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東大 立花隆ゼミ HP 「見聞伝」 インタビュー


2009年 2月 2日

塩見孝也


 皆さん

 以下は、昨年11月、東大駒場祭に準ゲストとして、招かれる前、その主催者の立花隆ゼミの学生諸君で作られた実行委員会の一人でもある近藤伸郎君が、これに先行してインタビューしてくださったものです。

 既に、東大立花ゼミのホームページ「見聞伝」で「塩見孝也氏 インタビュー」として発表されていますが、彼にお願いして、僕が一部加筆した上でこのホームページに転載させていただいたものです。

 僕の現状や過去の総括、現今の情勢をどう見ているか、どうのように闘っていったら良いか、その際の組織論についてなど、彼の質問に応じ全般的に語ったものです。

 相当、長いものですが、このホームページに転載させていただきます。(塩見)


▼塩見孝也氏 インタビュー

(11月15日,ジョナサン清瀬店にて)
元赤軍派議長,日本のレーニンこと塩見孝也氏にインタビューをおこなった。約20年の投獄を経てもなお,精力的に活動なさっている彼は,今なにを思うのだろうか。

[目次]

▲彼の原動力は……

▲今の学生・大学

▲『資本論』と金融恐慌

▲「運動」と今

▲「語る」ということ

▲予備校の人たち

▲「運動」のこれから



▲今の学生・大学

(塩見) 東大生の意識情況はどうなの。この2,3年で変わりつつあるとかいうのは,ないのか?

──(近藤) そこは難しいですね。全体的な傾向としては政治的なものに対するアレルギーはあります。左か右に偏った話に触れると,ちょっとその話は……みたいなことになりますよね。そういう部分にものすごく疑問を持っているというのが,僕のスタンスなのですけれど。
 けれども,その一方で,興味を持って積極的にあの頃はなんだったのかということにアタックをするという人も,ちょっとずつは増えているのではないか,とは思いますけれどね。

 
 そうだね。若松孝二監督の『実録連合赤軍』,あぁいうのを見て,あの時代がなんだったのか,と。そういうのを見て考える若い世代の人は多くなっているんじゃないかな。

──今の学生はなかなか元気がないのですよね。当時の学生のエネルギーって何だったのかということですね。ものすごく議論したりして,エネルギーを持っていて,何かにコミットしていったわけですよね。

 あれが素朴にこう,不思議だというか,何だったのだろうかという感覚は,皆持っているんじゃないでしょうかね。今では東大では学生運動は皆無で,やはりどこか感覚が麻痺しているのではないか,と。制度なりに対する批判力がなくなって来ているというのは実感としてはありますね。

 その一方で,企画を進めていって分かったことですが,大学によってかなり温度差が違うということですね。法政大学はすごいらしいですし。

 法政大学は弾圧がものすごく強くて,それに抵抗しながらやるというかね。

──同じ仲間が捕まって拘置所に入れられているという話を聞くと,東大の中では考えられないですね。

 東大は看板とか,ビラを撒くとか許可されているの?

──そこは寛容なんです。タテカンもOKですね。

 早稲田なんかは,看板出したりビラ撒いたりしたらやられるよね。法政もそうだし,大経大もそうだとか。京大はそんなことない、と思うけれど。だから,完全に封じ込められているわけだけれども,それに穴をあける動きは出始めている。

──駒場は逆に過激な学生がいないから,自由にさせてもいいという判断ではないですかね。

 東大なんかは不思議と踏襲すべきイデオロギーみたいなのがなくて,拡散しているからさ,自由にやらしても、それで、その後、世の中に出て,ひとつの分野のトップのレベルに行けるというか。まぁ,ある種のアメリカ的なエスタブリッシュメント。そういうような感じがあるんだろうと思うわな。けれど,インテリゲンツィアっていうのは理性的に考えるからインテリゲンツィアなのであってね。

──批判力を持ち得ないインテリゲンツィアって何なのでしょうね。 それは立花さんも言っていることですが。あまりにも体制に適合し過ぎているように見えますね。東大は昔からそうなのですが,あまりにも点取り合戦に必死でして。


 けれど,戦前だったら「新人会」のような組織があったし,第一次ブントだって,日共の東大細胞が頑張って出来ていった経緯があったしね。

──とりあえず,今の情況はそんな感じでしょうか。

 東大の全体が左翼になるということはあり得ないよ。けれども,もう少し,全体の1/3くらいはね,もしくは1/4,1/5くらいになればいいと思うけれどね。

──そういう風な感じで,皆が自分の言いたいことを自由に言って、言論を闘わせるというのが,ある種の民主主義ですよね。今だと,言えない空気がありますよね。

 そうなんだよな。要するに,共同主観として,マルクス主義──レーニン主義は、一応、今は脇に置くとしても──みたいな考えってのは,まだ復権させれてはいないよね。



▲『資本論』と金融恐慌

──面白いのは,東大で『資本論』を読む授業があるんですよね。一人だけ東大でマル系の経済学の先生がいます。

 どちらの人ですか? 講座派? それとも宇野系?

