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「青年たちとの対話」を目指して

5・15・鶯谷「膝詰め放談トーク」イベントの報告

2009年 5月 31日

塩見孝也


去る5月15日、「鶯谷ワッツアップ」という場所で、ミク友A君の企画のトーク&ライブのイベントに招かれましたので、報告をします。


(一)「生きづらさ」を直視し、「青年達は如何に生きるべきか」をしっかりと考えよう。

 このイベントは、20人前後。別に沢山の人々の参加を目指していたものではなかったし、人数はこんなものでしょう。しかし、内容的には、核心に迫る非常に良いイベントでした。先ずは、このイベントを仕掛けたA君に感謝の意を表明しておきます。

 また、最初に、自作と思われる音楽を掛けてくださった青年にも、いい音楽だったと言いたいです。

  大体、7時半ころから11時半ころまでやったのではないでしょうか。鶯谷でトークするのは初めてで、会場は元三島神社の近くのライブハウス。華(はな)街の中にあるのですが、よく整備され、磨かれ、艶のあるしっくりと落ち着いた店でした。

  この成功の一因は、参加者が右から左までで多彩で、議論が包括的で、論点が鮮明化し、かつ、その核心に迫らざるを得ないような陣容であったこと。準ゲスト的性格で、佐川一成(名前,不正確?)さん、F君(?)、あるいは、最近ミクシィに参加した「右」といえるT−T君、あるいは九州から駆けつけた外山君のアシスタント<月世界美人>の方、左の僕や5〜6人のミク友、そして、名前も経歴も知りませんが、興味を持って参加してくださった人々、といった構図でした

  佐川さんが最初発言され、F君が次に発言され、そして僕の順、その合間、合間に参加者が質問したり、感想、意見を述べたりです。
 佐川さんもF君もA君もそのほかの方もみんな初対面です。みんな、率直、フランクでした。

 ここに集まった青年達は、決して、青年の全部を代表してはいないものの、さまざまに分化し、流動している青年たちの重要な一角を占める階層といえます。

 格差社会の民衆抑圧状況の中で、<生きづらさ>の鬱屈感を蓄積させ、もがき、何とか自己解放・自由の道を模索している、「中産階級」、あるいは「小市民層」ではなく、基本的には「底辺層」の青年達といえます。

 いうならば、事情によっては、ファシズム予備軍ともなれば、フリーター全般労組運動、「自由と生存のメーデー」運動らプロレタリア解放を目指した革命的労働者運動の萌芽の予備軍ともなってゆく青年層といえます。


 次第に、音楽表現としての「殺せ!」「死ね!」という題目、テーマの是非が焦点になって行って行き、また、このトークが、「殺人」と  「人肉食い」事件の佐川さんの存在、あるいは、F君の大正末から昭和初期の右翼テロリズムや5・15事件や2・26事件への共感表明、それに70年闘争で、「世界社会主義革命(世界同時革命)」「権力問題」「武装闘争の追求」「監獄20年」の僕の存在が加われば、死生観をめぐる世界観、哲学、命と暴力、革命(反革命)、あるいは美、芸術の問題に、一挙に行き着きながら進んでゆくのは当然でした。

 とはいえ、根底にある基本テーマは、青年たちの「生きづらさ」「貧困と無権利」、「居場所のなさ」らの問題であり、僕はこのテーマを外さないで、「青年達はどう生きるべきか」を語って行ったつもりです。


 

 (二)現代は「ファシズム前夜」か? 唯民族主義(民族至上主義)は脱出口とはならない。

 最初、僕は、二人の前発言にコメントを加える形で始めました。

 佐川さんの、彼の起こした事件の反省、その後の人生についての弁、つまり、「命の尊とさ」<殺人の否定、批判><青年達への忠告>が、至極、全うな共感する弁であったこと。彼は十分、話すに足る人物でした。

