寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る

 

*塩見孝也の論文

文人正君(荒君?)等「戦旗派」はもう党派主義を止めにしたらどうか。


(一)ブント総括を正しくやるために党派主義を止めよう。この10年間の党派主義を振り返る。

 日朝友好運動も「よど号」の仲間達との連帯、救援もやったことがない人々が朝鮮情勢の新たな段階、日朝関係の流動、再編期が訪れ、日本民衆が国民的関心の目を向けはじめるや、「俺にも一枚かませろ」としゃしゃり出て「もともと自分たちが正しかった」と自己宣伝し始めた。なんと思想的に低空飛行で、党派主義丸出しなことか。チュチェ思想も労働党も何一つ研究してないからこれは全く当然のことであるが。

 しかしこんなことは戦旗派にとって何ら珍しいことではない。むしろこれが彼らの組織建設の基本的在り方と言える。

 杉島たかしさんの時もしかり。「スパイではない」「訪朝のルールも破ってはいない」と彼らと殆ど関係ないのに、しゃしゃり出て僕を攻撃してきた。杉島さん救出の努力など自分らがしないのは当たり前の如く、ただただ僕を攻撃した。僕等の方が彼の救出や家族との連帯に躍起となっている時にだ。

 ただ攻撃する理屈だけ付けれれば彼のことなどお構いなし、僕をへこませ組織が拡大することだけが目的な訳だ。結果はどうであったか。彼は「自分は"愛国者"だ」と言って、「文芸春秋」で釈放後、公安のスパイであることを自認したではないか。

 鈴木国男君等一水会と共闘したら、またまた「右翼と組んだ」とわめき立てた。しかし、どうであろう。今は鈴木君は君達の集会に招かれているではないか。反米の「民族派」と組むのも時宜を得ていると、分かれば、もうなりふり構わずではないか。

一度ぐらい非難したことを詫び、見習ったぐらいの人間的礼儀を尽くしたらどうか。

 こんな人間的な初歩的礼儀が「組織至上」の「他党派解体戦術」とかで曇ってしまっているのである。

 このような人間性を押しつぶし、鈍らせて行くようなやり方で組織を作って行けば宗派的組織は作れても、資本主義社会の変革など夢のまた夢になってしまう。誠に危険なことである。

 僕が「ロフト」に出たら、後からおずおずと同じことをやり始めた。「縄文」を主張すれば、いつの間にか、「縄文は良いが、塩見の主張はいけない」こんな調子である。

 喜納さんと友誼を結んでおれば、「これは使える」で彼の思想もしっかり理解しようとせず利用しようとする。

 「連合赤軍問題」しかりである。この問題で某かの見識ある意見があれば良いのだが、殆ど連赤問題など理解できてないのにー戦旗派がいかほどの「連赤総括のの資格を持っていると言えるであろうかーただただ党利党略のため、組織の為に「為にする批判」をする。僕が監獄をでた時、この問題で論争になった時、「20年の風雪は何をもたらしたか」と言った表題が付けられていたが、あれにはがっくり来た。内容で消耗させられたと言うこともあるが、仮にも革命を目指す党派を自称するなら「どんな精神構造でそうなっているのか」と失望させられたからである。

党派主義のために獄中者の苦闘と連帯する思想的原則さえ忘れされかかっているのである。 

 今回も植垣君を引っぱり出し、「連赤」と「よど号」で僕の総攻撃と言うわけだ。

 こおいうことに頭を使う前に、チュチェ思想の研究や朝鮮の現状評価や日朝関係の分析をやり、日本の行方を考えるとか、に頭を回すべきなのだ。

 やっと初めて遅ればせながら吉田康彦先生の意見の紹介をし始めた。こんな立派な見解が紹介され「戦旗」支持者に理解されれば良い活動家、良い若い指導者が育って行くでしょう。組織を自己目的化し、党利党略だけに通じた組織が拡大しても、決して社会の命(いのち)を革めるような仕事を担えるようなことにはならないであろう。

 こんな良い編集をどういう形で思いついたか知らないが、「情況」誌の僕と荒君と味岡君の3人の鼎談が必然的にそうなったように、塩見の発言にチマチマつきまとうことがどれほど姑息であるか、明らかになったように、日本人民、民族の利益の観点に立って、現在の日朝関係をどう考えるか、と言った具合に論議は進んで行くのである。或いは人間の生き方と関連してチュチェ思想の評価、朝鮮史や朝鮮革命史の評価などの方向に行くのである。もしもあの鼎談が荒君を通じ、或いは山根君も参加する「連赤講座」等の交流を通じて、影響を編集に与えていれば大いに幸いである。