──宇野系です。その人の授業はけっこう人がいっぱいで,理系の学生なんかも多いですね。そういう意味で,アカデミックな関心がマルクスに潜在的に向いているのかな、という感じですね。
 
 俺は『資本論』は皆,興味があると思う。それで知っとかんとアカンと思う。理論的に煮詰めても何かやろうとした場合,やはり『資本論』というのは土台になるわけで,それを研究しておくというのはインテリゲンツィアとして当然だね。まだ論破されていないからね,『資本論』については,ハイエクやフリードマンとか,ニュー・アカだとか,色んなアメリカの経済学なんかも,出ているけれども,基本的には論破されていない。今でも,しっかりした論理と科学性を持っているというか。僕はそう思っているのだけれどね。

──さらに,今のこういう金融恐慌の状態ですからね。

 そうだよ。世界の状況はどんどん悪くなっている。そういう中,それが何か,を理解しようという動きは,まずインテリから生まれるのは当たり前だと思うわな。

──まだ,全体的には自分の生きかたと切り離して考えているというか。

 宇野経済学というのは基本的にはそうなんだよ。なんでか,というと,理論と実践は別だという考えをしている。講座派は理論と実践は一体だけれどね。ところが,スターリン主義で失敗した,とかそういうことと関係しながら,講座派の対抗関係にあった労農派から宇野経済学は生まれて,それで理論は理論,経済学は経済学と。革命家に情勢分析を提供するものであって,「経済学者にして実践もやるっていう考えは害を及ぼす」という考えがあるんだよ。

 逆に言うとそれは,『資本論』の「価値論」なんかで言えば,価値自身が資本の所有関係と結びついている、その表現なんだ,という観点を見失い,価値は価値形態で独自の世界を持って,所有関係や生産関係と別だという,非常に論理的には階級闘争と切り離されたな。

 しかも,言っている内容は二段階戦略でなくて,一段階で明治維新は武力革命だったとか、そういうところは一致するわけだけれども,「経済学」を,「資本主義批判」と読んで,これで労働者が革命の主体を作る,それの意志的な部分が,前衛として闘っていこうとかね,そういう意識,意志が起こらないのよね。

 宇野はそういう論理構築をしているんだよね。それがまぁ,「本来,労働力として商品であってはならない労働力が商品となっている」といった宇野弘蔵流「疎外論」が出てくるんだけれども。

 でも,結果的には,いろいろ岩田弘(いわたひろし)とか降旗節雄(ふりはたせつお)だとか,僕らの時期は、大内力や鈴木鴻一郎(すずきこういちろう)だよな。宇野弘蔵の弟子筋だよな。宇野経済学は全国の国立大学を基本的に制覇した。今は、アメリカ発の近代経済学が主流で、もう全然そうなってないけれども。そういうプロセスを経て,あなたらのような世代が出てくる,わけですね。だいたい,あんた何回生だよ?

──僕,一年です。

 そうか,一年か。

──まぁ,けど,色々ありまして,予備校に一年と,去年は他大学に一年と(笑)

 そういうのは全然気にする必要ないけどな。

──けれど,今は一応,一年です。

──今は『超訳『資本論』』(的場昭弘著)を読んでいます。


 的場さんはね,実は僕のmixi仲間なんだよ。

──marxさんですよね(笑)

 パリに留学していた時に,なんか送ってきてね。パリの報告もいろいろと流しているけれどね。今帰ってきているの?

──今,帰って来ていますね。

 そういうのでもいいんじゃないかな。あいつのあれは,僕の感じではしっかりしている。

──アジテーションの書というよりも,理論の書ですよね。しっかり読み込むには,けっこう大変ですよね。

 大筋のところはね。

──まずは,それで骨組みをつかんでから読もうと思います。

 -「資本論」をドウ読んできたか。ドウ、読むべきか。−
僕は3回か4回ほど(監獄を)出てから若い人たちと『資本論』の研究会やりましたけど,僕は監獄で自分にとって一番力になったのは,実はね,金子ハルオという一橋大学の日共系の教授がいたんだよ。もう亡くなったけれどね。新日本出版社から『経済学 上』というのを出していてね,それで,戦闘的な経済学者でさ,非常に内容的にもしっかりしているんだよね。色んなものを読んだんだけれどよ,やっぱそれだね。ただ彼は「弁証的唯物論」といってね。僕らは「唯物弁証」と言うのだけども,日共系は「弁証的唯物論」で,そういう面で見たらアウトなところがあるんだけれども。でも,『資本論』のテキストとして見たらすごく良かったよ。