 ただ、彼が資本主義批判−プロレタリア革命の方向で、まだまだ意識的に、自己の事件を捉え返していない点について、少し引っかかりました。

 F君の発言につきましては、「現代の時代と当時の時代が、ひどく似通っているのでは?」という言説に、先ずコメントする事にしました。

 「確かに、似ているところもあるが、基本的には、全然、違った時代である」と言いました。

 この点が重要だからです。当今の時代は「ファシズム前夜」などではまったくないのです。

 その理由として、僕は、以下の二つ程、一つは人類、民衆の二つの「世界大戦」の反省的な歴史的教訓の問題。

 もう一つは、「資本主義の第三段階」ともいえる、グローバリズム資本主義の特性からする要因を挙げました。

 ★「1920年代、30年代」は、基本的には再現しては行かないこと。「超国家主義」、というか「ファッショ」や帝国主義侵略戦争としての列強間の「国民国家間」の「世界戦争」の方向には、この二つの戦争の悲惨を経験した民衆や人類には、そこからの教訓として、そのように進む事を望まない時代、つまり、世界史的階級関係に到っているからです。こういった問題として、人類史的「共同主観」と言える観念が生まれている事。

 ★安倍政権は、「戦後政治の総決算」「美しき国・日本」「経済成長絶対」とか、戦前回帰の政治を打ち出し、9条改憲−国民投票翻案や教育基本法「改正」らの強引きわまる政治をやりましたが、たちまち破産しました。

 その後の福田政権は、低迷し、まったく短期間に、政権を放り出しました。

 資本家達は、「マルクス主義、社会主義(共産主義)は、破産した」「資本主義は永遠に繁栄する体制」という言説を、70年代以降、撒き散らしました。

 それは、80年代から90年代としょうけつしてゆきました。

 しかし、どうでしょう。麻生政権の現在、マルクス主義経済学が指摘するように、資本主義は金融恐慌から、過剰生産恐慌を勃発させ、資本主義世界は「百年に一度の不況期」と資本家達すらが、承認し、喧伝するような事態が到来し、労働者ら民衆運動とプロレタリア社会主義革命の学説がよみがえりつつあるではありませんか。

 また、帝国主義独占資本家たちもまた、彼らの利潤追求第一主義からして、「世界戦争」は、その可能性、危険性は皆無ではないが、望めなくなり、かつ、望まなくなくなってきています。

 戦争については、発展途上国を舞台にして、残虐という点で、これまでの戦争の中でも、一番、質が高く、密度濃く、自らの経済の「軍事経済化」を満足させ得る、らの特性を持った、恒常的「局地戦」に資本主義脱出の突破口を見出し、現に今も遂行し続けるにしても、それが導火線となって、戦前のごとく、世界戦争に連なってゆく要素は、非常に減少しています。

 1970年代のベトナム反革命・侵略戦争での敗北以降、帝国主義は植民地体制を失ってしまい、その結果、帝国主義の本来の生命線である、膨大な植民地からの超過利潤が得られる植民地獲得、再分割の野望を資本主義はあきらめ、一歩後退しつつ、IT革命らを利用し、資本制生産過程の「国際化」をはかり、この経済、金融運動の中、「第三世界」から主権を獲得した「発展途上国」を、「資本主義発展途上国」にしたり、スターリン主義「社会主義」国を資本主義化しつつ、破産させたり、変質化させたりしつつ、この「国際化」に巻き込みつつ、資本主義の諸関係は、もはや逆戻りできぬような相互依存関係を持った途方もない生産力を創出し、そこから膨大な利潤を生み出してきました。

 帝国主義列強間の「国民国家」間の世界戦戦争は、国際独占資本が生み出した、このような利潤創出システムに背反している要素を増大させてきたわけです。

 資本主義は、マルクスやレーニンの時代の資本主義経済を継承しつつも、「資本主義の第三段階」ともいえる、「グローバリズム資本主義」の段階に達し、それゆえ、レーニン「帝国主義論」の段階の資本主義、つまり、一国資本主義と違ってきているがゆえに、パトリオティズム(愛民の愛郷主義)を「国民国家」を絶対化しつつ、「超国家主義」という国家主義、ナショナリズム、国粋主義に掬い上げ、民族主義、国民主義を純化してゆくことは出来なくなってきているわけです。

 金融独占資本家たちは、抜け目なく、こういったファッショ運動を煽り、育成し、利用しようとしていますが、それは、あくまでも右翼反対派、保守極反動派の域に閉じ込めて於いての事で、決して、執権勢力主流にはこの勢力をつけない事。そのような存在の典型は田母神氏です。

