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憲法改「正」について (その1)

2005年6月1日

                    塩見孝也



T.煮詰まりつつある憲法改「正」の現状と、これに反対する僕の基本的態度。

 今年の「憲法の日」は、例年より、メディアらを始め相当かまびすしかったと思います。

 その少し前には、衆議院の憲法問題の答申委員会が、憲法改「正」についての、全般的な意見を表明しました。又、自民党は、これに呼応しつつ、「憲法改正についての国民投票法案」をまとめようとしています。

 一時は2007年頃までに憲法を改「正」する政治日程まで流れました。しかし、このような日程どおりに進むかどうかは、様々な要因が絡み、必ずしも定かではない、と思います。

 しかし、現在の自衛隊のイラク派兵継続、「集団安保」の事実上の実行、他方での朝鮮核実験の風評、中国・韓国の「反日」デモら日本とアジアの緊張が増大しているのも確かであり、この問題が国民的課題として切実な問題になりつつある、ことは確かです。

 問題の核心は、国の安全保障、平和と自衛の問題、つまり憲法9条の1項、2項を変えるか否か、にあります。

 もっと、詰めれば2項の「交戦権の放棄」、そのための「軍事力の保持の禁止」を改めるか否か、の問題です。

 戦後60年間、憲法発布から58年間、憲法の基本理念とそこからの諸規定が、曲がりなりにも国民、民衆生活と国の内政、外交の指針となり、僕の見るところ、大局で見れば、この憲法規範に従って、日本国民、我が日本は、大過なくやってこられた、と思えます。

 その憲法を変えるか否かは、政治的に最大の重大事といえますし、僕にとっても重大事といえます。

 僕の憲法改「正」についての態度は前々からはっきりしています。

 僕は、「改正」に反対です。

 もっと、厳密に言えば、対米従属を旨とする、日米安保が廃棄されるまでは、現憲法のままでよい、それで日本は十分やってゆけるし、やってこられた。

 従って、全面的な主権が回復された時、諸般の事情を総合的に勘案し、改正する必要があれば、その時はそうすればよい、ということでもあります。

 現状における、憲法改「正」、自衛権の銘記、つまり「交戦権と軍事力保持」の銘記とは、自衛隊をより一層の売国軍隊化し、日本を、より一層、軍事的にも従属化することに実質化し、国を挙げて、アメリカの手下となり、属国化すること、アメリカの手下となり、従属帝国主義、従属覇権をもって、アジア・第三世界・世界に対応することになる、ということです。

 だから、日本国民、日本人、日本民衆は、それまでは、国民としての、民族としての自主性を培い、従属を打破する、政治、思想、文化、総じて文化的力量、適切なる総合的国力を培ってゆくことが肝要です。

 つまり、広範な論議をやりつつ、民衆中心、人間中心、この観点での資本主義の批判・資本主義の帝国主義的膨張の制御、資本制生産の漸進的社会化、総じて、資本主義の民衆的改革・変容化を追求する必要があります。

 極力、今ある自衛隊の軍事力をアメリカ統帥の構造から、日本本位の日本人民大衆の要求が反映し、日本人民大衆の生活に密着したものに切り替える民主的改造が必要です。

 自衛隊の中に、従属派ではなく、人民的とは言わないまでも、反米愛国派の潮流を輩出させてゆく必要があります。

 国際貢献は基本的には政治、経済、文化のレベルでやれば良いのであり、自衛隊を改造・改革し、文字通りの専守防衛力を専らとする外延的でなく、内包的に強めてゆく自衛隊研究が必要と思われます。

 武に習熟し、武徳を持った、それゆえに非暴力の政治を実現してゆくような、軍事の体系が準備される必要があります。

 いずれにしても、僕は、民衆にとっての、憲法改「正」問題の実質は、本当は、日米安保を破棄し対米従属構造を打破するか否か、の問題と思っています。
 米軍占領、その実質延長の安保体制下で、何が、「独立の銘記」「日本人としての伝統、文化の銘記」「自衛権の銘記」でしょうか。偽善的自己欺瞞に満ち満ちた、全て、絵空事です。
 