 多分もう,絶版になっていると思うけれどね。去年,1ヶ月に1回,全12回で『資本論』一巻をやったのが,3回目くらいじゃないかな。出獄してから。そういう研究会は一人ではできないし,もう一つはいいテキスト。もちろん,先生がいるというのもあるんだけれど。一人でやるとふん詰まるところあるからね。やっぱり月1回か2回か3回,3,4年かけてやるようにしてな。やっぱりそこを辛抱せんといけませんよ,俺はそう思っているね。
 俺だって,監獄で連合赤軍問題やら,色々あって,どう生きるかって問われた時に,やっぱり『資本論』一生懸命読んで,それが非転向の理論的基礎になった。非転向っていうのは,共産党なんかでは、一つの最高の名誉みたいだったけれど。俺なんか非転向でね,出たのが89年ね。70年からね。

 そうすると,ソ連が転げてよ,バブルがはじけるちょっと前だからよ,最高の好況期だからよ。それでも俺,世の中,絶対,資本主義は根本矛盾を抱えている,打倒するしかない、とか,そう思っていたら、すぐバブルがはじけて。これでええんや,と勝手に感じで来たんだけれどね。

 『資本論』はやっぱり自分のね,思想的土台になる。他方で,だけど,人間論みたいなのについて見たら,確かに人間は経済に規定されているけれど,経済を規定しているのはやっぱり人間が命を大切にしてやね,生きて行こうとする,そのために労働するということや。

 それが,生産力と生産関係を形作る,と。そうすると根元は命を大切にしてな,自分の世界を実現しようというさ,そういう欲求を人間は本源的に持っているからさ。社会的関係を作っていこうとしてゆく,社会的に矛盾が爆発した場合には,それはそれで、解析して批判せんといかんけど,では,矛盾が爆発した後,次の新しい社会像,人間像をどう措定してゆくのか,こういった問題が次に出てくる。それをどういうふうに捉えて,どういうふうに,既成の観点を超え,止揚していくのか,というとね,それは,既成の人間観を超えた,より新しく,より根源的な人間観が,時代の中から,戦いの中から生まれ,そこで触発された,イメージやインスピレーションとかが,新しい社会像とか、人間像とかになって理論的裏付けを得てくる,と思うのよ。

 こういったプロセスがあって、初めて新しい社会のイメージが出てくるという。

 そうするとやっぱり,経済学と資本主義批判が必要条件だけどな。十分条件じゃないんだよ。十分条件は、この資本主義批判を前提にしてね人間観は出てくる。それを、実践を通じて、自分で作らんといかんのよ。そこから今,新しい社会主義のイメージとかよ,そういうのが出てくるというね,そういうふうに僕は思っている。

 この主体的営為を僕は、「人間自主論」という形で,営為してきた、と自分は思ってやってきているわけだけれども。

 まぁ,ね,あんたらの時代はね,これからはもっとガーッと行くからよ。これは、だいたい10年くらいは最低限、続くって。

 なんぼ早くても恐慌なんかが収まるのは,やはり10年。戦争やらない限り,やっぱり恐慌−不況は収まらない。僕はそう見てるけれどね。

 アメリカでは、ニューディールでルーズベルトがある程度,恐慌が収束させた、というふうに言われているけれどね,38年にもう一回,恐慌が起こってね,でっかい恐慌が。もう一つが,30年代の農業恐慌がものすごい勢いで続いている。

 それは、いわば実体経済が、過剰生産恐慌で,そのあおりを受けて、農業が過剰生産になる。それがダメになったわけよね。そういうのを解決するのは戦争以外にないんだよ。資本主義的意味での解決はね。

 ルーズベルト・アメリカか経済的に回復し出した兆候は、ヨーロッパ大陸での戦争勃発からする戦争特需だから,だから、恐慌−不況の持続、そして、それからの資本主義的脱出、延命策としての戦争衝動は、アメリカで、今後、もっともっと大規模に襲来してゆく、と思うよ。

 だから,それを逆にストップしたらな,ストップして停滞が続く中で,労働者がメシを食っていけないようになったらね,労働運動の激発、協働組合的形態での労働者階級の自主生産、自主管理がみたいな形で資本主義の搾取をやめさせて,労働者が経済、生産、分配、消費を自主管理するようなことがだぜ,一つの資本主義の構造的改革という形で,局部的,萌芽的にでてき,つまり社会革命が萌芽的,局部的に進んでいく、と思うよ。

