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* 一 水 会 講 演 

「朝 鮮 の 運 命 を 占 う」


(↓ 7月30日 訪朝義士団の説明にて熱弁を振るう塩見さん)

 僕の演題は、「朝鮮の運命を占う」ということで朝鮮が今どうなっているのか、それとの関係で日本、あるいは日本人はどうしたらいいのか、ということだと思います。

★ 今の日本の状況というのはイラクで米軍が一応軍事的な勝利をするということもありまして、「勝てば官軍、負ければ賊軍」というか「勝ち馬に乗る」といった風潮です。こんなのはまったく日和見主義で、いわば付け焼刃のネオコン風潮と言えます。他方でほんの一握りと言えますが、朝鮮盲従主義というか「チェチェ主義者」もいらっしゃる。いずれにしても主体的に今の状況を捉えるには日本人としての自主性をもつことが必要不可欠です。言い換えれば、九・二のミズーリ号調印(降伏調印)あるいは、東京裁判、あるいは片面講和という形で日本人がアメリカによって民族的な主体性、つまり背骨をへし折られてきたという問題の負債が今現れているということです。

 一言で言って今の日本は昨年の九月一七日の首脳会談に向け光が差し込め始めた、と思ったら、拉致問題で一挙に暗転し、「“朝鮮憎し”の一億総ヒステリー」状況に陥ったと言えます。 あの後イラク問題なんかが加わり、「九・一七」なんかはとうの昔の幻のような存在と見られているんですね。朝鮮の方もまた、こういう日本やアメリカの情況に核武装で対抗する、とか、で極東はにわかに冷戦構造が復活した様相を呈しているわけです。

 日朝関係は最悪のどん底状態で、「敵視か友好か」を更にボトムダウンして「戦争するか、戦争をしないか」の様相となっているわけです。こんな軍拡の倍倍ゲームで突っ張りあいが進む現状を踏まえるなら、九・一七から、あと二ヵ月後にして一年を迎える今、僕らは九・一七が何であったのか、かを真剣に考え、今後の日朝関係をどういうふうに進めていくのか、を考えていく必要があると思うわけです。

 九・一七というのはご承知のように日本側が戦争・植民地化の問題を自己批判してそれに対する賠償とか経済交流をするとか、安全保障・核の問題についても非核で、一応相互の安全を保障するという方向で文書が書かれている。あるいは経済協力についてもっと全面的にやろう、国交正常化に最終的に持っていこうというふうに、ほぼ日朝関係に横たわっていた明治維新以降の朝鮮問題の大筋の根本解決の方向が確認されています。こういうことは戦後の日朝関係史においてはなかったことで、一九六五年に韓国と日韓条約を結んだ時には「『北朝鮮』という国は存在しない国」で、朝鮮半島に存在する、唯一の正当な国家は韓国である」というような認識も修正されています。このことに対応しつつ、金正日氏の方から八組十三人の拉致があったということを認めて、これは朝鮮側に非があるとし、正当な措置をとりたい、という発言が出たわけです。

★スターリン主義国家には、「指導者は“無謬の人”であって、その党も“無謬の党”である」という神話が付きまとう。

 そのスターリン主義国である、朝鮮国の最高指導者が初めて日本人に対して自己批判したわけです。その過ちは断じて黙過出来ない重大極まるものですが、それでもそれを率直に認めたということは朝鮮労働党にも一応の可能性が残されている、ことを意味し、金正日氏の発言は大局から見たら非常に良いことだと僕は思っている。

従来朝鮮人と韓国人は日本人に対して戦前の侵略戦争・植民地化をもって、戦後は「戦勝国の人間」という形で優越感を持ち、それをひけらかすところがあり、逆に日本人の方は贖罪意識をもって対するという事態が続いたわけですが、今回のことでは、やっぱり在日の朝鮮人の側もショックだったし、日本人の側は、朝鮮人も同じように過ちを犯すんだ、ということで、初めて双方が「(自分を)普通の民族だ」と自覚し、お互いの痛みを理解しあっていく、と言う相互理解の回路が開かれ始めた、と思っています。

 ところが、今は、それが行き過ぎて今度は日本人の方が開き直って「それ見たことか」という形で「朝鮮人はやはりどうしようもない、制裁すべきだ」という極論にワープしています。こんなのはとんでもない、アホな事態と言えます。
 一時的にそういうことが起こっても、いずれは沈静化して日朝両民族が冷静になって民族としての自主・平等の関係性を理解して行きます。