 この点で、右翼運動は、独占資本の補完物になって行く勢力と他方では、唯民族主義(民族主義一元論、民族至上主義)の見地で、市場原理至上のグローバリズムに反撥し、「反アメリカ国」」、「反グローバリズム」を掲げ、左翼にコンプレックスを抱きつつ、プロレタリア社会主義革命ににじり寄って来る勢力に二分化してきています。

 前者は、僕らが批判し、打倒すべき主要敵の重要な一翼ですが、後者は、必ずしもそうはいえません。  この勢力は、一方では、反体制的様相を呈すところを持ちつつも、資本主義批判、プロレタリア階級への信頼の欠如からして、その一員として闘う事が出来ず、普段に浮動し、折衷主義的であることを特質としています。

 時には、「反米民族主義」でプロレタリア社会主義世界革命に魅かれたりもし、また、時には、「超国家主義」を掲げ、反民衆的、反共運動に走ったりする、二面主義を持っています。

 ブルジョア的ではないにしても、小ブルジョア的で、決してプロレタリアートの立場に立って、首尾一貫して物を考え、行動する事は出来ないのです。

 F君やT−T君が述べ、好意を持つ「革新右翼」はこういった存在なこと。

 お二人は、戦前の戦争を「聖戦」として肯定するのか、天皇を絶対化するのか、「天皇を神と奉じ、<国学>的<国体論>を堅持するのか」、あるいは、「<国民国家>を絶対視するのか」と問えば、「そうではない」と答えました。

 こういった発言を考えれば、お二人とは十分に対話可能なことが判明しました。

 T−T君につきましては、「自由と生存のメーデー09」にも参加し、現中国−中国共産党の唯生産力主義−資本主義化の状況で、チベット、ウイグルら少数民族の抑圧、労働者や農民の抑圧に対して批判する運動を推進しています。この運動そのものは正しい、と思います。

  しかし、唯民族主義、民族至上の見地にたてば、アメリカ国が、戦後日本国を従属化させて来た事に対して、「日本民族」が大切である以上、反「米国」「反安保」を先ず最重要な優先課題として、何故貫ぬかないのか、むしろ、「反中国」に重点を置いている印象を受けるわけですが、こうであれば、「反共保守右翼」と本質的に変わらない、と見受けられるが、これは、僕の誤解なのか、疑問を感じました。

 「自由と生存のメーデー」に参加するぐらいであれば、戦前回帰を否定して、人民大衆中心の民族主義を経て、資本主義批判−プロレタリア社会主義革命に接近する、ないしは連帯する方向に、もう一歩踏み込むべきではないか、と思いました。

 左翼、プロレタリアートは権力の補完物である保守反動の右翼を厳しく批判し、対決するものの、いわゆる「新右翼」、「民族派」については、意識的に保守反動右翼とは区別しはじめています。これは、僕が最初に提唱し、<一水会>との共闘関係として実現したものです。

 「反アメリカ国」、「反安保」の戦いでは、連合もしますが、侵略の擁護、他民族排外主義、戦前美化には徹底的に反対し、「連合もすれば、闘争もする」立場をとります。

  願わくば、この人たちには、民族を語るのは、一応、良いにせよ、民族至上主義をやめ、資本主義批判、民衆第一主義のプロレタリア世界革命の方向での世界観上のパラダイム転換をさらに図ってほしいものです。

 民族論プローパーでは、プロレタリア世界社会主義革命の方向での、良き民族的個性、伝統を活かしつつの「諸民族の接近と融合」の方向、「開かれた民族主義」に、もっともっとパラダイム転換して欲しいものです。



 (三)非合理主義、神秘主義思想のマヤカシを欧米、日本での歴史を教訓にし、批判しよう。

 さて、本題に帰りつつ報告し、同時に僕の意見も付加しつつ報告してゆきます。

 「殺せ!」「死ね!」のスローガンは、政治的表現ではなくても、芸術的表現でも、こんな表現は、全然間違っている事です。

 これに加えて、「希望は戦争」など、人を殺す事を軽々に、絶対に言うべきではありません。こういうことを言う人に限って、自己の保命心は強く、しっかりした思想的、哲学的、理論的営為などもしていなく、本物の勇気も持ち合わせていない、甘ったれた人が多いのです。

