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「安倍政権」と日米関係

安倍晋三批判 その2

塩見孝也

2006年 9月 17日
                    

 
 やっと、パソコンが、何かの拍子に復旧しました。

 何かの、拍子に、調子がおかしくなり、叉何かの拍子に治るのです。

 実に、身勝手、天邪鬼で、こっちはひたすら機嫌が直るまで、待つばかりです。

 正に、原始人が神のお怒りを鎮めるために、ひたすらお祈りをやり続けるようなものです。

 実に、情けないが、いまさら、専門学校に通って、研究しなおすような気も起こりません。

 お陰さまで、忍耐強く、他のことをやったりして、気を紛らわす、術だけは身についてきました。

 ところで、今が旬の、近く組閣される安倍政権の運命についての、「短期政権か、長期政権か」の占いについてです。

 この政権の基本性格については、既に、僕は第1弾を発表しました。あれでよいと思っています。

 長期か、短期か、となると、日本民衆や国際民衆の闘いの要素、中、韓、米らの国際関係の要素ら、諸要素があって複雑です。

 言えることは、こんな政権は早々に退場してもらうべく、我々民衆は主体的に全力で闘うことです。

 その前に、第1弾に少し、付加しておくことがあります。

 それは、「美しい国へ」は、その主張が統一教会(世界基督教統一神霊協会)の主張と共通性があるのではないかという事です。

 統一教会関係の大会に祝電を送っていたことが、韓国の統一教会系の新聞「世界日報」に報道されて以来、その安倍は現在マスコミで、この統一教会との深い関係が取り沙汰されています。

 ブッシュが超保守のキリスト教原理主義である「ビリー・グラハム伝道協会」の信奉者であり、2002年1月29日の一般教書演説では「悪の枢軸:axis of EVIL」という言葉を用いたように、安倍が、「共産主義」を「サタン(悪魔)」とする統一教会の「シンパ」、あるいは「信奉者」であっても、何の不思議もないことです。

 エスノセントリズム、国家神道ら、排外主義、他民族蔑視、日本民族絶対優秀説の反動的民族主義に加え、対「反共」用として、もう一つ、非合理主義、神秘主義の思想が安倍には必要とされるからです。この思想は、韓国で、実践済みで、かつアメリカらでも必要とされる対反共という点では,国際的性格を持っています。

 安倍ら保守反動勢力は、中国、韓国包囲網として、インド、ロシア、モンゴルらと結び、これに東南アジア諸国を加え、新大東亜共栄圏構想を練ってきましたが、特にインドを戦略的対象としています。

 これだけ、いれば、中国と断絶しても、やって行けるという古典的、ネオの小大東亜共栄圏構想の計算です。

 しかし、なんと貧弱なことでしょう。

 しかし、インド、ロシアがそれに応じてくれるか、といえば、現実はその反対に、中国と「上海協力機構」ら、両国は親交を深めています。

 叉マレーシアらを始めとするASEAN諸国でも、復古主義、保守の日本は不人気で、中国の外交攻勢に圧倒され、徐々に孤立化しています。

 グローバリズムの時代、中国は、内部に深刻な、問題を抱えつつも、日本より1枚も2枚も上手の外交をやっています。

 これに加え、アメリカに対してナショナリズムを発動してゆけば、今以上に、かつての「反ファシズム連合」の米中友誼関係が力を増してゆきます。

 アメリカは、中国市場価値を評価し、経済上はこの4〜5年、中国のパートナーシップを意識しだし、下手をすれば、日本はこれまででも、米中連合で、孤立し、叩き落とされる危険が生まれてきていたのですが、この安倍政権の成立で、この趨勢はもっと深まってゆくでしょう。

 もう一つ、これは、全くの可能性の一つですが、安倍が、将来対「朝鮮国」奇襲作戦らを検討していることも、一応頭に於いておくべきです。イスラエル軍のエンテベ空港襲撃作戦(1976年)や、カーター政権が企図し、失敗した、テヘランでの米大使館占拠事件に対する人質奪還作戦(1980年)のようなものです。