★アメリカは戦争を仕掛けるか?しかけられない。仕掛けない。

 一年経ってどうしたらいいのかを日朝両国民と指導者は問題にし始めている。
 そういう状況の中で大筋の朝鮮を取巻く情勢、米朝関係、日朝関係はどうなのかと見てみますと、「イラクでアメリカは勝った、だから今度はその余勢を駆って朝鮮をにやっつける」という素人考えが出ています。また朝鮮は「ほっておいても潰れるような腐敗した、弱い国」という意見もマスコミ漬けのせいで、跋扈しています。したがって、「アメリカが北朝鮮を攻撃すれば、朝鮮はひとたまりもなく解体する」「いけいけドンドンだ」というわけです。

 このようなアホな考えを二つに分けて冷静に検討してみましょう。
 先ず「アメリカは朝鮮に戦争を仕掛けるか」です。答えは「仕掛けられない。仕掛けない」です。アメリカは非常にドライで合理的な国ですから金にならないことはやらないんです。イラクは金になる対象であるけれども、朝鮮は金になる対象ではない。そこへ膨大な軍事と人命を費やしてやるというのは考えられない。そういう点で見ると、声高にブッシュは北朝鮮への発言をしていますけれど、経済的な合理性からいって、やらないと思います。それからもう一つは朝鮮の軍事力というのは常識から見ると旧式の武装であるから今のアメリカのハイテク化されたものでなら、こてんぱんにやれるのは確かですけれど、いざ戦争が始まったら朝鮮も玉砕覚悟でやります。そうするとソウルとか、南に進撃してそこで巨大な被害が出るというのが確実です。それが分かっていて米軍と韓国軍が正面きって戦争するかといえばやらないと思うんですね。アメリカの本筋は中東の石油を軸にして中東での覇権を確立する、イスラムも思想的にも解体するというところにあり、それで手一杯であって、アメリカはやれると吹いていますが、イラクでもまだ十二万人くらいの兵士が釘付けにされ、アフガンでも二、三万からもっと多い兵士が釘付けにされて、日々ゲリラ戦で犠牲が出、泥沼情況です。かかる事態で同時に朝鮮を加え、二戦線で戦争するのは普通の軍事的観点からは考えられないんです。

 勿論クリントン政権とブッシュの政権は、大いに違うので隙あらば絶えず軍事的重圧を掛けつつ、疲弊化させ、打倒することを狙うでしょうが、それは戦争とは違います。

 戦争は、一撃で北朝鮮軍をやっつけられるという保証がない限りできない相談であって、今の状況なら先制攻撃といっても情報は必ずわかりますから、北朝鮮としても玉砕覚悟でミサイル攻撃や南進をはかるし、たとえそれが極めて短期間であったとしても甚大な被害が出るというのはよく知られている。更に韓国民衆は絶対に同胞同士で戦争をやりたくないと考えているし、盧武鉉大統領も勿論そういう考え方をしているわけですし、中国・ロシアという近接の大国もそれを望んでいない。日本も第一次とは被害が量質で全然違うから大局望まない。

 そうなると、中東・イラクで戦争を仕掛けた地政学的関係・国際的な関係とは全く違いますから、アメリカは「やるぞやるぞ」と脅しはしますが、しかし脅すだけでやりません。本当の狙いは朝鮮を常に槍玉に挙げながら日本と韓国と台湾をアメリカの下に引きつけて、従属を継続させるということです。核の引き金はきちんと持って、軍事の指揮体系はきちんと握って、従属体制を強化せんとする。

 そのシステムの中でTMDで日本にミサイルを売りつければ大金がアメリカに入るわけであって、そういうことこそ狙っている。だから「いつも朝鮮を悪者にしたて、やるぞやるぞと吹き上げているのが戦略だけれども、結局はやらない、やれない」というのがアメリカだと思います。

★じゃあ朝鮮が潰れるか?潰れない。

 勿論飢餓なんかの問題がテレビで採りあげられていますがそれは少なくとも七、八割は正しいと思います。政治の問題として考えると、国民が飢えたから国家がすぐ崩壊するかというと、そんなことはない。国家崩壊の根本は国家の理念、国是が崩壊したら崩壊するということです。