 それが,未来社会,共産主義社会のイメージを与えてゆく。普通,一般には,政治革命が実現されて,それから,全面的な社会革命が開始されるわけだが,そのイメージの原像が,政治革命の前,権力奪取の前にこのようにして生まれてくる,と思うよ。

 大きな政治闘争と生産圏での民衆中心の経済改革が萌芽的,部分的に行われ,それが全体化するか否か,資本にとっては,それを,押しつぶすか否かの,資本と労働の激突がおこる。

 それが次の社会のイメージを作り出すというかね。何よりも,いくつもの巨大な政治闘争,パレスチナ的にはインティファーダが,爆発し,工場,地域での,生産と消費の民衆の自主管理を経ての,工場評議会,地域評議会、つまり民衆権力の萌芽、過渡的な民衆権力を呼び起こし,それが体制側の反革命政治行動と激突し,民衆権力,コンミューンと武装蜂起へと連なってゆく。そんな感じで進むんじゃないかな。

 政治革命と社会革命,武装蜂起など,もう一度,今,僕が言ったようなイメージで,綜合化され,考えて行くべきですね。

 こういう議論が色々と出てくると僕は思っているのだけれども。その辺の議論がされてないよね。



▲「運動」と今

 僕はまぁ,共産党なんかは大したことないと思っているのだけれどもね。あんたはどう思っているの? しっかりしたやつで,冴えたやつで,魅力のあるやついますか?

──東大に民青がいるのですが,やはりまだまだ穏健というか。法政の連中の方がよっぽど本気でやっているという気はしますね。中核がかんでいますが。

 中核なんかに関してはあんたどう思う? 本気でやっているというのはそうかもしらんけど。

──この前,話を聞きにいったのですよね,前進社で働いている方なのですけど。

 法政の元全学連委員長かな。

──その辺の人らです。駒場祭にも来てくれて。その彼らが立ち上がっている一番の根っこの部分の原動力が何かといえば,やはり貧困情況だと。労働者の貧困情況だと。それで,若者として今の格差の現状に目をつぶって生きていることができない。

 そういうものに対して立ち上がるのは若者として当然の態度ではないかと言っていてですね。その姿勢自体は全くその通りだと思いますね。だから,熱心に活動されているのはすごいなと思います。

 問題はそれで変わるのか変わらないのかということですね。彼らはそのために必要なのか革命なんだ、という風に言い切っています。割とリアリストな僕としてはそこが一番重要な問題だと思っています。


 そこが一番重要な問題ですよ。

──変わるか変わらないかはやってみないと分からないですが,今の現状ではちょっと無理かなと思っています。

 それはね,少なくとも10年ね。今の左翼の力は滅茶苦茶に弱いわけで,最低5年?10年はかかる。

──そのあたりはまだ見極めきれていないです。僕もまだ全然勉強しきれているわけではないですから。まだ見極めきれていない状況ではありますね。ただ,まぁ,彼らの姿勢には賛同しますよ。今の東大生にしても,現状を見ようともしない学生が大半です。それは違うだろう,と。 現状を見た上でこそ,運動をしている人を批判するなら批判するというふうにしろと。そういう感じです。もちろん,今の僕の立場は自己矛盾の固まりではあります。

 もちろん,今はね,色んなイデオロギーと自分の模索の過程ね,それがむしろ全体の労働者階級の現状であって,じゃあマルクス主義やレーニン主義ということで凝り固まれば現実を解決できるかというと,俺はできないと思うね。やはり現代革命というか、資本主義もレーニンが言っている帝国主義の時代と違うね。本質は全然変わらないけれどよ,現代資本主義であるわけですよ。端的にはグローバル資本主義というかな,一国性も持っているけれど,世界性もあって。レーニンの言うところの不均等発展が,列強同士の国民国家間の戦争に行くというね,そういう構造はほぼなくなったよね。次に発展途上国での質と量の高い局地戦争,それは続いているし,それは,資本主義,グローバリズム資本主義の宿命だよね。これが、帝国主義戦争の本命の形態ですね。

 けれども,国民国家間の米中戦争とか米ソ戦争とかよ,国家の戦争は全くないとは言えないけれど,やったら人類終わりだっていうことを知っているわけ。生産過程が国際化してしまっているからよ,そう簡単に戦前の29年以降のようにブロック化して,勢力圏争いやって,世界帝国主義戦争に行くって、いうそういう構造は非常に少なくなっているわな。

 そうするとな,鋭く深い「南」での,相当拡大することも含めた「局地戦」と,あとは矛盾が内向化する。

 内向化して,民衆に格差社会を強要してね,押さえ込んでいくっちゅうか,そういう方向性しかないと思うよね。

 この,方向性は,内戦ですね。それも,「内が外で」,「外が内」のような,「外」と「内」の区別が無くなるような,いってみれば「世界同時革命」「世界革命戦争」のイメージですね。「南」と「北」の民衆闘争が融合してゆくのです。