 いずれにしても、この要に軍事力強化、叉その要に核武装を戦略的に想定していることは明瞭です。

 ここまでの、基本的軍事戦略を組むこと無しには、こういった作戦は出来ません。

 これを、もってこそ、否、これでなくしては、対中、対米「二正面作戦」など、全く一時的にも、非現実的,誇大妄想の類です。

 しかし、この軍事戦略の裏付けなくしては、非合理極まる神秘主義の孤立主義を覚悟した反動的民族主義、超国家主義は増殖して行けませんから。

 これ等は、安倍が小泉に仕えた時代、特殊、対北朝鮮対策として、拉致問題でタカ派として、反共、保守右翼勢力と親交を深めていた時代、培った思想、構想であり、決して、グローバリズムが奔流のグローバルな米中関係を機軸とする国際政治の実際に対応し、練り上げ、実践化され、検証済みのものではない、ということです。

 自民党内で、現状の酔っ払い的危機意識の情況で、こういった「真夏の夢」の妄想が、駆け巡っているだけで、何の検証も現実的裏付けもないのです。日本民衆が、安倍がどんな思想、政治的ビジョン、政策の持ち主か、安倍を支える勢力がどんな勢力か、知らないから、マスコミ宣伝で、「いかにも安倍ならやってくれそう」という程度なのです。 だから、政権担当者になった場合、この超偏向性は、白日に晒されて行きますから安倍は、すぐさま試練にかけられます。

 ちなみに、朝日新聞の自民党総裁選びの調査では、その人気として、「拉致問題で頑張った」「「人柄が温厚そうで、誠実、若いから」というムード的要素で、 その政治的要望も年金や生活向上」で、改憲などに関してはナント僅か2パーセントということでした。

 安倍が、それでも自分の構想、ビジョンに固執し、拘り続け、突っ走りぬこうとすれば、全くの、短命政権で終ることは明瞭です。

 奇襲作戦などの奇策を成功させれば別ですが。僕等は、こんなアホな動きが生まれないよう、そのような一寸した兆候でも現われれば、徹底して暴露し、執拗に食い下がるべきでしょう。

 そもそも、今からこういったことを彼がやりかねないことを徹底的に、宣伝しておくべきことです。

 安倍が、宰相として、現実に臨み、彼の妄想を修正してゆけば、話は、少し別になるでしょう。

 いずれにしても、日本資本主義の危機の脱出口は、ブルジョア的見地に立った場合、対米従属か、対米自立の孤立主義か、対アジア接近か、などと言った、発想では立てられないような気がします。

 この視点は、これまでの戦後従属帝国主義を基準とする、基本的には一国主義で、今では、可なり陳腐となりつつある、発想です。

 この意味では、僕は、安倍のビジョン、思想など、やはり、時代錯誤もいいところの、誇大妄想に過ぎず、「2度も完敗した」ドイツ・ゲルマン主義ではなく、「1度しか完敗していない、」「汎日本主義、反動的日本民族主義」の狂信、最後の亡霊が墓場から彷徨い出て、その反動性、汎民衆性を摘発されるエピローグを担って行く運命にある人のように思えます。

勿論、これは民衆の闘いを前提にしてのこと、安倍も改憲は5年ぐら掛けないとやれない」とも言っているし、我々が、そのロードマップを崩し形で、対峙してゆかない限り、倒れる可能性があっても倒れない、のも事実でしょうから。

 僕の見るところでは、日本資本主義の対極的展望は、日米資本主義の融合、その機軸の中に中韓を巻き込む、「帝国(ネグリ)」的方向のような気がします。

 これは、これで、叉別の諸問題を宿しているのですが。

 日米資本主義の融合志向は、丁度ドイツ人が汎ゲルマン主義を自己否定した、その後にやってきたEC、今のEU志向のように、一度決定的に国民的論争の過程で、叩かれないと生まれないでしょうが。

 ドイツ人は、こういった形で、民族主義や腕力(軍事)をつかわないで、ヨーロッパのヘゲモニーを握りつつあるように思えます。これには、フランスも他のヨーロッパ人も民族主義的反撥が出来ないのです。