 そこで朝鮮のそれは何かというと@アメリカに主権を認めさせることA南北に分断された民族を統一する、ということですよね。この国是を否定し去ることは、民衆には出来ないから、結局民衆はあらゆる犠牲、損失を歯を食い縛って堪えざるを得ない。そういうわけで我々日本人から見たら絶対主義的な王になっているような金正日氏の「奇怪極まるアジア的専制の独裁体制」を耐え忍んでいるが、反抗はしないのです。

 この国是を揺らがせれば、朝鮮国はすぐにも崩壊しますが、これを頑迷、姑息であれ首脳部が離さない限りは朝鮮国は潰れない、となるわけです。

 東大教授の和田春樹氏なんかはちょっと奇妙な規定をしているわけです。一つは朝鮮は「パルチザン国家」だという規定をする。要するに抗日戦争以来のゲリラ戦の延長線上に国家と社会を組織されているという主張です。日本軍国主義との闘いに勝利し、更にその後の朝鮮戦争ー向こうで言う「大祖国解放戦争」ーでも「世界一の強大帝国主義・アメリカとの戦争での勝利した」という歴史認識が子供の頃からたたき込まれ、牢固としている。「例え玉砕してもアメリカ許すまじ」こおいうことで「パルチザン国家である」と言っているんです。

 和田春樹氏は他方では全体主義的な、極めてアジア的封建制の濃いい「国家社会主義」だと、いわば「ファシズム国家だ」ということも言っています。一方でパルチザン的な革命戦争国家的性格があり、他方では全体主義国家だと言う矛盾した言い方です。この両義性、矛盾はパルチザン戦争理念と国際情勢やスターリン主義の影響、そして後で述べる「民族や社会に於ける首領の必要性を首領絶対化・絶対主義的首領制にねじ曲げた」主体的要因などのアマルガムからくる、ねじれ現象と言えます。

 国家社会主義的側面が真贋ない交ぜで、日本ではメチャメチャにこの側面が宣伝される。じゃあパルチザン的な性格がないかといったら、やっぱりこの側面に拮抗し、あると思うんです。

 朝鮮革命史に対する評価はいろいろありますが、一九三〇年代に金日成氏達のみが抗日パルチザンを組織したというのが伝説となっていますが、これは間違いにせよ、抗日パルチザンを組織した人の中でも金日成氏が傑出した優秀で指導能力をもっていたのはポチョンボ戦闘や民政団事件の処理などからして事実ではないかとかと思っています。 ただしあの頃は中国の紅軍の一部としてのパルチザンで、中国東北部(旧「満州」)の一部で頑張っていたわけ。一九三〇年代後半に金日成氏も含めて朝鮮のパルチザンは日本軍に粉砕されてバラバラにされてみんな殺されていくわけですけど、たまたま氏のみはソ連のほうに逃げて生き延びた。ただし逃げて そのまま何もせずソ連軍と一緒に一九四五年に朝鮮に帰ったかというと、そうではなく、白頭山の裏側や東北三州のあたりをソ連領と往来し、少人数でゲリラ隊を組織し、闘いを継続していたわけです。

この「継続」で膨大な朝鮮青年とのつながりを維持したことがその後の影響力、権威となるわけです。和田春樹氏は朝鮮革命史の専門家であるけれど、そういう評価は僕とほぼ一致しているわけです。そうすると朝鮮人民軍がある程度まで若手を中心にして作られていって、それが戦後ソ連軍と結合しながら入って北半分を抑えたという事実になるんですけれども、パルチザンの伝統のようなものを金日成達がが吹きまわって、その頃各地で同じように戦ってきた様々な人々の中で、戦後金日成氏に対する敬意が拡大してきたわけです。若きパルチザンの連中が徐々に力をつけて朝鮮の革命勢力を牛耳り、彼らより年上で更に権威、影響力があった南労党,朴敬殖や中国派、ソ連派その他の甲山派らをおいのけ、それを党的、国家的にもにも確認して行くわけです。だからパルチザン国家と規定するのもわらないことはないのです。

ただ問題なのは金日成氏ははるかに毛沢東やホー・チ・ミンより年齢が低くて、三十五歳くらいでスターリンにかわいがられてソ連軍に入ったのも事実であるし、ソ連軍をバックにして権力を握っていたのも事実であるわけで、その思想が固まりきらない若き時代にスターリン主義の影響も非常に受けている存在で、毛沢東やホー・チ・ミンとは思想形成の仕方が違うところがあるのです。毛はスターリンとコミンテルン内部で思想闘争をしながら自分で長征をやり、自力で闘って中国共産党を作っていった。

