五人の拉致被害者の一時帰国についてどうお感じになったか、率直なところを伺いたい。

塩見 僕は九・一七には当初から非常に興味を持っていて、マスコミによると有本さんは平壌に健在で小泉といっしょに帰ってくるのではないかという噂があったので、非常に期待しました。それでテレビに釘付けになって見ていたのですが、結果はあのような残酷で、むごく、つらいもので、非常にがっかりしました。五人の方が生存で八人が死亡、しかもその死因もはっきりしない。その中でも僕たちの関係では、いわゆるよど号グループが関与したと目されている有本さんと石岡君とその二人の子供さんと松木君が亡くなっていることを聞いて、他の方たちも衝撃を受けていると思いますが、僕は別の意味での衝撃を受けました。このことが今回の『創』の文章のきっかけになっている。 その前に三月頃に八尾恵さんが金子さんの裁判で証言した。僕はそれまで八尾さんに対しては余りいいイメージは持っておらず、だから彼女の本も読んでいなかったし、高沢のも精読するほどでなかった。裁判を聞きに行った。するとそこに有本さんの御両親も傍聴しに来ていた。もちろん僕は声をかけるような立場ではないので、見守っていたのですが、八尾さんと有本さんの御両親を見ている中で、自分のものの見方をちゃんと考え直さなければいけないと思うようになった。そしてその生の印象を自分のホームページに書いた。本当のことを言って、嘘はついてはいけない、無謬の人もいないし無謬の党もない、僕たちは連赤で嫌と言うほど経験してきたので、間違っていたら自己批判してやり直せばいいのではないか。そういうことで、八尾さんの証言は必ずしもでっちあげで、アメリカ帝国主義の言っていることをそのまま言っているにすぎないとは思わない、という意見を平壌に送った。しかし返事がないので自分のホームページに載せた。でもマスコミは僕がそう言い出したので意見を聞きたいと言ってきました。僕は自分の見解を発表しましたがそれをことさらに広げていきたいとは思わなかったので、一切答えなかった。そういう経過がある中でこういう事態を迎えたので、僕にとっては衝撃的だった。

そして三人のよど号の勧誘者と言われている人については、一応労働党がやったとなっていますが、にもかかわらずよど号グループの関係については調査中ともなっている。特に松木さんについてです。

拉致を認めたことについては、僕は「拉致がない」ということをことさらに主張はしていなかったのですが、だけども「拉致があるぞ」とも言っていたのでもない。どちらかというと朝鮮を擁護する形だったので、だから自分の認識の浅さを恥じました。そのようなことを踏まえて、自分がこれまで朝鮮に対して感じてきたことを整理する決定的な機会になりました。

そして五人の生存者が帰ってこられたことについてですが、これについては家族会の方たちの努力を評価しなければなりません。家族の方たちにとってはこれまでひどい事態だったでしょうが。拉致連、拉致議連などもありましたが、家族会はそれとは区別される形で日本の民衆の素朴な感情と要求を代表しているのではないか。その方たちの努力によって一つの扉が開かれ、五人が帰ってきた。最初は頑なに口を閉ざし、おそらく「キムジョンイル将軍の御配慮で帰ってこられた」と言おうとしていたと思うのですがそれは抑えられて、その後故郷に帰って心を解きほぐす中でぽつぽつと語り始めている。彼ら彼女らの友達が思いやっていろいろやっている中で、その人たちが北朝鮮憎しに凝り固まってそちらの方向に誘導しているのかというと、そうではなく、きわめてヒューマンな形で付き合っていたわっている。そういうのを見ていると、いい意味でのナショナリズムが出ていると思います。

三上 僕はあの報道を聞いたときに、正直言って「死人に口なしか、ようやるよな」と感じた。どういう理由で死んだのかわからないけども、口封じで殺されたと考えても何の不思議もない、何とも言えない嫌な感じがした。拉致に関しては、政治的にクリアーするために口実を合わせて事実を作っているなあ、という印象があって、それは徐々に公表されていくでしょうが、そこにある不信感は拭い切れません。

その中で五人の人たちが帰ってきたのを見ていると、やはり人間というのはすごいなあ、こういう中でたくましくよく生きてきたなあと感じた。たぶん拉致されて想像もできない人生があって、政治や国家のひきまわしの中でも個人はこういうふうに生きているんだなあ、という何とも言えない感じをその中に見た。彼らがいろいろな制約に中で生きていることは事実であって、そんなことは誰でも分かっていることで、とやかく言うことではない。時間をかけて、何が彼らにとっていちばんいいことなのかそれを考えてやればいい。だからこそ改めて、良い悪いは別にして政治や国家の持っている個人に対する残酷さに対する素直な怒り、政治の中にあった自分の回想を含めて、政治や権力はこういうことをやってしまうんだろうなと思いました。結局、一言で言えば、文学に話に近くなってしまうのです。

塩見 そうですよ。そういうレベルから接近しなければいけない。

三上 政治の領域を越えているなあという感じを強烈に受けました。

荒 僕は運動をやってきた人間として言いたいのですが、拉致事件があったということに関して、拉致した人たちには、日本の植民地支配と強制連行が背景にあって、それに対する民族的憎悪があり、日本人に対してはやり返してもいいんだという考えがあったのではないかと思います。ただそのときに主義の問題でいったときに、九二年にチュチェ思想はマルクス主義と関係がないと言っているのですが、そうであったとしても「主義者」としてはやってはいけないことがあるのではないか。それは国家権力が民間人に権力を行使するということです。拉致事件は国家が民間人を拉致したということですから、これはいわば国家テロだし、最大の犯罪行為になる。僕はこの事実を知ったときに驚いたのと同時に、キムイルソンの進めた革命と「北朝鮮はパラダイスだ」と言っていたことの内実はこんなもののなのかという印象を持った。二十世紀にフランクフルト学派がいったような、自然に対する人間の挑戦がやがて自然の支配にむかい、ひいてはそれは人間の人間に対する支配にむかっていく、そんな歴史に無自覚な人間集団のおろかさだけを見たように思ったのです。それを再生産したにすぎない。

三上 「拉致はなかった」と思っていました? 僕はずっと前から「あった」と思っていた。

荒 そのときに分けなければいけないのは、日本などでの特殊機関の拉致とヨーロッパなどでの勧誘=オルグするという行為です。僕はよど号の連中は有本さんとか松木さんとか西岡さんを「北朝鮮に行ってみないか?」とオルグしたと思う。マスコミは「拉致」と言っているが、とりあえずそこには合意があった。袋に入れて飛行機に乗せることなんかできないのだから、分けて考えるべきではないのか。

塩見 それは朝鮮の方も「拉致」とは言っていない。ヨーロッパ組と日本組を分けて、ヨーロッパ組については自発的な意志を確認して連れてきたと言っている。

荒 拉致というのは袋に入れて連れてきたもので、典型なのは十三歳の横井めぐみさんの件であって、そういうことを国家権力がやっていいのかが問題になることだと思う。

塩見 朝鮮の側から見た、なぜそのようなことをやったのかということを僕も考えたのですが、朝鮮人は三六年間の植民地支配の下で、強制連行されたり、さなざまな抑圧を受けてきた。そのような中で日本人に対しては何をやってもいいという感情はあったと思う。

だけど、中国の場合は、日帝の支配階級は敵であるけども日本人民は味方でありそれとは連帯するという原則をはっきり持っている。ところが朝鮮の原則を見てみると、そのような国際主義的に人民間の連帯ではなくて、民族というある種の生物学的な単位で問題をたてる。ズバリ言えばレイシズム、血統主義的なものがある。代を次いで革命をやれとか、キムイルソン主席は最も良い血統の家庭であるとか、つねに血統が問題にされる。もちろん社会科学的には民族も歴史的社会的存在で成り立っているという認識ですが、血縁主義が軸になっている。そうでない民族論も見受けられるのですが。そこからどのように社会を捉えるのかというと、社会政治生命体という概念があり、民族は一つの生物のようなものであると考える。頭脳はキムイルソンなりキムジョンイルであって、民衆は手足や胴体である。そしてトップに対して忠誠を誓う。

その一方で彼らには人間自主論というものもある。人間それぞれは自主性を持っていて、自主性こそが動物と分けられる点であって、自己が意識的な存在として社会に尽くすことができる。逆に言うと、社会はその人にとって自主性を実現するものとしてあるという考え方です。それはいい意味での社会主義的な民主主義論だと思っていたのですが、それはつねに分裂してある。

荒 それは解釈が違うんじゃないか。例えば田宮高麿は「人民大衆は指導と結びつくことなしには歴史の自主的主体になることはできない」「チョソン革命の勝利は偉大なるキム・イルソン主席がおられたからこそである」「その人は人民大衆の自主的要求と意志の体現者になることができ、人民大衆を目覚めさせ一つに団結させ、革命勝利へと導いていくことができる」等と書いている。人民に自主性はあるけども偉大な指導者に指 導されなければだめだというのが原則なのではないのか。

塩見、それは「領袖ー党ー大衆」という政治学で、これは社会ダーウィニズムとは又別個で別に問題ではないかと思う。

三上 戦争中の強制連行に関して、朝鮮の人たちも今回の事件を知って僕が感じたのと同じような怒りを感じていたのではないかと思う。だけども今回の拉致が戦争中の日本に対する反抗だと言うのは言いすぎです。なぜかというと、韓国がもしそのようなことをやったならばそういう言い方をしてもいいのですけど、しかし北朝鮮はしていても韓国はやっていない。

高橋 漁船だ捕ということは若干ありましましたけどね。

三上 でも今回のような拉致はやっていませんからね。基本的には現在の朝鮮労働党の思想の問題としてあるのであって、朝鮮民族の問題としてあるのではない。

塩見 報復主義の理論的・思想的基礎が社会ダーウィニズム的民族論の中にあるということなのです。これは石原の優性主義的民族思想と同じもので清算されるべきものです。

荒 三上さんの言うとおりで、北朝鮮の国家の体制がキムイルソンが国家の創設者であり、元号も西暦ではなくキムイルソンが生まれたときから数えるものであって、しかも朝鮮民族と言わないでキムイルソン民族と言うなどとなっているのです。西欧の市民社会の視点から考えることはできない。テレビ局も二つあるのにチャンネルが固定されていて他のテレビは見ることが出来ず、ラジオも同じようになっている。つまり情報は労働党の下ろしているもののみであって、他の情報がないところで作られている。その支配的な思想の問題だと言える。

三上 僕は以前から拉致はあるだろうなと思っていたのですが、北朝鮮が拉致なりオルグなりで「連れてこい」と命令を出すときに、なるべく白紙のヤツを連れてこいというでしょう。これを聞いたときすごいなと思った。僕たちならば、逆にいろいろな経験のある人間を連れてきて、そうすれば役にたつと考えるじゃないですか。「なるべく白紙のヤツを連れてこい」というこの発想自体が、個人の実存というか人間が生きることについての基本認識が僕とは全く違う。

塩見 日本からの拉致は本質的には理性的・思想的に話をして同意を取り付けるというものではない。ヨーロッパでは同意を得て連れてきた訳で、純粋培養に向いている人、いわばノンポリで可能性のある人であって、新左翼のようなマルクス主義をかじっている人はかえって難しい、と言う判断で日本からのとは本質的に違うので、味岡さんのように捉えるのはどうかな。日本組と西欧組を一緒にしてはいけない。

