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日本従属帝国主義とそこから引き出される
反米愛国統一戦線について
(A氏への手紙より)

2006年 2月 8日

                    塩見孝也

(一)挨拶

Aさん、いかがお暮らしですか。ご家族に大事はないでしょうか?僕は元気です。

 ご意見伺いへの、丁寧なご返事ありがとうございます。

他ならぬAさんの意見なので慎重に考えました。

 総合的な結論的観点から言えば、反米統一戦線・左右連合の統一戦線戦術は全く、時宜に適してますが、マルクス主義コミュニストの最大限綱領、世界社会主義、世界同時革命、社会主義革命、世界・日本プロレタリア統一戦線創出の努力、比重をより強める必要も、同時に感じています。

 プロレタリア統一戦線と反米愛国統一戦線の一個二重遂行、ということです。

 僕の統一戦線の戦術、思想についての見解は、誤解を招く点は、後、あの文章を、検討し、若干校正したりしましたが、貴方の意見を斟酌しても、本質的な点で全く変わりません。そればかりか、長年の主張を、より、包括的、理論的に展開でき、科学的根拠を獲得し、より一層確信を得つつあります。

例の小文に関しては、若干校正し、もっと論旨を鮮明にしたものを添付します。又、1・29の僕のスピーチのレジュメも添付します。どうか、お暇な時、お読み下さい。


(二)1・29集会の若干の報告

この点を説明する前に、先日あった1・29集会の報告をしておきます。

1・29日、旧関西ブントの指導者で、「ドイツ・イディオロギー」から「世界同時革命」を引用し、党内闘争を止揚せんとした人である、中嶋鎮夫さんの論文集「プロレタリア独裁への道」の復刻の記念集会がありました。

京都・同志社の新島譲記念会館でやりました。

 今も頑張っている関西ブント系の活動家やかつての指導者、東京のブント系の各派、人士、80名が集まり、原則的な討論をやりました。左派、右派ない交ぜ、コミュニスト、非コミュニスト・非マルキストない交ぜでしたが、レーニンが第一次世界大戦中、召集し、主催した、ツインメルトワルト左派の集会に匹敵するような方向性が作られた点で、成果をあげたと思っています。

 これから、左派の交流、連携、ブントの実質的再建の方向が、密になってゆけば、と思います。そうします。

集会では、僕は、現実の世界と日本のグローバリズム社会の変化に対して、中嶋さんの主張であった「世界プロレタリア独裁・世界社会主義」の理念的、政治的方向を堅持しつつ、したがって「世界革命・世界プロレタリア統一戦線」を基本ヘゲモニーとした、当面人民大衆中心の世界平和・人類福祉の世界諸民族連邦、人民大衆中心の国際、国内反米統一戦線(日本では、反安保・反改憲の反米愛国統一戦線、「反安保・反改憲」の国民会議の各地、各所での発起、設立し、各所に創ってゆく)を提起したかったのです。

反米愛国統一戦線について、徹底的な肯定的支持もでませんでしたが、反対意見も出ませんでした。みんな考慮中、という所でした。


(三)革命家としての基本理念を保持し、活動しています

このスピーチからしても、この原則綱領、というか最大限綱領を、僕は今でも堅持しています。決して、清算していません。

 若し、Aさんが、この点を誤解しておられるとすれば、全くの僕の不徳の致すところと思っています。

 何故なら、この点を、僕は、意識的に主張するよりは、これまでの主張は、他の主張、行動もしているのですが、「反米統一戦線―左右連合」に重心を置いているように振舞っていたかからです。

 これからは、最大限綱領を堅持していることを、「統一戦線」の主張とともに、何らかの形を取りつつですが、ぐっと押し出してゆこうと思っています。

しかし、最大限綱領や国際主義、第三世界の反米帝、反帝国主義の闘いについて、全力投球はしていませんが、全く、軽視はしていなかったこと、は次のことでも了解下さい。

イ:  「世界社会フォーラム」の評価、如何なる権威、権勢にも独立・自主の世界の民衆の自主的な国際会議の重視

ロ:  パレスチナ解放、PFLP−旧日本赤軍の連帯関係を重視し、これを、反弾圧・重信さん、和光さんの救援としてやっていること、2.11集会の実行委員会に参加し、集会でもスピーチします。2.23重信判決公判は頑張るつもりです。