 個人的にいえば、僕が1962年、学生運動を始めた契機がこの、自民党主導の「憲法改正に向けての公聴会」に反対し、わざわざ広島まで出かけて行ったところにありました。

 未だ政治的には西も東も分からなかった、新入生の僕に先輩達が「為政者達は、2度とアジア侵略をしない、と憲法で誓約しているのに、再び侵略を開始しようとしている」と、アジりました。

 僕は、その言が正当と思い、危機感を感じたわけです。

 もう一つは、僕の監獄20年に於いて、身を守ってくれ、自分の政治的見解、思想、信条を転向もせず、貫けたのは、他ならぬこの憲法があったから、と思っているからです。

 とはいえ、若い時から、年齢を加えたり、出獄してからの様々な体験もあり、しかも幾つかの時期を経つつ、変化している時代の流れに即し、或いは自分の体験、「成熟」に照らして、この僕の憲法改「正」に反対する基本態度も、その内容において当然変化したり、発展・深化して行ったりしたわけで、今の時期、僕は、僕の憲法改「正」反対論についても、この際再整理し、まとめてみる必要を感じます。


 憲法は以下のような基本的な規範を持っていると思います。

1:戦争を否定し、平和を貫く、戦争否定、平和追及を基本理念としています。自衛権は本来国家にとって言わずもがなの自然権として、国民なら誰でも承認するものであります。

 しかし、憲法の平和理念からすれば、それは、それより下位の規範として、自然で、許されることではありますが、憲法には銘記されてはいません。当時からすれば、別に銘記する必要のない、規範ともいえます。

2:戦前の大日本帝国憲法にある主権が天皇にあることを否定し、主権が国民(民衆)にあること、天皇はその主権者の国民(民衆)の「総意の反映」、「象徴」と位置づけています。

3:全ての国民は基本的人権を有する。幸福を追求し、それを保障される権利を有すること。

4:代議制民主主義

5:地方自治

 以上です。

 このように見てくれば、我が日本国憲法は、戦前の「大日本帝国憲法」とは著しく異なり、世界でも珍しい、と言ってよい、きわめて高い、非凡とも言える理念で綴られ、進歩的な非常に良き諸条項から構成されている、と思います。

 この憲法がアメリカの占領下、アメリカとその占領軍司令部の下で、発布されたのは言うまでもないことですが、それが国民にすんなりと受け入れられたのは、国民の深刻な戦争体験、侵略戦争、帝国主義戦争の反省、その教訓を憲法に表現したい、という想いがあったからだと思います。

 これまで、自民党ら執権勢力、保守派は、憲法が「押し付け憲法である」「自主憲法の制定」を言い、その要に「自衛権」と「国軍」の銘記を据えてきました。
 他方で、現実の成り行きとしての、自衛隊の整備、拡張には、「自衛権は国家の自然的権利である」と主張し、「憲法の基本理念に反しない」と称し、いわゆる「解釈改憲論」を展開し、この事態を追認してゆく人々は「違憲・合法論」なる意見を展開し、双方、一見奇妙なる論理を展開してきました。

 それ故、この“奇妙さ”を根本的に打破すべき、と主張し、小沢一郎氏などは「“普通の国”になるべき」で、戦後日本の方が「異状であった」と主張し、最低9条2項を変えるべきと主張します。

 中曽根氏などは、これに加えて「独立や国柄、つまり文化や伝統の盛り込み」を主張し、憲法前文、総論の書き変え等、全面改正を主張しています。

 前文は「日本語になっていない」とか「環境権や報道の自由の銘記が必要」とか、「天皇の元首としての銘記の必要」とかの主張もあります。

 このように、憲法改「正」論者は、いろんな改正要求を、いろんな観点から出していますが、しかし、共通した、核心をなす憲法改「正」の主張は、上述したように、9条2項を「交戦権否定と軍事力の放棄条項の削除」、「交戦権とそれに伴う自衛権、自衛隊の国軍としての銘記」にあります。