 三島由紀夫は「命よりも大切なものがある」と言いました。

 果たしてそうでしょうか。信義とか、愛国心、とか、神、天皇、美意識とか、なのでしょうが、こういった事柄もまた、人間が命とそれを社会的に発現させる自主性の大切さを前提にして、初めて成り立つ命題と考えられます。

 誰でも人間なら「命と自主性」を最高尊貴します。そのために、労働、生産活動を行うのです。だからこそ、労働、生産活動における、関係性、階級性が深刻な問題となってきたし、今もそうなっているのです。

 また、これを前提にして、そのために戦い、「信義」を大切にし、「美意識」を育てて行きます。

 あるいは、そのために、意識的な人々、革命家は、自分にとって、一番大切な命を投げ出す事すら辞さないのです。

 言うならば、“義”、“大義”、“信義”は、あるいは、“美意識”は、抽象的、一般的に存在するのではなく、その人の所属する社会の性格、その社会を構成する階級に規定され、階級性を持っているのであり、三島は、戦前帝国主義の政治を絶対化し、正面から政治的に押し出した人ではなく、資本家、地主、軍人ら官僚たちの保守的な美意識、信義、伝統、その象徴としての「神格天皇」を憧憬し、いわゆる日本的な「文化防衛論」を押し出して来た人といえます。

 そこには、反米や日本的伝統、文化の面で、ある程度の考慮に値するものも含まれていますが、彼の文学、文化の階級的性格は明らかです。 保守的、復古主義的な、その意味での反動的ロマンチシズムが基調と言えるものです。

 格差社会−貧困−無権利、そこからの被抑圧感、鬱屈感、孤独、居場所のなさ、はわかるものの、それを、自己中の自己顕示欲、エゴイズム、別の面で言えば、三島的な思想、美意識やヨーロッパの反動哲学をない交ぜにして、こういったスローガンとして打ち出しているとすれば、それはまったく誤っています。 ニヒリズムや程度の低い実存主義、悪質のアナーキズムは、こう言った状態を説明できず、結局は、非合理な神秘主義に走り、行動投機に走ります。

 「人と人とを繋ぐ橋」があることが分からなくなり、自らの観念の中に、「絶対神」をでっち上げ、その奴隷を任じたり、自分自身を「神」化し、「超人」視したりします。

 これらの思想傾向は、30年代や現代のヨーロッパ哲学や戦前の日本主義哲学の思想傾向のごった煮といえます。

 そこには、ニーチェ「超人主義」、ベルグソン「エラン・バイタル」、ニーチェやワ−グナーを推奨し、ハイデガーもそれを受容して行った様なヒットラ−のナチズム思想、あるいは一部においては、これを戦後、継承しているような「ポスト・モダン」哲学らヨーロッパ哲学思想や「絶対無」の西田哲学、あるいは、30年代の「超」国家主義思想、「忠君愛国」「死んで靖国で会おう」「七生奉国」らの「英霊」賛美思想ら、特異な「言霊」性を宿した日本的な「死の哲学」「死を憧憬する美学」らの雑炊ともいえます。

 明治維新以降の、ブルジョア革命の不徹底と関係する天皇主義的全体主義の帝国主義的国家主義の強固さとプロレタリア運動がスターリン主義の害毒をまとわりつかせていた主体的な事柄も関係しての社会主義民衆革命の敗北的事態ゆえに、このような雑炊の非合理主義、神秘主義が戦前日本社会では跋扈しました。

 このように、戦前日本民衆は、自己解放の道を遮断されてしまったがゆえに、愛するもの、友人、地域の人々、仕事、労働仲間同士の信義の関係を、窮地の絶望的事態の中で、無残にも「死の哲学」「死の美学」へと、押し込まれ、疎外されて行った、と言わなければなりません。

 戦後プロレタリア革命の不成功ゆえにこのような「非合理主義」「神秘思想」は、ドイツ・イタリアのごとく一掃されていず、日本では延命し続けていますが、思想、哲学の主流はアメリカ・プラグマチヅムや実存主義や、現象学や論理実証主義に代表されるブルジョア「合理主義」(この底にも、非合理主義、神秘主義があるのですが)が主流といえます。