 そういう中で,例えば中央集権党の暴力革命ってね,そういう風な形で進んでいくかっていうとね,俺は一人一人の人間がどれだけ自主的な精神を持ってね,強制されることのない形でね,自発的に変革に立ち上がっていくというか。「前衛党」というより,それぞれが、いわゆるアソシエみたいな形で連合しながらね。

 例えば,マルクス、エンゲルスの場合,前衛党は「共産主義者同盟」で一度作ったわけだよ,それを二人はやめます。

 国際労働者協会、つまり、「第一インター」がそのあとできるわけだよ。「第一インタ−」は,その時代の戦闘的,労働運動をはじめとする革命的諸民衆闘争の国際的連合なんだよ。マルクス・エンゲルスとインターナショナルの関係が面白く,参考になるよ。

 二人は前衛、革命家なんだよね。前衛、革命家であっても,しかし,インタ−とは別に「前衛党」を自分達で作って、その指導者になる、それを通じて、インターを指導する、ではないんだよ。

 ここが,面白い。二人は,「国際労働者協会(第一インターナショナル)を作るんだよ。それで,前衛党など作らないで「第一インター」を直接、内部、外部で、公開の理論、思想闘争をやりつつ、指導しているのですよ。また、当時では、そう風にしか,出来なかった。

 そこで、ラッサールとか、プルードンとか、バクーニンとかの誤ったプロレタリア革命の小ブルジョア的指導者、つまりは、「小ブルジョア社会主義」の指導者達と論争しながらさ,マルクス主義を確立していく」わけだけど。 だから,「党」というよりは、やっぱりイデオロギー(世界観、経済学、哲学、歴史観、社会主義の政治学)と路線。そういう形で皆が納得していけば,運動は,労働者階級自身が主体となって,始まり,拡大して行くんだと思うよ。

──そのあたり一筋縄にはいかないというか。どうすれば,連帯が可能になるのかということでしょうか。

 一つはアジテーションをどう位置づけるかという問題があると思います。つまり,知識とアジテーションを区別しなければ,大衆を組織化することができないというようなところですね。そういった時,自分はどういったポジションにコミットするのか,まだまだ分からないです。

 まぁ,中核派に関しては,僕は敬意を持っているのだけれど,やっぱり内ゲバの問題と党至上の問題な。

 まぁ,党至上と言ってもレーニン主義的な党ですらなくてよ,黒田哲学に立脚する,ブントから見たら宗派主義的な哲学ね。宗派主義というのは,例えば戦国時代の武士が殺し殺される時の死生観。その時に死を恐れないというね,黒田寛一なんかは,この戦国武士の死生観,禅宗などの宗派生に立脚して,「絶対無」だとか「永遠の今」とかを,60年闘争の後,振り撒いたのだよ。それに,清水さんなど第一次ブント・戦旗派系統はイカレテしまったのだよ。

 黒田哲学ら「主体的唯物論」は形而上学的な哲学が本質なんだよ。

 この「主体的唯物論」の源流は,西田哲学なんだよ。ああいうのは,ヨーロッパの観念哲学とか色んな哲学を吸収しながら来たけれど。観念形而上学を作って,これがインテリの思想に影響を与えている。

 柳田謙十郎(やなぎだけんじゅうろう)とかよ,「物質の哲学」の梯明秀(かけはしあきひで)だとか,梅本克巳(うめもとかつみ)の哲学だとかよ。こういう人は皆,西田哲学の人だったのよ。それが戦後になってマルクス哲学者になる。その中でマルキストが何で、戦前,大量転向したのかって,設問し,それは「主体性」がないから,となった。

 この情況で,西田の仏教哲学を取り込んで「主体的唯物論」なるものを展開していったのが黒田なのよ。

 だから,俺は黒田の哲学は唯物論では全然ない,一つの宗教だと思っているけれど,宗教であれば自分が中心だと,教祖・黒田が中心で周りに黒田のコピーがバーっとできて,同心円上に拡大すれば、それが、即、「革命が前進した」ととらえて,「党絶対」というところなるわけだよね。

 だから,黒田と中核派が分かれた時に,殺し合いになる。

 なぜか,民衆の利益が第一でよ,資本主義を批判して民衆自身が、自らで自己を解放するという基本的なものがよ,「党」の方に回収されてしまう。

 それが,内ゲバになったと俺は,思っているんだよね。

 一定の戦闘力とか一定の影響力を持っていても,プロレタリア革命をやるのは,プロレタリアートら人民大衆自身であり,前衛の革命家集団がやれるのは,そのプロレタリア革命の方向,性格,戦略−戦術,陣形を指し示すべく,洞察しうること,この意味で,大衆を主体にして大衆の利益を徹底的に伸ばしていくような組織が必要なんだよ。

