寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る


僕の「生前葬」への遺言状

2010年 4月 24日

塩見孝也


1  この「生前葬」を準備してくださった、「葬儀委員」の方々、「阻止の会」の方々を始めとする実行委員会の皆様方に感謝します。又、この「葬儀」に参加してくださって、僕の「死」を見てとり、かつ僕の「再生」を実現して下さったこの会場にいらっしゃる方々、来れなくても「弔辞」や香典を贈ってくださった皆様方、あるいは、この事件に関心を持ち、来てくださったメディアの方々に深潭なる感謝の意を表します。



2  僕は、僕が赤軍派議長として、先頭に立って提唱し、赤軍派が実行した軍事至上主義の武装闘争を、これまで清算、止揚する事をずっと前から宣言してきましたが、ここに改めて宣言します。この路線は一定の歴史的意義はあるにせよ、赤軍派の後、生まれた「連合赤軍党」、野合、でっち上げ<新党>の<同志殺しと銃撃戦>の濁流の流した悪影響で、台無しにされ、大半は、その路線の歴史的限界性故に、その僕らの自己批判、自己否定の行動と相まって、<反面教師>としてそば立たせられました。
 総じて、このような<悪影響>に利用されたーー真相は違うにせよ、ーーことにに対して責任をとります。このことを、改めて確認します。

十重八十重に敷き詰められた、予断と偏見のシフトと生涯かけて、僕は僕の運命の主人となるべく闘います。



 連合赤軍事件は、僕が獄にいて一切事実関係に関わりなく、政治・思想路線の相違を抜きにして、僕ら獄中に隠れ、勝手に野合して、「新党」を結成し、「銃による殲滅戦」を戦おうとした点やその底に、<スターリン主義思想の復権>と言った、僕ら獄中が否定、批判して来た思想や行動が事件の基本的原因であります。「連合赤軍」<新党>は、既に、赤軍派ではありません。別の、組織であり、森君、永田さんのでっち上げた<私党>といえます。この<新党>をでっち揚げるために、その反対派を<同志殺し>する粛清が発生したのです。

 軍事至上主義であったからといって、必ずああいった事件が起こるとはいえません。

 そのことは、パレスチナに行った奥平君たちが、「そう戦ってはならない、こう闘うんだ」、と模範を示してくれています。これは、僕の描いた「軍事至上主義」と言って良いと思います。

 又、路線といえども、それは人が作るもの、それゆえ、人によって変えることが出来るもの。 その路線を、創った獄中の赤軍派が、軍事至上主義の転換を、既に、多くの「第一次赤軍派」の出獄を契機に模索し始めていた事も事実です。
 とはいえ、プチブルジョア学生の軍事至上主義の路線に立脚していた以上、やはり、あの時代の性格や戦う民衆主体の未熟性がそれを手伝えば、この性格、限界、偏向に付け込んで、あのような、僕には信じられないような事件が、発生する可能性、現実性は、<必然>とは言わないまでも、あった、と言わなければなりません。この点に、限れば僕は責任を取ります。
 ただし、僕が仮に外にあって、指揮を執っていたとすれば、断じて、<同志殺し>はやらなかった、言っておきます。
 なぜなら、たとえ、軍事至上主義のプチブル革命路線ではあれ、路線の相違、無視の野合、<新党路線>は僕はやらなかったし、<粛清>路線を持つスターリニズムは僕は採用していませんでしたから。僕には、そもそも、スターリン主義は感性的、体質的にも、初めから相容れません。
 僕は、既に、あの当時、僕や獄中指導部は、公開で、<野合>に反対していました。
 この点を踏まえ、僕は赤軍派ーー赤軍派に限ります。ーーの過去を清算し、自己批判し、再出発を改めて誓います。軍事について言えば、<否定の否定の肯定>の観点に立って、いったん否定、清算し、評価すべき要素は新しい非暴力直接行動の路線の中に付け加える、揚棄する方法で活かします。



 事件以降の僕は、革命家として、なおかつ生き続けるために、<プチブル革命主義を克服し、プロレタリア革命主義に自己否定、止揚する>観点で、革命家の立場を堅持し、闘い続けつつ、自己批判をずっと続けてきました。