ハ:  木村さん等のイラク・バース党の連帯を重信さんらの連帯とは質、水準の相違のスタンスですが、これも重視し、連携しています。

ニ:  S君追悼、植垣君結婚祝福など、赤軍派系同志たちとの連帯強化、ブント系同志たちとの連帯強化ら、僕の出来ることは、それなりにやってきたつもりです。



(四)日本独占資本主義の「従属帝国主義」としての特性とそこから引き出される執権勢力や右翼の動向や統一戦線戦術とは?その見通しとは?

1、日本従属帝国主義論の歴史とその内容とは?

従属帝国主義としての日本帝国主義とそこから引き出せる統一戦線戦術について、まず、「日本従属帝国主義」の政治経済構造の特質から考えます。

日本帝国主義は、奇妙な帝国主義でもあります。

 僕は、これをずっと前から「従属帝国主義」と命名し、従来の新左翼、ブントらの「日本帝国主義打倒!社会主義革命、安保粉砕!」の路線を補充、付加するものとして、日共系とは違った観点で、詰まり「日本社会主義革命」を補充、強化するものとして、「反米愛国・民主主義の徹底遂行」の民族自主、民主主義のモーメントがあることを強調してきました。

 「民主主義の徹底」は、皆が承認するところですが、前者の社会主義革命の中での「反米愛国論」は、物議を醸し、留保され続けてきました。

 これは、日共流の「ブルジョア革命の未完結」といった内容も含んでいますが、その性質より、本質的には、「社会主義革命の愛国論」という、原理的、原則的議論を内包しているからです。

 しかし、50年代高野派の論客、清水慎三の「民族解放・社会主義革命」論や日共内部の、高島善弥の「反米愛国・社会主義革命」、或いは神山茂男のその種の論など、鋭い問題提起はあったのです。

 この、「従属帝国主義」という命名は、日本共産党の上田耕一郎氏が、共産党流の二段階戦略の路線の枠内ながら、最初に使ったと記憶しています。

 何故、「民族解放」が高度に発達した、最新の日本独占資本主義の体制下で問題になるのでしょう。

 何故なら、日本帝国主義は、米帝国主義との帝国主義間戦争に敗れ、占領、支配されて以降、下部構造的には、独占資本主義、帝国主義を復活させたものの、本質的には、今も、占領が継続され、その権力は、アメリカ帝国主義の隷属下、支配下にあるからです。日帝権力は対米従属権力といえます。

自衛隊は完全に米軍の指揮下にあり、世界支配戦略・国内支配戦略、作戦、装備、将校、兵員育成訓練らは完全に、アメリカの指導権で、アメリカ式です。 

アメリカの産軍複合体と日本の兵器生産、軍事経済はリンクしています。エネルギーや食料を押さえられていることも至明です。グローバリズムの進展の中で、金融構造は質的変化し、これを通じて、資本参加の面でも米国資本が、これまで以上に、強烈に参画してきています。同時に、かつてのソロスらに見られるスケールアップした金融的術策としての錬金術の高度化が、世界経済に、より、国際的流動性、虚構性と寄生性を付加してきています。

 自民党ら執権勢力が、完全にアメリカのポチであることは言わずもがなです。

彼等は、戦前の帝国主義間戦争の戦争責任と、そこでの敗戦責任を取ることを放棄し、反「共産主義」、後の「冷戦」勝利のため、煎じ詰めれば、保命のため「国体護持=天皇制防衛」を名文に、アメリカ帝国主義に、完全に屈服し、売国者となり、(なり)振り構わず、延命しました。

 「極東裁判」という、帝国主義の勝者がその敗者を裁く、茶番の儀式を受け入れてゆきました。この、売国とそれを通じた反動、帝国主義の保全の構造が、戦後日本とその偽善性、二枚舌性を、決定したといえます。