 憲法改「正」問題は戦後の60年間を決算する問題です。

 この60年間には、直後の敗戦期、そして、80年代後半まで続いた冷戦時代、そしてその後のグローバル化の時代という時代の変転があり、或いはこの過程で、保安隊→警察予備隊→自衛隊、そして世界第二の予算を掛け、一説には「世界第二の軍事力」と言われるほどになった、自衛隊の現実があります。

 このような60年間の現実に対して、このような憲法理念と諸条項が、今後の時代、日本の未来、21世紀の世界に通じるか、否か、にあります。

 この点で、日本民衆の全般的な英知ある判断が問われている、ことは確かです。

 とりわけ、今後の時代を、この社会の主人公として生き、自己実現を目指さんとする若者達にとって、この憲法問題は、如何に政治と無縁な世界で生きようとしてもそうさせてくれない問題として切実になってゆくと思われます。

 この問題に僕が、僕なりに留意してきた点を列挙し、それについての僕なりに考えてきた意見を述べてゆきます。以下、列挙してみます。

@「平和憲法」と言われるような、この憲法の理念をどう考えるか、を、この理念を今の、60年間を経た現実の中で問い直してみる作業です。

 日本の近・現代史を踏まえたこの憲法の歴史的意義、人類史的、世界史的意義とは何か、そこからの平和と自衛の関係について考察する必要性です。

A「軍事大国になららない」「帝国主義や軍国主義をやらない」「戦前の侵略戦争、戦争は反省している」、「この歴史観を修正するものではない」「一国平和主義では、適応できなく、国際貢献が軍事的にも必要になっているから」、それ故「憲法の平和理念とその他の良き特質は残す」、あるいは「全面改正ではなく、9条の2項の改正だ」とか、様々なソフトな主張で、改憲論者は国民を言いくるめようとしていますが、果たして額面どおり、そうであるのか、日米安保が、憲法との関連では、本音と建前、密教と顕教という形で、密教的に日米安保が上位規範扱いされ、優先されて来た戦後保守政治の歴史と今も優先されている現状を踏まえた場合、日米安保と憲法の関連はどうなっているのか?

 或いは、憲法改「正」を主張する勢力は日本の近・現代史において如何なる勢力なのか?

B戦後60年の歴史の中で、憲法はどのように国民に見られ、どのように利用され、どのような意義があったのか?

C憲法との関連での「常任理事会入り」や「国際貢献」の問題をどう捉えるか?

D日本人のナショナリティー、日本人の意識の基層にある縄文的おおらかさ、優しさやもののふ精神、その他の文化、伝統はどのように民衆的に活かされなければならないのか、平和と軍事、武、非暴力、自衛はどう総合的関連の中で、捉えられるべきか?

E憲法と「国民国家」を超える問題について。

  等について述べてみます。




U.戦後憲法の歴史的意義と政治と軍事、政治と「自衛」の理論的関連について。


 この憲法が世界的に優れており、「交戦権否定」「軍事力放棄」を謳っている点で、極めて珍しい憲法であることは、国民の良く知っていることだと思うし、そのことは「9条の会」「9条を世界へ」の会の人々が強調するところでもあります。

 この点を、僕は二つの観点から捉えようと思います。

a):一つは、この憲法理念が人類協同の利益の実現という世界史的観点から見て、極めて革新的、革命的な性格としてある、ということです。

 アメリカが、制定当時、我が国を武装解除し続けたいという意図があったとしても、この意義を虚心になって額面どおりに捉え返すなら、人類の二つの悲惨な世界大戦の経験を、真剣に日本国民、民衆が、その当事者として反省したところから、この憲法は、人類史の新たな段階を画する、先駆的意義を持って生まれているということです。