荒 塩見さんは今でこそそんなこと言うけど、ほんの少し前まではそれが良いと言ってみんなをオルグしていたじゃないですか。そこのところはどうなってるんですかねえ。何かしらじらしいんだけど。

塩見 僕らのは日朝友好、よど号グループとの連帯、朝鮮社会の見聞であり、拉致などとは何の関係もない。僕らの人間自主、人民大衆中心、民族自主を基本とする訪朝運動は国際主義的なもので、これと拉致を一緒にするのは味噌と糞を一緒にし、これまでの日朝友好運動を否定、清算するもので、アメリカ帝国主義や日本従属独占の朝鮮敵視に手をかす、「反帝無き反スターリン主義」でお馴染みのものだ。僕はチュチェ思想を支持していることをこれまで鮮明にしているし、いまもそうだ。僕の自主思想はチュチェ思想の神髄を摂取し日本の実践の中で練り上げて自分流に創造したもので、社会ダーウィニズムの民族思想などは批判するものです。そもそも今回の自己批判の内容はトンでもないほどおぞましいものであるが、それを勇躍認めて自己批判したことは評価するべきで、チュチェ思想の真価とも言えるし、労働党の可能性を示すものと考えるべきだ。勿論その自己批判が真に実行されるかわ見守って行くべきだが。

荒 そうではなく、人間観というのは、理念をどう言っているのかではなく、具体的にどういうことをやっているかなのであり、拉致というのが人間観の現れなんです。だから朝鮮労働党の人間観が十三歳の子供を拉致してくるというところに現れているのじゃないのか。

塩見 労働党は「一部英雄主義、妄動主義」と言っているのであり、荒さんみたいに「党全体」とすぐには見なす訳にはいかない。そうかどうかは今後を見守って行くべきだ。いずれにしても労働党のことは知らないし、良く分からないし、相対化し、「是々非々」の態度だ。

高橋 その問題に関しては後ほどもっと詳しくやるということで、僕がお聞きしたかったこととは、拉致行為は何を意味していたのかということであり、また拉致に関して北朝鮮はこれまで一貫して否定してきたにもかかわらず今回なぜ明らかにしたのか、しかもあのように衝撃的な形で、日本側で正式に認めていなかった曽我ひとみさんの件まで含めてはっきりと認めた、しかも小泉との会談の席上でキムジョンイル自らが謝罪をした、こうしたことがなぜこの時期になされたのかということです。

荒 少しとばして言います。八尾さんの話を読むと、有本さんに対し嘘を言って北朝鮮に連れていったけども、キムイルソン主席とキムジョンイル総書記の愛と配慮に触れチュチェ思想に目覚まれば彼女も革命家になる、私は革命家になってもらったからやったんだと書いています。連れていって日本語教師にしようとしたらしいのですが、つまりはキムイルソンの革命を日本でやるためです。よど号の人たちは「日本革命の村」なるものに五階建の家を二棟建ててもらって、ベンツを三台使って生活している。その革命の展望が全くなくなったことと関連しているのではないか。

塩見 八尾さんの話について荒さんは額面通り、と見ているのか。僕は検証が必要だと思ってる。それは後でやろう。高橋さんが今問題にしているのは、拉致を認め謝罪した根拠とは何かということだからまずそれを考えなければいけない。それはいろいろな新聞でも言われていることですが、基本的には朝鮮経済が行き詰まったということです。特に今年の七月ある種の市場経済を取り込んでいって、それがうまく回らない状況になっている。しかもその導入は大きな決断だった。そして閉鎖的な自立更生経済に戻すことはできない事態がきている。インフレも進行し経済的混乱が起こっている。後戻りできないなら、前に進むしかないわけであり、徹底して前に進もうとする。そうすると日本の資金も必要だし、アメリカとは戦争しない方がいい。中国的な社会主義市場経済なのかどうかはまだ断定できないが、今までの経済体制とは違って、ある程度自由主義経済とリンクして、それで北朝鮮の経済を立て直すしか脱出の道はないところまできているというのが理由の一つです。

もう一つはイラクとイランと北朝鮮が悪の枢軸だとされ攻撃をかけられ、それをどうかわしていくかということです。アメリカと手をうたなければいけないけども、まず日本と手をうって経済力を獲得する。日本の方も経済的に北東アジアに援助した方がいいという要素もある。

高橋 今のお話は良く分かるのですが、そこのところでもう少し踏み込んで伺いしたいのは、ゴルバチョフがソ連でペレストロイカを行なったときの経験の問題、中国における市場開放の問題等々がありましたが、キムジョンイルはこの政策転換の先には現状の社会主義体制を維持することはできない状態が待っている、これは一種の自殺行為であるということは知っていると思うのです。それなのになぜ行なおうとしているのか。

三上 ベトナムは武力解放路線、国内でも武力によって権力をとり、対外的にも武力によって革命を推進していきますが、それを放棄した。中国は、周恩来と毛沢東が米中会談をやったときぐらいときに放棄した。マルクス主義的な武力革命思想としての毛沢東思想をベトナムと中国は、特に対外的な関係において放棄した。そして銃口によってとられた権力は、銃口によって権力を守るというものをいかにしてどの程度放棄しているのかという問題もありますが、キムイルソンは七〇年代から八〇年代を通してこれをまだ放棄しなかったのではないか。おそらくそれによって国内の自立更生経済を展開していったのではないか。この拉致問題と同時にあちらこちらでテロ的な行為もしている。そのような路線を放棄することを九〇年代から準備していて、その一つの流れが韓国=南朝鮮との会談です。その延長上に彼らが武力革命思想を放棄した、東アジアでいちばん遅かったのですが。

荒 話をもどしていうと、なぜ拉致を公表したのかといえば、悪の枢軸国と規定され、ブッシュがイラクに戦争を仕掛けることになって自分たちに危険が迫っているということで受動的に回避したということでしょう。それともう一つはやはり経済の問題で、GDPが二兆四千億といれていますが、韓国は四十兆で日本は五百兆以上です。北朝鮮は福井県と同じ位の経済規模なのです。例えば石油の問題でいえば、戦争をやるとき必ず石油は必要ですが、北朝鮮には石油は百五十万トンしかないと言われています。マンモスタンカーの三隻分しかない。基本的なインフラストラクチャーを作れてないということが大きな問題としてある。七一年には韓国と経済の差が逆転したのですが、開く一方で追い付かない。そういうことからも国内的には改革開放が迫られている要因になっているということでしょう。

塩見 三上さんの言ったことについて言うと、特殊要因としてあるのは、ベトナムは勝利し、中国も勝利したのであり、それで改革開放に行っている。ところが朝鮮の場合には南がありそれと競り合って、民族も分断されたところでやらなければならない。闘争する中での開放は非常に難しい。非常に「硬直」した体制を一方で持ちながら開いていく形をとらざるを得ない。朝鮮だって七〇年代に外貨を獲得するということでいろいろな形で開放経済をしようとしたことがある。しかし焦付みたいなものを起こして、誰も投資しなかった。それ以降は全然やらなくなった。九〇年代になって最初に合弁法を作って、それによって引き込もうとした。ところが誰も投資しない、特に日本はいちばん怪訝がってやらない。というのもあのような体制があるからだし、拉致問題等その他の問題があるからです。ロシアや中国、台湾やフランスぐらいが一寸やったくらいです。経済が全然回転しない状況が続く中で、キムジョンイル氏が上海に視察に行ったとかよく言われていますが、社会主義市場経済の方向に向かっていった。韓国に亡命したファン・ジョンヨブ氏は中国的な経済をとるべきだと言っていましたが、ところがそういう動きを全部抑圧してきた。南との関係で、経済では負けているかも知れないけど、総力的には、例えば民族の誇りとか政治的団結では勝っているとずっと言ってきたから、転換が遅れてしまったのです。

高橋 かつて東欧社会主義圏でも東ドイツがいちばん硬直した体制をとっていましたよね。ハンガリーとかチェコが開放経済は緩やかに移行している中でも??

荒 北朝鮮の二二〇〇万人の人口の中で党員が三〇〇万人で、家族など関係者で言うと九〇〇万人ぐらいいるから、ほとんど国民の半分が労働党関連であるという官僚国家です。当然その国で生きていくには労働党の党員になるしかないし、生活的なものを目指そうとしても、全部配給だから配給を受けるしかないという関係でしょ。帰ってきた人もみな党員でしょ。当然よど号の人たちも隠れ党員で、それで日本でキムイルソン革命をやるということになっていた。その展望の喪失を彼等自身が感じている。

塩見 よど号は党員ではない。荒さんの認識は困る。荒さんはどうもソ連・東欧的崩壊を予測しているようだがそんなに単純ではない。チュチェ思想は朝鮮民族の革命的民族思想で、路線転換はこの心棒をしっかり守りながら、これまでの鎖国型の自力更正路線では巧く行かなくなったから、開いて行こうとするものだ。これは極めて難しい課題である。ソビエト権力下のネップとも違う。いわば毛沢東が存命した中での、文革の歴史を肯定して現代化、開放・改革行おうとしたのに近い。たまたま毛沢東が死去し、毛沢東思想を事実上清算して、とう小平が思い切って、唯生産力主義を徹底化して、中国式の社会主義市場路線は確立して行くわけだが、今の朝鮮はこれとは違う。だから難しい。しかし党幹部が生死を共にする団結を堅持し、ゴルバチョフ派が派とならず守旧派が派とならず路線論争の域を出ず、党内論争が党分解に繋がらず党の活力になって行くようなら、そしてその事でもって民衆の愛国心が高揚して行くようなら、紆余曲折と順逆の激流は繰り返すが徐々に国際帝国主義も資本参入して行くようになるであろう。

京義線の貫通、新義州の特恵区化1つとっても、朝鮮社会の大変動に繋がって行くが、このダイナミックな流動に適応する政治力、思想的統一力が保持できるか、1つの賭であろう。このような路線転換に南北首脳会談以降階梯を置きつつ踏みだしているのである。

(この点では別に小西さん等は別に消耗してはいないと思う。)

 このように進むか、否かは予断を許さない、ことは確かであるが。

三上 その前に話しておかねればならないことがある。武力革命思想を放棄せざるを得なかったという条件も含めて、国民国家が対外的に問題として軍事力を持つかどうかということは別の問題として、要するに党の路線だ。

荒 僕はそれは放棄していないと思う。

塩見 路線転換について見たら、それまでは階級を軸にした世界革命路線であって、特に植民地解放、第三世界の解放という路線を持っていた。これを八八年ころから転換する。大局的にはアメリカと対抗しながら、ソ連式ではないけど、平和共存みたいな路線を出して、階級に代わるものとして民族を出して対抗していこうとする。特にグローバリズムをアメリカがやり出すことに対して民族を基軸にして対抗していく路線に変わっていく。それと関係していることですが、八五年に田宮が中曽根に「帰国路線」の手紙を出した。またゴルバチョフが出て、ベルリンの壁は崩壊する。そうした他の「社会主義諸国」の動向、路線転換が北朝鮮にも反映して、まず政治路線を変えていく。しかし政治路線と武力路線はまた別の話です。政治路線は変えるけども武力路線は堅持するということです。革命の輸出や反共統一に対抗する赤化統一の動きは相当減退するが。