国際的に、日本執権勢力がアメリカの世界戦略にピッタリ従いながら、行動しているのもあきらかなことです。

彼らは、敗戦直後、アメ帝に屈服し、ブルジョア的意味合いでの、独立自負心を失い、その忠実な配下となり、売国の帝国主義者に成り下がったわけです。

ブントや構造改革系経済学者が、かつて50年代末、主張した、「日本帝国主義復活、自立化」の主張は、半分正しく、半分間違っていたと、総括されます。つまり、下部構造、経済(学)的には、独占資本主義、高度に発達した、最も現代的な、最新の資本制帝国主義として日本独占資本主義は復活したが、自立はせず、依然米帝国主義の占領、従属下にあるということです。

そして、従属することによって、否、従属することによってしか、侵略、覇権を実現し得ない帝国主義に復活したわけです。

この事実は、これらの経済学者が、敗戦直後、日本の政治・経済・文化にわたる執権勢力が、マッカーサーら占領軍を介し、政治的にも、経済的にも、文化的にも、その背骨をへし折られ、屈服したという、決定的ともいえる政治的事実をしっかり見ていなかったことにあります。ブントも叉そうであったのでした。

日本帝国主義は、従属帝国主義、従属覇権の帝国主義といえます。


 2、従属帝国主義の権力構造の特質とは?

ブントは、日本帝国主義の権力分析は、「日帝復活論」から、「日帝自立論」を経て、フランスのドゴールのような純粋「自立権力」を単純に想定していましたが、しかし、その権力が、経済要求から、常に自立志向を孕みつつも、又常にアメリカにそれが、押さえ込まれ、従属勢力が執権するという、特異で、複雑な権力構造になっていることは見極めきれていませんでした。

日本共産党は、アメリカの権力支配、従属化から、“「日本帝国主義の復活はありえない”、と最初考え、今は「二つの敵」論の「従属独占資本主義論」ですが、一時は、「奇形的な植民地型独占資本主義」なる主張すらしました。

これは、ソ連や中国らの外国の権勢・権威に、32テーゼに典型なように、戦前から輩跪し、従属してきた、日本コミュニストの弱点的伝統に由来しています。

 「自分の頭、自分の言葉で物事を考えられない」これまでの、日本コミュニストの抜きがたい自主性のなさの宿命性に由来しています。

さて、ここでは、「官僚派と党人派の対立」とか、「田中角栄が飛ばされた意義の議論」とか、いろんな議論が噴出しましたが、ここでは、執権勢力、経済グループが本質的には二つの勢力、「従属派」と「自立派」に別れ、確執する構造があることが確認されれば良いと思います。

経済復活を強めれば強めるほど、逆に、隷属を深めるという構造で、従属派が主流派となり、執権するわけです。

これは、EU下のドイツと違って、中国、ベトナム、朝鮮、そしてかつてのソ連の衣鉢を継いだロシアの存在という国際的存在条件とも関係しています。

この上に、滔滔と「アメリカ式グローバル・スタンダード」が浸透し、民衆への搾取、収奪が続き、同時に日本社会の文化、倫理、伝統らをめちゃめちゃにしているわけです。

このことは冷戦体制下では、目立ちませんでしたが、それが終焉した90年代以降、極めて明白となっています。

日本の長期不況は、アメリカ帝国主義の日本主要打撃作戦によるところ大です。 


 3、今一つの権力構造の特質とは?右翼勢力の分化、再編はどうなっているか?

さて、ここから、政治的にどんな結論が引き出されるでしょうか?

