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「Yさんへの手紙」

2005年 9月 10日
                    塩見孝也



 メールありがとうございます。

 この、2〜3ヶ月貴方とお会いできていません。

 その間、表面は別にして、大分落ち込みかかっていましたが、秋が来ると、気合が入ってきます。

 今、相当気合が入っています。

 これは、毎年のことです。

 普通、春に「鬱」になり、夏ごろからペースが上がってゆくのですが、今年は、5月まで馬鹿元気で、その分6月〜7月と「鬱」が遅れてやってきたようです。



 選挙の馬鹿騒ぎにはうんざりしていると同時に、「引かれものの小唄」しか歌えず、歯軋りばかりしている自分が残念です。

 家族は、選挙区で「民主」にいれ、比例区で、社民党に入れるようです。

 僕も、一時その気になっていたのですが、今は、とてもその気にもなれません。

 ご了解のように、別に民主党を支持しているわけでありませんが「12月、自衛隊撤兵」を公約し、「小泉に勝たせたくない」この1点で、こう対応する人は多いです。

 が、他方真面目に反戦運動ら民衆運動をやっている人には「棄権」が多くなっています。

 「ブルジョア代議制民主主義の茶番劇」の評価も絡んできますが、それ以上に、気分として、この選挙を、正直、とても受け入れられないのではないでしょうか?

 僕も棄権となると思います。

 投票すると、奴等の思想に取り込まれ、自らのいい加減さ、汚れとしての「体制に飼われてしまった牙を抜かれかかっている己」をいやおう無く認識せざる、を得ないからでしょう。

 70年闘争を闘った人々は、どんな人も、思想的に、根底から、構えなおさなければ前に進めなくなっているのではないでしょうか?

 正直、革命党の必用を痛感します。



 僕の周りは、重信さん無期論告求公判、よど号グループの動き、「赤」の仲間達との再団結の諸行動、民族派の団結、沢口友美さんの応援、そして一昨日の見沢知廉さんの、残念な限りの死去、と喧騒です。

 少さな事件かも知れませんが、僕の知人の鹿砦社の松岡利康代表(旧同志社大学社学同)が阪神タイガーズの経営陣を「名誉毀損した」として、逮捕され、今も拘留中です。神戸地裁で10月15日第1回公判となります。

 6月か7月の逮捕なのに、驚いたことに未だ拘留中で、接見禁止中なのです。

 これは、現今の「三多摩自衛官宅ビラ入れ弾圧事件」「共謀罪制定」らと連関する、出版・言論・思想の自由弾圧の風潮の一環です。出来る限り、応援してやろうと思います。

 小出版社関係はこういう動きで戦々恐々とせざるを得ません。

 「流体協」は即座に抗議声明を発しています。月刊「創」も取り上げています。

 このような、政治反動、民主主義破壊には、見過ごさず、一瞬の油断も見せず、反撃すべきと、思っていますが、全く油断も隙もない世の中です。



 最近、福井晴敏の著作を読んでいます。

 「亡国のイージス」の映画を見て、興味を持ちました。急いで、この原作や「終戦のローレライ」「川の深さは」「Twelve Y.O.」ら読みました。

 僕のパトリ思想と重なる綺麗な素晴らしい、感激的な思想、感性もふんだんに見受けられのですが、他方で感覚的な点で危険なものも感じ、いろいろ研究中です。

 権力構造や戦後思想の流れ、息子と同じ世代の文学やエンタテイメントの能力、技術を知るには非常に貴重な作家と思いました。

 どんな経歴の人で、自衛隊や権力などとはどんなかかわりをしているか、も興味があります。



 「よど号グループの帰国カンパ」の回状を、よど号女性たちと組み、回している人がいます。

 しかし、全般的に見て、胡散臭さ、せっかくまとまり始めている「赤」の再団結の機運に水を差し、亀裂を拡大せんとする危険を感じています。

 これまでの、「赤」の不団結は「赤」以外の他党派(荒派とか諸ブント系グループ)の介入だったのですが、それが治まりかけると、今度は外国の党の権威を呼び込んで、亀裂を固定化する行動が現れ始めた、と言えます。

 よど号グループの一部は、自分は帰国しないのに、「帰国する」と同情心を煽り、コネを作り、相変わらずの外国からのリモコン政治をやろうとして、意識的にこの亀裂を拡大しようとしています。

 世界のことを念頭に置きつつも、先ず日本のこと、日本の民衆のこと、それを通じた世界や人類、外国のことを考える思考回路でなく、外国の権勢を如何に自分の国に広めるか、で頭の中が一杯なのですから、全てが手段を選ばぬ利用主義となります。

 困ったことです。

 これを、意識して、人の善意に付け込み、欺瞞を振りまきつつ、やっているのが度し難いです。

 又、これに、自分、国や民族、民衆の自主性など忘れ、外国の権勢にぶら下がろうとする一人の「赤」の日和見主義、武闘清算主義者が呼応しているのは残念なのことです。

 この人は自分の言葉も思想も持ってないで、相変わらず「賃金奴隷制反対!」とか「排外主義反対!」「労働運動の組織化」とか、紋きり口上の「言葉だけのマルクス主義」を振り回しています。

 彼は、上にクソが付くほどの真面目なマルクス・レーニン主義者で、連赤以降も、組織の専従を通してコミュニストです。

 反面、融通もロマン、思想史や文化などお呼びでないカチカチの「マルクス護教論者」という言葉がぴったりの人です。

 かつて若き日は、「赤(アカ)の軍の副指導者」で、大菩薩軍事訓練の指揮官であった人が、当時の気概を忘れ去り、この上も無く貴重な「赤」の行動と絆を、蔑視する錯乱をやっているわけです。

 僕等「赤」は連赤問題以降、たとえそれがイソップの言葉のきらいもふくんではいたものの、根底で大いなる自負心を持ちつつ、止む無く自己批判をやり続けなければなりませんでしたが、そこには満腔の矜持があり、挽回のための自己批判という基本線がありました。

 自己批判は、確かに「イソップの言葉」の面もありましたが、根元に満腔の矜持がありました。

 しかし、彼は、その矜持、絆の大切さを清算主義の赴くところで、忘れかかっています。

 僕は、もう一度彼と論戦する中で、この一番大切なものを呼び覚ましてやろうと思っています。



 2005年 9月 10日