 その辺の違いは明らかですが、パルチザン路線を今の労働党が基本的な旗にしながら守ってき、それを国是としていった場合、それを内部から批判する内部勢力、価値観は登場しえない、と言う状況があるということです。そういう点で朝鮮は国是自身を自らが否定、清算しない限り崩壊しないのです。ただ泣き所は飢餓、経済の問題とかファッショ的な統制、抑圧、人民を軽視する粛清を武器とする専制政治、国際的孤立の問題等が付きまといます。

 特に五六年にフルシチョフがスターリン批判をした時に、東欧諸国が全てフルシチョフに右へ倣え、でそれまでのスターリン主義指導者を全部放逐していくということをしたのに比し、中国と朝鮮はそれとは全くの別の対応をしました。毛沢東はフルシチョフのスターリン批判・個人崇拝批判に対してどう対応したかというと、「自分は個人崇拝は反対である、ので自分から自分自身を個人崇拝せよ、という指令を出したことはない。しかし人には尊敬したい気持ちがあるのでその尊敬したい気持ちを止めろというのはおかしいといってきた。」と言って「個人崇拝の悪弊を直すのはいいことだから大いにやりたまえ」と二年間くらいソ連派の毛沢東批判をやらせる。そうしておいて、その後右派と規定し「反右派闘争」を呼びかけ、やっつけてしまうわけです。

 朝鮮はどうだっかというと、「スターリン批判はとんでもない。スターリン個人崇拝はもっともっとやるべきであって、今までが柔らか過ぎたためにフルシチョフのような人物が現れてしまった」という形で個人崇拝を肯定し、それを「指導者絶対化」というところまで高め上げて、フルシチョフ派の影響を絶つ、という党内闘争、粛清のやり方を初めから採るわけです。それでフルシチョフと組んだソ連派と中国派の二派を粛清をするんです。僕はここで朝鮮労働党の一番の決定的な問題が生まれた、と思うんです。民族や人民に首領がいることは絶対に必要だけれど、それを、その首領の絶対化、神格化に高め、「首領制」として制度化するのは決定的に違います。

 しかし金日成氏は、朝鮮は個人崇拝を徹底してやるべきで、つまり金日成の下に一丸になって結束しなければいかんのだという形で打ち出して、神格化を図っていく。これが「世襲制」等を生み出したし、一時はそれによってガッチリまとまったけれど長い目で見たら民族・民衆の総合力、指導者の適応能力を萎えさせていったと考えられます。

 ただ一方で見ておかなければならないのは朝鮮は中国という大国、ソ連という大国によって分裂させられてはならない、米国や日本という帝国主義大国と対峙するという地政学的、歴史事情があり、民族が一丸となっていかなければいかんという民族的使命感が極度に強く、この点では他の国とは違った非常な結束力が要求されるんです。この点から「首領論」が「歴史的社会的存在としての“民族”を“社会政治生命体”と見なし、 その首領を、その脳髄と規定する」ような、観念論的にゴジラ化されていく、事態もうまれることも頭に入れておかなければなりません。

 さらに、日本人の目から見ると極めてファシズムというか全体主義に映るけれど、実は朝鮮の歴史から見ると日本人が思うほど朝鮮人はそれを不自然とは思っていないということも考えていただきたいんです。朝鮮は九五年、九六年、九七年と飢餓があって災害があってたくさんの人が死んだようなときに亡命した人が今「(北朝鮮での生活は)苦しかった」と発言しているのであって、それ以降はある程度まで食べられるようになりつつあるのです。

★南北の連邦制の胎動

 アメリカは朝鮮の主権を認めるか、という問題ですが、朝鮮がギリギリのところで飢餓や餓死も覚悟し、なりふり構わず主権と民族の統一を実現して行く姿勢を堅守するなら、戦争ですぐ潰すこともままならないとなれば、最後は認めていくような形になることも考えられる、と思います。

こういう観点で、韓国と朝鮮の関係を見てみますと七〇年代後半ぐらいから経済的な力関係が逆転し始めて、変わっていっているという状況です。しかし韓国は朝鮮を「勝共・吸収統一」する方向を持っているかというと、軍事政権時代と違い、民主化運動が発展し、資本主義が自由に発展して活性化していく段階に至り、むしろアメリカのグローバリズム、覇権主義、従属化支配の矛盾が増大し、“民族”と“人間”がキーコンセプトとなっている段階ではこの路線は旧式となり、不要なっています。まして金大中氏・盧武鉉氏という形で太陽政策を採っている大統領が二代にわたって選出されているわけで、韓国民衆はこんな対応を全体的に見れば、しません。