高橋 そこのところがいちばん聞きたい話なのですが。

荒 今やキムイルソン主義に残っていたマルクス主義は捨てたということでしょ。八九年のベルリンの壁崩壊があって、その後キムジョンイルが九二年にチュチェ思想は民族の思想であると言って民族主義で固めようとした。その革命を日本でもやろうとしていた。

塩見 彼らの人間自主論と民族論という大きな枠を出したのが九一年です。「社会主義は科学である」というのが出されたのも九一年だった。

荒 南朝鮮を武力解放し祖国統一する路線を放棄したということは全くないと思う。というのも、朝鮮労働党の綱領そのものは何も変わっていないのだから。

塩見 外面で言っているのは「自主的民主的平和的民族統一」ですけども、内容を見るとやはり一種の赤化統一であって、例えばラングーン事件然り、青瓦台の武装侵入とか潜水艦が中に入るとか、工作隊を送って叛乱を起こさせるとか九〇年代にずっと続いている。そういうのを最終的に自己批判したのが今度の渤海の海戦や不審船を認めたことであった。

高橋 不審船の存在を認めたということは、不審船を使った武力工作を今後はしないということですね。

三上 金大中とあのように会談をやって一定程度そこをやり抜いてきたということの中にはそれなりの契機があるということではないか。

荒 いや、むしろできなくなったということではないか。

塩見 それは微妙なところで、三上さんの言う通りなんですけど、金大中とキムジョンイルが会ったことで予想もつかないような朝鮮民族の歓呼があった。金大中は金大中なりで太陽政策でもって経済援助もやるということじゃないですか。それに対して北朝鮮は経済が逼迫する中でどうするかが問われ始め、本格的に経済体制の転換を考え開き始めた。だから二〇〇〇年の二人の会談は決定的な契機となって内部が動き始めているということは見ておかなければいけない。

高橋 路線転換というのは良く分かります。お三方の見解に様々違いはあるにしても、ある転換が始まっているというのは事実だと思います。問題はこの転換をどう評価するかです。特に今回の拉致問題の公表は北朝鮮の路線転換だと言うとき、この路線転換が今後どういうふうに考えられるのか。ソ連の経験がわれわれに突き付けたこととは、ソ連型の社会主義はペレストロイカを始めた瞬間に最終的には社会主義を放棄せざるを得ないところまで行き着くという実例をつきつけられたということです。それは北朝鮮も良く知っているはずで、にもかかわらず今回路線転換した。その現れとして不審船問題や拉致問題を自らを公表した。

荒 経済が成立していないということを認めたということです。

塩見 旧来の自立更生派や武力闘争の軍がいて、他方ではキムジョンイル氏の横についている姜(カン)何とかという人は、94年核危機の後、カーターを招請し米朝枠組みを創った人です。クリントントとも交渉したのですが、その後共和党に変わったから展望が出ませんでした。彼はものすごく切れ者で、ロシア的に言ったらゴルバチョフ派です。彼のような勢力がもうどうしようもないということで労働党内部に拡大していることは確かです。しかし下からではなく、上からです。これが大勢を占める状況にある。だが、ゴルバチョフ派がキム・ジョンイルさんを飛ばしていくのかというとそうではなく、キムジョンイルの神格的な権威は今でも依然としてあり、キムジョンイルがチャウセスクのように下からの革命でふっ飛ばされるという図式の可能性は非常に少ない。じゃあ、キムジョンイル氏はこれからも絶対的な政治生命を持つのかといえば、持たない。なぜならば今まで閉鎖的な経済の中で天皇的な権威を持っていたが、経済がどうしようもなくなっている中で、経済的実益を大衆に返さない限り彼の新しい政治生命は生まれないからです。古い政治生命から新しいものへと切り変えられると自己過信しているかどうかは分かりませんが、そういう形で地殻変動的に労働党内部のヘゲモニー構造を変わらんとしているしているのではないか。

だけども今回核の問題でも嘘を言っていたということを自ら言った。これは非常に微妙な問題で、皆さんがどのように見ているのか知りませんけど、本当に瀬戸際政策です。どういうことかと言うと、自分たちは核武装している、だから核武装を取り止めるから国交を正常化して、安全保障も話し合いましょう、もしもそれを拒否してくるならばオレたちは核をぶち込むぞ! 日本にもぶち込むぞ! という捨て身の戦法をとっているということです。勿論94年の核危機の経験があるから今回は落とし所を読んでいるようですが。日本にしても韓国にしても明らかにそんなことで戦争をしたら嫌じゃないですか。アメリカもそれを突き付けられている。だから、九四年に作った米朝合意というものを一方では無効になりつつあると言いながら、正式には否定していない。こういう形で今しのぎ合いが出てきている。問題はそれでアメリカが反古にした場合にはすごい緊張が起こるということです。そういう問題の中でキムジョンイル氏はそれを乗り切って、日朝は正常化して、アメリカとも平和条約を結んで、なし崩し的に自分の権威を獲得する戦法をとろうとしている。しかしそれがそのまま行くかと言うと、一挙に崩壊はしないとは思うが、危機を迎える。

三上 僕は塩見さんがいうような予測は分からない。分からないことをここで議論するつもりはない。ただ理論的推定がある程度できることとしても、僕が関心を持つのは、軍事革命思想を放棄したのではないかという問題です。なぜかと言うと、これはマルクス主義の問題になるのだけど、武力で権力をとる思想は必ず武力で権力を守るという思想になるからです。なぜ革命権力が超権力になるのかという議論はここではしませんが、マルクス主義の権力論に問題があるのだと思います。「銃口で権力を守る」から「民衆の意思で守る」というように民主的な転換ができるかという問題がある。おそらく政権をとったアジアのどのマルクス主義も抱えている問題ですが、この問題は基本的に解決されていない。中国は緩やかになってはきているけども解決していないし、ベトナムもそうかも知れない。だが、それらに比べると北朝鮮はこの問題を最もきつい形で背負っている。

高橋 先ほどから言っている問題は多分こういうことだと思うのですが、二〇世紀型社会主義は一貫して武力革命路線というのは党が市民社会を完全に包摂して、市民社会に対する党の絶対的な優位性を持っている体勢を保証するものです。ですから経済に道を開くということは市民社会に道を開くこととなり、そのとき必ず党と市民社会との力関係がひっくり返ってしまう。その証明がペレストロイカによるソ連崩壊だった。

荒 もっと言うと、原理としてのマルクス主義の無力性ということになると思うのだけど、官僚制計画経済であれ協同組合主義であろうと、全部含めてハイエクなどが言う設計主義の経済ができないということが再び証明されたということでしょう。革命をやっても経済建設はできないのだから、私有財産制を基礎とする市民社会に道はおのづと開かれていく以外ない。

塩見 ちょっと三上さんの言ったことを整理すると、朝鮮労働党なりキムジョンイルが武力路線を放棄したかどうかがまずある。マルクス主義を止揚した問題として暴力を使わないということをどう考えるかという問題だと思います。結論から言えば、僕はまだ放棄していないと思う。アメリカや日本との交渉の中で、革命路線の革命軍、パルチザン国家的な軍隊は、交渉が成立すればなくなっていくでしょう。だけどもそれは国軍のようなものに再編されて残る。主権を守る軍隊は残る。核開発は平和条約、安全保障などで止めたり、ミサイルの輸出なども自制して行くが、身ぐるみに武装解除されたりする事を絶対に容認しはしない。

高橋 それならば市民社会と並存し得る。しかし中国ですらそこまで行っていない。

塩見 中国には解放軍があったけども、天安門事件によって解放軍の権威はなくなった。その上で法律で規定された軍隊になった。もっと言えば「党の軍」から「国家の軍隊」に変わるということ。

三上 それはいいのだけども、朝鮮労働党の政治路線としてはどうかということです。拉致事件を認めたということが、従来のマルクス主義の権力観を越えることに繋がるかという問題です。抵抗とか自由との関係の中で権力は再生産されて、その中で権力自体の基盤が強化されていくものですが、マルクス主義の権力観ないしは朝鮮労働党の路線は、それとは反対で、可能な限り自由や抵抗を排除していくことが権力の強化であり、権力とは他者を抑圧するものであるとしているわけです。要するに抑圧するものとして権力がとらえられているのであって、これは、もともと自由や抵抗の伝統のないところで現れた東アジアの社会主義の問題ではないかと考えている。

荒 朝鮮労働党の規約では、当面の目的は共和国内部で社会主義の完全な勝利を勝ち取り、全国的な範囲での民族解放、人民民主主義革命の課題の遂行にある、という一文が今でも残っています。基本的にはラングー事件も大韓航空機爆破もそういう課題の下に進められてきた。それができなくなってきたとするならば、経済が韓国との間でも十対一ぐらいの規模になっていて、あまりにも理想と現実が違い過ぎて行き詰まっており、鎖国状態を続けられないということじゃないですか。

塩見 荒さんや三上さんは今の状況をあまり知っていない。核について米朝合意で「核は存在しない」と言ったにもかかわらず今回「核を製造している、核武装している」と言い切った。その意味なんですが、今までの北朝鮮の団結の構造から言ったら、キムジョンイル氏がそう言っていることを認めなかったら本当の意味でとことんまでやるような危険性を持っているということなんです。そういうような恫喝を行ないながら、日本やアメリカから譲歩を引き出そうとしている。譲歩を引き出せなかったら「やる」というのは、今までの彼らの政治体質から考えるとホラ以上のものを含んでいる。そこで経済権益や平和友好関係を作って、キムジョンイル体制を維持しながら、市場経済と市民社会を作っていこうとしている。これは大転換です。もちろんアメリカが今やっているのはキムジョンイル体制を前提にしないで、むしろ崩壊させて別の政権を作ろうという路線ですよ。

荒 それは分からないですよ。日本に天皇制を残したじゃないですか。

塩見 いろいろな結果が出てくるかも知れないけど、今のところブッシュは「悪の枢軸」と言ってフセインとキムジョンイルを倒そうとしているんだよ。

荒 だけども湾岸戦争のときにもフセインを残したでしょう。

塩見 韓国や小泉はそうなったら戦争的な緊張状態になるから、キムジョンイル体制を一応前提にして、彼の政策を変えていこうとするという路線なんです。そういう意味ではアメリカと日本とでは政治路線的には温度差もあるし対立的な要素もある。ここのところを見ておかなければならない。問題なのは日本がどうしていくかということです。日本の路線で行くのか、アメリカに乗っていくのか。

荒 どっちとかこっちとかそもそも言えるんですかね。

塩見 じゃ、貴方はどっちなんだ。

荒 それは塩見さんが言っている「どっち」にしかすぎないと言ってるんですよ。

三上 塩見さんの言っていることは、僕が小泉や官僚の立場にいればそういうことを考えるということであって、そこでいろんなことを想像するでしょう。だけどもそれをめぐってどっちの路線を選択するんだとここで議論してもしょうがない。

塩見 そういうことではなく、今回小泉が交渉しにいっていろいろな譲歩や自己批判まで引き出してきたというのはブルジョワ的な意味ではあるけども、僕は圧倒的な成果だと思う。これに対してこれからアメリカがどんどん巻き返しを狙ってくる。