 革命の根拠であるマルクス資本主義批判を身につけ、階級の地位、役割、能力を信じ、獄中20年を非転向で生き、出獄後、<階級>を構成する一人一人が、尊厳ある自主性を持つ人間である事、これは、後に、<いのちこそが人間が最高に尊貴するもの>であり、それを輝かせ、開花させてゆくものとして<自主性があること>、そのために、民衆は労働し、生産してゆく、という認識に到りました。

 民族の主権、自主権の大切さも知り、パトリティズムに立脚する<反米愛国(くに)統一戦線>を鈴木さん、木村さんら「一水会」の皆さんと推進しました。民主主義の重要さ、そして、平和の大切さを知りました。「環境」の重要さも知りました。

 僕の場合、順番的に言えば、<革命>、赤軍派・連合赤軍事件の総括が生きる上で、生命線でありましたが故に、実際、それが、僕の生き死に関わる最重要事でしたから、世間の人々にとって生活し、生きて行く上で、一番大切にしてゆくものとは、一番宇縁といえる課題を考え続けて来たわけです。それで、逆さまになった順で、それに近づいて行ったように思えます。

 僕は、自己批判するたびに、ますます、自分流に生きるべく、一人になって行き、又<組織を作る>、<徒党を組む>意義をほとんど重視しなくなり、そのほうが足手間といになる人も少なくなり、自由に闘えると感じました。

 そして、他方では、この関係の方が、更に民衆は矛盾少なく、有効に団結し、闘えることを確信しました。



 僕の回心は三つの段階を経ていますが、一挙にやってまいりました。

 世間の人々が優先順位を置く事柄の最重要性を認め、それを必死になって実現してゆく中で、革命に近づいてゆこう、行ける、段取り、道筋、方途、民衆の現実の生活と革命の兼ね合いについて教えて下ったのは、「9条改憲阻止の会」の先輩達でした。

 小泉政権や安倍政権が、登場し、この政権が振りまく、横暴と害悪に民衆が怒り始め、政治的に登場し、「9条改憲を阻止する」事が、民衆運動の急務となっって行った折りしものことでした。

 僕は、ここにおいて、学生運動を始めた時の初心、<憲法9条>の原点に還る事が出来ました。

 僕は、この場所、関係において、それまで、両肩にずしりとのしかかっていた重石(おもいし)、それは自分一人でしか解決できない、と傲慢にも勝手に思い込んでいた課題を尊敬する先輩、同輩、後輩の集団の中、<自由な人間の連合した関係性>のなかで解決して行ける、それが最適な方法である、と知り、重圧から相当解放され、ゆったりとした境地に到りました。ありがたいことでした。

 その後、駐車場管理人労働をやり始め、実際の働く仲間、経営の実際を知り、民衆の生活の実際を知り、階級、階級闘争の何たるかを知り、実行委員長が言われる「天井人から地上人へ」降下しました。そこで、労働の喜びや賃労働の苦しみをいくらか知り、いかにして労働者は団結するか、資本家といかに向かい合うか、学生運動とは全く違う労働者の団結の仕方をいくらか、学びました。

 これは、「改憲素阻止の会」の仲間と知り合った事を僕の回心の第一段階とするなら、僕の回心の第2段階と思われます。まさに遅きに失する事、恥ずかしきことばかりですが、それでも僕にとっては、有益この上もなしでした。

 そして、「生前葬」が一挙にやってまいりました。「生前葬」は僕にとって回信の第三段階、集約点にして、終点といえます。
 僕は、一度迷いましたが、これが、60年代〜70年代の運動、世代には捉え切れていなかった沖縄闘争、ウチナンチュウ支援に直結する重要な意義も含め、これが、僕の回心の集約点であると、納得し、このことが、特殊には僕の評価についての<パンドラの箱>を開けることになることも承知の上で、これを了承いたしました。

 今日、この日を向かえ、この判断は全く正しかった、と思い、この儀式を仕掛け、準備してくださった全ての関係者に衷心から感謝します。




 6  以上のこの地平に立って、僕が提唱した軍事至上主義の小ブルジョア学生大衆中心の武装闘争路線のために、ご迷惑を掛け、お世話になった世界と日本の民衆、民族、人々に、これまた衷心からお詫びします。