 汎ゲルマン主義は否定清算された。

 しかし、ドイツ人民族主義は、開かれた、落着いた、幾分かは人間主義的で、幾分かは民衆主義的色合いを持ちつつ、脱民族主義のパトリ民族協同性として、止揚の過程に入りつつあります。

 仮に、ドイツが、みたび、国家主義的民族主義の方向を復活させて行ったなら、今のヨーロッパはどうなったでしょう。

 ナショナリズムとナショナリズムの激突です。

 安倍が、やろうとしているのは、この「仮に」を、日本版、アジア版でやろうとしているのです。

 この、後ろ向きをやれば、韓国、中国、アジアの諸国も後ろ向きになり、 これ等の国で、そろそろ市民社会とその常識が育ち始めているのに、それより遥かに先を行く、成熟した、市民社会を持つ日本が、時ならぬレコンキスタ・エスノセントリズムの妄想に取り付かれ、始めたので、「寝た子を起す形」で、国家主義の狂騒が生まれ来つつあるのです。

 この狂騒の主原因はやはり、日本側にあるといえます。

 特に、保守反動勢力のマルクス主義ら民衆の変革思想に無知,無認識に基づく「冷戦再燃認識」という錯乱認識によります。

 しかし、時代は、そのような現象も一見孕みつつも、全然違う世界史の段階、時代、グローバリゼーション―グローバル帝国主義の段階―「資本制生産に於ける所有、所得の関係と生産の社会化の矛盾」が成熟してゆく時代に入り込みつつある時代なのです。

 資本主義批判、人間自主、民衆中心、世界民衆共和国、世界同時革命に開かれてゆく脱民族主義志向のパトリ認識をしっかり持ちつつ、世界に誇れる憲法を、この観点で活かしつつ、僕等は、反動的民族主義と対決しつつ、他方での、売国的従属主義おも同時に批判しつつ、さらにこれ等のブルジョア民族主義の根底に流れ、今後趨勢かしてゆくであろう「帝国」的対応にも、今から備えてゆかなければなりません。

 日本は、従属帝国主義で、従属してはいますが、独占資本主義国で、植民地ではありません。だから、二段階戦略は全く間違っています。
しかし、自立してはいません。「従属」であることは、戦後の事態やあらゆる日米間関係が示しています。

 であれば、対米民族問題が生ずるのは当然です。

 問題は、それを、如何なる、視点、方法で解決してゆくか、です。

 ここに、「国民国家に集約されない」「民族であって民族でないような、従来の民族主義を超える、脱民族主義の方向での民族の在り様を巡って、全国民的関心が喚起されていっているのです。従来から見れば「民族でないような民族」の在り様が問われているのです。

 この、民族への関心の流れは、決して安倍らの偏狭、復古主義の、反動的民族主義などには決して集約されはしないし、それほど日本民衆が問題にしている“民族”への関心は単純で、底の浅いものではありません。

 これが、パトリ的愛郷主義ですが、これをもって、僕等は、反米民族派右翼と共闘し、彼等を変え、他方で、反動的民族主義を焙り出してきたわけです。

 民主主義が両義的なように、民族もまた両義的です。

 だからこそ、社会主義者が、民主主義に繊細に微妙に対応するように,“民族”へも、計算し微妙に対応する必要があるのです。

 ダブルスタンダードの基準と具体的な実践を持ってです。

 僕は、「世界社会フォーラム」や「日本赤軍」の救援をやり、様々な世界の民衆との国際主義的結合を進め、他方で、それを優先させつつも、別のスタンダードを作って、民族派に対応して行きました。

 そうする事によって、安倍的な民族主義も焙り出されてきたともいえます。

 これは、全く結構なことで、これでもって、この思潮の息の根を止めるチャンスも与えられてきたわけです。

 留意して欲しいのは、反米民族派、右翼が決して、安倍のような民族主義には行かず、民族主義の観点から、安倍と対決し、資本主義を批判し、社会主義に革える、闘いに「維新」でもって、独特な形です加わることを模索している、ことなどです。
 

塩見孝也