三上 ちょっと待てよ。

塩見 その中でわれわれがやらなければならないのは、民衆的なところから家族会の動きを評価しながら、日朝の民衆が平和的に交流するような状況を作っていって、キムジョンイルや小泉を変えていく戦略を持たなければいけないということを言っているんです。左翼が家族会を応援するような態勢もも必要ではないか。そのような問題の設定をしなければいけない。

三上 僕が塩見さんと違うところはどういうものであるのかと言うと、僕は単なる一人の批評家としてものを言っているにすぎない。北朝鮮に関心があって、拉致問題もそうですが、キムジョンイルの独裁体制がどのように解体ていくのか、しかしそこにどのような困難な問題があり、それがどうなるのか、ということを理論的に考えたり批評したりするが、政治的にどちらを選択するのかというのは、僕には情報もないし、言う必要はないと思っている。

荒 「世界がこうなる」というのは「客観的に在る」ということではなく、塩見さんが自分でそのように分析し、三上さんが分析し、僕が分析するということであって、それ抜きでどっちをとるのかと迫るのはおかしいんですよ。

高橋 ここで自らの政治路線を議論する必要はないと僕も考えるのですが。

塩見 ないけども、九・一七から始まったことの意味を捉えて、それを実践的な問題として考えること、日本のや民族がどういう方向をとるかということを全体の中で考えることが問題なんだ。僕は評論で自分の分析は正しいということを言うために、言っているわけではない。九・一七から来ている核の問題というのは、日本を含む極東アジアの大きな歴史的な一つの転換点だと思う。世界的にも大きな転換点だと思う。これは単なる分析とか評論ではなく、日本の民衆が今後どういうふうにアジアや日米関係を決めていくのかというところでの決定的な転換点になっているということです。単なる評論ではなくて、日朝正常化に対してどのように態度を取り、これに対して反発する勢力は有事立法から何からもってきているのだから。

荒 どうも、塩見さんの議論の仕方を聞いていて、僕には相変わらずだなと思えてならないのですよ。自分の分析を押し付けどっちかと迫るやり方。そういうやり方で、われわれは第二次ブントに結集し、世界革命を目指し、その中で二〇世紀の帝国主義やスターリン主義を批判しそれを乗り越えようとしたわけだが、しかし実際はわれわれが思ったことは何一つ成就もしなければ実現もできなかった。例えば、ソ連は革命的再生をさせねばならないと言って、それを選択してきたのだが崩壊してしまい、スターリン主義はペレストロイカ以降、資本主義化してしまい、東欧も潰れてしまう。そういうことの中で、共産主義者同盟の言ってきたことを実際上の実現性という角度から考えると、ほとんど実現できる内容をわれわれは持っていなかったし、端的に間違ってもいた。それの根源にある過ちとはなんだったのか、そこの反省が必要だからこうして議論しているのではないでしょうか。

塩見 われわれが描いていた資本主義の後に夢のような理想の社会が来るといるイメージ、その理想社会目指して資本主義と闘おうという夢自身は、少なくともマルクス主義に立脚する限りは不可能であるというのははっきりしてきている。それを踏まえて、われわれはマルクス主義をどういうふうに捉え直し、どういうふうに方向で変革を目指すのかを考えることが重要だ。

 ただ荒さんのように何でそれ程悲観的になるのですか、さっぱりわからん。マルクス主義を超克した変革の路線をうちだせば良いのではないか。ブント等新左翼の闘いは最大の目的は実現できなかったが、日本社会に良き成果を残したと思う。我々の願いは、民衆のあらゆる面での福祉の向上、自主の拡大です。その為にこれまでマルクス主義が役にたったと言うことです。この向上、拡大に資本主義は今でも桎梏になっているから資本主義を批判するのではないのですか。ただマルクス主義の最大の役割は植民地体制としてあった帝国主義のもたらす極端な経済的貧困と無権利に対して階級闘争で経済的平等の是正を追求し、半ばそれを実現し、決定的役割を終えたと言うことです。この成果の上に民衆の要求が更に高くなって来ているのに呼応した新しい哲学、世界観、路線を持って闘って行けば良いのではないか。荒君はマルクス資本主義批判まで否定するのですか。

荒 とするならば、北朝鮮の崩壊もその一つでしかない。

塩見 崩壊すると決まったわけではない。僕はさしあったては崩壊しないで漸進的に変わって行くことを望む。

三上 だからそれを先ほど毛沢東思想という武力革命思想の放棄、あるいは歴史的な破産と言ったわけだ。それで荒さんの言ったことに引き付ければ、第一次ブントがロシア革命以降の社会主義を疑ったときに、どういう社会像を作れるかということに関して言えば、われわれはそれをできなかったということも含めて、今この問題はいろいろなところで発生している。民族、宗教、権力などいろいろあるけれど、いちばん大きな問題としてあるのは権力の問題でしょう。レーニンの権力論は専制国家の下で権力をとる過程では有効だったが、権力を保持し転換していく中では新しい矛盾を発生させた。これは、東アジアの政権をとったマルクス主義はどうだったのかという問題に繋がっている。われわれはスターリニズム批判という形でロシア・マルクス主義批判をやってきた。それをやりきれなかったというのは、権力論が決定的にダメだったからだと思う。権力をどうやって解体していくのか、どのように変えていくのかという問題を考えるときに、階級抑圧の手段としての権力がまずあり、それを誰がとるかという考え方でしかなく、権力自体の構造をどの様に変えていくのか、どのように自己制御していくのか、その条件とは何か、そういう考え方にはわれわれにはなかった。

塩見 そうも言いうる。ただ次のことは押さえておいて欲しい。僕は時代、時代によってその時代に応じた闘い方があると思っています。後の時代に前の時代の闘い方をあてはめても性がないが、後の時代の闘い方を正しいとして、前の時代の闘い方を否定してもらっても困ると言うことです。

三上 その問題は自由とか抵抗の問題と絡んでいて、僕がブントの中で失敗したと思うことは、67年の10・8の行動を「組織された暴力」と解釈することで越えられなかったことです。「革命的暴力」と言う言葉になり、その後赤軍派までいったんだけど、あの革命的暴力論は違うと思った。党形成論とか階級形成論であれを解釈し直してがんばったのだけども、超えられなかった。それには権力論が必要だった。

高橋 共産主義者同盟、特によど号グループの存在を介して、第三者的に語れえないことであり、少なくとも思想的には関与せざるを得ない問題です。

荒 暴力で権力を勝ち取ったと言えば、フランス革命もそうです。暴力一般がいけないということではなく、それが持っていた内実こそが問題だったということだと思うけど。

三上 だからテロが生まれた。

高橋 フランス革命が武力でとった後テロリズムが生まれた、ある意味ですべてがフランス革命から始まっている。

荒 でも存続したものもある。しかしマルクス主義では存続できなかった。この何十年間のうちにとった権力はほとんどが崩壊し、しかもその変質の仕方が否定していたものである資本主義に立ち返っていく。そういうものを考えれば、権力論もその一つなのですが、マルクス主義の持っていた枠組の有効性は、産業資本主義段階のイギリスなどの特殊な条件の下ではあったかも知れませんが、実際の市民社会と国家に乗り越えられていった。資本主義が社会主義に影響を受けながら変わったということはあるにしても、資本主義の持っている枠組としての政治的共同体と市民社会が、社会主義が問題にしていたものを内包しながら越えていく生命力があったということではないですか。われわれが信奉したものの無力性が二〇世紀に明らかになり、どうバリエーションをとってもちょっと苦しい思想ではなかったかと今は思っている。

高橋 今の問題や赤軍派の思想的問題の総括を含めて塩見さんどうですか。

塩見 結論的に言えば、第二次ブント第七回路線とか世界同時革命とか世界革命戦争路線の問題として今回の問題を捉えている。その前に三上さんが出した国家論の問題についてですが、結論的には権力を止揚するものとしてマルクス主義がなかったというところから問題をたてるべきです。マルクス主義者はどう暴力を捉えるのかという問題です。いずれにしても、マルクス主義者は所有関係を軸にして、人は階級を形成し、そして生産手段を私的に所有する者が国家を掌握し労働者等民衆を暴力的に支配していると考える。所有を軸にして所有している者としていない者は敵味方に区分され、非和解的関係となる。だから暴力によってしか世の中を変えられないという図式を持っていた。ブントも様々な意味で教条とか権威を否定してきたが、明らかに暴力革命や世界革命や社会主義革命を主張し、マルクス主義の原点に帰っていった。それと同時にブントの良いところは、スターリン主義に対する究極的な意味でのアンチを問題意識に持って成立していた点です。僕はいまマルクス主義の脱構築なり超克と言っています。所有関係から一切の問題をたてて、だからみんな階級に所属している、階級をなくして人間解放が実現するという物事の見方を持っていたのですが、所有によって経済は回っている面もあるのですが、所有することをも規制していくような人間性が、社会的な人間が生活していく共同関係の中にあるということなんです。人間は所有関係で様々に規定されているのかも知れないけど、夫婦がおり家族があり地域あり労働するというような関係の中で、人間が自主的に生きたいということ。人から愛されたい、信頼されたいということが人々の最も規定的で根元的願いと思います。そのために自分は社会に役にたとうと思い、社会に尽くそうとするし、隣人にも尽くそうとする。その力が、所有よりももっと根底にあって、所有を越えるようなものとしてある。そこに共同体をつくろうとしている人間の本性がある。マルクスは「社会関係の総体」と言ったけども、確かに階級関係に規定されているのはその通りなんだけど、それ以上に、自主性を持って社会に責任を持ち社会や隣人に尽くそうとするところが動物とは違う人間の本性と思う。そういうふうに自己を認識したときに人間になった。それで原始共同体が生まれ、それで私的所有の関係でいろいろな階級社会が生まれてきた。しかしマルクス主義者は、「歴史を作るのは暴力である」「暴力は革命の助産婦である」「暴力には暴力を」と言って、暴力の後はプロレタリアート独裁で階級を廃止するという論理を立てた。人間は社会関係の総体であるというのを、僕は自分が階級に所属しているのだから、階級に奉仕していくんだと考えていたのだけども、それ自体は否定しないけども、もっとその前に人間の共同性から出ている信頼とか愛、そしてその関係性を変えていくということを人間論の根本に据えて、変革や資本主義の批判をやっていかなければならない、と思うようになった。

荒 それはチュチェ思想と同じではないですか。

塩見 だから暴力よりも関係性を変えてどうやって信頼関係を作っていくのかというのがわれわれの革命である。新しい社会を作っていくにしても、暴力的な権力を作らなくても、資本主義をそういう形に変容させていけばいい。

荒 岩田昌征さんによると、資本主義は交換と自由そして夫婦、それに対してソ連は分配型国家で平等そして親子関係、そして東欧は互酬そして友愛だから兄弟ということのようですが、ソ連の分配なり東欧の互酬にしても交換関係を越えることができなかったというのが二〇世紀の現実ということではないのですか。