 確かに、歴史を見れば、戦争は繰り返し起こっているし、戦争発生を阻止しようとした試みは、成功したり、逆に敗れ去ったりもしています。

 戦争が人類社会にとって避けがたい、社会病理であると言えないこともありません。

 言えることは、古来から、戦争肯定派と戦争否定派、暴力肯定派と平和志向派に人、人類は分かれ、その間を往還し続けてきたということでしょう。

 だから、この憲法の平和理念は、今の若い世代には、一見空想的、理想主義に走り、ドン・キ・ホーテ的に思えるでしょう。

 しかし、言い切れることがあります。

 それは、20世紀、戦争と革命のこの世紀に、国家間の世界的規模での戦争が、人類と地球を多大に損傷し、その教訓から、国民的、国益的観点を超えて、地球的規模での人類全体の協同の利益の観点が生み出して行った、ということです。
 経済、政治、文化、軍事の全ての分野で、人類は、地球的規模で密接不可分な協同の利害関係を持つに至った、という認識です。

 第一次世界大戦後、ウッドロウ・ウイルソンは「民族自決権」を承認し、ロシア革命指導者レーニンはそれを、社会経済的、政治的観点から、科学的に裏付けもしました。そして、二人は、その対概念である「侵略」を不正義として否定しましたし、指導力で圧倒的限界があったものの、国際連盟も第一次世界大戦後、創建されもしました。

 戦後、これまた限界があるものの、戦争否定を願って、国際連合が創られ、国連を中心として、戦争否定が強調され、諸国・諸民族の紛争に際し、人類の協同利害を守る観点から、それを調停したり、それに違反した場合、一定の懲罰規定を持つ国際ルール、国際法が、これまた限界や欠点が多々あるものの、より充実されて行きました。

 国際連合の平和憲章が、平和と戦争について、戦争は避けがたい面が強いにせよ、戦争を推進せんとする立場、勢力の見解より、その反対の紛争を平和的に解決せんとする立場、勢力の主張に立脚して書かれていることも明瞭です。

 総じて、二つの戦争体験を通じて、人類が、国民国家を超えた、人類としての共通の利益に立って、それまで、国民国家内では、国民の諸紛争の民主主義・理性的処理が一応追求されたものの、世界場裏では、弱肉強食が野放しにされていた状態を、民族や国民国家を越えた、国益より人類の共同利益というより上位の理念を打ち出し、それに従った国際法、国際ルールを創出し、諸民族・諸国家間の紛争を解決してゆかんとしようとし始めたわけです。そして、そのような志向が人類の通念になって行き始めたということです。

 我が国憲法はこのような、人類史的経験、教訓に沿って、それを最も鮮明にしたものとして先駆的に生み出されて、行った訳です。

 憲法は、日本人、日本国民の民族性、文化において、天皇の象徴規定としてきちんと記載されて入るものの、多少とも欠けている憾み無きにしもあらずですが、アメリカの独立宣言や人権宣言、或いはフランス革命らの近代革命の最も良き理念から導かれ、それに裏打ちされていただけでなく、それを超える、戦争否定、世界平和を非暴力で達成することを宣言していると理解できます。

 この点を21世紀の現在や人類の未来に投影して捉え返せば以下のようにいえるのではないでしょうか。

 多くの問題点、根本的とも言える欠陥を抱えつつも、世界経済は、一国国民経済の枠組みを越え、単一のグローバル経済になりつつあること、ここからして、国民経済の利害関係を反映する、国民経済を単位とする帝国主義国民戦争としての世界戦争の危険は大きく減少していること、核戦争による人類滅亡の瀬戸際的クライシスが全人類的に確認されてきていること、又世界的に連関する環境危機は人類の協同性の拠ってしか解決し得ないこと、或いは米ソ冷戦のような構造が、米中関係に継続・拡大してゆく危険性は、やはり減少していると思えます。

 遺伝子工学・分子生物学らを始めとする科学の驚異的発達で、人間を非人間化する危機が人類共通の問題として課題化してきていること、或いは金儲け本位の資本家達も世界戦争は採算に合わないこと知りつつあること、総じて、人類が世界戦争の悲惨さを学び、世界平和の志向が、それまでに比較して圧倒的に強まった、と言えます。