 それを「党」といえば「党」などだが,革共同の考えている「党」とは,ぜんぜん違うわけね。黒田的宗派主義集団の「党」など,ぜんぜんだめなのよ。

 あくまで,自己の運命を決めるのは,民衆自身なんだよ。前衛,革命家は,それを、手助けし、その進行方向や戦略―戦術,陣形を指し示すことが出来るだけなんだよ。

 それに,中核派は,資本主義批判では,レーニン帝国主義論に固執して,現段階を,資本主義の第三段階,グローバリズム資本主義とは,捉えていない。ここが,又決定的だよね。

 列強帝国主義間,つまり「第三次世界戦争後の革命」,といった待機主義革命論がはらまれている。

 この点は,僕のグローバリズム資本制帝国主義論で明らかにしている。待機主義は,日和見主義なんだよ。

 中核派はもちろん革マルと違ってブント的なものを持っているけれども,だけど,やっぱ、黒田哲学の枠内にしか居れず、内ゲバをやった。 黒田哲学を根本的に清算していった場合には,僕らは一致するようになると思うんだよね。

 だけど,今逃げているからよ。関西派とか「脱落派」が膨大に出てくるということだと思うよね。

 だから,俺はそこが決着つかない限り,もちろん彼らは,最近は絶対内ゲバをやらない,ということを内側では言っているようだけれども,それを理論化して提起できなかったら,もう一回、いつでも戻ってくるよね。

 それで,こういう人らに「プロレタリア独裁」やられたらよ,これはかなわんしな,民衆自身もかなわんよな。

 そこが決着つかないと。僕は部分的には批判やっているけれど,根本的に団結の問題が出た時には,根本的な批判をやろうと思っているんだけれどね。

 僕らブント系は連合赤軍問題を抱えている,となっているけどな,連合赤軍問題は僕の文章を色々見てもらったらいいけれどな,あれは、スターリン主義を承認する毛沢東思想派系の革命左派のスターリン主義(永田さんのね),そこに森たちがいかれていくっていう構造の中に問題がある。

 だから,ブントの極限があぁいう内ゲバだ,同志殺しだとかね,そういう認識、問題意識に立ったらね,蔵田さんのように,全然見えなくなる。

 あれはむしろ,外部からのスターリン主義の持込みによる突然変異的産物であって,それは「よど号」闘争とか「日本赤軍」は全然それとが違うところ(北朝鮮にいった後のよど号は違うけど)にある。

 そういったふうに見た場合に,それは急進主義とか色んな問題はあるわけだけれども,そういう観点で総括すると,俺ははるかに中核派よりはブント主義の方がマシな方向で進んで行っている、今後もそういう風に、進んでゆく、というふうに見ているわけね。
 
 表三郎氏なんかも,そういう流れの中にいる人だよね。ブント系も色んな意見があるわけだけれども,じょじょに議論がまとまってくる。ブント系だけじゃなくて,非ブント系の連中も,「改憲阻止の会」なんか組んで,色んなやつが出てくる。

 そんなやつがだんだんイデオロギー的に統合される、そうでなくても、イディオロギーは違っても、そんなことを問題にせず、行動は統一されてゆく、というふうになると,革共同(革命的共産主義者同盟)の方も変わっていくっていうかな。

 あんまりどうこう言うより,実際に闘っていく過程で変化するべきなんだけれど,突っ込んだところにおいては,問題は解決していないというところはしっかり見ておかないと。

──ポイントは,大衆に力点が置かれているかどうかということですか。

 そうですよ。大衆の利益を守るために革命をやるんであってよ,自分のために,党のために革命やるんだとか,そういうのでは大義がズレておかしくなる。当たり前なんだけれど。そういうところで,革共同はおかしなところがあるんだよ

──塩見さんが今駐車場の管理人をされているところも,そういった部分に関連しますか。

 そうなんだよ。世間の人は,「駐車場の管理人なんかやって,塩見も落ちぶれた」と言うか分からんけれどよ。俺の総括の結論として,労働者の利益を守る,と。それは理論的,思想的,論理的には『資本論』とか含めて現代資本主義に対する批判で出来るわけだが,それは観念的なことであってな。それは職業革命家としては大事だけれどよ,現実の労働者がどんな生活環境,生活状況を持っていてとか,それでどういうふうに彼らの矛盾が『資本論』にあるように出てきているか知らないとよ,やっぱりインテリゲンツィア的なものでやっているということになるわけだよな。