三上 僕がそこのところでちょっと違うのは、今回の件も含めて、ここしばらく東アジアとどう付き合うのかということに関心を持っている。まずマルクス主義の問題から言えば、国家の問題、僕は重層的な国家論というイメージを持っている。文化の問題、普通なら宗教とか民族となるのですが、アジアでは文化の問題と言った方がいいような気がする。それから政治国家の問題と経済国家の問題など重層的に考えなければならない。というのは、日本と韓国と中国の間での戦争の総括の問題のいちばん根幹にあると言われる歴史認識の問題とは実は文化の問題ではないか。その根本は中華思想であって、それとの関係で国学思想が対抗して出てきて、その間に朝鮮がはさまれていくわけだけど。靖国問題というのは政治問題であるように見えて実は根底では文化問題であり、再び日本人に中国脅威論が出てくる可能性がある。そのときに文化的な意味で民族間対立にならなくて民族が共存するというものではないとするならば、できるかどうかは別にして、われわれは文化とか宗教を徹底的に個人概念に解体した方がいい。三島の文化防衛論は明らかに中国の毛沢東の文化思想に対抗したものだが、それを東アジアの中で突き抜けられる政治戦略として、文化を民族のものではなく、徹底的に個別的なものへと追い詰めるということは考えられないか。日本列島の中で非常に小さな共同体と非常に個人的な文化があり、朝鮮半島にもあり、中国大陸にもあり、それらが交流すればいい。そういうような形で国境を越えて交流が行なわれる時代が始まるという一つの展望を描いています。

荒 三上さんに聞きたいことは、文化というのは共同体的なものであって、その場合言語を媒介にする。言語を媒介にするのだから個人的なものはありえないと思う。

三上 小さな共同体でいい。今まで日本の文化政策があったけども、ああいうのはやめようということです。それぞれ独自の文化があるのだから、相互にいけばいい。天皇に帰依するとかそういうのはやめようということです。ユーゴで国家が崩壊したときになぜ民族対立になったのかということを考えたときに、もちろん宗教も絡んでいるでしょうが、東アジアの問題に引きつけたときに、宗教や民族の対立はないかも知れないけど文化の対立においてはまだ火種が残っているのではないか。だが、古代日本ではいろいろな文化が入ってきて合流していたけどもそこで国家対立などしていなかった、そのことをこれから先の未来に国家が解体していくなり相対化していく、それは政治国家が解体していくということと経済国家が解体していくこととは独自の射程をとるから違うけども、それを重層的に考えていったらいいのではないかと思う。

塩見 文化の問題を「個別的なものに還元する」という味岡さんの説ですが、僕は民族をパトリ(故郷、源郷)に還元規定し、これに人間の自主性、民主主義、人民性を付加することで、民族、国(クニ)を再編成すること、その事で国家への動員を拒否し、民族が共存、共生することを考えていますが似ているかも知れない。このようなものがパトリオティズムとしての民族主義だと思う。

高橋 僕は三上さんの文化の個別化という問題提起は面白いと思うのです。というのは、党的なものはどこかでアジア的専制と重なり合ながらアジアの構造を支配してきたのであって、個別化された文化というのは市民社会の成熟ということと関係しているように感ずるからです。

三上 僕のホームページで宮崎学との手紙のやりとりの中でずっと書いてきたことは、アジア的権力の中で官僚制はどうであるかということを書いています。アジア的官僚制はおそらく中国と韓国と日本が共通して抱える民主主義の問題ではないか。そういう意味ではキムイルソン体制の崩壊過程で権力をどう再生できるかという問題に絡んでくる。キム親子だけが悪いとだけ言われていますが、あそこであれを決めた官僚制の問題と、市民社会がないから官僚制になっていくという問題。そこのところで、六〇年代七〇年代の全共闘までいった運動の根底にあったもの、「自由」とか「自立」とか「抵抗」というのはまだ生きるのではないかと思うんです。官僚的な権力への反抗の根にあるものとして。

荒 僕もそう思いますよ。だが、何かを組織すればそこには必ず官僚が生まれる。どんな共同体でもそれを機能させようとすればそこには官僚が必要とされる。官僚機構がないものを東欧はずっと考えてきて、先ほど言った互酬とか友愛であって、しかしそれは岩田さんによれば兄弟殺しを生み、実際上は生産を組織できなかった。生産は一種のヒエラルキーの体系であって、みんなが平等となると、工場長も認められなくなり指揮系統が機能せず、生産の効率が全く上がらなくなった。そして資本主義の効率性に破れていった。そうすると人間の持っている宿命みたいなものに入っていくしかないのだけども、「唯一のこれ」というものはないということだと思っているのですが。

三上 僕はそんなに難しく考えていなくて、自由と抵抗が権力の基盤になっている、その相関関係の中で権力が成り立っている。権力はそれ自身絶対悪ではなくて、それ自身生産的なものです。権力自身がその相関関係の中で存在して、僕はその中で権力を相対化できないかと考えている。僕らが全共闘の中でやれなかった直接民主制とかの可能性などはないか。

荒 一方で生きてはいると思う。しかしそれが形をとったときに罪悪に変わるというパラドックスがあるわけでしょ。アナーキズムで共産党権力を憎悪し、帝国主義を憎悪する中で正義を求めてワァーと行ったのだけども、しかし権力と闘うために自分たちの権力を組織してしまった。否定の対象に自分がなっていく以外にないということを、単なる必要悪の問題として以上のものとして考えておかなければならない。

塩見 それは荒さんの内面告白なのか。マルクス主義はそれを正当化した。自分だけが権力を組織できるのだと。

荒 将来は止揚できるのだとした。僕らもそう思いたかったけども、しかし実際はできなかった。日本の新左翼を見ていてもできなかった。できなかった現実の中でとりあえず言えることは、グローバリズムに対抗するのにイズムでやっていくのは苦しいということです。例えば創価学会が世界を支配するということではない多様性がどのように保証されるかということです。しかしそのときに単なるアナーキズムや個人主義ではなく、共同体的なものでしかないとも思う。

三上 僕がちょっと違うのは共同体と同じように個人を大事にするから、そのとき文化も宗教も徹底的に個人的なもの、あるいは小さな共同体的なものであった方がよいと考える。

高橋 ここのところで先ほどペンディングになっている問題、よどグループが「拉致」に関与していると言われている問題、「拉致」という言葉を使うかどうかという問題もありますが、ブント、とりわけ赤軍派の運動の流れの中でこの問題を捉え返さざるを得ない側面があると思うので、塩見さんの方から赤軍派総括も含めて、よど号グループの評価と今後ということで問題提起して頂きたいのですが。

塩見 よど号の問題に関していえば、赤軍派は前段階蜂起の敗北の中で国際的な根拠地を作って、日本にそれを還流しなければいけないという主張を展開し、その目標はキューバで、キューバで根拠地を作ってやっていこうとした。それ自身は根拠のないことではなくて、OLASという三大陸人民連帯機構というものがあって、革命家たちがそこに集まって、世界の革命運動をやろうとしており、そこに結合しながら展開していこうとした。しかし実際上はキューバに行こうとしても行けないから、いろいろな作戦を考えたけども、ハイジャックで朝鮮まで行って、朝鮮はキューバと仲がいいから、とりあえず行ってキューバに送り出してもらおうという作戦をたてて(笑)、ドンッと行った。しかし確かに朝鮮は「革命的」な国ではあったかも知れないけども、そこに閉じ込められてしまった。

僕の過渡期世界論と世界同時革命に関しては、労働者国家が根拠地化するのはそれはそれでいいのだけども、僕らの日本のプロレタリアートの根拠地が外国の労働者国家にあるというのはおかしな話であって、日本に作らなければならない。日本の労働者階級が団結してそれが根拠地にならなければいけない。日本の人民の力を信じて、そこに立脚して変革していくところから見ると、明らかに外国で作られた革命勢力に依存してやろうとする思想的弱さがあった。それについて僕は根本的に自己批判をしている。でも現実的にキューバの存在だとか、実際に国際的な行動を起こす必要はあったと思う。特に重信さん達の行なったパレスチナの行動は国際主義の精神にみちていて、問題は日本でちゃんとして主体を作り切れなかったから彼女らにいろんな負担を与えていった。これは赤軍派の総括であると同時にブントの総括にならなければいけないと思っています。田宮たちについてもやはり同じことが言えて、僕自身の反省として世界同時革命論が国や民族を越えた[単一のプロレタリアート]の闘いと設定することによって、どこでも戦場だと設定することになり、そういうところで朝鮮に行かせた指導者は自分だったのだから、これも自己批判しなければいけないことだと考えています。朝鮮についての認識については、スターリニストの国であるというのは当時体質的に感じていたのだけども、それでも革命をやった国だからキューバに行かせてくれるだろうという大雑把な認識だった。

赤軍派は、田宮は「明日のジョー」と言いましたが、「良い意味でのロマンチシズムとピュアなスピリット」を持っており、ブント的な人間らしさというか、別に哲学的に位置付けられてはいなかったけども、あらゆる教条とか権威に依存しないで自分流に考えて創造的に闘う自主創造的な精神を持っていた。そういう精神が朝鮮に行くことによって変質させられていった。田宮たちが朝鮮で生きていこうとしたら、もちろん一年か二年は世界同時革命を展開して『ドイツ・イデオロギー』を出したりいろいろと闘争している話は聞いています。だけどもチュチェ思想が良いというようになっていった。  ただ、この「変質」と言う言葉ですが、悪い面だけを取ってもらっては困ります。ハイジャックで行って見て、重い重い朝鮮民族の過酷な現実と民族の分断の状況をを知ったと言うことです。抑圧民族と被抑圧民族の問題は「世界プロレタリアート」の観念性を否定せざるを得なかったと言うことです。現実の朝鮮民族に向かい合うことで、しかも「反日(反日本民族)、朝鮮帰化」になることなく、日本民族であり続ける為の民族的主体性、民族的プライドを問われ反日本帝国主義の真に人民的な民族愛に目覚めたと言うことです。

 この翻身の構造は、非道な形で拉致された人々の翻身の構造と本質的には同じで、これは「マインドコントロール」とかいったやわな問題ではないのです。これらの人々と違うのは、田宮達が能動的に行き、能動的に自主革命家になっていったと言うことです。

 八尾さんの話はどこまで信じていいか分かりませんけど、僕の推測では、二年くらいやった上で自主革命党を作っていくように流れていったのではないか。北朝鮮も世界革命をやるとしているから、朝鮮労働党の指揮の下で国際根拠地を朝鮮的に読み替えて、ヨーロッパでオルグして同志を募ろうとしたのではないか。田宮らには田宮らの目的があったのだろうけども、金もないし手段もないだろうから、朝鮮労働党という大きな戦略の指揮の下で動かない限りやっていけないだろうから、朝鮮労働党と一体となって、その枠の中では、彼らが良く言うように「朝鮮労働党とは別にやっていた」とも言えないこともないが、どう見てもその下で動いていたのではないか。

朝鮮の「唯一思想」、「一心団結」とか他の思想を一切許さない、しかも指導は労働党の直属で動いて、それを受け入れない限り抹殺されるという事態があったのではないかということは容易に想定される。それを受容する闘いを彼らは七〇年代の初期までやって、七七年に女性たちと結婚し、同時に同志たちを募り拡大することをやったのでしょう。