 このような諸点を挙げるだけでも今後、二つの世界大戦のような世界戦争発生の危険は減少したと言えます。

 又、戦争の否定において、民衆、人間の自主性の尊重が大きな要素になってきたことも確認されます。

 確かに、軍拡、核武装への熱狂、局地戦の絶え間ない継続は後をたたないとは言えますが、全般的に言えることは次のことです。

 戦争肯定、軍拡の論理よりも人類的利益としての世界平和、戦争否定、非暴力の思想や原理が圧倒し、それが大義として承認され始めて行き始めた、ということです。

 であれば、このような、平和志向の歴史的な流れに、憲法理念はピッタリ、マッチし、その理念、原理を当時の時代常識を一歩も、二歩も抜きん出て、先駆的に表現したものとして生まれてきた、ということは強く確認されるべきと思います。

 このことに、我々日本人、日本民衆は、誇りを持つべきと思います。

 であれば、戦争否定の大勢化とそれを覆す、戦争推進気運が鋭くせめぎあう21世紀、日本が国家的大義として、戦争推進機運に水を差し、戦争否定、平和追及の憲法を持って世界平和を世界に向けて積極的に発信し、世界規模の世界平和、非暴力の運動のリーダーシップを取ることは、人類にとって、極めて大きな意義があり、日本国民、民衆にとっても最も義と徳のある、生きがいある行動だと考えます。

 以上からして、「何処底の国が軍備拡張に拍車を掛けている」「何処そこの国が核武装をする」といった事態に、慌てふためき、動揺、一喜一憂し、これまで拠ってきた理念、原則など忘れさり、パニックに陥り「それ!我々も軍備拡張だ。核武装だ!」と「戦争、軍事の原理、論理」に転げ込んで行くのは極めてみっともない、見識なき議論と考えます。

 *政治と軍事の連関、現在の「自衛論」の意味するもの

 軍事、戦争はクラウゼビッツも言う如く、あくまで「政治の延長」として、それを実現する「特殊な手段領域」であり、国家の政治や思想規範との関連で言えば、極めて重要な領域であることは明らかですが、あくまで下位の従属規範領域であること、が確認されるべきです。

 「軍事としての自衛論」は、本質的に戦争、戦争論理と一体であり、戦争肯定を前提としています。

 戦争は、政治の目的にしたがって、「敵を殲滅し、暴力によって、敵を目的にしたがせる」ことを、法則とし、それを自己目的としています。そして、常に大体は、軍事至上主義の陥穽に導きます。

 それ故、それを、政治(思想)、経済と同列に置くようなことは、厳格に戒められなければなりません。

 その公然たる承認は、戦争否定、平和の基本原理、価値と対立し、これを否定し、戦争推進を肯定して行く、軍事至上主義を招く危険があります。

 平たく言えば、普通の軍人は、武、軍事を磨けば、磨くほどそれを、試してみたくなり、武器は使ってみたくなる、ということです。
 これは、かっての赤軍派や連合赤軍の体験するところでありました。

 したがって、現在の「自衛論」は、戦争勝利の軍事法則を至上化し、つまり唯軍事主義に流され、軍事力強化、核武装に発展して行き、防御より攻撃、挙句の果てには、先制攻撃の承認といったところまで、展開する可能性、必然性を内包しています。

 ある面で、民族的エゴ、国家的エゴ、国家主義への傾斜の表現といえます。

 普通この見解は、それ自体、戦争(勝利)を前提とした「軍事均衡の必要」そのための「軍事均衡のための抑止力育成」、「それが平和に連なる」という軍事哲学になります。

 これこそ、冷戦時代の米ソが採用した危険極まりない「パワーポリティックス」の軍事哲学です。

 そして、それは「人間社会も所詮、動物と同じ弱肉強食の世界であり、人間は暴力、軍事力、恐怖で支配できる」という人類の中の好戦主義者が、古来以来信奉してきた「人間哲学」「暴力至上の原理」を土台とする軍事哲学といえます。

 或いは、「軍事としての自衛論」の強調は、徐々にこのような「戦争至上の人間哲学」に収斂してゆきます。

従って、この哲学は「決して人間への信頼、その可能性の源、自主性と協同性を信じようとしない」点で、「平和実現、非暴力の原理」と、全く相容れないし、現在、憲法論議で使われている「自衛」の思想、論理は世界平和、非暴力の思想と本質的に調和し得ないものに変質してゆきます。