 又この被害を受け、亡くなったり、獄に在って、死刑攻撃を受けたり、無期刑を受けたり、重刑攻撃を受け続けている仲間、外国に長きに渡って亡命を強制されている仲間達を始め、今も苦しみ続けている元同志達、友人・知人の方々に衷心からお詫びいたします。どうか、許してください。

 或いは、父母、兄弟、その他の近親の方々、妻子ら僕の親族にもお詫びいたします。



 7  皆さん、今の時期、資本主義の枠内で「改革」や「改良」を追及してゆくことが、いかに不可能であるか、幻想であり、それが、欺瞞ですらあることが、全く明瞭になってきています。

 私的生産、社会的分業、労働力までが商品化する経済体制では、価値、交換価値、貨幣が物神崇拝され、人間にとって一番重要な使用価値はこれに従属され、人々は貨幣に呪縛され、利潤追求第一の無政府主義的競争が宿命化され、人の人による支配、暴力と戦争、搾取、貧困、環境破壊はこの社会では付き物です。

・僕ら労働者ら民衆は、この社会、支配階級が生みだす災禍に対して、「小異を残して大同に就き」、団結し、世界観の異なる他の階級とも統一戦線を組み、自分を守りぬくべく団結して闘わなければなりません。

 人を<過去の違い>でもって謗(そし)り、蛸壺の独善に陥る事を止め、その人が、今、どう考え、どう行動しているかを団結の基準としよう。

 <過去志向>を止め、<未来志向>で進んでゆこう。<過去志向>が、自分の「内側」の弱さから生まれていることに目をつぶり、原因を<外側>に求めている事を知ろう。

 僕ら民衆にとって、団結こそが、身を守り、<人の敵>、<階級敵>、<民族敵>、<人類敵>に勝利する唯一の生命力、原動力である事を感得しよう。

・僕は絶対的非暴力主義者とは言いませんが、非暴力とその直接行動は僕ら民衆の闘いの最高理念、手段にして目的、最高の徳目と考えています。

 今は、合法、非合法、個人、集団を問わず、自分の状況に合った非暴力直接行動こそ追及すべきです。

 将来、武器を取らなければならぬ時が来るかも知れません。僕はその時を、未来予測の可能性として、排除できません。しかし、その時でも、その基底,基幹には、非暴力の理念、思想がすえられるべきです。

 死ぬ事を覚悟して、そうだから、何をしても良い、とするのではなく、相手を殺すのではなく、死ぬ事を覚悟して、その覚悟とその内容である思想的、政治的、理論的、総じて、倫理性の高さで持って、相手を融かし、解体し、生かし、活かし抜く精神的、実際的営為を強めよう。「小我を大我へ」「小欲を大欲へ」。

・ウチナンチュウの人々は、平和愛好、自然愛好、非暴力思想ら諸方面で僕らヤマトとヤマト民衆より先に進んでいる面を持っていることをしっかりと確認し、尊敬し学ぼう。

 そのウチナンチュウが、過去、薩摩―秀吉以来、ヤマト支配階級によって侵略・支配され、近代にあっては、民族の消滅を画策し続けられてきたことを、自己批判的に知ろう。

 アメリカ帝国主義によって、支配抑圧され、彼らの世界覇権のために犠牲にされ続けられたことを知ろう。更に、<復帰>後、再び、日本資本主義によって、「琉球処分」を復活され、犠牲にされ続けている事を知ろう。

 であればこそ、これら三重の頸木に対するウチナンチュウの闘いは、これまで、隠れた日本列島と世界の民衆闘争の最前線でありましたが、いまや厳然として、公然たる最前線となってきています。この闘いを見殺しにし、知らない振りをすることは、ヤマトとヤマト民衆の尊厳、矜持の死につながってゆきます。僕らヤマトの民族的、民衆的尊厳に賭け、ウチナンチュウを、<その痛みとその心>を、<我がヤマトの心と痛み>として受け止め、支援してゆきましょう。それこそが、ヤマトとヤマト民衆の<再生>、<日本再生>の一歩を画すこととなるでしょう。

 僕は、このことが僕の<再生>にも連なっていることと捉え、ウチナンチュウとどこまでも連帯し、闘います。

 皆さん、ともに闘いましょう。


               塩見孝也