八五年頃から八八年頃にかけて路線転換をして、今度は日本を対象にしていく。朝鮮労働党も路線転換している。これに呼応してまず最初にやったのは中曽根政権に帰国の話をしようということで二、三回手紙を出している。彼らが対象を日本にして、かなり合法的に活動を展開するというふうに路線を転換する中で、国際的にはいろいろと事件が起きる。これまでは朝鮮総連などを通じてしか日本とのパイプを持っていなかった。僕らのような新左翼を切って、白紙の人を集める路線をとっていた。僕が八九年の十二月に出てきて、その頃山中さんと高沢さんが朝鮮に行く。それに続いて僕が八月に行って十月までいる。そこから新左翼、ブントと結合しながら帰国運動をやっていく路線になっていった。帰国するのは断固賛成なのですが、山中さんと一緒に「人道帰国の会」を作ってやっていますが、彼らは「帰る、帰る」と言っていますが、実際は帰らない。帰国運動をやることによって、いろいろな人につながりをつけて、自分たち流の組織をするという有様なのです。日本革命をやるから帰国すると言いながら、実際は情報や人材を結集していく方向に動いている。いろいろな嘘もあり、女性たちと結婚していることなど九二年に行って初めて分かる。

僕は何らかの魅力を感じていたから彼らの路線を承認していたのだけども、でもはっきりしていたのは朝鮮からは革命はできないということであって、朝鮮の革命思想でいいところは吸収して日本で生かしていけばいいと考えた。だからさしあたっては田宮たちを教師にして学べばいいと。だけどもやはり日本が中心であるということを彼らも確認して、いわば僕に「成長してくれ」という感じで「自主日本の会」の準備会が九五年にできる。九・二集会が第一回大会としてやられて、“民族”が前面に押し出されるわけですが、世間の人たちから見れば異様に見えたでしょう。僕自身もまだ民族論を自分でこなして展開し切れていなかったから、田宮たちの書いてくるものを軸にしてやっていた。連合赤軍に反米愛国路線が直輸入された、と同じような印象を与えたので、いろいろなところから批判されました。その中で僕は僕流に人間論を理解したり民族論を自分で日本に適応する形で作り替え、それを彼らに流し、彼らも吸収する形をとっていた。だけど、朝鮮の情勢はもっと悪化していった。例えば、高麗ホテルに彼らが行ったら社会党や実業家などの日本人が来るわけですけど、そこで自由に話合いをしたりしていたが、九四、五年頃からそういうことができない状況になる。そういうことをやったらいけないとなるのです。しかも僕との関係についても、自粛させられる。田宮が生きていた頃は、まだ労働党に対する発言力もあったし、彼が怒鳴り込んだら言うことを聞いてくれていた。しかし亡くなってからは発言力が非常に弱くなっていく。そういう中で僕は自分の運動をやりながら、帰国運動を進めてきた。

後は『創』で書いたように、二〇〇〇年頃に彼らは帰国して静かに活動をやる、あるいは表面は穏健だけど直接は労働党の路線を外部注入していく路線になっていく。そうすると僕等との関係でいろいろと矛盾が出てくる。そのようになって意見が別れていく。しかし大きな路線は違わないのだから、「自主日本の会」と平壌の「自主日本を目指す会」を兄弟的な関係で別々にやって助け合っていけばいいということでやってきたわけです。その中で九・一七があり八尾さんの問題などもあり、自分自身もより自主的にやっていかなければいけないと思っていた。朝鮮が崩壊しようとしまいが、僕は自分の変革の路線を持ってゆくから、動揺しませんが、問題なのは彼らを今の状況の中でいかに助けるかということです。一時は子供たちや奥さんたちが帰ってきたから、その前に田中が。彼女らがやればいいと思っていたのですが、情勢がドラスチックに動き始めると、子供たちでは何もできないわけだから、それなりに僕たちが何とか助けなければいけないということで、『創』の提案をした。

この提案について説明させてもらうと、彼らは今年の七月に全員帰国という方針を出しており、その前に子供が三人帰ってきて、金子さんが帰って、それで小西さんが帰ってきている。僕はこれはいいことだと思うし、監獄に入ることになるだろうけども、田中は十二年の判決を受けているし、小西はそれを越えるだろう。それでもやはり日朝の関係の中でのどぼとけに刺さっている骨みたいにあるからこれを抜く、つまり朝鮮に行く決意をした時のように日本に帰って一種の人柱になって監獄に入る決意して日朝正常化することは僕は大いに賛成していた。しかし九・一七で拉致問題が前面に出る中で、自分たちは拉致問題に全く関わっていない、有本さんなんか知らないと言っている。そこで「帰らないこともあり得る」と言い出した。

僕の体験からすると、石岡さんについては小西さんに問うている。「オルグし切れなくて、労働党に任せた」と。つまり「手におえなくなる」ということを言っているのですが、、そのときは亡くなっているなどとは思い付かなかったし、安穏と暮らしていると思っていたが、「労働党に任せるなんておかしいじゃないか」とは言っていたが、それ以上は追求していなかった。

荒 それはいつの話ですか。

塩見 九六年頃、高沢とか「産経」が言ったいた頃です。

荒 じゃあ、九六年から塩見さんは知っていたのでしょ。拉致問題に関してよど号グループが絡んでいることを知っていたということでしょ。

塩見 拉致問題とは言わず「連れてきた問題」と言って欲しいよな。

荒 でもそういうことはないと、よど号グループも塩見さんも言っていたでしょ。

塩見 そんなことはない。革命のために同意で連れてくることは自然なことであり、アフターケアーの問題があるから、労働党が安穏に計らっている等と思っていたから、それ以上立ち入らず、内々に漏らす程度であった。ほかの人もその様に聴き、それ以上立ち入らなかった、と思っていた。岡本の時は「亡くなっていたわけだから、僕も弁護士と一緒に事情を聞こう」と膝詰めでやった訳だが、それとは性質が違うから、こんな具合の対応をしたのです。日本から拉致してきたという話は全く知らなかったし、朝鮮側の態度を聞き流す具合であった。

三上 塩見さんや荒さんにも聞きたいことは、ブントの第七回大会があって、六九年の四月の東大が落ちて、四・二八闘争でこてんぱんに敗北して、その後にブント内でいろいろと論争が起こったでしょ。あの段階で<塩見さんたちは軍事とか武装とかどんどん言い出し、それにつられてみんなも言い出した。そのとき僕らは三〇〇人ぐらいの突撃隊を作って突破口を開こうという議論をしていたでしょ。僕自身は九月の末にパクられちゃったからブントは赤軍派の色に染まっていくのだけども、そのときに本当にその段階で突破口を作れると思っていたのかどうか。僕はそのときにはどういうふうに後退させるかと思っていた。ここで僕が推察したのは、関西の全共闘運動は六九年の一月から始まっている。

塩見 周期がずれている。地方はもっとずれている。

三上 だからそれがフラストレーションになっていた。関西の全共闘運動は完全に政治的闘争だったでしょ。その分だけ、パルチも含めて関西の運動が非常に過激になるというのは基盤的にそうだったのではないか。東京で中大などを基盤にしていたとき、もうそんな基盤などないと感じていた。実際上六八年の闘争以上の突破はできないと思っていた。だから国際根拠地とか武装というもの非常に観念的なものに見えていた。そのことを最近ずっと振り返ってみると、もともとは六〇年安保闘争の六・一五から六・一八の過程の問題と非常によく似ているところがあるのではないかと思った。

塩見 似ているところはある。

三上 要するに六・一八で武装闘争をやれば新しい局面が開けたと言って、ブントはなぜその備えがないんだと島さんに批判されてブントはそれに答えられなくて、つぶれていくという過程です。僕が六・一五までの活動家たちを見ていると、「壮大なゼロ」とか敗北とか言っても、六・一八に武装闘争はできなかっただろうと思う。そのときに武装闘争ができなかったから「壮大なゼロ」と見るかどうかで、そこのところの評価で歴史観が別れたのではないか。島さんは『ブント私史』の最後のところでそれを批判した革通派を「できないくせに」ともう一回批判している。おそらく五〇年代の島さんたちの日本共産党の武装路線は明らかに中国や北朝鮮を含めたマルクス主義の武装闘争路線を日本に輸入したものであって、これは朝鮮戦争が終わった後に終わる。それ以降に六〇年安保まで継承された抵抗闘争というのは違う権力の課題を問題にしたのではないか。共産党型の武装闘争革命はいっぺんあそこで敗北した。僕は武装闘争が権力奪取に繋がるかということに関して疑問を持っていた。スペイン型の戦争も起こらないかも知れないと思っていた。ベトナム戦争のときにもアメリカの白人の連中がどれだけ本当に武装闘争をするのか非常に注目していた。フランスもそうです。まあ、アメリカにもフランスにもドイツにも武装闘争に行った連中も少しはいましたが基本的にはなかったのです。六〇年に示された抵抗は、壮大なゼロではなく、権力に対する新しい型を運動が出してきたということだったんだと思います。成果がないように見えてもくても違う形で生きた。その意義を僕らはその後大衆運動の中で継承するけれど、マルクス主義的な暴力革命論と結び付け過ぎた。それは間違っていたのであり、それが極端な形で出たのが塩見さんたちの六九年の四月以降だったと思う。

高橋 赤軍派の路線ですね。

荒 要するに政治過程論ということでしょ。

塩見 起こるか、起こらないかと言ったのんきな話ではなく「起こす」ということだ。実際ベトナム侵略戦争が終結する75年までは武装闘争の歴史的必然性はあった。沖縄闘争、三里塚闘争、各種ゲリラ闘争、日本赤軍の闘い、武装闘争は続いていました。

沢山の人人が武装闘争を闘い、獄でも多くの人々が死刑等極・重刑攻撃に屈せず不屈の闘いをしました。この結果ベトナム侵略は阻止され、憲法改悪などはされなかったし、この抵抗闘争の歴史は民衆の闘いの芯となります。闘いに犠牲は付き物で、こんなことは始めから覚悟の上です。この犠牲を体制側は惨めったらしく宣伝し、見せしめイベントをやるわけですが、民衆の側がそれに感染されなければどってことないのです。その為に連合赤軍問題等闘いの未熟性、不十分性、限界が正しく総括される必要があるのです。

 赤軍派や連合赤軍、その他の武装闘争者は日本人民の名誉を守ったと思っています。赤軍派等ブント系の武装闘争の戦士達はブントの最低限に必要とされる名誉を守ったと思っています。そうだからといって武装闘争とは別の形で闘った人たちを否定するつもりは全くない。様々な多様な闘いが互いに排斥し合わず、助け合い結合される必要があったと言うことです。

三上 塩見さんたちは六・一八のことを今度はやろうと思ったのではないかと思ったのです。その当時赤軍派を受け入れる気分があったということは分かる。その根底には最初の路線の問題が尾を引いて北朝鮮のよど号事件まで繋がっている。塩見さんたちには酷かも知れないけど、よど号事件と連合赤軍事件は基本的には無意識のうちにも五〇年代の日本共産党の武装闘争路線にシフトしたのではないか、あるいは毛沢東思想に転向したのではないか。

塩見 否定的意味でなく、反対に肯定的な意味で自分でもそう思うが、別に毛沢東思想派に転向してはいない。

連合赤軍問題は僕の思想、政治の責任を筆頭とするブントや新左翼の思想的弱さの現れであるが直接的には、赤軍派一部と革命左派一部の野合に直接的原因があることを押さえて於いて下さい。僕の問題は個人主義、実存主義です。