 資本主義が、言うならば、戦前と違って、「成熟」してきたからです。

 とはいえ、日本独占資本は、先述しましたように、このような非合理主義・神秘主義思想を、右翼反対派として位置づけ、時には頭をもたげさせたりし、巧妙に利用し続けたてきたわけです。

 今の田母神氏の処遇などがその典型といえます。



 (四)唯物論、唯物史観、「資本論」らマルクス経済学を研究しよう。

 マルクスが「フォイエルバッハ・テーゼ」で言っていますように、「人間は社会諸関係の総体(アンサンブル)」であり、「実践的、主体的存在」です。

 ですから、先ず、自分の置かれている社会諸関係を冷静に調査・分析し、できる限り精確に把握する事です。

 意識、精神は、客観的実在としての物質存在、社会諸関係の、そしてこれまた物質的存在である身体性を介した反映と、基本的にいえます。

 決して、意識、精神が第一に存在しているのではないのです。

 僕らは、「唯物論か観念論か」、において断固として唯物論(唯物弁証法)の立場に立つべきです。この観点から、“世界”、“宇宙”、つまり“自然”を考え、“歴史”を考え、“労働”、“生産”ら“経済”、“経済学”を考え、“政治”、“社会革命”、あるいは“軍事”、“芸術・文化”を考えて行くべきです。

 「世界」、「自然」は、運動している客観的実在です。無から有は生じませんし、有は広大無辺で、極微から極大までの、永遠に運動している客観的な物質性を持った無限的な実在です。

 だが、実在している以上、そこには、運動が存在し、それは、法則性を有しています。可知と不可知は、人間にとって果てしない論題ではあるものの、人間は可知の方向で、その法則性を科学で明らかにしてゆこうとします。

 科学について、その限界性を云々する事も出来ますが、人間は生きること、「命を大切にして、それを社会的に輝かせる自主性を最高尊貴する」事に於いて、「現実に提出される問題しか解決し得ない」「しかし、それだけで十分である」というマルクスの見地に立てば、これまでの人間史の諸問題の解決は、やはり、可知の方向で、合理的、科学的に解決されて来た、と言って良いと思います。

 人類が物質存在であり、物質から誕生し、無機物から有機物に発展し、そこから生命体としての動・植物に発展し、その動物から人類が生み出されてきたこと。動物、人似サルから人間へ、の進化の過程は、動かせぬ真理です。

 動物の群れから、生活手段を生産手段に発展させ、自然を、分業や協業の協同労働の関係を通じ、改造し始めて行くことにおいて、動物の群れ社会は、人間社会へと変化・発展してきました。

 人間社会の原始の時代が、その生産力の低さゆえに、原始的とはいえ、共産主義の共同体社会であったことも、これまた動かせぬ歴史的事実です。

 生産力が発展してゆくにつれ、生産力の上昇がから生ずる剰余生産物を独占してゆく人々と自己の再生産に必要な生産物しか受け取り得ない人々に、この社会が次第に分化、分裂してゆく中で、階級社会へとこの社会が変質、変化し、それが、大きくは、奴隷制社会、封建社会、資本制社会へと展開してきたこともまた歴史的事実です。

 「民族」「国民国家」もまた、人類史の歴史的一範疇であります。

 氏族→部族→部族連合→初歩的「民族」→資本制生産の発展・ブルジョア革命に伴っての「国民国家」に総括される、ある面で「完成的」な「民族」に至り、それが、単一の人類協同体への過渡としてある、「諸民族の接近と融合」を強めてゆく、開かれた、人民大衆中心のパトリ的“民族”への転生・発展し、そして、最終的に、人類共同体へと至る人類史の展開のプロセスの歴史的一範疇といえるわけです。

 決して、「民族」を固定的で、完結した範疇と捉えてはなりません。

 さて、資本主義社会は、この剰余労働、剰余生産物を生産手段を私的に独占することで、これを、剰余価値として搾取、収奪する資本家と自らの労働力を商品として売らざるを得ずしては生きてゆけない、そして、その賃金は、自らの再生産を維持するにかつかつなものである、労働者階級に階級分裂した社会といえます。

 労働者階級は、個別の資本との関係では、相対的には「自由」で、あるかもしれませんが、総体としての資本、すなわち「総資本」からすれば、賃金という鎖でつながれた、賃金奴隷といえます。