 あの鼎談でもハッキリしたように荒君の対応は民衆の利益、運動の利益を第一に置くべきなのに、そしてそこから敵味方を分別し、闘いの陣形をつくって行くゆくべきなのに、頭にあるのは組織第一、そして党利党略だけであったのではなかろうか。僕の発言に文句を付けるのが関の山で何一つまともなことは言えてないではないか。

 こおいうのを植垣君が強調する「党派主義」と言うのであり、昔流には「革マル主義」と言うのである。もっとも植垣の僕への「党派主義」なる批判はどこから引っぱり出されてきたのかさっぱり分からない的はずれなものであったが。

 僕をライバル視するのは光栄なことだが、戦旗の諸君はそれ程僕の影響力、政治力を恐れているのであろうか。高々僕の仲間は知れたものであり、組織力もたかだかでしかでしかないではないか。

 何故それ程に荒君は僕にコンプレックスを持つのであろうか。僕がブント主義の象徴で君が革マル主義の象徴と考えているからなのであろうか。あの漫画の手法は気づいているか、いないか知れないが革マル特有のセンスであり手法なのだ。

 ハッキリ言えば僕の生き様、連合赤軍問題やブント総括に驚異を感じているからではなかろうか。この十年間、戦旗派が「理論闘争」を仕掛けてきたのは大体は僕一人であり、このこと1つでも驚くべきことであろう。その際、彼らが何か積極的問題提起をしたであろうか。いつもこちらの問題提起にケチをつけるパターンであり、そこから某かのものを吸収しても、何の礼も果たさないのである。

 こんなやり方は活動家にも良い作風を与えないし、民衆にも良い影響を与えない。

 真にブント総括をしようとするのであればもっと多くのしかるべきやり方があろうというモノではないか。たとえば「情況」誌でやったように。或いはそちらの「戦旗」紙上でも良いではないか。

 戦旗派がまるまる革マル的党派主義に染まっていると言うつもりは全くないし、むしろ戦旗派の可能性を買い、期待している面の方が遙かに強いのだが、こんな僕に対するような革マル的党派主義はハッキリ清算すべき時に来ているのではないだろうか。組織力を使って、僕を絞め殺すことが出来ると思っていたらそれは全くの思い違いで邪道、下劣の極みである。こういう風に本気で思っているならそれは全くの思想的堕落と言える。そんなことではブント総括(第一次ブンドからだが主として第二次ブント)は内容的に出来はしない。戦旗派は少しぐらい、組織が大きくなってもそれだけのことであり、ブントを統一もできなければ、総称することもできない。

 やり方が間違っているのである。これは、スターリンのボナパリズムのやり方ではないか!そしてそおいうことでは僕を絞め殺すことは出来ない。この件については、僕はかねがね僕なりの提案をしている訳だし、この提案も含めてブント総括の原則、手順を考えて行こうではないか。

(二)事実誤認もいいところの大義を理解出来ない下司の勘ぐり。

 さて文人君(ブント君)の塩見批判である。

 先ず我々「よど号」関係に携わっている人たちは「拉致」と言う言葉は事実関係に合わないから使わないことにしているのだが、この人物(荒君?)は平気でこの言葉を使っている。このこと一時でも、問題の本質が何処にあり、塩見が何をいわんとしているのか何も分かっていない、ことが明らかである。「連れてきた、面識があったか否か、連れてきたなら、そのアフターケアーがどうなっていたか」が問題になっていたのである。

 そしてアフターケアーの欠如だけなら写真の人(石岡さん)が「安穏」であるかぎり、労働党への信用をある程度前提にして、徹底的に追及しなかった、のだが労働党が「連れてきたこと」を自認し、かつ写真の人(石岡さん)等が亡くなっている事実が顕在したから深刻になっていたのである。

 拉致は権力すらも含めて誰も前提にしていないのだ。それで「結婚目的の誘拐」罪という怪しげで、いかがわしい代物をひねり出し、2回にわたって合計35ヶ所の家宅捜索をかけてきたのだ。

 「訪朝70回」「国賓並待遇」!これも全く事実誤認である。40回位であり、よど号の仲間が努力してくれた所に負うところであるが、普通の日朝友好者が礼をもって遇される程度のものであり、「社民党」や「新社会党」の指導者が遇されたりする扱いではない。チュチェ研の指導者が党友として遇される扱いとも違っている。僕はチュチェ思想を評価、支持しているが、労働党盲従主義者でもなければ、朝鮮社会の礼賛者でもなく、チュチェ思想の神髄、労働党の良きところを学んでの日本の自主運動を切りひらかんとする文字通りの独立自主・不羈の自主主義者であることをよく知っているからである。