 だから、「軍事としての自衛論、つまり国防の要に、政治や思想、経済、文化より、それ以上のランクに優位づけるか、でなくても同列に、“戦争のできる軍事”を据えること」は極めて危険で、本来的に間違っています。

 普通、国家、民族の自衛権は当然の、自然な権利として承認されていることですが、これは、本来控えめな、相手国が国力、軍事力で圧倒的で、己の国土に侵入した相手の敵国軍隊を撃退する、反侵略の防御の関係の中でのみ意味を持ちます。

 国や民族の総合的力が増し、他国に比べ、対等か、それを陵駕する段階にまでに至れば、必ず両者とも覇権獲得の欲望に駆られますので、逆に「自衛」は声高に言わない方がよく、その時言われる「自衛」は、本質的に防衛ではなく攻撃、侵攻による相手国の屈服を目指しているのです。

 このような「自衛論」は全くのマヤカシといえます。従って、民衆、国民は自国家の覇権主義の欲望を厳格に戒め、諸国家間の諸矛盾を、政治、経済、文化、総じて文化の力で解決してゆくよう努力すべきです。

 言い換えれば、その時、国家は徳と信義、知の力こそ強めるべきです。

 この、国力の段階では、国家はとみに覇道を戒め、王道にいそしむべきなのです。

 日露戦争の頃までの日本、日本人、とりわけ執権階級の行動には、僕は基本的には、全般的には否定的なのですが、未だ、明治維新の健善さや文字の真の意味するところでの、列強に対する、自主、自立、自衛の要素が、副次的に、残っていたことは確かにせよ、それ以降の過程は、明らかに、それまでの控えめさを失い、王道に向かうことなく、「一等国」と嘯き、傲慢になり、愚かにも覇道に、走ったわけです。

 今の「軍事として自衛」の銘記、憲法改「正」の動きは、正に日露戦争後の覇道への位相に向かう性格に酷似しています。

 人間、民族、国家における自主性と平和・協同は同列で、ある意味で同一の事柄ですが、「自衛」は、戦争を前提としている以上、決して同列には扱われてはならず、自主性、平和との関連では、その従属規範であることが、この際はっきりされるべきです。

 憲法に掲げられる「世界平和の理念」「交戦権と軍事力放棄」の思想は、それ自体「戦争を前提とする“自衛”という名文を持った武装」「つまり、仮想敵国を想定し、その国との戦争をやり切れる、その国を打ち倒す体制を作る」といことであり、その論理、思想とは全く理念上は相容れません。

 従って、国家のもつ自然権として、控えめで自衛権は不文のままが良いのです。

 そもそも、執権勢力である資本家=実業家階級、政治家、官僚、軍人はこの平和憲法の下でも、資本家は強欲と利に走り、政治家・官僚はそのための栄誉に走り、民衆統制・支配に努め、軍人は自己の地位を上げようと、軍事を強調し、軍事力強化を言い立て、それを試そうとします。

 これは、この階級、階層の本性で止めがたいのです。

 彼等は、国民、民衆が黙っていても、否!反対していても勝手にやります。実際、この60年間このことに血道を挙げてきたのです。

 それでも、彼等は「憲法枠」がある為に、民衆の反対に遇えば、チェックされ、その枠を、公然と著しく超えるようなことには躊躇せざるを得なかったわけです。

 それを、国民、民衆の側が、「自衛論」のマヤカシに騙され、彼等の立場、主張に同調し、9条改定に賛成したりする理由が何処にあるでしょうか?

 挙句の果てにそれを、積極的に推進しようとしたりするのは、「泥棒に追い銭をやる」ような愚かな行為です。

 国民、民衆の側は、憲法改「正」論議を冷笑し、この改「正」論議に決して加わらず、この改定論議自体を徹底的に批判すべき、と思います。

 この批判の民衆の公の武器である憲法を、権力者達に、自ら進んで手渡す運動に参加してゆくことは、全くの愚かな行為といわずして、なんと言ったらよいでしょうか!

