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映画評 「火火」
                    塩見孝也


 この間、立て続けに新作映画3本を観ました。
 
 高橋伴明監督「火火」、行定勲監督「北の零年」、そして崔洋一監督の「血と骨」です。
 
 観たい、観たいと思っていた宮崎駿監督「ハウルの動く城」は、未だ観ていません。

 「火火」については、ありがたいことに伴明さんが試写会に招待してくれていました。

 しかし、封切といえども、60を超えた僕は、比較的廉く、映画を観れるのです。「シニア」といえばあっさり千円で入れるわけです。

 これには、実は最初は抵抗があったのですが、今は素直にありがたいと思っています。



「火火」について

  最初、「伴明さん、そつなく、手堅くやっているなー」といった感じでしたが、すぐに、この映画の世界に引きずり込まれてゆき、後半戦になるや、不覚にも、ついには、何度も目頭を拭わざるを得ない始末に相成りました。

 年輪の円熟さも加わってだろうが、彼の執念、気迫、芸術家魂が一挙に爆発していった感じでした。

 そこには、“愛”とユーモアがみなぎっていました。

 僕は、この映画は「命の大切さ」を真っ向から、何のけれんみもなく、謳い上げている、と感じたのです。

 伴明さんら、僕も含めた、全共闘、団塊の世代が、この「命の大切さ」をしっかり、認識できる年齢に達し始めたのだなー、と素朴に感じ入って同感したのでした。

 他方で自主、自立(自律)した、主人公、神山清子(こうやまきよこ)の、おんな、人間としての生き様を見事に、田中裕子が、乗りに乗り、輝きわたる演技で表現しているのにも感銘しました。

 この映画が、女性である神山を主人公にしてしか、成り立ってゆかないことは明らかです。

 しかし、最初、僕には、この「命の大切さ」と「女性の自主・自立」とは、意識化されて統一的にしっかりとは、捉えられていませんでした。

 相当、考えるうちに「女性は、命をはぐくみ、育てる存在である」―――という認識を持って来た場合、この矛盾はたちどころに解決されることに気づきました。

 男は、命を大切にするになんら女性に遜色はないが、男性性故に、その向かい合い方、追求の仕方は、女性とは違い、その社会性からして、紆余があり、自ら、自決など、命を捨てたり、他の命を抹殺したりする行為をも実行せざるを得ないのです。

 一方女性は、文字通りこの問題に直截的、直線的なのです。

 主人公は、二人の子をなし、女性性―――それは母性を本能的源としていると思われる――と人間の自主性を合わせ持つ、古代穴窯に想を得たビードロ色の信楽自然釉(ゆう)の再現を目指す陶芸家。

 夫の女性蔑視や製作作風上の意見の相違もあって、捨てられる形で離婚した主人公は、それにめげず、極貧の中で二人の子供を育てつつ、目的を実現してゆきます。

 そして、ついにビードロ色に輝く信楽自然釉を創出します。
 しかし、映画はそこで終わらず、むしろそこから本番となってゆきます。

成人した長男、賢一(窪塚俊介)が白血病を発病してしまうのです。

 そこから、母子の死に物狂いの闘病生活が始まります。

 清子や友人達、変わらぬ師にして、先輩のような石井(岸部)などの協力を得て、「神山賢一君を救う会」を結成し、骨髄提供者探しに奔走する。それは、後年の全国的、公的なバンクの原型ともなってゆきました。

 賢一は、絶望と闘いながら、母の陶芸を受け継ぎ、それを超えようとする志を抱き、努力します。
 しかし、ドナーは見つからず、ついに賢一は亡くなってしまいます。

 地元の窯業の組合から女性ゆえに排除されたり、見合いする時の態度、何よりも子宮の中で二つの生命を育んだように、子供達を何の裏表もなく、正に裸で接しつつ、育ててゆくややがらっぱち的で、豪快極まる「肝っ玉母さん」的な生き様、それに纏わりついてすくすくと育ってゆく子供たち、目的の焼き物を作るべく、一筋に形(なり)振りかまわず、骨太に生きる、清子(田中)の姿は、母親、芸術家の何たるかを我々に教え、誠にたくましく、美しいのです。

 愛する息子、賢一に白血病を告げり気丈さ、生きる可能性が残っているから、二人で闘おうと提案する、父性もかねたような母親の姿は正に母性ならでは、であり、万策尽きて、死に行く息子をみてとり、亡くなった息子を連れて帰る気丈さ、そこには、野育ちのがらっぱちさが社会でもまれ抜きながら、拭われ、自主、自立(自律)してゆく現代の気高い、女達の素晴らしい典型が見受けられますた。

 田中は、久方ぶりに、彼女、独特のスケールの大きさを演技し、高橋は女たちへの賛歌を、臆面もなく謳いあげています。

 伴明は、清子に自分の母親像を重ね、映像化したとのこと。

 青年賢一を演ずる窪塚は、新人の初々しさと、おおらかさ、伸びやかさを出し、大器の片鱗を十分に示しているし、清子に弟子入りせんとし、賢一の弟子となる牛尼(黒澤あすか)は強く印象的です。

 白血病を知り、去ってゆく恋人(池脇千鶴)像も丁寧に描かれていました。

 カメラが良い。甲賀市や水口の風景やビードロ陶器作りの凄さも分かる。
 音楽も良い。

 高橋は、地元の人々や白血病と闘う人々や諸機関の協力を十二分に引き出しています。


 彼が、自らの思想を十分に社会的ヘゲモニーとして実現しているのが見て取れます。

 高橋は自分達の世代を「連合赤軍事件」を映像化することで、彼なりに総括し、その成果の上で、更に突き進み、命の大切さを、男の彼が、稀有の題材でもあった神山を発見し、女性を描くことで、その何たるかを問うて行ったのでしょう。