 亡くなっていることが判明してない段階で僕が公開でこの疑惑を表明したならどうなっているであろうか。当然にも僕は入国出来なくなっていたであろうし、彼らとの連帯、実践的な日朝友好、彼らの救援も出来なくなっていたであろうし、彼らの置かれている情況も悪化したであろう。

しかし、「亡くなっている(生きているなら尚更のことだ)」事態となれば、態度は変わらざるを得ない。同志への情実も大切であるが、それよりも、日本人民大衆の人権、利益が優先されなければならない。まして、日本からの人々が正に文字どうり拉致され、生還した人たちも日朝の両民族の国際主義的連帯の有り様にもがき悩み、その半分以上の人たちが死因も今ひとつハッキリしないまま亡くなっているむごい事態が生まれていたのであるから。

 こうであれば、人民と民族に尽くすことを生き方の根本に据えている人間なら、人間、革命者、同志として、日朝友好者として、反弾圧、友情も堅持しつつ、疑惑を公的にぶっつけ、真相を語ることを求めざるを得なかったのである。

 又国家間の取引の材料にされ、強制送還される前に、かかっている疑惑に「よど号」の仲間が誠心誠意答えつつ、「拉致」へのフレームアップを防ぎつつ、既定の「日朝友好のために煉獄を覚悟した、人柱になる」辛く苦しいが、素晴らしい「全員の自主帰国」を貫徹する為に「真相を明らかにする」ことを提言しているのである。

 とりわけ、よど号の仲間が9/17以降「拉致のフレームアップをするなら、帰らないぞ」と保守化し、「全員の自主帰国」の方針を後退させはじめている情況に危機感を感じたのである。

 「フレームアップするなら帰らないぞ」といった方針は「逃げ」の自主帰国方針の理念を汚す、「自己のやましさ」を認められかねない方針となる。

 この方針は最大限避けるべき、一番マズイ方針なのだ。 

  真実を明らかにしつつも、田中判決を見るまでもなく、なろうことなら僕は残れぬなら残ったに越したことはないと考えている。  しかし、今の朝鮮情勢、日朝交渉、国際情勢の中では、それは小西さんら自身が判断したように、極めて可能性少ないが故に「残留」に幻想を持たず、自主帰国の臨戦態勢に入った方が良い、と思っているのである。

 「犯罪者として強制送還されること」だけは避けるべきと思っている。

 これらのことはもう既に何度も繰り返したことである。

 誤解されては困るが、別に僕が強制力を持っている訳ではなく、あくまでこれは提言であり、当事者主体であり、彼らの信ずるところで進む以外にないとも考えている、これ又何度も繰り返したことである。

 いずれにしても、僕は僕の認識、判断を留保しつつ、仲間と共に最後まで連帯、救援をする。

 こんな現実に迫ろうともしない思想的低空飛行、党派主義のブント君からすれば品性貧しい発想しか浮かばないのであろう。

 仮にもし僕が小西さん達と同じ歩調をとったとしても、荒君は同じように「思想的に堕落した」だとか、「盲従主義」だとか別のカードを持ち出して党派主義に血道を上げるであろう。まあーこんな程度なのである。

 「親父」「おっさん」というなら荒君もいい加減親父であるし、おっさんである、「狸」と言うなら、この言葉はそっくりそのままお返ししたいものだ。

 組織の上にあぐらをかき、まともな日朝友好やよど号の人々と共に連帯しようとせず、運動が試練の再編期に到来すれば、知ったかぶりして、沢山の身勝手なデマを流しつつ、ノコノコ自分が「真理の体現者」「事態の裁量者」のごとく振る舞い、ただただ党利党略の為に顔を出すとは「狸親父」でなくして何であろうか。こんな手法が革マルの対応と何処がどう違うか、言っててもらいたいものだ。  荒君にもあるブント的エートスは何処に行ってしまったのか! 

 見出しの「拉致」の使用は「創」編集部の独断の裁量であり、僕は注意したのだが時間切れが真相である。ブント君は党派主義のために日本からの拉致と西欧から連れてきたことの区別すらつかなくなっているのである。

(三)文献から立証したかの如く振る舞う「盲従主義批判への乗り移り」なる自作自演劇の矮小さ。文献は正しく引用しよう。 

 僕は「よど号の仲間、同志を裏切っていない。(彼らが朝鮮に居る事情から労働党に盲従したり、この党を盾に裏切ってこない限り。実際この2年くらいそれに近いことが行われてきたが)」「朝鮮盲従主義批判に延命のために付け焼き刃的に乗り移って」もいない。これはブント君達のかってな解釈に基づく自作自演劇である。このことを(二)の事実関係を踏まえつつ、やや文献的に述べてみる。