三上 それをもっと極端に言うと、革共同は五〇年代の党の路線に転向した。赤軍派は武装路線に転向した。だから六〇年代から七〇年代に全共闘が問題にしたこととは違ったものに向かった。僕がなぜそういうことが鮮明に見えるのかと言うと、たぶん全共闘の下からの大衆運動で粘っていたからではないか。その差がものすごくあって、京都の全共闘運動と東京の全共闘運動のの差は非常に大きかったかも知れない。今回の事件を通してみると、毛沢東路線を放棄しなかった北朝鮮の路線と赤軍派の路線が平壌で合流したのではないか。

塩見 それは全くの評論です。毛沢東思想とチュチェ思想は共通性もあるが、基本的にはそれぞれの民族の革命的民族思想だと言うことです。合流ではなく、過渡期世界論・「世界プロレタリアート」路線の“民族”とチュチェ思想を機軸にしての清算、更なる思想的飛躍です。これはいいことだと思う。問題は労働党の枠を出られ無かった、と言うことです。

荒 その話の前に、石岡さんの「拉致」の話を塩見さんは九六年には知っていたということを今回暴露したということです。朝鮮労働党はそのことを言っていない。言っていたのは高沢と八尾です。それに対して赤軍派の議長である塩見さんは実は石岡さんの問題は九六年にはあったということ言ったので、マスコミが飛びついたということだと思う。田宮たちが労働党党員に指導される事実上の朝鮮労働党の党員になっていったのは、八十年代のことでしょう。

塩見 そうじゃなくて自主革命党です。

荒 どちらでもいいのですが、つまりはキムイルソン革命を日本でやるということです。そして彼らは勧誘しながら日本革命をキムイルソン思想で進めようとした。そのときに優遇されながら、抵抗もできなかっただろうけども、実質上、朝鮮労働党の支配下に入っていった。彼らが朝鮮労働党にめんどうを見てもらって恩義があるからそういうふうになった。ぼくは現場の中で朝鮮労働党の支配下になる以外になかったというのはよく分かるし、思想を守るといっても人間はそのような状況におかれればそういうふうになるしかないだろうとも思う。ただ僕が疑問に思うのは、朝鮮労働党は認めていない、党の特殊機関がやったとしているにもかかわらず、なぜ塩見さんは救援者といいながらそういうことを暴くのか。

塩見 “暴く”と言うのは全くのマスコミ感覚で語弊がある。全体の流れから見れば提言をし、疑惑を問う、と言うことだ。貴方は僕なりの感触に属する記憶関係だけを取り出し、あれこれ推察するが、全体の趣旨を踏まえれば、とりわけ3人が亡くなっていることを踏まえれば、微妙な判断だが、判断して進んで行けば、全く原則的で自然な判断だと分かる。談合集団のなれ合い的感覚があるから、違和感を感じるのではないか。

貴方は小西さんの救援も日朝友好もやっていない人だし、まして有本さんの両親など念頭にないのでしょう。僕から言わせれば、そんな人が何で突然小西さんのことを慮ったことを突然言い出すのか、機関紙でかき立てるのか、意図は別にあるのでは。組織拡大の党派主義ではないのか。それが証拠には僕だけでなく、小西さんも機関紙で攻撃しているではないか。何でそんなにしゃしゃり出るのか。杉島さんの時も何だかんだ理由を付け、出張ってきた。その時のやり方と一緒ではないか。

このスタンスは「産経新聞」か「週間思潮」並のセンスでしかない。救援をやっている人たちは小西さん達や僕の態度に沈黙するか団結を呼びかけている。僕も反弾圧、反ガサの共闘を組んでいる。それこそ、何もしないのに余計な口出しをするな,と言いたい。

労働党も貴方の判断と違って他の関係については保留しているのだ。僕は単なる救援者でなく人民大衆に責任を持とうとする大義を実現せんとする変革者を一応看板にしているし、小西さん達は同志と思っている。これだけ説明して分からないのは思想的水準の問題と言わざるを得ない。

これは九・一七があって三人が亡くなっていることが発表されたとき、僕自身はどういう態度をとるべきなのか。僕はそこで黙っていていいのか。そこで義理人情の問題と公の問題、小義と大義の問題が出てくる。そこで考えたのはわれわれが拠って立つものとは何かということです。それはやはり民衆だし、僕の連赤総括の時にも人民が中心になってやらなければいけないということを骨身にしみて感じているわけだから、そういう面で見た場合に、彼らが亡くなっていると発表された場合、僕はどっちの側から問題を立てていくのかが問えば、やはり亡くなっているとされている人たち、つまり人民の側から問題を捉えざるを得ないのだ。その中で彼らとの友情を育んでいくと言うことだ。『新潮』で遠藤忠雄さんは九一、二年頃には有本さんは生きていた、いっしょに帰ろうとしていたという生存説を言っていましたが、もしそれが本当なら真剣に探すべきだ。そうでないと僕らの思想は腐ってしまう。それを黙認して、よど号グループだけを擁護しているというのは彼らを保守化させるだろうし、自分自身も保守化していくだろう。普通の救援者ならそれでいいかも知れない。少なくとも石岡さんに関しては僕が確認しているからそう言ったのであり、有本さんや松木さんに関しては知りません。僕は全員帰国という路線を出しているんだから、その上で知っているものは公にし、とるべき責任はとって、それ以上は労働党だということであって、労働党に全部任せて自分たちは知りませんというのはダメです。

荒 塩見さんの言っている人間観の中身の問題になると思うのだけど、彼らは「知らない」と言っているし、朝鮮労働党も認めていないことを塩見さんがわざわざ言う必要はないのではないか。それが塩見さんの人間観ということでしょ。あなたの人間観には不思議なところがあり、もともと知っていて、キムジョンイルが認めた、だから公にするというものであって、ヤバくなったから言っているにすぎないとしかぼくには思えないのだけれど。

塩見 中身は上述のとおりだ。貴方の推察は下司のの勘ぐり、と言うやつだ。

やばくなったから、逃げ出すって。俺はチュチェ思想支持はおろしてないし、君のように(キム・ジョンイル体制が崩壊することを祈ってない)し、小西さん等とは、いまの状況だからより同志的連帯を深めようとしている。これが「やばくなって逃げ出すことか」

三人が亡くなっていると発表される前、僕は彼らの救援と連帯をやっており、仮に僕が公然化すると、訪朝もできないし救援もできなくなる。

荒 それでいいじゃないですか。

塩見 何も分かっていない。三人が亡くなっているということが公にされていなかったならば、どっちかと言えば僕は彼らとの同志的友情を優先させますよ。これまで一貫して彼らとの連帯をとってきたし、岡本武さんのように亡くなっていることがはっきりしている場合には断固追求した、弁護士も連れていった。

三上 僕がもし塩見さんの立場だったら、僕の方針に従えとか提案するということはまずしないと思う。彼らが北朝鮮に行き、彼らは彼らなりにいろいろ苦労をし、いろいろ知っているかも知れない。だから彼らに任せればいいじゃない。

荒 僕もそう思う。なんで方針を出さなきゃいけないと思っているのかが理解できない。

三上 それでいいじゃない。それが普通の人間の仕方じゃない。

荒 それこそが塩見さんの持っている人間観の問題ではないのか。

塩見 「普通の人間」とは何なんだ。味岡さんも荒さんも僕と小西さんだけの関係しか見てない。目線がもう一つの石岡君の方に全然向いてない。いじめた息子の目線だけはあるが、いじめられた子の方には目線が行ってない母親のようなものだ。

荒 でも、「拉致」したということを言えば、逆に日本に帰れなくなるわけじゃないですか。

塩見 「拉致」じゃない、「ただ連れてきた」ということだ。

しかも状況が1つも分かっていない。なろうことなら、田中判決なお見れば残って欲しいと思っている。しかし、今の外交関係では無理に近く、自主帰国しなければ、犯人引き渡し要求がで、強制送還される。「連れてきた問題」も必ずフレームアップされる。

既に「結婚目的のための誘拐」が八尾証言で逮捕状が出されている。こんな事態だからフレームアップを先手で防ぎ潔白なら潔白の、そうでないなら陳謝し多少の関与は言えばよい。それでいなせばよい。しかしあくまで僕のは提言で専決権は彼らにあるのであり、彼らがどう動こうとも僕は彼らに連帯、救援するのだ。荒君などは党派主義だから僕が沈黙していれば、沈黙していたで、別のカードを持ち出し、「塩見はなぜ沈黙しているのだ。保身だ」とわめき立てるだろう。

荒 彼らが朝鮮労働党の「拉致」に手を貸していたということを、文脈的には塩見さんが認めたということでしょ。なんでそんなことをする「同志」がいるのかが理解できない。

塩見 わからん人だ。同志だからで、疑惑を提出しただけで、何の証拠にもならない。

荒 帰国問題が出てきたときに、彼らがそれを引き下げて帰国することが彼らにとって本当に有利なのかどうか。

塩見 「それを引き下げ」とは何のことだ。分かるように言って欲しい。

荒 あなたは自分は彼等の救援者だと言っているじゃないですか。

塩見 もうあほらしい。何度説明させるのだ。救援者でもあるが変革の大義者でもある。大義から考える、と言うことだ。

三上 塩見さんが赤軍派を作って彼らが同盟員であったという関係だけど、今は政治的な関係にはない。

塩見 今でも一番近しい同志的間柄だ。彼らが帰ってきて監獄に入ろうと、本当の意味で朝鮮労働党から離れたところで連帯できるようにこれまで討論してきが、それは実現できると考えている。だから僕は一貫して帰ってこいと言っているし、どんな犠牲を払っても帰ってこいと言っている、それが今後の展望を切り開くと考えている。

荒 そういうことと「暴く」ことは違うでしょ。

塩見 「暴く」と言うような攻撃的言葉をつかったのは君の方で僕はそう言う言葉を使ってくれるな、と最初に言ったではないか。自分が、自分の甲良に合わせて塩見像を勝手に作っておいて、自縄自縛に陥っているのだ。

荒 「拉致」があったと朝鮮労働党が言っている場合にも、朝鮮労働党の特殊機関がやったと言っているだけで、よど号グループがやったとは言っていないんですよ。

塩見 彼らだって、「自分たちはやった」と言っているだけで「自分たちだけがやった」とは言っていない。だから荒君の言っていることは、朝鮮労働党がかぶっていてくれているのだから、よど号グループがかぶる必要はない、それを塩見が言うのはおかしいじゃないかということでしょ。まあ、簡単に言えば労働との侠気にささやかな侠気で答える、と言うことだ。

荒 それだけではなくて、塩見さん自身が四十回も北朝鮮に行って、あなた自身にも朝鮮労働党にも恩義があるでしょ。あなたはどこでも評価されないのに、北朝鮮では評価されたんでしょ。それでいい気持になって四十回も行ったんでしょ。

塩見 どうも同じことを何度も繰り返すのは検事か査問のやり方に似ているが、貴方はこんな調子で組織内で査問してるのではなかろうな。これは冗談として、それにこれは関係ない荒さんの嫉妬とも言えるものではないか。

 かってにさらせだ。

荒 そうじゃなければ四十回も普通行かないよ。

塩見 何を言っているんだ、彼らとの連帯のために行っているんだ

荒 じゃあ、連帯って何ですか。

塩見 自主思想を日本で実行するということです。九・一七までは僕は優先順位として彼らの人権を考えるということを中心にすればよかった。三人については気掛かりであったけども、基本的には安穏だと思っていたし、彼ら自身もそうだろうと思っていた。しかし彼らは九・一七が終わって三日間ぐらいたっても一切のコメントを出さなかった。つまり彼らは亡くなっていることを知らなかったということです。

荒 知らなかったら、別にそれでいいじゃないですか。

三上 それは彼らがいずれ言うことであって、塩見さんが言うことじゃないですよ。もし僕が”>塩見さんの立場で彼らを守ってあげようと思ったならば、そのためにできる範囲の援助をするだろうけど??