 日本独占資本は、アメリカ帝国主義の圧迫からの経済危機の更なる進展からして、アメリカ従属派と対米自立派の矛盾が激化し、前者は「アメリカの、一州になっても、従来の対米従属権力を維持する」「より近代化、よりアメリカ式グローバリズム化、市場経済至上」を追求せんとする派と、「アメリカとの対決は回避したいが、経済回復のためには、“背に腹は変えられず”で中国らアジア市場を有望視し、中国らアジアとは共生したい。そのためには脱米、離米、情況の如何によっては抗米もあり」という派に分裂してゆく、ということです。

 この兆候は、年頭論文でも仔細に分析し、特に、中国の、最近の、経済離陸、内包的、外延的膨張という時代を経て、さらに進展してきています。

あれに、二つほど、付加しておきます。

遺族会が古賀派に牛耳られ、靖国参拝に慎重であることやアメリカの指令の下、自己=アメ帝に将来敵対する可能性のある天皇主義原理主義者達を壊滅させるための、小泉が「皇室典範の改正」に直進していること、らにも現れています。僕等は、この改正に、敢えては反対せず、ですが、この小泉の政治的意図が何処にあるかは、しっかり見ておくべきです。

それは今回の「郵政法案選挙」の「選挙大勝」に見られる如く、政治済的、軍事的に総合すれば、前者は圧倒的に有利だが、愛国主義という点では、売国主義で、経済的にも、文化的にも、もはや、ますます、行き詰まり、不利となって行きつつあります。

彼等の、決定的弱点は、事大主義としては、今は主流派で、可なりの未来、そうでしょうが、精神的、理念的、思想的基礎を持ってないことで、極めて実利主義のプラグマチズム、便宜主義でしかないということです。

このために、自らの弱点を補うために、便宜主義的に、いまは、保守反動という意味合いにおいて、超過激になりつつある、日本型ネオコン勢力を加えてリニューアルされつつある、伝統的な保守でもある右翼に迎合し、中国らアジアからの批判にも耳を貸さず、靖国参拝らで、妥協して、取り込んでゆかなければならないわけです。

従属派保守主流は、自らの弱点を補うものとして、自らの鬼っ子としての右翼を、常に許容し、取り込み続けなければならないわけです。彼等をのさばらせ、放任しておかなければならないわけです。

彼らの展望は、アメリカ帝国主義の中東侵略の更なる拡大の大博打、イラン侵略ら大軍事的冒険主義などではないでしょうか。

さて、以上の構図の中で、いわゆる保守・右翼潮流がどのような状態にあり、今、分化、再編の状態にあるか、を見てゆきましょう。

中曽根改憲私案が、今回の自民党改憲草案では削除されました。まず、これに彼等は大不満です。

旧中曽根グループら日本自立を(特に思想的自立を)志向する保守右翼潮流に、元日共党員学者、「新しい教科書問題を考える会」藤岡氏や「拉致家族を救う会」の佐藤氏や元早大全共闘の周辺に居た「」社長等、左翼から右翼に、この80年代転向してきた、日本型ネオコン勢力が流れ込んで、右翼勢力はリニューアルされてきています。

これら、「桜」グループ、或いは「諸君」「正論」などに典型の最反動、最保守のグループ、つまり、「失地回復」派グループは、従属主義、売国主義に不満を持ちつつも、これまで主流従属派に包摂されてきていました。

しかし、彼等は、敗戦直後、権力主流が、保身、保命、延命から、やすやすと、アメ帝に身を売った無節操について、かかる宿痾の売国主義の道義的弱点を「極東裁判」批判らで非難し続ける点で、自民党の鬼っ子といえるポジションを確保しています。しかも、それを、彼等が切り札として、主流従属派に自覚的に使っていることもしっかり押さえておくべきでしょう。

この勢力は、とりわけ、冷戦終焉以降、「拉致問題」らを通し、急激にのしてき、旧型戦前型天皇主義原理主義勢力と融合しつつ、自民党の精神構造に少なからぬ、無視できない影響を与えてきました。

そして、この「失地回復」派の最保守派のより所、思想的核の一つが「男系天皇死守」らを含む天皇主義原理主義であり、「天皇をカミ化し、それを頭に戴く、“天壌無窮”の“国体”」「八紘一宇」を復活させ、戦前型全体主義、超国家主義への回帰しようとするわけです。