 僕等は盲従主義や教条主義でもなく、さりとて全く別種の絶縁的、分離的立場でなく、朝鮮労働党には「是々非々」で相対化して対し、チュチェ思想の神髄を日本の実際に合わせて汲み取った独立自主の独自の自主思想、塩見思想、人間自主・人民大衆中心・民族自主の立場から今回の問題に原則を持って、対応しているのである。

 もし僕が「よど号グループ」を裏切るなら、彼らとの関係で築いてきた、この思想、政治路線が変更されて行く筈である。全くそんなことはないし、チュチェ思想から学びつつ日本の実際に合わせて塩見流に創造的に発展させてきたこの立場は9/17等の一寸した「流動」があろうとビクともする訳がないのである。

 先ず「自主日本の会」を創る当初から以下の基本的な意見の相違が二つあったことが確認されるべきである。

 1つは塩見も小西さん達も互いに自主主義者であり、人間自主、人民大衆中心、民族自主では同志なのであるが、彼らの32年間の労働党直属下の過去については共有化できず、このことを聴いても、小西さん等は決して喋らない。労働党盲従の態度とも関連し、彼らだけの秘密共同体を堅守しようとしてき、それでは単一の組織では困ることだ、と僕の方は、主張し、彼らは「だから連合の組織だ」と主張した。塩見の意図にも関わらず、現実に規定され「自主日本の会」はこれまで実質連合組織として運営されてきたのである。

 機関紙はピョンヤン支部の意見を保障する場としてもーーそれを在日本の塩見達が判断留保したりしているものも多々あったーーあった。組織論では、一元性を追求しつつも他方で多様性を保障する開放的で柔軟性を保持することを目指していたから、これはこれで良いと思っていた。

 いま1つは彼らが朝鮮の地にいることによって、ややもすれば労働党教条主義、盲従主義になりがちなことを巡ってである。この点で日本にいる僕等と意見が違うことが多々生じていたのである。これは提言(二)で既に触れている。

 労働党ですら今回のように間違いをすることもあるし(しかも、それが完全に総括されている保障は今も全くない)、その路線も、国際情勢やスターリン主義に規定され歪みや限界的な歴史も含んでいるわけで、ましてこの党を信奉する小西さん達もこの党の掣肘化にあるわけで、教条主義、盲従主義の過ちを犯す感じを訪朝の度に感じてきたのである。

 その度に外国の教訓を学ぶにしても、その神髄をそのまま持ち込まず、先ず日本の人民大衆を主体に、自分達日本人民の歴史的体験に照らし、自分たちの思想、言葉でもって学び、批判を留保しつつ、主体を堅持して、神髄の適用に於いても、文脈の読替、自主思想化の方法が決定的に大切なのことを「馬の耳に念仏、猫に小判」であったかも知れないが、僕は強調してきたのである。

 以上からして、ブント君が「同志を裏切った」というのであれば、先ず自主思想を僕が放擲したしたことを立証しなければならないし、僕が上記のような態度を取ってこなかったと立証しなければならない。ブント君はこの立証を何もやっていないわけで勝手な自作自演劇は止めて欲しいものだ。「真実を語って欲しい」と提言したからと言って、それが何で「裏切り」となるのか。

 そんな違いはもともとからあったのである。このことをキチンと見ようとせず党利党略の党派主義から、これまでブント君達は勝手に「朝鮮盲従主義」とか、「朝鮮のメガホン」とか思いこみ、レッテルを貼ってきただけに過ぎないのである。

 物事の客観的事実関係を踏まえ、真実、真意を了解し、ヒトと人の関係を変えて行く努力をせず、党利党略のために物事を歪曲し、デマを流し人を中傷するのが荒君達のやり方なのである。

 このような日本と朝鮮にいる日本人の自主主義者の落差、ブレの関係を「幸福論」第8章一節で、ブント君のような恣意的歪曲、つけ込みを許さないように予め、僕は「幸福論」で先手を打って丁寧に説明している。

 ところがどうであろう。機関紙で書けば人は騙され、塩見達は圧伏されると例の貧しい人間観に基づく、物事の白と黒をすり替える小ずるいデマゴギー的手法で、ブント君は歪曲を行っているのである。

 「幸福論」で僕は次のように書いている。

 「先ず、塩見思想、塩見自主思想は純日本産である。朝鮮国礼賛、美化や盲従を断じて排す。日本人はこれまで自主性を発揮して豊かな素晴らしい日本人らしい国を作ってきたが、これからも一層そうするであろう。」

