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*週刊朝日 10月18号から

元赤軍派議長からよど号グループへ


「真実を話して総括しよう」ー平壌でメンバーが語っていた「男性(石岡さん)をオルグしようとした

 拉致関与の疑いか深まり、メンバーに逮捕状か出たよど号グループに対して「必要な思想的、政治的総括をやりつつ、全員が帰国して真実を話すぺきだ」と呼びかける人かいる。ハイジャックに理論的根拠を与えた元共産同赤軍派議長、塩見孝也氏が、本誌のインタビューに応じた。

 2日の日本の調査団の発表では、北朝鮮は、拉致問題によど号グループが関与していたのかについて、「松木さんについては調査中」と触れたが、明確に述べていない。これを見て、朝鮮側はギリギリのところで事件を引き愛け、踏ん張ろうとしているのだろうと感じた。よど号グループと北朝鮮指導部とは緊密な関係があり、踏ん張って守れるなら、守ろうということかもしれない。この気持ち、姿勢はいちおうはわかる。

 ただ僕は「拉致」という問題に関して、全く態度が違う。9月27日は、事務所と自宅が家宅捜索を受けた。何かあるたぴに家宅捜索を受けるので人権の観点からは全くの迷惑な話で訴訟を起こすつもりである。警視庁が持っていったのは、拉致問題へのよど号グループの公式声明のファクス1枚とパスポートだけで、それも翌日に返しに来た。収穫はなかったということだろう。僕は彼らの友人であることに変わりはない。しかし事態が僕らが尽くし、主体とせんとする日本民衆の生死の問題に深刻化してきた以上、友情のみで処理し得ない段階に至っている。であれば、これまでの自らの反省を行いつつ、「人民大衆の利益第一の原則に立ち返り、彼らとの関係を整埋し直すことが要求され、僕自身も、僕自身の体験、知見に照らして真実を話すべきと思うようになった。たとえそれが真実の全事実の一断片にすぎないにしても、そして僕の発言が彼らの違命を左右することだってあり得ると承知でも。やりにくいこと極まりないが、それでも言うべきことは言わなければと覚悟している。言い方もしっかり、考えつつ発言する。結論から言うと、関与疑惑が指摘される3人について、少なくとも石岡亨さんは、彼らが連れていった可能性が強いと思う。

 これが僕なりの確信です。具体的に言えば、僕は監獄から出て90年以隆40回くらい訪朝した。93〜94年ごろに石岡さんと、よど号グループの奥さん2人が写ったバルセロナの動物園での写真が公表され、騒ぎになった。僕は写真の人(石岡さん)の了解を得たうえで違れていったのだろうと思っていたから、「そういう観点で日本で論陣を張る。資料なりなんなり送ってくれ」と言うと、返ってきたのは、「これは、まずいから騒がんでくれ」という言葉だった。ものすごく不自然さを感じた。90年代の中ごろから、この問題が大きく関心を集める時期に入り、改めて問いただしに行った。そのときのグループの説明は、以下であった。

 「たしかに写真に写っているし、実際に(北朝鮮に)連れてきた。だけど自分らがオルグできなくなって(朝鮮)労働党が出てきた」僕は「だからといって君らが連れてきたんだからアフターケアするのは当然じゃないか。おかしな話じゃないか」と言う。そういうやりとりを、90年代に2、3回やった。

 2000年に、よど号の30周年の集会を朝鮮でもやった。一緒に行った仲間が同じような質問をした。そうすると、「写真に写っているのは認めるが連れてきていない」と言いだした。説明が変わった。今から考えれば、帰国のために、これまでの発言を整理し、整合性を図っていたととらえられる。

八尾さん(恵=よど号グループの元妻。有本恵子さん拉致へのグループ関与を証言)の話を聞いたときは、いろいろ同感できるところがあった。裁判所には有本さんのご両親も来ていた。お二人を間近に拝察するにつけ、友人のことのみでなく、彼らが関与したかもしれない人々と、その家族のことも真剣に考えなければならない、と感じた。

 あのあと、よど号救援グループで反省集会があった。僕ら救援グループ全体の"お母さん"と目される人が「いったい、あの人たちは何人拉致したんですか?」と言われた。僕ら周囲は「お母さん、拉致という言葉は使うべきではない。連れてきたということだから」とも述べた。でも「連れてきたということは、やっぱりそういうことなのか」という話になり、議論は「この問題は救援の問題と次元が違うから、塩見さんが行って事実を確かめ、正しく解決すべきだ」との結論になった。

