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村上春樹、イスラエル文学賞での受賞演説に思う。

自分のなすべき事をしっかりと把握した上での発言に共感します。

2009年 2月 21日

塩見孝也


●このところ、政治活動の面で多忙です。思想的営為は、この活動との関連では、結構、問題意識は旺盛で、深まって来ています。

 ですが、未だ、「観たい、観たい」と思っている、スティーブン・ソダーバーグ、「チェ、28歳の革命」「チェ、37歳の別れの手紙」も観切れていません。
 
 どうも、「忙中、閑あり」で、暇を見つけ出し、映画を観たり、小説を読んだり、好みの音楽を聴くような余裕が無くなって来ているのかもしれません。

 そんな、今日この頃ですが、先日、夜晩の仕事を終えて、深夜、帰宅して新聞を見ていると「村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判」なる記事が、目に飛び込んできました。

 詳細をインターネットで調べたり、家族の話を聞いたりしているうちに、久々に、忘れていた情趣が甦って来、僕の心は、じわじわとは潤おって来たのです。
 
 このことにつきましては、皆さん、もう既に、十分ご承知のことと思います。




「政治家も外交官もみんな嘘をつきます」

 「小説家も、嘘をつきます。この嘘は、フィクションというもので、性質が違いますが、−−− 」

 「しかし、一年間に一度くらい、真実を語ります」「私は、沈黙するのではなく(現地に来て)はなすことを選んだのです」


 彼は、イスラエル、エルサレムの「エルサレム賞」受賞の国際会議場で、こう語り始めたのです。

 この、来賓席の真正面には、例のシオニスト・虐殺者、オルメルト大統領が、見つめる前でのことです。

 彼は、大胆不敵にも、恐めづ、臆せず話し始めたのです。その覚悟の程や、十分に察せられます。

 彼は、普段はマスコミ嫌いで有名ですが、彼は、自分が日本でも、珍しい、グローバルな作家であり、自分が、自分流に、自分の持ち場から「なすべきことが、何であるか」をしっかりと把握していた、と考えられます。


「小説家は自分の目で見たこと、自分の手で触ったことしか信じることができません。ですから僕は、何も語らないでいるよりも、自分で見て、ここで語ることを選びました。  そしていま、僕はここに来て語っています。

 もしその『壁』が――その壁にぶつけられる「卵」が壊れてしまうほど――固く、高いものであるならば、どんなに「壁」が正しくとも、どれほど「卵」が間違えていたとしても、僕は卵のそばに立つでしょう。
 なぜか? 

 僕たちひとりひとりが、その「卵」だから、かけがえのない魂を内包した壊れやすい「卵」だからです。僕たちはいま、それぞれが「壁」に向かい合っています。その高い壁は、『システム』です。

 僕が小説を書くさい、たったひとつの目的しか持っていません。それは個々人のかけがえのない神性を引き出すことです。その個性を満足させるために、そして僕たちが『システム』に巻き込まれることを防ぐために。だからこそ僕は、人々に微笑みと涙を与えるべく、人生と愛の物語を書きつづります。

 僕たちはみな、人間であり、個人であり、壊れやすい卵です。

 『壁』はあまりに高く、暗く、冷たすぎて、それに立ち向かう僕たちに、望みはありません。(だからこそ)「壁」と戦うために、僕たちの魂は、暖かさと強さを持つべくお互いに手を取り合わなくてはなりません。僕たちは僕たちの作った『システム』に操られてはいけません―― そのように僕たちを形作ってはいけません。それはまさに、僕たちが作った『システム』なのですから。」


 彼は、こう人間について、卵と壁の関係で、語ったのでした。

 以上、イルコモンズさんのBlogより、「sho_ta 『しあわせのかたち』」の訳文を一部引用させていただきました。


●人類が犯してはならないような歴史的大事件が起こった時、犯した時、誰もそのことについて、必死で自己表現をなし、行動します。

 芸術家は、そのことについて、最も鋭敏に、自分のありったけの才能、技能をもって、全身全霊を賭け、叫びます。

 僕は、今回のガザの人々への暴虐について、ピカソの「ゲルニカ」のような表現、丸木伊里さんの「原爆図」のような表現が生まれることを切望しています。

 僕は村上に、このことを望み、この演説を、このような営為への彼の宣言と捉えます。

 氏は、僕ら全共闘世代の真只中で青春を過ごした人です。最も、僕は、その時、やや年齢が上でしたが。そして、僕は彼のフアンでもあります。

 今、この世代は、あれから、捻じ曲がり、押し込められ、鬱屈、沈黙の中で生きた、この40年間を、その軌跡が何であったか、を自己否定の裡に捉え返せる時代の到来の中で、それぞれ流に、自分の持ち場から発言し始めています。嬉しいことです。

 村上よ、良くぞ、言ってくれた。
 
 村上よ、僕らの心が、政治の喧騒の中で、擦り切れ、枯渇しないよう、いつまでも僕らの心に潤いを与えて欲しい。

 そして、僕らの政治が、民衆の感情、要求を、いつまでも真摯に汲み上げられるよう、まっすぐにものごとを洞察でき、向かい合えるよう、僕らの心を潤るおし続けて欲しい。


塩見孝也