 現行憲法を最大限利用し、この改「正」論を真っ向から批判してゆくべきです。

 我々、国民、民衆の側は民衆の側の愛国者として、執権勢力と民衆の利益とが同じではなく、「彼等の利益は、こちら、民衆の側の不利益」「彼等の不利益は、民衆の側の利益」として、同じ国民、同胞ながら利害が対立関係にあることを確認し、真の愛国の方向を提示すべきなのです。

 民衆は絶対に、彼等をチェックし、監視し、彼等の「戦争の出来る態勢作り」を阻止すべきなのです。

 この「チェック」「監視」「阻止」の最大の法的武器、憲法を民衆は決して手放してはならないのです。

 このように、支配階級と民衆の利害関係がまったく違っており、民衆は執権階級と利益が異なっていることを、しっかりと踏まえ、「自衛論」のマヤカシから、国民、同胞、民衆はすみやかに、醒めるべきです。

 日本人、日本民衆は、国と民族の自主性や平和の志向と自衛権の関連をしっかり思考しつつも、それ以上に、より強固に確認すべきは、これまでの戦争の悲惨、とりわけ二度の世界戦の悲惨、日本人にとっての帝国主義侵略戦争の悲惨の教訓をベースとした人類共和を目指す世界平和、非暴力志向を憲法の基本に据えた、戦後憲法の歴史的意義こそ、しっかり確認しなおし、それを、新たな哲学、人間観、人間像から裏付けなおしてゆくべきです。

 日本は、今こそ、徳高き、信義ある、自主的な日本に脱皮してゆくべきです。

 重ねて言いますが、日本民衆、日本国民は「世界平和理念」「交戦権と軍事力放棄」の思想を、人間の自主性、協同性尊重とこれと一体、同じものとしての非暴力思想から意識的に、哲学的に裏付けなおし、再武装すべきであり、台頭する「軍事としての自衛論」を根拠とした覇道の危険を濃厚に持つ、憲法改「正」論を、ここから根底的に批判し、世界に向けて、この地平から憲法理念の誇るべき意義を発信してゆくべきです。


b):敵国らの外圧、干渉らの諸関係のダイナミズムの中から、国民、同胞の総意として憲法は生まれた。押し付けられた、面よりは自主性が主である。

今ひとつ、二つ目は、この憲法では、日本人としての、その近代史に於ける反省、教訓が率直、真っ直ぐに捉えられている、ということです。

 この意味で、保守、執権勢力、右翼の主張するように「押し付けられた」という風に、解釈すべきではなく、日本国民、民衆の深刻な戦争体験の率直な気持ち、要求を憲法が真摯に反映している、という意味で、総合的に見れば、日本国民、民衆によって自主的に創られた、と捉えるべきです。

 敗戦直後、日本民衆の中から、これまでの既存の戦争を推進してきた勢力やその思想、責任を追求せんとする、大きな動き、つまり体制変革の大きな動きが生まれていたことは歴史的な事実であり、アメリカのこの「憲法提起」や一連の戦後「改革」の処置は、この民衆の要求、志向に対応し、これを積極的に取り込み、この変革の動きを流産させるものとしてあったことも明白です。

 だから、たとえ占領権力の邪な意図が背景にあったとしても、或いはそれが「上からの改革」として形を成したとは言え、その改革は、共産党綱領を超えるようなドラスティックな面を持ち、起草者が誰であったにせよ、おおきく見れば、日本民衆の意図、要求が強く反映している、と言って良いのです。

 日本国民は、被爆体験も含む戦争体験の中で、「清水の舞台から飛び降りる」ような決断をし、過去の歴史の誤った点を見詰め、清算すべきところは清算し、再出発しようとして、この憲法を受け入れたのです。

 このことは、生半可な決断ではなく、日本近代史の深刻な反省、総括、そして、21世紀にも通じるような教訓への死に物狂いの日本人、日本民衆の跳躍として、自主的、主体的であったと言えます。

 「占領下の押し付け憲法」「自主的なものではない」という感覚、主張は、アメリカ占領権力によって、権力から一時干され、冷や飯を食わされて、放り出され、不遇をかこつ指導者達、戦争指導勢力、維新革命の変質以来、権力に座り続けてきた、執権勢力の感性、恨み節といえます。

