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「自由と生存のメーデー2009」報告

5月1日〜5月3日のイベントに楽しく参加しました。

2009年 5月 6日

塩見孝也

[写真提供:ムキンポ氏]

5月1日 
    

 「阿佐ヶ谷ロフトA」で、前夜祭的イベントとして、昨年「08メーデー」の際、全国各地のインディペンデント系メーデーを回った「黄金の旅団」の連帯・交歓の記録映画の上映や報告と映像についてのトークがなされた。

 熊本、福岡、広島、京都、名古屋、茨城・筑波、富山、新潟、松本、仙台、北海道・日高などである。

 会場は、いっぱいで入りきれない状態であった。



5月2日 
   

 14:30から渋谷の「東京ウィメンズプラザ・ホール」で、21時ごろまで行われた。

 最初は、先日の疲れか、出足が悪かったが、徐々に参加者が増え始め、200名ぐらいか。例年よりは、やや少ない感じ。

 1部は、住まい・住居の問題、2部が、民主主義の実践・生活保護のとり方・組合の作り方、らのワークショップ。3部が各地からの参加組合の報告、イタリア・ミラノのを訪れ、撮ったユーロ・メーデーの風景、韓国から来日した活動家の労働組合運動の報告、彼らは「働かない者達のメーデー:あなたにとって仕事は何ですか」と銘打ってメーデーがなされた、とのこと。

 石原都政が定めようとする「路上でのパーフォーマンスを“迷惑”として規制する」迷惑条例についての批判の議論、各地からやってきた人達の報告や意見表明などで構成され、それぞれ有意義であった。
 
 失業と同時に住居も失う事態、逆に「飯場」方式で、がんじがらめにされ、隷属され、収奪される構造の持続、日本の「住む」費用のヨーロッパに比べての馬鹿高さ、あるいは、失業しても居住権は保障されてきたヨーロッパとの違い、国政の問題とともに、労働者の側が団結して居住条件を自らで作ってゆく問題、四谷での「自由と生存の家」実現の体験報告。

 賃金や失業の問題は注目されているが、居住権の喪失、脆弱さについては、認識不足があること。これらの問題について、3人のパネラーから多角的に報告され、討議された。
 
 迷惑条例については、<生きることは迷惑か?>という形でテーマが設定された。

 「人は生まれて、生き、死ぬまで迷惑を掛け続ける存在」「迷惑を掛けないで人生を生きる人はいない」、「<迷惑>」という言葉を引っ張り出し、ミドル層と貧乏人を分断し、貧乏人の運動を規制するする政治」「戦争や恐慌惹起の<迷惑>の方が、本当の<迷惑>、多大である]、らの意見がなされた。もっともなことである。



 5月3日
  

 今日はデモである。絶好のデモ日和。この日が、このメーデーのハイライト部分である。

 サウンド・デモは最高に楽しかった。

 デモコースの設定が良かったから、コース大半が、繁華街を通る事になっていた。

 宮下公園出発→明治通りから明治神宮前を通り、原宿→岸記念体育館前を通→渋谷区役所前から宇田川町→渋谷勤労福祉会館前→神南一丁目から井の頭通り入り口→西武百貨店渋谷店ロフト館前前と渋谷のもっとも華やかな繁華街の車も入れぬ街路をデモって行く。

 工夫に工夫を重ねたデモコースだ。

 この辺の情景は、幕末の「ええじゃないか」の巨万の民衆が、鉦や太鼓で踊り「狂い」ながら、デモっていった風景を僕に髣髴とさせた。

 そして道玄坂に出て、渋谷駅前に出て、宮益坂への上がり口で左に折れ、出発場所の宮下公園に終着する。

 デモ時間、約2時間、思ったより長時間だ。
 
 夕暮れの渋谷、原宿、渋谷の界隈に時ならぬ鉦や太鼓、ロックやサンバのリズムが大音響で響き渡り、二隊に分けさせられてしまったとはいえ、総勢700〜800のデモ隊が、旗を乱立させ、断幕を、目ざとくさせる事はもちろん、リズムに合わせ、踊り、囃したてるのだから、街中が騒然となる。