 「僕はチュチェ思想とその理論を支持している。しかしそうだからといって"現実の朝鮮国での社会建設、社会主義建設"に全面賛同し、美化したり、支持しているわけではない。」(p290)「実際、僕がチュチェ思想を知って最高に感激したのは、この思想、理論の精髄部分を日本の実際に活かし、創造的に適用して行けばもしかしたら日本人民運動の壁、隘路を突破しエルのでは、と予感したことである。つまり、チュチェ思想支持は"朝鮮国の社会建設を無批判に万歳、美化"することの表明ではなく日本の為であった。」(p292) ここについては余りにも明確に僕の自主思想とチュチェ思想の関連を書いているので、塩見がチュチェ思想教条化や盲従化をしていないのは明瞭で、いかなブント君でもつけ込めず、引用も出来なかったのである。

 そこで次の文章に付け込んできたのである。ここが最高にブント君の矮小なところであるから良く読んで欲しい。

「第五、僕は"よど号"グループを極力救援し、擁護し、彼らと相当広い分野で連帯してきたし、今後もそうしようとしている。これ又紛れもない事実である。しかし、"よど号"グループを応援しているからと言って、塩見が何から何まで一致しているわけではない。このことで誤解があってもらっては困ると言うことである。

彼らは恐らく日本人で最初のチュチェ思想の理解者であろう。しかし、彼らは共和国、労働党の庇護かで朝鮮国に暮らしており、共和国に恩義を感じており、朝鮮革命にも尽くそうとするのは当然のことである。建前はともあれ、そうすることを第一として日本変革に尽くそうとせざるを得ない面を有すのも当然である。

 或いは朝鮮国の路線と抵触しない範囲、朝鮮国の路線に合わせられる範囲、競合しえる範囲で日本人の自主性を保持するのも理解できることである。

 置かれている場所の違いは、基本観点は同じながら、日本にいる塩見達と彼らとでは日本変革のスタンスが始めから違っていると言うことを意味する。

 この問題は彼らが帰国すれば、基本的解決を見るが、そうでない場合あくまで日本式自主思想創造、日本自国中心で双方で知恵を絞り、解決していかなければならない。間違っても教条主義、盲従主義で"朝鮮からのリモコン方式による日本変革"等に陥ってはならない。日本の自主変革者は逆に(このリモコン方式に反発する余り)国際主義を忘れ拝外主義に足をすくわれる愚をおかしてはならないのである。」(p293〜p294)

 このように、僕は小西さん達と僕の立場、スタンスの相違を明瞭に語っているのである。ところが、ブント君は僕がこれまで完全に一緒であったかの如く演出し、それが9/17以降保身のために「盲従主義批判に乗り移った」かのごとく演出するために、上記下線の部分のみを引用し、肝心のそれ以下の僕の言いたいところを引用していないのである。何という姑息な対応か!こんな手法で、これまで「朝鮮のメガホン」だとか「盲従主義」だとか、のデマが流され、事情を知らない人はそう信じ込まされてきた訳である。

 僕は既に2000年から2001年の原稿執筆時に教条主義、盲従主義について警戒することを宣言しており、この思想的、政治的営為は「自主日本の会」結成時から存在し、「会」の組織性格をどう規定するかで論争になっており、それを「幸福論」(20001年12月発売)で公表しているのである。つまり盲従主義、教条主義の問題は八尾証言からですらなくそれ以前からあり、一朝一夕に生まれたのではなく僕の首尾一貫した主張なのである。このことは「創」でも、「提言2」でも明らかにしているし、一貫して「春雷」紙上でも明らかにしてきた。

 実際の所、昨年の6月段階で、小西さん等とは労働党の朝鮮の米帝、日帝との和解路線に従い、帰国路線が「闘争帰国」路線が「合意」の「普通の日本人、社会人になる」路線への転換をし、それが余りにも激しく、「自主日本の会」の解散を意味する内容になっているのでーそれは僕が心筋梗塞の病気になると言った情況に付け込んでなされたのであるがー僕等から見れば余りにピョンヤン中心、実は労働党中心故に、この路線は組織としては受け入れられない内容であるから、在日本の「自主日本の会」とその支部の在ピョンヤンの「自主日本をめざす会」を兄弟的組織組織として双方は合意の上分化したのである。

(四)チュチェ思想と塩見はどう向かい合っているか。党派主義の反スターリン主義では塩見自主思想は理解できない。

 朝鮮革命史については分からないところが一杯あり、朝鮮社会についても僕は40回近く訪朝したが、それが「よど号」の人々の救援や連帯が主であった為もあり、正直その社会の隅々まで知悉している訳ではなく、従って朝鮮社会の評価、労働党の指導の実際については保留の態度を取ってきた。相対化し、是々非々の態度である。 