 しかし、それは、決して日本国民、日本民衆の感性に基づくものではない、ということです。

 「自主的」というのは、自分達が「自主的に、主導性を発揮し得なかった」ということではないでしょうか。

 ともあれ、その日本民衆、国民の反省を通じた、その跳躍の核心が、「交戦権放棄、軍事力否定」の9条2項であったわけです。

 このことによって、日本の明治維新、西郷の西南戦争の鎮圧による近代革命の挫折・終了、それに続いた科学振興・工業ら産業興隆・近代国民国家確立の過程を一応肯定するも、為政者は、これと一体に国家主義と「富国強兵」原理も同時に導入し、欧米の帝国主義政治を無批判に採用をしたこと。これが決定的な過ちであったこと。

 そこからは日清・日露戦争ら侵略戦争、大陸・太平洋を巡る英米帝国主義らとの帝国主義強盗戦争への展開は一瀉千里の一本道であったこと、このように戦前史を見晴るかして行く視座を戦争体験の反省、憲法は日本民衆に与えたし、そればかりか、その跳躍の超絶さ故に、戦前の憲法理念はこの21世期、正に、世界政治の諸勢力、諸思想の合成的側面を持つとはいえ、文字通り、日本民衆が「清水の舞台から跳びおりる」ほどの凄まじい反省をなしたことを意味します。その凄まじさゆえに、その憲法理念は21世紀の人類史にも届き、その指導理念として適用可能な視座を与えたといえます。

 遅れてきたものが、それを真剣に反省すれば、その生命力によって、世界の思潮の最前線に躍り出て、未来の世界にも通じるような進化した飛躍的認識を得ることがあるということです。

 戦争敗北による憲法獲得は、保守右翼が言うように、「藪から蛇を出した」のではなく、反対に日本人が21世紀にも生き抜いてゆく大理念、大指針を「瓢箪から駒を出す」形で獲得した、ということです。

 しかし、ここで、押さえておくべきことは、その教訓、憲法理念の獲得を、誰も偶然、僥倖のように捉えるきらいがありますが、又空想的でロマンティックに捉えられるきらいがありますが、それは、極めて必然的で、極めて的を衝いた、まっとう極まる、合理的な内容であったということです。

 つまり、維新以降始めて、それまで「自然的国(くに)」の中に生きて来た、日本人が、世界場裏に参入し、さし当たって、その世界の常識に従い、必死で生きようとし、栄光と悲惨を味わった深刻な生身の国民的、民族的体験から生まれたわけですが、皮肉なことは、次のことです。

 その民衆の反省、総括は、それが、敵国にして、戦争勝利者のアメリカの管理の下で、アメリカ占領軍司令部の日本支配階級への打撃、弱体化の意図と実行、他方での民衆の変革要求の、ある程度までの許容という条件を与えられる中で、なんのしがらみも考慮することなく、真っ直ぐに反省の核心に迫りえたという、敵に、相当程度助けられて反省を実現したということです。

 このことは、1945年ごろから、47年、48年、49年ごろまでの時代が存在していたことで十分裏付けられます。

 つまり、共産党ら民衆指導部とマッカーサー占領軍司令部との蜜月時代、共産党には米軍が「解放軍」と映った時代があったのです。

 言い換えれば、日本人は、開始された日本近代史の序幕の部分を、必至で生き、闘ったが故に、世界から摂取した諸文明を果敢に吸収し、活かさんとしたが、自分に合う形では消化できず、消化不良に陥り、いったんは重大極まる帝国主義の過ちを犯したこと、その反省を、「よく闘い、見事に敗北したものこそ、良く学ぶ」といった意味合いで、核心に触れたよき総括を戦後直後の特殊条件の中でなしたということです。

 「歴史は小説よりも奇なり」といわれるように、反省、教訓は、現実のリアルなドラマの中から生まれるのであり、関係性から切り離された、執権勢力の指導者の観念的営為から生まれるわけではないことを僕等は改めて噛み締める必要があるのではないでしょうか。

       2005年6月1日