 その特質は

 a,自然発生的な社会的分業の下での、私的生産と労働力までが商品化している社会では、すべての生産物は交換されないことには、社会的生産物とはなりえない商品経済社会であり、その生産は「自由競争」という名の利潤追求第一の無政府的生産競争にゆだねられており、人と人の関係性は、商品(所持者)と商品(所持者)の関係、貨幣(所持者)と貨幣(所持者)の関係に、転倒されており、この社会では、貨幣が、神としてあがめられる社会といえます。

 b,労働力の使用価値の消費から生まれる剰余価値を生産手段の所持者が、等価交換と矛盾することなく、簒奪できる事において、労働力を購入できる貨幣所持者は資本家になり、蓄積された貨幣が、労働力と合体する事で、資本に転嫁してゆく生産方法の社会であります。

 c、資本家は、労働時間を延長したり、生産力を上げる事で、絶対的、相対的剰余価値を搾取します。 d、この結果、一方の側に富が蓄積され、他方の極に貧困が蓄積されてゆきます。

 e、資本主義生産は、利潤追求第一の無政府的競争社会であるがゆえに、この競争に打ち勝つために、絶えず、資本の有機的構成を高度化し、可変資本としての労働力の部分を相対的には減少させようとして、生産手段を革新し、同時に労働者を低賃金と無権利状態に追い込むべく、争わせる事によって、労働力人口を常に相対的には過剰な状態に置こうとします。

 それゆえに、資本主義では、労働者は、資本の許容力よりもより相対的に過剰な状態に置かれます。これが、相対的過剰人口法則です。

  f、資本主義は、賃金をかつカツの再生産に寄与する状態に絶えず押し下げ、その事によって、「制限された消費」状態が生み出され、この「制限された消費状態」の下で、資本は無政府的競争戦を行うのですから、生産と消費の間にアンバランスが生じ、過剰生産恐慌を周期的に生じさせます。
 好況から恐慌、恐慌から不況、不況から活況という局面を、資本主義は繰り返します。
 しかし、恐慌から脱出したとしても、経済の停滞は続き、ここからの資本主義の根本的脱出口は、植民地ら外国市場を独占的に支配する事、そのために戦争する以外に選択肢を持ち得ない経済社会です。

 戦争が出来ないなら、プロレタリア社会主義革命によってしか資本主義のこれらの矛盾は、自己否定され救出される以外にはありません。

 g、銀行は、一般に、金、財産の貸し借りの手間賃、利子を取っての支払い、取り付けを介した取り扱い業務を担うもので、最初は、資本主義の下での遊休資本の活性化を担うものでしたが、資本の集積・集中が大規模になれば、減価償却のための預金や生産拡張のための資金貸し付け、あるいは、債権、債務の取り扱い、株の取り扱いまでも担うようになり、最後には、産業資本(貸付け資本に対する.機能資本)や商業資本との癒着、融合関係を通じ、これを牛耳るようになります。

 これを金融(独占)資本と言います。

 ここでは、産業資本主義から金融独占資本主義・帝国主義への発展、そして、そのグローバリズム資本主義(帝国主義)への発展の構造、過程、実態については省きますが、資本主義が、産業資本主義→金融独占資本主義→グロ−バリズム金融独占資本主義へと発展してゆくにつれてますます生産は社会化されてゆき、その所有、所得の私的・資本主義的性格の矛盾は激化してゆきます。

 この資本主義の基本的矛盾は、一方では賃金奴隷であり、他方では、生産の主体である事において、生産の社会化の主体でもあるプロレタリアートの資本主義変革の階級的変革能力を鍛えてゆく物質的条件を拡大してゆかざるを得ません。

 このようなプロレタタリアートの有す変革能力を僕らはしっかりと確認しておく事が大切と考えます。

 以上を概括すれば、唯物弁証法の見地、唯物史観の見地、ブルジョア階級の側に立った、経済学ではなく、つまり、経済学批判=マルクス「資本論」を始めとするマルクス主義資本主義批判の見地こそが、プロレタリアートら人民大衆が思想的、政治的、理論的に自己解放してゆく思想的、哲学的、理論的導きの糸、武器であり、その指し示す道筋こそが、プロレタリアートで主に構成される人類救出の回路と言えることが確認されておくべきと考えます。