 道行く人々は思わずぎょっとしながら、注目するが、この一味も二味も違ったデモに、神経をなごませ、迎え入れようと反応する。

 原宿や渋谷の繁華街、路地裏どおりでは、デモに飛び入りで参加してきた人も百人近くはいたのではないか。

 この実行委員会の青年達は、うまく路地裏どおりを練り歩くコース取りをするが、それが絶妙なのだ。
 
 コールが、大いに奇抜なのだ。

 「麻生は120億円の豪邸を売って、給賦金として配れ。」「俺達をなめるルナ!なめたら騒動を起こしてやるぞ。後は知らないが、騒乱で秩序をひっくり返してやるぞ!そこまではやるからな!」ちょっと、こんな風な、少々やばい、アナ−キスティックなコールまで飛び出した。

 が、コールは「権力批判」から「格差批判」、「自由と生存」、「リズムに乗って」の4分野で構成された、青年らしい率直,簡明なものだ。詳しくは、メーデー実行委員会のウェッブをご覧召され。確認されたコール集が掲載されています。怒りとユーモア、ギャグが入り混じったコール集である。
 
 右翼や機動隊も出てき、幾つもの揉め事も発生したが、その割には、逮捕者はゼロであった。

 僕らの時代の「戦闘」を目的としたものとは違い、文化・宣伝戦を通じた破壊力としてのアッピール力に重点が置かれているからだ。
 
 それにしても、デモ効果を単にアッピール力だけと見てはならないと思う。

 身体生理学的意味合いにおいて、民衆の中に、日ごろ蓄積され溜まっていた抑圧、鬱屈感を吐き出させ、解放すること、この解放感、快感をデモ隊がどれほど達成してゆけるか、ここにデモの良し悪しの隠れた判定基準があると思う。

 デモ隊各自はサウンドに合わせ踊り「狂い」ながら行進するのである。

 この解放感、快感は、60年代の大規模な学生運動、全共闘のジグザグ・デモンストレーションの中でも培われた、と思うが、それが、40年後に、形を変え、再現して来た、と思う。

 デモ参加者は、誰も彼も笑顔で、満ち足りた顔つきであった。その意味では、お祭り、リオのカーニバルのようなものなのだ。

 デモは先ず何よりも楽しくなければならない。

 僕もこの解放感を味わえるから、本当はこのメーデーを支持してるのかもしれない。

 60代、50代も2割ぐらいは居たでしょう。女性達が、それも若い女性達が主で、3分の一ぐらい占めているのもこのデモの一つの特徴だ。

 このような解放感、快感の画時代的なものが革命であると僕は夢想する。

 革命は、虐げられた民衆の祝祭日でなくて、何の革命ぞ!

 今回は昨年よりは人数がやや少なかった。昨年は1千名、今年は800名弱、それにはそれ相当の原因があるし、それは究明されるべきですが、先ずはこのようなデモがやり遂げられた事を良しとすべきであろう。

 僕は「「阻止の会」の仲間達とデモリました。全体で4〜50人は来ていたのでは。ミク友たちも大勢来ていたようだ。

 大半の「会」の仲間は、昼間は、日比谷の「9条の会」の集会で、6・14のチラシを撒いて、その足で渋谷にやってきたというわけだ。

 デモが終わった後、若者達のように、公園で踊りまくるわけには行かないので、「阻止の会」の仲間達は、久しぶりに、渋谷駅近くの飲み屋に入り込み、うまい酒を飲んだ。

 とうわけで、「政治闘争と経済闘争の結合、経済闘争を、<総資本>としての政府・権力と真っ向から闘ってゆく質に変える。」「憲法9条の実現と25条の実現の双方の運動の結合」の方向性は手がかかり始めたのでる。

 この人たちも、「6・14 憲法9条改訂に反対する全国集会」に参加してくださる事を願う。


塩見孝也