 韓国は北朝鮮に経済援助しながら資本主義近代化を要求するわけですが、北朝鮮の武力やその党と国家の結束を前にした場合、簡単に解体できない、ことを知っていますから、連邦制を長期に展望しながら進んでいくでしょう。連邦制は2000年の金大中氏と金正日氏の会談でも確認されているし、この流れで「一国二制(資本主義と社会主義)」の連邦制、これを通じた民族の統一の路線が大勢となります。

ここで「南」では米軍の存在を無くして行く問題が試金石となります。一方「北」ではアメリカに主権を認めさせると同時に連邦制においては個人崇拝あるいは「首領制」という形のな独裁体制を解体して、一九四九年頃までとっていた南北の統一選挙のような事態に適用して行くことが問われ、「北」、朝鮮は一方で「先軍政治」の軍事力強化を追求しつつ、他方ではそれを自己否定して行く、アンビバレンツなアクロバット的改革をやっていかなければならない。そこが「北」の試金石となります。
★日本、日本人はどうすべきか

 たくさんの課題があり、またそれを幾つかに絞ってもそこへは深く立ち入らねばなりません。
 演題の主要部分は既に語ったので、この課題は絞って、はしおって、結論的に述べるに止めます。
一は日本人と、朝鮮人の歴史的、「近親的」な関係をどう捉えるか。
二はここから出る、アジア主義、とりわけ西郷隆盛等のそれをどう捉えるか。
三は欧米、分けても米英との関係をどう捉え、対処するか、です。 

1,日本と朝鮮人(「南」「北」)は文化的、血縁的にも、地政学的にも「近親」で、それが近親憎悪の覇権主義的関係に陥ると不幸と疲弊が訪れ、この近親性を活かし合うと繁栄する、と言う教訓です。

2,ここから、西郷のアジア主義の意義など深く考えるべき、と思う。

 日朝の歴史を見ると戦争の時期は少なくて、近代以前は特別な時以外は朝鮮人と日本人は血縁的にも似ているし、悪い関係ではなかったんです。これは中国、漢族との関係しと比較すれば一目瞭然です。七世紀頃までは朝鮮半島から臍の緒が切れていなくて朝鮮半島の政治に規定されながら日本の政治も動いていたんです。それではいかんとそれ以降に日本国は朝鮮半島から分離して国家としての自立していく形をとったわけです。それ以降も朝鮮使が来たり、朝鮮半島は日本から見たら文明国であるというような関係にあった。和こうや秀吉の朝鮮侵略もあったが、明治までは概して平和的関係です。視点を長くおけば、日本の近代の侵略、植民地化は特殊な時期と言えなくもありません。本来日本人と朝鮮人はずっと仲良く尊敬しあって繁栄してきたと思います。

 それが何故近代で日本が朝鮮侵略して植民地化して併合の過ちに出たか!それは近代日本において明治維新の集大成者である、西郷の道を日本人が歩まなかったこと、つまり欧米の模倣・脱亜入欧の道を歩んだことが戦前、戦後の事態を産んでいったこと、〈対米従属の事態〉は実は戦前、それも明治維新、西郷までで返ってしか、キチンと総括できない問題なのです。

 西郷は「征韓論」ではなく「遣韓論」であって、明治維新の成果を李朝に伝え、ロシアや米英と連合して闘おう言う、特使として自分を韓国へ派遣せんとしたのであって、「朝鮮を征伐する」というのが西郷の主張だというのはまったくの間違いです。

 西郷が政権の担当者であった一七七四年頃までは中国、台湾、樺太等の問題はあったんですが、みな話し合いで解決しようとしているし、同時に「アジア主義」を唱えて解決しようというところがあった。  彼は農民等の面倒を見る下層武士であるので農民や下層武士の心を知っていたし、「敬天愛人」という民衆を大事にするような考え方で、彼の思想はアジア的共同体を追求し、ヨーロッパ主義を批判的に見るような考えがあった。

 注目すべきは維新の回天の志士として二度も流刑をされ、自殺をも強いられるような艱難辛苦を超えてきた人が明治維新の最初のリーダーであったにもかかわらず、ヨーロッパ模倣の動きがあって、間違った方向へ進んでいったのではないかと思います。