或いは、その切り札が、ウルトラCの唯軍事主義、軍事的冒険主義の対米、対中国二正面対峙の「日本核武装化論」でもあるのも、彼等の思想の然らしむる所でもあります。

かれらが、極端な反アジア、反中国らアジア人蔑視の民族差別、他民族排外主義の、反共主義者であることは明白です。

かくて、小泉首相が「アメリカンスタンダードの従属日本」と「反共・反アジア、超国家主義の超保守派」の2潮流、2勢力に、前者を軸にして、二本足的に立脚するボナパリストである、といえることはお分かり願えるでしょう。

さて、いま少し、この「失地回復」派について敷衍します。

彼等は、如何に白日の夢を追っているかわ、数の問題や写真のあやふやさを言い立て、「南京大虐殺は無かった」、「盧溝橋の一発は、中共軍=紅軍が、日本軍と国民党軍を開戦させるためのものだった」「リットン調査団の報告書では満州国建国について、でっち上げ、侵略とは言ってない」ら、「鬼面、人を驚かす」暴論の“歴史の偽造”を平然と言うことでも明らかです。

この種のデマは、「ポツダム宣言の受諾は、無条件降伏ではなく、軍のみの受諾であった。政府は、無条件降伏は、国体を護持したから、していない」にも、見られます。

30年代、著しくなった、体制翼賛の雰囲気の中で、「満州建国」は「世界最終戦争(日米帝国主義戦争)」を既に、洞察していた、板垣征四郎・石原莞爾らの謀略、関東軍の川本未守中尉等の爆破事件組織らの独走らであったことは、戦後検証された歴史的事実を、隠した戦前の新聞報道のそのままを歴史的事実の如く、再度そのまま復刻せんとする歴史の偽造です。

 これらを、藤岡氏のような知的ブレーンが、いかにも学問的裏づけがある如く、装い、でっち上げるところに日本型ネヲコンの特徴があります。

しかし、この天皇主義原理主義や日本独自核武装論は、アメリカ帝国主義のもっとも嫌うところで、絶対的に許さないところです。

それゆえ、将来自己の刃向かう天皇主義原理主義潮流を壊滅させるべく、アメリカ帝国主義は、小泉を使って、「皇室典範の早期改正」を進めることとなって来たのです。

このことが、新たに、執権勢力内部の矛盾を激化させてもいることも確かです。

自民党は、そもそも、かかる、徹底対米従属派と臥薪嘗胆の「失地回復」派、そして、ある種のアジア・「社会主義」許容のリベラルな開明自立派の3グループの寄り合い所帯で成立してきたわけです。

そして、この政治的3ブロック連合が、今や、日本経済の不況からの未脱出という経済的要因故に、その縫合力が、アメリカの無理難題の隷属化要求、他方での中国の台頭という国際条件の中で、軋み始め、失われつつあるとところに、日本の政治危機の直接原因、契機があります。

だが、決定的に注目すべきことは、他方で、ネオコン右翼の対極に、80年代、左翼の後退の中で、冷戦下で、新左翼・全共闘運動と対立していた右翼の中から、僕等の「反帝・反スターリン主義」に似通う、天皇主義は掲げるものの「ヤルタ・ポッダム体制の打破」を掲げる潮流が生まれました。

それが、新右翼と称される潮流です。

彼等は、アメリカグローバリズムの深まり、アメリカ一極支配の全面化の中で、世界と日本の民族運動に立脚して、極端な超保守も含めた保守的性格を、未だ、部分的に内包していますが、「反共」より、「反帝」を優先する、「反米民族主義」を掲げます。

国と民族の進路、在り様を、彼等とは全く違うパラダイムから模索する民族派潮流が、右翼の中から、「新右翼」と称して、生まれてきたわけです。

まだまだ、動揺的で、一方で「反米」、他方で、幾らかは「親資本主義」の二面性を持ち、徹底した人民大衆中心主義ではありませんが、この潮流が一水会ら鈴木さん、木村さんら、故見沢知廉氏らの潮流です。彼等は、朝鮮にも行き、イラク・フセイン・バース党とも連携し、僕などを始めとするブント系ら左翼とも連携し、僕などとは固い反米愛国の統一戦線の契りを結んでいます。