 今、小西(隆裕=よど号メンバー)は「連れてきたなんて言うわけがない」と言う。僕は聞いたと言う。現象的には水掛け論に見える。だれも何の立証もできない。ただ僕は聞いているから確信を持っている。首脳会談のあとも小西と電話で2時問ぐらい話した。そのときも案の定、「そんなことを言うわけがない」という態度だった。なぜ彼らがそういう態度なのか。一つには子供たちのことがあるでしょう。彼らがこれまで生きてきたことを全部さらけ出すのは並大抵なことじやない。親として、子供の前で自分たちは間違っていたと言うのは、その誤りの程度は別にして、ものすごくつらい。でも僕は、本当に親がしなければならないのは真実を言うことだし、それが親の務めだと思う。もちろん子供は真実を知らず、苦しむだろうでも親がこういう状態に追い込まれているのに、知らなければ正しく応援しようもない聞きたいはずです。

 もうひとつは田宮(高麿=よど号実行グループのリーダー。95年に乎壌で死亡)への思いの問題です。彼は基本的には金日成思想を軸にして草命をやろうとしてきた。関与を認めると、ずっと苦楽、生き死にをともにしてきた彼を否定することになると考えているのでしょう。この絆を解体することは、彼らにとって、なんとつらいことだろう。、

 今は八方塞がり,帰国して活路を

 ところで、彼らのこの間の言動は、日本の常識ある人から見たら、「何をアホなこと言っているのか」と思われるでしょう。それも「あれだけ優秀なやつらが言うとは」と。しかし、この理由をよくおもんばかってあげるべきです。彼らは今、「帰るに帰れず、残るに残れず、(真実を)しゃべるにしゃべれず」の八方塞がりの世界に生きている。仮にしゃべろうとしたら、朝鮮労働党の内幕をしゃべることになる。(拉致と)金正日さんとの関係が出てくることだってあり得る。それを金正日さんが望むかという問題もある。

   彼らの活路がどこにあるのか。死ぬのは間違いで愚かである。僕は日本人民を信じて、対権力との関係を念頭に置きつつも、帰国して真実を話すことだと思う。これが活路だと思う。小西と話したとき、"死ぬな"という言葉が出かかったが思いとどまった。

 彼らは「灰になる」と、よく言う。ハイジャックをやり、異国、朝鮮の地で生死、苦楽をともにしてきた。理想と思う行動もあれば、時には意にそわぬ行動もあったであろう。とにかく「川を渡った」以上、引き返せず、運命共同体の絆を何よりも大切にして生きてゆく以外にない。であれば彼らが殉じた絆、理念、思想と行動を否定するわけにはゆかない。いかに批判されようと、この歴史を肯定し、情状が許されないなら、死んで灰になる以外にない。このように理解するが、これは、あしたのジョーが真っ白い灰になったのとは、ちょっと違う。いったい「無謬の人」「無謬の党」など、この世にあろうか。理念に殉じようとして人は誤りを犯す。誤りを犯ぜば自己批判して、より理想に忠実になり、誤りを少なくすることだ。引き返せないことはない。僕から言わせれば、今の彼らは、毒食らわば皿までみたいな人生観になっている。

 よど号は、田宮たちの精神が基本にあって、それがいろいろな条件の中で変質していったととらえている。初心は非常にピュアなものだったことは議論の余地がない。だから彼らと一緒に、もう一回、日本の大地にしっかり足を踏ん張り、信頼すべき日本の人民の中で赤軍派とその国内、国外のその後を、初心を踏まえつつ、ともに総括し、新しい立場でともに再出発したい。彼らはいちばん誠実に闘ったがゆえに、いちばんつらい決算を問われている。それを正しく総括したら、次が見えてくる。僕は監獄にいたことで、何もできず、本来なら自分が担うべきつらくシンドイ課題を田宮らに担わせざるを得なかったことを痛苦の思いで噛みしめている。(週刊朝日インタビュー談)
       2002.10.18
【しおみ・たかや】1941年生まれ。元共産同赤軍派議長。国際根拠地論などを唱える。70年、よど号ハイジャックに参加する直前に逮捕。

※本記事は、「週刊朝日」および「朝日新聞社」に無断で連載することを固く禁じます。