 かつ、それこそが、非合理主義、神秘主義思想から脱却でき、これらの思想を批判しえる導きの糸であることを強調しておきます。

 あるいは、格差社会は、植民地体制を失った資本主義が、IT革命ら、情報革命を利用し、生産・管理システムを改善し、植民地から獲得していた超過利潤に匹敵するグローバルな規模での搾取・収奪のシステム、とりわけ、世界的規模での相対的過剰人口創出によって、生み出されてきた事が確認されておくべきです。

 新聞で言われる、「不安定・不規則就労労働者」は、グローバリズム資本主義の必然的産物なこと。

 そして、その世界戦争への道が塞がれる可能性が強くなっている以上、資本主義の長期の不況、停滞は必至であること。

 であれば、青年達は、自らに襲い掛かってきている「生きづらさ」の根源が資本主義にあることをしっかりと見抜き、資本主義を科学的に批判し、それを廃止すべく労働者として団結し、資本主義と戦い抜くべきこと、この戦いを通じて、資本をプロレタリアートが統制し、生産を自主管理し、略奪された剰余価値を奪還し、この過程で、民主主義を世界的規模で、真に人民の民衆主義に変革すべく、民主主義を鍛えてゆく事、このことこそが「青年労働者階級」の「生きづらさ」を解決してゆく、もっとも正しい、解決方向、解決プログラムと考えます。

 青年達は、自らの有す、探求精神、向学心、知性、理性、感性を研ぎ澄まし、その旺盛なバイタリティー、行動力をこういった道理に立脚して、大いに発揮してゆくべきです。



  (五)芸術・文化運動は誰のために、何を目的とし創造されるべきか?多喜二「蟹工船」は何ゆえ注目されたか?

 芸術や文化の創造的努力、想像力や美意識は、誰のために、何を目的として、発揚されるべきか、美の探求者、芸術家、表現者は、先ず、このように問題設定すべきと思います。

 この意味では、僕は、厳密には、芸術至上主義者ではありません。

 そして、何を目的にするか、につきましては<四>の展開から、まったく明らか、と考えます。

 僕は、人民大衆を中心として、つまり、プロレタリアートの解放、社会主義革命に向けて創造されるべきと考えます。

 美意識や芸術は、資本主義の個人利己主義的美意識や文化を批判し、資本主義に対して社会主義を目指して戦う、民衆の協同,協働、共同の連帯感、共同性、協同性の、協働性の深まり、これと一体の戦う意志、理性的、思想的営為、民衆的連帯感、絆の創造の努力と一体に生まれること、このような民衆的人間観を鍛えてゆくこと、この意味合いでのヒューマニズムの営為と一体に生まれてくると思っています。
 
 美意識、芸術は一般に科学と違って、大要において理性に立脚しつつも、それおも包含した感性に立脚します。

 なぜなら、人間の物語は個々に存在し、それは、その個々のリアリズムに立脚して、無限のバリエーションをもって表出されます。
 一人の人間の物語の中に、世界が存在しているからでしょう。

 ですから、その表現者もまた、これまた個々の鋭く、深い、感性的インスピレーション、想像力に立脚した表現においてしか、普遍的な人間本性に迫れないから、と思います。

 ここに、科学とは違う、芸術、美学、表現の独自性が存在し、芸術至上主義的独自の領域が存在しているのは確かですし、芸術家個々人の感性の個々性が決定的な意義を持つべき、と言えます。
 とは言っても、芸術的表現、美意識の成長もまた、上記した目的、その運動と不可分一体で、歴史的・社会的存在であるわけです。

 であるなら、「人を殺す事」をもって、それを、芸術的表現のごとく主張したり、その殺すところから生ずる快感や感性の表現が、人類の美意識、芸術的表現にマッチすると考えるなら、それは大いなる錯乱、錯誤と言えます。

 まったく、とんでもない過ちです。

 僕は、その反対の志向、人を生かすこと、活かすことから生まれると思います。

 秋葉原事件の加藤君には、誰おもが、犠牲者を悼みつつも、言うに言われぬ哀切感を覚えたでしょう。  彼は、一方で資本、経営者と闘う感覚を有し、他方では、自己の鬱屈感を民衆への無差別殺人へ爆発させてゆく意識を持ち、分裂し、この両極の間を往還していましたが、この葛藤を、理性的、科学的に対象化出来ず、ついにはその鬱屈感を民衆に向けて爆発させてしまいました。

