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映画「半身反義」と「GUN AWAY!実録・連合赤軍メイキング」の
トークセッション報告

有意義なイベントでした!

2009年 5月 9日

塩見孝也


  5月4日(月・祝)は、かねて告知の竹藤佳代監督「半身反疑」と「GUN AWAY!実録・連合赤軍メイキング」の二本を観て、その後、監督と僕とののトーク・セッションを、会場からの発言を交えて行いました。

 場所は「横浜シネマジャック&ベティ−」、横浜市中区若葉町、京浜急行の黄金町駅から3分位のところでした。地図では、分かりにくく迷うかと思っていましたが、難なくたどり着けました。

 この映画館には何シアターかあるようでしたが、その一番小さいもので、14〜5名で、ほぼ一杯になる、いうところ。

 実際、一杯になりました。

 監督は、こういった「ドサ廻り」ともいえるところでも、地道に「自主上映運動」をやっておられるのだなー、と思いました。

 映画好きの主婦の方や大島渚の「日本の夜と霧」の再上映を行おうとしている人ら、この地域の人達や僕が出演すると聞いて「反米愛国」路線の信奉者が来られたり、横浜ー神奈川を中心に声を掛けたミク友の仲間が来てくれたりしていました。

 僕は、この映画は2度目なのですが、今回はじっくり鑑賞できました。

 一回目の時は、もう一つ照準が定まらず、でしたが、今回は、トークも実りあるものにしようと「グラン・トリノ」、「おくりびと」なども観て、僕なりに批評の軸を定め、観たせいか、観える物が見えてきました。

 この映画評は前回の日記でも指摘しましたように、「恩師と弟子」の「送られる人」と「送る人」の、双方的関係性を追っている点で、新機軸を追求しているといいましたが、その機軸性の踏み込みをもっともっとやるべき、と思いました。やや、おざなりになっています。

 特にヒーローである山岸の内面の要求や感情のポイントが奈辺にあるか、をリアルに押し出し、それに噛み合う内容で、竹藤が「介護」も含め、どう対応すべきか、「恩師」と「弟子」の関係がどうあったか、ここを、さらに踏み込んで映画的にすべき、と感じました。

 竹藤は、この映画はドキュメンタリーであると同時にフィクションでもある、とも言っていますが、実際、山岸の若き日の姿は、竹藤が思い入れるフィクションに近いものになっているわけです。日本社会への高度成長を「成長と調和」と捉えた、山岸の独白を通じた悔悟、批判や妻に先立たれた老いの孤独、愛の渇望が語られているのですが、この事を、赤裸々に描くには、フィクションとして描ききるべきではなかったろうか。

 リアルな山岸や竹藤の感情、生き様が、生の声で、抑えられすぎて、よく伝わってこないのです。踏み込みきれていない!

 三十数歳の竹藤に、こういう「人生の深いところの生なましさ」の要求の映像化を突きつけるのは、やや酷なことか知れませんが、敢えて、言っておきます。

 「GUN AWAY!実録・連合赤軍メイキング」の方は、監督の若手俳優たちの統率方法、手腕そして、60〜70年代を知らない青年達が監督を通じて、どうイメージし、どう役を演じ、鍛えられてて行ったか、がリアルに映像化されており、「実録・連合赤軍」を補完するものではあれ、一個の独立した映画として非常に優れたものになっていました。

 何度か、この映画を観た後、その度ごとに壇上に上がって紹介された30数人の若手俳優が、どんな想いで参加し、何を学び、どう鍛えられて行ったかがリアルに描かれているのです。
 ここには、俳優達の「人生」が語られているのです。

 余談ですが、ここでも、僕を描いたシーンが出てきますが、その映像と実際の僕の関係をどう捉えるべきか、で、若干は面映く、途惑いました。今でも、映像の僕と実際の僕の距離感がどうなっているのか、よくつかめない事を「告白」しておきます。
 
 それにしても、「半身反義」と「GUN AWAY!実録・連合赤軍メイキング」という全然、性格の違う映画の上映、そのトーク・セッションを一緒くたにしてやったわけですから、少々、力業の作業が必要であったと思われます。

 にもかかわらず、それに臆せず、映画関係志望や映画批評志向の方々の率直な感想や批評がなされ、あるいは、新左翼・ブント・赤軍派、そして、それとは異質である連合赤軍事件、全体としては、あの時代の民衆運動の果敢さと未熟性・限界の諸問題をめぐって質疑が行われ、あっという間に、1時間半くらいの迫真のトークセッションは過ぎて行きました。これは、少々、興味深いことと思いました。

 僕や監督にとっても、参加者にとっても有意義であったろうと思います。

 

塩見孝也