  結論はそういう意味でな,たかだか駐車場の管理人と人は見るかも分からんけれど,そういう目をもって自分の総括を基本にして,働いてみると,思想が開かれていくんだよ。

 そういう意味で70年闘争の総括で資本主義批判とか「自主論」とか言ってたんだけれどもよ,それを自分でやってみて,これで良いんだと思うわけよ。「画龍点晴」という言葉があるが,俺は,新左翼運動のこれまでの総括に,目を,このことで書き込んだのだよ。

──活動家としてはそこがすばらしいですね。

 俺はそこには全然矛盾を感じていない。むしろ,総括の完成とかは,やっとこういうことか,と思い,あまりに単純すぎるので,「がっかりしている」面もあるんだけれどよ。

 自分としては理論と実践が一致して,あぁこれでいいのだ,ていう感じだよな。そのへんは,広告塔みたいに思われているかもしらんけれどよ,俺は全然このことは誇りみたいに思っている。監獄で20年非転向よりも,もっと内容のあるものだと,俺自身は思っているんだよね。

──現場に自分を運ぶ重要性ですよね。

考えてみたら,人間っていうのは労働したら必ず剰余を生み出すと思うんだよね。自分の再生産に必要なものよりちょっと剰余。人間はそういう形で働いてよ,家族を養ったり,自分の文化をつくったりしていく。

 それさえやっていけば,人間の本質的なものに関しては,あとは自由きままでいいと思っているのだけれどよ。

 ただ世の中がそうさせてくれない,と。そりゃ,フリーターが食えないとかいろんな強制が加わる。人の生活,庶民の生活だとそういうように思っているからね,自分が働いて食えることをやればそれでいいというかな。こういう言い方は、断定的で、誤解を生む恐れがあると思いますが、その上で、に幸せを求めると,そういうことだと思うんだよね。
  けれど,支配階級によってそれが失われた場合よ,それじゃー、と皆怒って,革命もやらんとあかんと,そういうようにはなると思う。

  非常に人間っていうのは素朴なもんだと思う。まずはこういった現実を認めてな,それを冒してくる資本主義だったら,やっぱり変えていかなきゃならんとかよ。

 メシ食うためには,自分が搾取されている剰余価値を奪還するために、結局は生産関係、所有関係を変えてゆくような、生産−流通−分配−消費の経済の全部面で、自主管理をしていくとかいうのはよ,やっぱり何の恥ずかしいこともなくて,自分と家族が生きてゆく点で、資本主義がそれを保障し得なくなってゆけば、そうなって行くと思うよ。

  労働者はやっぱり資本がメシを食わせられなくなったら,決起すると思うんだよね。フリーターとか,僕の周りにも革命を目指すやつが僕の周りにいたとしても,僕らが彼らにメシを食わせられなかったらさ,食うために色々動くわな。いろんな自称を見ると,どうやって食うかが皆,問題なんだよね。

  中国共産党の毛沢東らがなんで成功したかというと,あれは地主から土地を奪って解放軍が自分らで耕してな,それで軍を維持したって,そこなんだよ。これでメシ食えたんだよ。最低限だぜ。武器も必要なんだよ,軍である以上。これは蒋介石から奪って取った。蒋介石はヨーロッパやアメリカから金もらって武器もどんどんもらうわけだ。

 無限に提供してくるわけだよ。自分たちが作らなくてもむこうから奪えばいいんだよ。それで武器とメシを食わせられて,再生産ができて一挙に広がるわけだよ。

 そういう構造なんだよね。根本はメシ。労働者がもしプロレタリアート革命に成功するとしたらよ,どうやって自分たちのメシを食うかっていう正しいスタイルを恐慌の状態のなかで見つけ出したら行ける。

 そこに労働運動がもっと発展して,自主管理,自分たちが生産を作る,資本を統制する,資本を利用していく。

 資本家を雇われマダム化する,その限りで,資本家を尊重するというような中で,じょじょに労働者が社会の生産を動かしていく能力を持てば,世の中,変わっていく。
 
 僕らそういうことはな,学生の頃は分からんかったのよ。一応,ソビエト革命だとかコミューンだとか言っていたけどよ,現実の学生であって,反戦青年委員会に労働者はいたけれどよ,労働者のメシを食うという問題はなかったんだよ。権力はメシを食わしていたんだよ。

 だけど,ベトナムで悪いことするから,ワーッと国際的にスチューデントパワーが生まれて,これはある程度,疑似革命力を作ったんだよ。 だけど,物質的基礎という点で見たら,それは、あの程度で、資本主義は生命力をまだ持っていたんだよ。いくらこっちが気張っても,動かなかった。今はよ,労働者の方は食わなきゃいかんからよ,そこで全共闘みたいなことを仮に工場や職場でやれるようになれば,バーッと広がる可能性は十分持っているね。