塩見 守ることの内容が問題なんだ。

三上 塩見さんが指導者だったのかどうか知らないけども、北朝鮮の路線がどうだったかと批判することと、そこで生きた人間がどういうふうに生きてきたのかことに対してあなた自身がごく普通の感覚で分けて評価できないからですよ。人間は政治的のものだけのために生きているわけじゃないんですよ。

塩見 『創』と『週間朝日』で言っているように、彼らが生きるためにいろいろな妥協をして生きてきたということをおもんばかって、そういう思いがあるからこそ、これからの救援もするだろうし連帯をやっていくんだ。

荒 そういった塩見さんの人間観が僕には理解できません。

連赤の同志殺しがあったけども、そういう問題と北朝鮮において日本人が殺されているかも知れないという問題があるけども、この二つは関係していないのですか。

塩見 日本人が殺されている!何のことなのだ。関係無いことだろう。

荒 では両方とも赤軍が関係しているとは思わないんですか。

塩見 先ず君が問題にしているのは何のことかをはっきりさせたまえ。赤軍派じゃない。労働党のことか。

荒 じゃあ、赤軍派はスターリン主義ということではないですか。

塩見 違う。何を問題にしているのか、それをハッキリさせたまえ。

荒 でも内ゲバ的なものを引き起こしたでしょ。たとえば六十九年の七月のさらぎ議長リンチ事件とか。

塩見 確かに実際僕もいろいろと過ちを侵し自己批判したが、別党路線は決してとらなかった。これは僕の誇りだ。連合派は僕らが自己批判し復帰を求めたのに、排除し、分裂を固定化した。君らだってKさんの事件ら問題を起こしたであろうし、味岡さん等だって望月の件や藤本の件だってある。

高橋 もちろんそれは当事者の立場では重要なことであるとは思いますが、ここではもうちょっと北朝鮮の問題、そこまで到るブントの歴史の問題などいろいろと重なり合ってはいると思うのですが、二十世紀社会主義の問題、スターリン主義の問題があり、それらの経験の尾を引きずる形で二一世紀の冒頭に、今回北朝鮮の問題が改めてわれわれに二〇世紀の社会主義やスターリン主義とは何だったのかという問題を突き付けた。しかもそれはいかに二十世紀が非人間的な時代だったということを示しており、そういったことをどうやって克服しながら二一世紀を開くのかという課題を残している。

荒 カルトの組織化ではそれは無理だということが示された。もう少しつけ加えて言えば、自分でいいと思っている理念をワアワア言えばそれでもう自分は良いんだと思っている、そんな絶対善の世界などまったく嘘っぱちだということが、実際の歴史の中で証明されたということだと思うけど。

高橋 今日もいろいろな議論が出てきて、三上さんは、こう言うと怒られるかも知れないけど、平準化された国民国家の枠組の中で市民的な個人ものへ文化なり政治なりのあり方の構造をなだらかに着地させていくという考え方なのかなと。

三上 ちょっとちがうけどね。

高橋 荒さんの場合、マルクス主義なり二〇世紀の社会主義からの根本的な克服が必要だろうということ。

塩見 克服はいいけど、どういう原理で克服するのか荒さんは言っていない。

荒 原理というのはないということ。原理主義の時代は終わったんです。

塩見 スターリン主義についてももっと突っ込むべきだ。

高橋 塩見さんは塩見さんなりに二十世紀の社会主義にそれなりに固執してそこから考えている。

塩見 僕が二〇世紀の社会主義に固執しているように見えますか。それはぜんぜん違います。

高橋 そういうところで、北朝鮮の拉致の問題はアウシュヴィッツにも繋がっているしスターリンのラーゲリにも繋がっているしカンボジアにおけるポルポトの大虐殺にも繋がっているし、それからベトナムと中国との社会主義同士の大規模な武力衝突など、二〇世紀に起こった様々な問題の一連の中に入れてみなければいけない問題でもあるわけです。そういうところで最終的に三人の方からお伺いしたい。

荒 権力を目指す運動の持っている弊害がいろいろな形で出てくるということであって、人間が権力を組織するときの宿命みたいなものが今回の問題でも現れている。そしてこのようなことは今後も続くでしょう。それを人間は克服できないでしょう。宗教などもそれを克服しようとしましたが、やはりできなかった。完全な人間もいないし、理想の人間にもなれない、高い道徳にも立てない。それを前提にしながら、どのように闘っていくのかということを考えるしかないとぼくは思ってますが。

高橋 それが荒さんの言う多様性ということですね。

荒 どの道徳が高くてどの道徳が低いなど決められない。自分が高いと思っている人間は低いとみなされている人間を改造しようとします。そういうような運動は終わったのです。しかし矛盾と闘うことはできる。だから住民運動はこれからも続く。

 この鼎談そのものについていうと、北朝鮮が拉致を認めた九・一七をどう考えるのかの討論をするために今日は来たのですが、情勢をどう把握するのかみたいな話ばかりで討論がカラ回りしていますよね。塩見さんは世の中はああなってるとか、こうすべきだとか、どうしてこんなに観念的で理念的な話ばかりが好きなんでしょうかね。読まされる側もうんざりだとは思わないのですかね。

高橋 昔流の言い方で言えば、最大限綱領主義は捨てなければいけないということですね。三上 荒君の言うことと基本的には同じなんですけど、理想的な人間は必要ない、だから存在している人間が持つ価値と多様性をごく当たり前に認められるということです。だから僕らが普通に生きている視線でいろんなことを考えられるか、昔、吉本さんは大衆の原像と言っていましたが、それは大事なことです。これはイデオロギーと言うよりも僕らが生きている中で持っている知恵とか感受性みたいなものです。人間が生きていく中でいろんなことを経験する。われわれは二十代でマルクス主義を学んですべて世界を分かったような気になったが、全くそうではないということをちゃんとできるかどうかです。もう一つは、権力の問題で僕が言っているのは、荒君はその弊害は克服できないと言っていますが、それを克服するためには権力の概念をちゃんと考え抜くことです。三島由紀夫は言論の自由を認めると言っていましたが、当時左翼は言論の自由など言わなかったんです。改めてそこだけは三島はすごいなと思いました。生産のためには権力が必要なのだし、問題なのはどういう関係の中で権力が成立しているのかをしっかり見ていくことです。そこで自由とか抵抗とか自立が非常に重要になる。権力の構成はたえず変容していくのだから、それを見なければいけない。われわれは自由とか自立とか抵抗を重要視してきたのですが、それをもう一回権力概念に取り込んでいかなければならない。戦争や宗教や文化の問題、いろいろあるけども、そういったところからもう一回詰めてみたい。マルクス主義みたいに一挙に世界のことをしたりするのではなく、課題ごとに考えて、分かっているところで分かってみるというのでいいのではないかと思います。 

塩見 荒さんや三上さんと似たようなところもあるし違うところもあります。七五年にベトナムが勝利するまで、マルクス主義は不完全ではあったけども歴史的な意義があったと思う。その頃までは資本制帝国主義下での搾取があって、極端な経済的不平等と無権利があって、特に植民地体制に集中していた。まず何よりも経済の解放というところで動く時代でした。しかし植民地体制が終わって、奴隷だった人も資本主義化して市民社会が成立する時代に入って人間の要求が高くなっていると僕は見ているのですが、そういう中での国家や暴力の問題、つまりは中央集権党の問題だと思うのですが、権力は魔性を持っている。暴力の問題でいうと、エンゲルスがいうように「歴史の助産婦である」という側面もありますが、だけども連赤を考えると暴力をやって人も殺して自分も死ぬというように「狂」「悪霊」の世界に入り込む。この暴力の本性に対して、僕は“軍事の自然発生性”と言ってきたんだけども、これと闘えるのかどうかという問題です。僕は闘えると思う。人間の自主という本性をしっかり踏まえ、関係性を変えて行く努力です。それらの問題をマルクス主義の場合、特にレーニンだけど、中央集権党というプロ独を達成するためのいわば職業革命家の集団を作って闘った。最初はロシアでの非民主的な専制的な体制の中でできた理論ですが、しかしロシア革命を達成した後、それが前衛党の組織論となった。確かにそれは強力な力にはなったが、同時に組織悪が蔓延するという問題が起こった。組織と個人の関係が決定的な問題になるというのは二〇世紀にわれわれは経験しました。国家権力の魔性、暴力の「狂」「悪霊性」、中央集権党の非人間性、組織悪を乗り越えていくということが、二〇世紀から二一世紀に到るにあたって問題になっている。これらの問題は基本的にマルクス主義を源に発生していると思います。そうするとマルクス主義の人間観がやはり問題ではなかったのか。初期マルクス主義は疎外論を言っていますが、しかしそれは前近代的な宗教的な人間論でしかなく、その後の「社会関係の総体」というのは近代市民社会の階級社会の人間観です。関係性について言っているのはいいのですけど「関係性の総体」の内容はハッキリされていないから、結局人は階級に所属していると言っているにすぎない。唯物論か観念論かの次元ではこの程度の人間論になる。それに対して、人間を世界との関係で定めれば、人間は本質的に世界に対して自主性を持った社会的存在であるという形で、それぞれの個性もあればそれぞれの役どころがあって、それを延ばしていくことがいい社会を作り、いい関係を作っていくというふうに規定し直さおされる。

荒さんは不断に抵抗してやらなければいけない、結論はないと言いますが、僕はそんなにニヒリズムになる必要はないと思う。不断に人間関係を変えて、不断に共同体を変えていく努力こそがいいのであって、それがすぐ暴力革命とかプロ独とか次の社会とならなくてもいいし、現実の資本主義の様々な矛盾を解決していくことになればいい。階級闘争は相対化されて考えられればいい。むしろ人民という概念の中で人間というものが一番で、何も労働者だからということで実体主義的に革命的であるということにはならないし、ブルジョワジーということで非人間的だということにも必ずしもならない。階級からすぐ敵味方を演繹する思考ではなく、人間がどれだけ関係性を変えていい関係を築いてきたのかというところから見て、連帯を行ない、変革の基本を定めるべきだと思います。

三上 今日の話で議論したかったこととして、戦争と革命の問題があります。革命と戦争を結び付けた革命戦争論がやはり問題だったのではないか。アジア的近代国家の特殊性として、対抗的な形で国家を形成してきたから軍事型の国家になって、どうしても軍隊が中心にならざるを得なくなったことがある。そういう条件下で革命と戦争を結びつけると革命は貧困なイメージになりますね。

高橋 二〇世紀の総力戦体制の問題かも知れませんが、戦争が総力戦化していくことと戦争と革命が地続きになることは第一次大戦の過程の中で表裏一体の問題だった。

塩見 戦争というのは暴力であって、人を殺すということであって、革命も殺すということでしょ。そうではなくて僕は「殺さない」ということを最大の価値として、そこにおいてしか人間の自主性は伸びないと思う。 (終わり)

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