 尚、故沢口友美さんに、少し触れて置くなら、彼女こそ、左右連合・反米愛国統一戦線創出にむけての、未だ感覚的であったが、中道・中庸の星であった人です。

呉に生まれ、自衛隊に入隊しながら、その保守性に見切りをつけ脱隊し、踊り子、ストリッパーとして自立しました。

 その後、鈴木邦男さんらと近しくなりましたが、自主・自立の人で、その志向は、その後の、幾度ものイラク訪問、最後の塩見らも加わった、空爆一ヶ月前のイラク訪問を経て、その後、「キム・ジョンイル氏と直談判し、拉致問題、核問題、国交正常化らの解決の道を民間交流で、拓かん」とした塩見や鈴木をリーダーとする「白船平和義士団」の運動に参画しました。
 他方では「風組日本党」(風俗業・自由業従事者のための組合)の運動も、その前から、やっていました。

 彼女は、左右とも付き合いを深める、進化する人として、左右を超越した、自主、自立のパトリオットになった人でした。

 この意味で、彼女は、左右連合、反米愛国統一戦線のシンボル的存在に、自己脱皮して行った人といえます。

 沢口さんは、惜しいかな、被爆二世の宿痾としてか、白血病を発病し、闘病や僕達の応援の甲斐なく、この一月十日、亡くなりました。誠に残念なことですが、彼女の生き様、スピリット、遺志を受け継ぐ「第2、第3の沢口」が必ず、無数に登場してくるものと、僕は信じています。

 何故なら、彼女こそは、先述しましたように、左右の連合を繋ぐ、星であったからです。

さて、元に戻ります。

彼等が、掲げる「失地回復」の愛国心は、「桜」らが掲げる「失地回復」とは全く思想的に違い、僕などが掲げる伝統の堅守と革新、“脱伝統”の観点から、僕も意見一致する、天皇の京都遷宮などを主張し、又、僕などが掲げる、「パトリオティズム」の愛国心に−もちろん、未だ雑炊の一人一党的ではありますが−多く重なるところがあります。

要するに、右翼は冷戦終焉後、ネオコン的要素を加えた、リニューアルした極右の脱米、離米、反米を孕んだ、しかし、「嫌いキライも好きのうち」で、本質的には親米である、主要敵を、アジア民衆、民族、アジア「社会主義」に置く、日米安保堅守の「日本文化チャンネル、桜」的な日本型ネオコンの反共保守潮流と一水会的反米愛国の新右翼潮流に分化・再編されつつある、ということです。

 「失地回復」派にも、大別すれば、二つの潮流があるということです。

ところで、肝心要の天皇家が、単純にネオコン「原理主義者」の言うとおりに動かないことは注目に値します。

このことは、天皇家自身の、身をもっての戦前の体験的総括に根ざし、それが、民間から選ばれた二人の后妃である、美智子さん、雅子さんら皇族女性に人格的には体現されているからです。

今、雅子さんは、あらゆる、複雑な政治的諸関係の中で闘っておられると思います。このことを、我々民衆は、小泉的意図とは別の視角、主権在民の象徴的天皇主義の「脱構築」の視角から、しっかりと見守り、手助けして行く必要があります。

 天皇、天皇家、「天皇制」らの問題は、別途稿を改めて展開しますが、天皇家が、天皇主義原理主義者の思い通りにならないことだけは、ここでは指摘しておきます。

さて後者の経済自立、自主派です。

 彼等の背骨は経済合理主義が基調です。比較的開明的で、中国らアジアとの「東洋のEU,新大東亜共栄圏」の経済的展望を描いています。しかし、政治力は相当あるが、権力、軍事力は比較的弱く、それ故、未だ強い確固たる政治勢力とはなっていませんが、したがって、思い切った政治決断は出来ませんが、道理と道義に、独占資本主義勢力主義の中では、相対的には、一番立脚していることは確かです。