 これは反社会的で、反民衆的であり、反革命の所業と言わざるを得ません。

 爆発させてゆく対象を正しく定めていません。そうであるからこそ、その爆発の方法も正しく定めて行く事が出来なかったのです。

 爆発させてゆく対象を正しく定めてゆけば、その方法もおのずから正しく定まってゆきます。

 何故そうなったか?彼は、自己の被抑圧感、鬱屈感、怒りの根源を正しく定めえなかったからです。

 それは、彼が、僕が先に展開した唯物弁証法、唯物史観、これに基づく、科学的で、正しい資本主義批判を認識していなかったからです。

 しかし、加藤君の感情、心理が加藤君一人の特有なものではなく、不安定な、流動的な不正規就労、派遣切りに遭遇している労働者の心理、感情の普遍的とはいわないまでも、相当な比重、パーセンテージを持つ共通のそれであることは、誰でも認めうるところであったでしょう。

 それほどまでに、このような層の労働者が追い詰められ、ぎりぎりのところに立たされている事、ありていに言えば、「社会的か、反社会的か」、「革命か、反革命か」、の選択のぎりぎりところに立たされている事、であればこそ、この“階級苦”を正しく対象化する方策こそが深刻に求められている事、さらに、であればこそ、「殺せ!」とか、「死ね!」とか、表現者は、なおさら、言うべきではないのです。

 なぜなら、このスローガン、意識、表現志向は資本主義に対する自然発生的憤激でしかなく、理性的、科学的批判には高められていないこと。反革命に傾斜した行動、良くてテロリズムを推奨する以上のなにものでもないからです。

 このテロリズムの裏返しとして、経済主義、改良主義があること、このことは、ここでは展開しません。

 生き抜くために、資本、資本主義に対して団結して闘え!社会主義、プロレタリ革命の戦士となろう、と呼びかけるべきなのです。

 また、現存権力に対して、外山君のように「転覆」とかを叫んでも、それは、現在のこういった資本主義の深刻な矛盾から発する被抑圧感条、鬱屈を科学的に解明しうる、トータルで、深く体系的な分析力や洞察力の蓄積の努力抜きであるために、その演説は、勇ましいようで、まったく空疎な空文句となり、従って、資本主義の矛盾を、上滑りになぞってしまっているだけなのです。

 この意味では、外山君の提起は、反社会性、反革命性を内包したテロリズムの呼びかけでしかないのです。

 全然、軽薄な事、<殺せ><死ね>の暴力への芸術上の表現者の短絡志向と、本質的にはまったく共通な思想的根元から発生している、と言わざるを得ません。外山君が政治的表現者であり、A君が、「芸術上」の表現者と言う、表現分野の相違はありますが。

 暴力については、暴力論独自の考察が必要であり、「暴力、軍事、戦争」は、あくまで、「経済や政治の別の手段による、延長(クラウゼビッツ)」という真理が踏まえられ、先ず、資本主義の経済や政治の分析、批判が必要であり、これを前提にして、「戦わずして勝つ」、「ひとたび戦えば百戦して危うからず」の軍事が追及されるべきなのです。

 時と場合、「天と地と人の和」が考慮され、暴力発動の前に、しっかりした戦略―戦術が考察されねばなりません。

 今の時代は、何よりも、何を目的として戦うか、その理念が何か、こそが、しっかりと究明されて行かなければなりません。しこうして、その戦略−戦術が何か、が徹底的に考察されることが必要とされている事、このことこそが強調されるべきです。

 小林多喜二の<蟹工船>らや一連の「プロレタリア文学」の諸文学作品が、現今において再復活して脚光を浴びるのは、僕が展開してきた芸術の目的性を鮮明にし、忠実に、それに沿って、表現しようと苦闘したからだと思います。
 
 この段取りを経て、経る中で、優れた革命的表現者、芸術家達が輩出してくるでしょう。

 このような人々の抱える課題、問われる創造的な芸術的能力を云々する事は僕の任ではありません。その人たちに任せます。



塩見孝也