 チュチェ思想についてもいろいろ言われ、いろいろな解釈もある。しかし僕自身はこの思想については肯定し、支持を隠さない。いい物が沢山あると思っている。

 アジアの諸民族、中国人、ベトナム人、朝鮮人等諸民族にはそれぞれの民族に見合った革命思想があると思っている。中国なら毛沢東思想、ベトナムならホー・チ・ミン思想、それぞれ革命的民族思想と思う。 チュチェ思想も又朝鮮人の革命的民族思想だと思っている。たとえ国内、国際の情勢やスターリン主義の影響を被り大なり、小なりの歪みを孕んでいたとしても。

 しかし、僕はこのチュチェ思想と現実の朝鮮社会との間に感じる落差やそのような感じを持って捉えられる朝鮮社会の歴史的な全体像について、となると正直まだしっかりとは捉え切れていない。 

 とは言え、荒君のような「反スターリン主義」(それも反帝が非常に弱く、その反対に反スタが強い革マル的な)は「もともとスターリン主義でナンセンスなのであり、それ故元々田宮達はそこに飛び込み、過ちを犯すのだ」と言った類のスタンスは犬に食われろ、と思っている。こおいう思想だから、平気で"拉致"という言葉を無神経に使い、党派主義をやるのである。アジアの革命的民族思想などの研究などお呼びでないのである。

 朝鮮国に入国した経験のある人ならすぐに了解していただけるであろうが、入国すれば、その肯定面は口に出せるが、否定面は口にだせないような、絶対の価値、「唯一思想」が登場し、あれかこれかの二者択一を迫るシステムが直ちに作動する。この点文革時の中国とは大違いであった。中国では大いに談論風発できたと聴く。

 まして僕の場合、田宮や小西さん等がおり、世話になっている訳で、否定面を帰国しても軽々に公然と発表する訳にはいかない事情があった。僕が出来ることはデマゴギーを最大限無くし、出来るだけ自分の知っている実像に近づける形で肯定面を語ることであった。その事で最大限朝鮮敵視の雰囲気を和らげ、日朝友好を追求することであった。こうしたからと言って、決して否定面を僕が自覚してしてない訳ではなかった。

 こおいうスタンスを日朝友好の実際を知らない人は、僕がまるまる肯定している、とか、「美化、万歳している」とか、中傷する人が絶えないが、それはトンでもない一人よがりの「親の心、子知らず」的甘ったれと言える。

 田宮達と友情を守り、連帯しようとした場合、その彼らがチュチェ思想と朝鮮社会を「万歳している」態度を取っている以上、彼らのイディオロギー、政治的思想的立場を批判すれば、そのことで連帯も友情もたちまちアウトになる危険があるのである。このような入国時に感ずるような社会の在様は全く誤った社会の在りようと考えるが、さし当たっては連帯も友情もこれを前提にしてしか始まらない現実が在るのである。

 この事態を踏まえ、この分野で僕が心から納得し、比較的自由に振る舞え、創造力を発揮し得、わが祖国日本で読み替え可能で、役にたち、その共通性に於いて朝鮮国への実質の提言、批判になるものが何かを考えて行かざるを得なかった。

 それが、人間自主論であり、民族論の分野であった。

 ヒトが「世界の主人であり、全てを決定しうる(チュチェ思想)」といった自己意識を持ち、かつその事で、隣人が自分にとって他人ではなく、自己の自主性を伸ばす「自己の他在」と捉えられ、集団が自己の自主性を伸ばすことに於いて単なる集団ではなく、共同体であると捉えられこれらの関係性をかえんと努力し始めたその時から、ヒトは人間になった。群社会は人間社会になった。

 逆に言えば、人は隣人であるべきが他人のような関係になる時、それを否定し、良きように変革しようとするし、自分にとって単なる疎遠な集団となるとき、その集団関係を変革しようとする。

 人間はヒトのように世界の客体ではなく、主体となり、"世界、宇宙のいのち"を体現する存在となったと捉えた。

 僕は「自主性を持った社会的存在」というチュチェ思想の人間定義をこう解釈したのであった。

 そして、人の幸福を人と人の関係性を不断に変えて行き、集団に於いて適切な地位と役割を果たすことで、隣人と社会にに必要とされ、愛され、人は幸福を得る、と哲学した。

 人をマルクス主義のように物質と意識の二項関係で捉えるのではなく、この観点を残しつつも、人を「人間と世界」の関連で捉え定義したのであった。

 このようにして、僕はマルクスの「人間とは社会関係の総体である」といった人間論を卒業し、このマルクスの見地でも完全には脱却できなかった僕の個人主義・実存主義的人間観を超克し得たのである。