その潮流が、「小泉大勝」を経て、経団連会長や読売元社主、現会長渡辺氏等のように、経済合理主義から「正論」「諸君」と真っ向から論争を開始し始めているのです。

結局、決定的に、我々が、自覚的に、しっかり押さえておかなければならないことは、次のことです。

彼らが、この政治的要求を実現しようとすれば、プロレタリアートら勤労民衆の平和と民主義の要求、生活改善の要求、アジア・世界との共生要求を受け入れ、民衆の力を借りる以外に、自己を貫徹できません。つまり、民衆との連合のために、可なりの改革的妥協、そして、民衆側の的確な対応と力があれば、相当な自己変革を行う可能性と現実性があるということです。

以上が、反米愛国統一戦線の可能性の経済的、政治的基礎といえるものです。


 4、反米愛国統一戦線の初歩的実践とその実際、その未来についての若干の予測 

 日本の政治危機、そして体制的危機は、まず不況の更なる継続、深化を基礎に、独占資本主義(独占資本、大資本、中小大資本)自身の日本の進路をめぐる分裂、抗争としての政治危機から始まります。

僕等左翼は、国と民族の進路、在り様をめぐる、執権派勢力の分化、再編に対して、蚊帳の外にあって、化石となって、「マルクス主義護教論」に安住せず、マルクス主義を創造的に発展(超克)させ、民族論を獲得し、「現代の民衆の愛国論」を構築し、反米愛国の一大統一戦線の作り出し、そのリーダーシップを実現してゆかなければなりません。

 戦前の32テーゼ的愚を二度と犯してはなりません。

なぜなら、今、我が祖国は、決定的な、国と民族の進路、在り様を、日本近・現代史において、明治維新直後、30年代前後、終戦期、そして現在と4度目としての、歴史的選択の岐路に立って居ます。

それ故、この中で、日本民衆が、この課題に勝利し、正しい解答を獲得してゆかねばならないこと、民族と国の運命を、その主人となって自らの運命として、切り拓いてゆかなければなりません。

 執権勢力や、保守反動右翼のみが、「国や民族の運命を語る」常連で、この特権を彼等のみが有しているとするのは、とんでもない誤りです。

主権を持つ日本民衆が、国と民族について、その進路と在り様について、第一番に発言する権利と責任があります。

国と民族の進路、在り様、運命から、その正しい措定から、階級闘争の在り様も考えなければならないのです。

 勤労民衆大衆こそが「真の愛国心とは何か」、「民族とは何か」を真剣に考え、発言する必要があるのです。

かかる、執権勢力、右翼の分化、再編の事態、構図が、日本民衆の平和への希求、アジアとの共生、或いは真の愛国主義(パトリオティズム、愛郷主義)やアジアの戦争責任追及によって、阻まれ、複雑なねじれ現象を呈し、今後、執権勢力内部の権力構造、関係に複雑な化学変化をこうむらせてゆくようにしなければならないし、又必ずそうなって行きます。

 日本の政治危機、そして体制的危機は、まず不況の更なる継続、深化を基礎に、独占資本主義(独占資本、大資本、中小大資本)の日本の進路をめぐる分裂、抗争から始まります。

 我々民衆は、まずは、我々、左翼のブントら新左翼諸潮流、社民党や日本共産党が、一方では、マルクス主義の創造的発展、超克を成し遂げつつ、他方では、反安保、反改憲のしっかりとした共闘体制を築きつつ、自民党や民主党内の自立派、親アジア分子、勢力との連携を射程にして、近くは、左翼文化人はもちろんのこと、西部邁氏や小林よしのり氏ら反米文化人、諸反米右翼文化人等との誼を広げてゆく必要があります。

 この、共闘の中で、対米報復主義や他民族排外主義を批判し、歴史認識の過ちや不完全を指摘し、国際主義を語り、この人々の、思想的政治的偏向も改めてもらうようにしなければなりません。

既に、出来上がり、行動をかなり共にしている鈴木さんや木村さんら一水会との共同の初歩的実践は、反米愛国統一戦線の胚種であり、その可能性を予兆する、実に貴重な成果です。