 西郷は「源郷の共同体(パトリ)」を愛し、資本主義に轡をはめて民衆のヘゲモニーや民族の国際的連帯を考えていた人ではないかと思うんです。彼の道が否定され、日本が彼の道を辿らなかったことで朝鮮問題に日本人が正しく対処できなくなり、その後の問題が発生していると思います。そういう近代史の総括から、朝鮮に対しては、あくまで主権国家としてその国を「そとから批判し倒す」やり方を批判し、共存・共栄しつつ、この立場で反米のパルチザン国家的側面は評価し、個人崇拝の専制的独裁の面は批判して行くべきである。日本と南北朝鮮の連合はアジアの繁栄、平和の基礎であり、ひいては世界の繁栄・平和の基礎となります。僕にしてみればスターリンはマルクス主義者でもなければ本当の意味での革命家とも思えない。そういった意味では一歩も引かずにスターリン主義については議論すべきじゃないかと思います。核についてはアメリカや超大国のエゴイズムで、アメリカに「核武装批判の権利なし」とするが、核そのもは武器そのものの持つ、本質である、無差別の反人民的、反人間的側面の凝集であり、徹底的に否定すべきで、かつ日本人の被爆体験とかあるいは日本人が本当の意味で善き民族・国家になる、言ってみれば〈徳高き日本〉〈信義に篤い日本〉になっていくためにも、核武装はするべきではない、ことを提言すべきです。拉致問題は人道問題として、政治切り離し解決せんとしたら、早期解決できるのではないかと思います。

★反米、国と民族の自主を貫こう。

  日本とアメリカの関係ですが、アメリカが過去にどうであったかということを見るとアメリカやイギリスの極東アジア政策は明らかに日本と韓国・北朝鮮・台湾を喧嘩させ、分断しながら支配していくというところが基本があること、これに乗せられてはいけないということです。

 特に日本、日本人の運命は、常に結局のところアメリカとの関係と朝鮮半島の関係で決まっていくのですから、朝鮮半島に住んでいる人とどのように友好的に助け合っていけるか、「極東のEU」・極東の民衆的な新「大東亜共栄圏」的なものを作っていきながら、世界に対して特にアメリカやイギリスに対して伍していく必要があるだろうと思う。

 東京裁判等で民族的主体がへし折られたということは言わずもがなですが、その状況が未だに続いている。それにグローバリズム展開が加わり、更に従属体制が強まっています。「民族なんてなくてもいい」というところまで、思想的混乱を深めさせられており、民族の根元がなくされてきています。そのグローバリズムの極限として今度はアフガン、イラクへの侵攻をし、日本に加担を強制する。この時日本は朝鮮問題をアメリカと一緒にやるために対イラク戦争に加担すると言われていましたが、アメリカの方はイラク侵略への加担を日本にさせるために朝鮮の核武装の情報をリークし、日本の指導者へ「朝鮮脅威論」を吹き込んだという話が暴露されてきています。米英の極東アジア分割戦略に乗せられずに自主的な反米統一戦線を世界や日本で作るという方向が必要でしょう。特に朝鮮半島の問題で判断を間違うと日本はとんでもない方向に行ってしまう。正しい判断をすればいい方向へ行く。僕は朝鮮国への日本式太陽政策をやるべきだと思っています。同時に日本はイラクや全アジアの民衆との連帯を意識的に追求していくべきです。もちろんアメリカの民衆とも連帯していくべきです。この中で日本で台頭しているところのネオコン勢力、佐藤克己等の「現代コリア」や「教科諸問題を考える会」ら「ポチナショナリスト」、売国主義者達を思想・政治・文化・理論・全戦において批判し、〈反米・民族自主〉の潮流、ないしは政党を作っていくべきだと思います。

 日本は戦争体験があるし、被爆体験がある中で、絶対に侵略を拒否する「信義のある徳の高い国」になっていく必要があると思います。

 こういうことを背景に、昨九月一七日の日朝首脳会談での平壌宣言の実施、日朝不戦を旗印に直接朝鮮へ行き、談判も含んだ民間の交流を追求すべきと思います。「平和義士団」を創って行動することをまず民間から始めようと思っているわけです。最終的に朝鮮が受け入れるかどうかという問題も残っているんですが、必要なら行って拉致問題にもある程度目途をつけるし、核武装は望んでいなくて非核だという声明を獲得する必要もあります。そのためには各界の人が行かなければならないし、公開で呼びかけようということも考えています。