又マルクス主義が抱えていた歴史的限界をこの人間論を導入することで、脱構築(超克)しえたのである。

 僕が連合赤軍問題で僕自身の思想的課題として長年抱えてきた「プチブル革命主義、実存主義の個人主義、その時には利己主義の傾斜を克服」、「素朴なピュアーなスピリットと良い意味でのロマンティシズムの止揚の課題、つまりその哲学的、思想的基礎付け」も僕なりに決着づけられたのである。

この辺は「幸福論」をご覧下さい。又最近のホーム・ページの「30年目の我が連合赤軍問題」をお読み下さい。

 問題は荒君等ブント戦旗派諸君のことである。荒君は「マルクス主義の脱構築」を僕と同じように唱え、環境革命を主張するのだが、ついぞその「脱構築」の思想的、理論的な構造展開の原理的な内容を見かけたことがない。

 だから、この「脱構築」がブレ、彼の出生でもある実存主義、個人主義の克服の内容が僕には見えてこない。この曖昧さが、今回でもいかんなく現れた革マル的党派主義を引きずる根拠ではないかと思うのだがこの点どうであろうか。

 又文人君は僕が森君を「元々反革命」と言ったかのごとく、又々デマを流しているが、これ又自分に都合の良い塩見像をでっち上げ、それを非難する自作自演劇を演じている。一体塩見が何処の文献の何ページにこんな文言を使っているか、例証してもらいたいものだ。

 尚植垣君は「思想的総括をしていない」と息巻くが、今回簡潔に展開したように「幸福論」で思想的総括は目一杯やっているわけで、この批判は全く当たらないし、彼こそ連赤問題の直接の契機、連合赤軍「新党」の野合の問題を不問にした「同志殺しではない。殺された人にも問題があった。自分は援助しただけであった」などのたわけた居直りを止め、真摯に自分自身の思想的総括をやったらどうか。

 荒君は植垣君の原稿を掲載したが、僕には何も言ってこない。随分と不公平ではないか。それは二人が実は党派主義らに現象していった個人主義、実存主義を総括し切れていず、その反対に自主思想として思想的総括内容を鮮明に打ち出している僕に反発し、突っかかって来ている、ことがどうも真相のように思える。

 いま決定的に問題になっているのはこの党派主義の思想的、政治的総括だから。

(五)塩見自主思想は"民族"をどうとらえるか。「民族論」に於ける党は主義の混乱・混迷。

 僕らが盲従主義でもなければ、単純な盲従主義批判者でもないこと"民族"の分野から説明し、党派主義の戒めの締めくくりとしよう。

拉致された人たちもハイジャックで朝鮮に、キューバを目的にしてだが行った田宮等もその辿り付き方については決定的違いがあるが、等し並に朝鮮民族の厳しい民族的現実に遭遇せざるを得なかった。

 米日帝国主義や韓国との対峙、他方での中ソの支援的要素もあるが他面での支配主義の要素も伴う、その中で民族の分裂を克服せんと木の根を噛み、泥を食ってでも闘わんとする民族的現実である。

 国際主義や人間尊重のひとかけらもない国家犯罪の、レーシズムによって拉致された人々もその現実の中で生きることを強制され、その過程でたたき込まれた日帝36年の植民地支配の歴史的事実は朝鮮民族の現実の理解と抑圧民族、日本人としての強烈な反省の自覚、たとえそれが強制され、生きんが為の方便であったとしても、そして非合理・非人道極まる成り行きでありながら、それが生きて行く支えとなっていったことは推して知れる。

              田宮達はこのような人たちとは違って自ら進んで能動的にかの地に行っただけに、その民族的現実のインパクションは余計強烈であったろう。しかしこの点では本質的には被拉致者の認識と変わるところはなかったであろう。

 違っていたのは、この現実を革命家としてより能動的に受け止めたと言うことであろう。それは先ず「世界同時革命論」としてあった民族、抑圧民族と被抑圧民族の関係を捨象した、つまり抑圧民族としての日本人の認識を捨象した「単一の世界プロレタリアート・単一の世界階級闘争」の観念性、空想性の自己批判であったろう。

 それを踏まえて、抑圧民族たる日本人を否定、清算し、朝鮮民族に帰化・同一化し「反日(反日本民族)」化するのではなく、今一度日本人としての主体性、誇りを奪還するにはどうしたら良いか、と言うことであったろう。 それが日本民族の抑圧性を自己否定し、抑圧もしなければ、抑圧もされもしない真に自主的な民族、"真民族"になって行く道筋であったろう。