この人々を始めとする新「右翼」潮流とは一層強い絆を結び、彼らが、民族主義勢力の下からの牽引分子になるように、連合して行くべきです。

諸民族派勢力の群小の党派、グループも丁寧にしっかりとした「反米愛国」にオルグしてゆくべきです。

統一戦線は、全く世界観、認識方法の違う勢力が、差し当たっての共通の敵に対しての共通の利害から、共通の行動綱領を定め、共同行動を実行することです。

 世界観の一致は、差し当たっては、基本的に望むべくもありませんし、それは間違いです。これまで、敵対しあっていた、政治勢力が、その敵対性に終止符を打ち、共通の敵、アメリカ帝国主義と日本従属勢力に対して、共同の戦線を張る、ことが何よりも重要なことです。

 しかし、このような、試みは、中国抗日統一戦線やフランス人民戦線ら現に実現され、存在し、中国では、決定的成功を見ています。

だから、人民勢力の政治的力、能力があれば、そして、真の愛国心が正しく定立され、それを、真にラジカルに追及してゆけば、統一戦線は実現されます。

 そこでは、共闘しつつも、時には対立、内ゲバも起こること無きにしも非づです。それを上手く、調整する統一戦線指導部の能力が要求されます。

また、もっと豊かな思想力があれば、彼らを、人民主義者に変えられることも部分的にはあります。つまり、中国の抗日統一戦線の後、内戦が展開されたような形に成るか、否かは、今の日本では、やってみないとわからない、ということでもあります。

ならない、可能性が可なりある、と僕は思っています。 

日本人の特質から、こういった可能性も引き出されないことも無いのですが、ここでは省略します。

 いずれにしても、このような統一戦線が成長してゆけば、民衆、国民は大きな希望を描けるようになり、広範な人々が、人類平和・福祉、生活向上、政治的権利拡大、教育の改善、環境や「人間の壊れの危険からの解放」らを求め、この統一戦線に参加し、日本社会の雰囲気を根本的に変えてゆく、ことが考えられるということです。

ここが、大切なのです。

 この統一戦線は何処まで、行くでしょうか?日米安保破棄、アジア・世界との共生までは行きます。

 この過程で、資本に民衆が轡を嵌められるだけの政治勢力を形成して行くなら、中国らアジアとの「東洋のEU(人民大衆中心の“新大東亜共栄圏”)」の具体的方向が見えてきます。

そうでなく、自立独占資本中心であれば、情況は不透明となり、革命的民族派、社会革命派は弾圧されたり、右翼民族主義勢力は、動揺し、社会革命派と行を共にする人々と、弾圧の側に回る人々に分解する、ことなども考えられます。 

何故なら、自立独占派は、帝国主義的性格と人民的性格の二重性を帯び、普段に振り子のように動揺する存在であるからです。

 この反革命の動きを封じ込む力が人民の側にあれば、反米愛国の闘いは、連続的に社会主義的性格、社会革命、維新に展開していきます。

 これらのことを、グローバリズム資本制の現代世界、最新の現代資本制社会である、日本社会、ネグリ言うところの「マルティチュード」的性格も持った複雑な現代の、しかしながら、紛れも無く、賃金奴隷である、労働者階級を主体、中心として、情報社会で貫徹してゆくことです。

 グラムシなどが言う「陣地戦」を、遥かに越えた、知的で道徳的ヘゲモニーを持って、高度な情報戦も孕んだ、より高度な陣地戦が要求される現代日本社会で、これを、貫徹して行かなければなりません。正に、現代の革命の何たるか、が問われるのです。

正に、現代革命!八木沢二郎さんなどには、民族派として、もっと頑張ってもらわなければなりません。

 しかし、「自立派」の将来との関係を予測するよりは、当面の主敵、小泉ら従属派勢力との真っ向からの対決する統一戦線の実現が最肝要なのではないでしょうか?

永続革命です。その永続革命のプロセスの中で、人民大衆派、真の愛国派が確固たる地位を占めることが大切です。だからこそ、最初に述べた、世界社会主義、プロレタリア統一戦線のヘゲモニーが反米愛国統一戦線の創出と同時に、独自に最初から一個二重に組織されてゆかなければならないのです。

それ故、ブントの実質的再建に着手することが急務となっているわけです。