 この思想的プロセスを通じて、「よど号」の仲間は真に人民的で、自主人間的な愛国者、愛族者、自主革命家に脱皮しようとしたと考えられる。

相当矮小化され、不謹慎のきらい無きにしもあらずだが、分かりやすくする意味で映画「ダンス・ウィズ・ウルフス」に例えれば、拉致された少女=女性は日本からの被拉致者であり、ダンバートン中尉は「よど号」の仲間である。

 かくして田宮達は朝鮮の地から、愛国者として生まれ変わり、日帝打倒の変革闘争に更にその革命性をギアーアップし、決起していたのであろう。

 だが、問題なのはここからである。

彼らが日本を愛する自主愛国者になっても朝鮮に居、労働党の庇護なしには何も出来ない現実は何も変わる訳ではない。このような場所的現実から盲従主義の辛い辛い現実を甘受しなければならなかっし、彼らは敢えてそれを受け止めて積極的に生きたのであろう。  僕は20年の監獄を経て、1990年再会した。彼らとの約5年間の交流は、僕を彼らが遭遇し、辿った同じ軌跡を僕に辿らせた。僕も又「世界同時革命・世界プロレタリアート」の路線を、抑圧と被抑圧の民族問題の深刻さ、人民大衆中心の民族自主、人間自主の観点で総括、清算して行くこととなった。しかし総括内容は一緒でも、彼らと決定的に違う根本的な問題があった。それは僕が彼らの言う「祖国」日本にいると言うことである。そのとによって、その総括内容を自由に創造的に実践して行けると言うことであった。 又僕の監獄20年とその後が、全く裏も表もない、ガラス張りであるのに比し、彼らの在朝鮮の歴史については黙して語らない歴史があったことである。

 このことは直接にはいつも帰国路線の意見の違いに激突した。又「自主日本の会」を日本中心に置くか、ピョンヤン中心に置くか、組織の単一性格を目指すか、連合性格を目指すか、の意見の対立となった。

 これらのことはこの節のテーマでないので、別の機会とすることとして"民族"の問題に帰るが、僕がこの際僕が常に想い浮かべたのは中国共産党の毛沢東の指導が確立する 前のくしゅうはくや李立三等コミンテルン下の「モスクワ留学組」のことであり、朝鮮に於けるコミンテルン盲従派のことであることだけを記す。

 朝鮮民族の戦前の対日本との関係や戦後の対アメリカとの関係に於ける民族の被抑圧性をストンと今の日本に当てはめようとする教条性である。日本がアメリカに従属しているが帝国主義国で抑圧民族の地位にあり、「反米愛国」を言うのにも、朝鮮式をそのまま当てはめる訳にはいかない事情をなかなか分かろうとしないことである。グローバリズムに対して"民族"を対置することに、共通の認識があるが、その"民族"の対置の仕方には大きな落差があった。

 とりわけ血縁を問題にする際は細心の注意が居ること、血縁より、民族の住む大地と人間が織りなして形成される文化、言語に重点を置くか否かの問題である。

血縁を問題にするにしてもその生物学的側面よりも社会的側面を重視して行くか否か、において大きな落差があったことである。僕は日本民族の基層としての縄文をいい、民族を源郷性(パトリ)を据え、国家に動員されないような国(クニ)を問題にし、そのパトリも人間の自主と、民主主義と人民性と一体に据えることで、この論争に決着をはかっていった。

 さて、荒君達である。彼らは、この"民族"を問題にした時、猛烈に噛みついてきた来た訳だが、徐々に情勢の軸が"民族"を環にして回って行くことが否応なく迫ってくる中で、徐々に一水会鈴木君等とつき合うようになっていったのである。

しかし、最初彼らはアメリカと日本の間にいずれも帝国主義でありながら、対米従属の民族問題があることを全く無視したと言うことである。日本民族の抑圧性を問題にする場合、日本帝国主義権力の対米従属性の決定的比重、性格を捉えきれないのである。つまり、日本民族の抑圧性が、対米従属を通じて、初めて実現されると言う戦後的現実を民族論、日本民族の二重性として位置づけきれなかったことである。

 僕らは小西さん等の対米従属の一方的強調や荒君達の民族問題の無視に対して、戦後日本の民族的現実、民族の二重性をパトリや縄文から止揚しようとしてきたのである。

 荒君達はこのような方向に歩み始めながらも、その党派主義故にそのことを認め、僕らに虚心になって胸襟を開こうとしないのである。  そして今回の問題に対して、思想的低空飛行の下司の勘ぐりをやるのである。
                           11月6日