 現代革命とか論議するのはそこなんや。そこで,力をつけて,いわば搾取されている分を奪還せねばいかん。

 結局、搾取関係としての資本主義生産様式を廃止する、何の悪い事もない。それで自分たちで働いて経営もするというようになればな,これは資本主義を超える力が生まれてくるというか。

 そういう意味で京浜ホテルで部分的に自主生産なんかやり始めているけれどよ。あぁいうのがどんだけ拡大していくのだよ。

 動労とか、関西生コンなんかの戦闘的な新左翼系の少数派労働組合はあるけど,皆もう年齢的に古くなっていてね。

 若い人なんかがどう食うかという問題なんかについてキチンと方向性出す能力ないから,ある面で原則的だけれど,古色蒼然としている気はするわな。

 20代,30代の若い人たちが,現にやりながら,現代革命のイメージを創造してゆけば、麻生がどうのこうのやろうと問題外で,グッと力がつくと思うよ。

 自分はそこら辺に賭けている。けれども,大きな政治で向こうが戦争体制作っちまったら,がんじがらめにされちゃう。改憲と安保が進行してきて,戦争をやれる要件が作られちゃったらな,いくら労働者が自主管理とか言っても踏みつぶされてしまう。

 だからやっぱり政治闘争は大切なんだよ。僕らのときは10.8羽田とデカいのがあった。あれで学生運動が蘇ってきてよ,それで授業料闘争勝っていくということ。今はまぁ5年くらいの単位で反改憲闘争が大きくなっていってね,そういう反戦の価値観が確立されていけばね,労働運動の質が変わって,本当の意味で工場評議会みたいな,ひとつの労働者の権力というのに変わっていく構造がある。

 そういう構造で,日本革命も進むんじゃないかと見てるわけだけど。 まぁ,捨てたもんじゃないよ。その可能性に賭けてみる。俺はそれが拠り所で,頑張って「改憲阻止の会」なんかをやっている。

──今は,現代的な,40年前とは違う社会のあり方ですよね。例えばインターネットなんかでも。mixiされていますよね(笑)

 不器用だけどやらんといかんと思ってやってるんだよ(笑)まぁ,インターネットが一番大きな情報革命だと思うな。

 あれは権力の民衆管理の武器だと言われているけれど,それを民衆が使いこなすことができるようになれば,圧倒的な力になるわね。

 だいたいの若い人は使えるよな。そうすると直接民主主義がパソコンでできるようになると思っているんだよ。代議制民主主義なんかとは違うね。そうすると,パソコンを通じながら,一人一人の意見が検討されていくという。代理がやることに欺瞞がある。

 ところが生産力が上がると,資本は利潤追求のために、あぁいうのを開発するからよ,逆にこっちが使えば直接民主主義がじょじょに可能になるというそういう時代に入っているからよ,そうすると政治の有り様がものすごい変わってくるんちゃうか。

──民主主義という全共闘の残した課題が,今変わろうとしていると。

 そうよ。物質化されてな。革新されて,あんたらが止揚しながら継承してな。

 物質的状況もあれば思想的条件も十分にあるんだよ。その意味では俺はものすごく元気になってんだよ。確かに集団,革命的な政治グループっていうのは必要だけど,「党だ」となると,ある種の宗教化された指導者が神格化されるような危険性を孕むような、そういう組織構造の「党」っていうのは,俺は嫌だな。

 それぞれの人がオープンにそれぞれ性を発揮して,しかも,闘える,それのほうが良く闘える。

 そういうふうな関係構造をどう作り出すか,このことが,一番の基本であってね,これが基本前提で、その上で、革命党が必要になるかもしれない。それを、民衆が必要とし、支持するなら、その時はそうすれば良いと思う。

 革共同はそういうのは「党によって解決される」と疑うべくもないものと考えているけれど、これは克服されないと、いけない。

 じいさん,ばあさんばっかりが集まってな,若い人が結集するようにはならない。共産党も基本的にはそうだよ。

 1万人くらい入ったと言っているけれどよ,すぐに幻想が破れて、出て行くよ。そんなの目に見えている。 革命的議会主義は、僕らも追及するが「議会を通じた平和革命」、これはだめだよね。



▲「語る」ということ

──話は変わりますが,体験を語る事に後ろめたさはありませんか?

 山本義隆さんは沈黙しています。僕らには分からない色んなセンシティブな部分があると思います。言葉では伝わらない部分があると思います。語れないことに対するスタンスや迷いはないのですか。


 俺はないな。自分は、いろんな問題を,それが出るたびに、そのつど、問題があるところは、自己批判し、語って来たわけよ。

 だから、出獄後の自分の歴史は、自己否定−自己批判の歴史ですよ。

 自己批判して、一つ一つに、そのつど、決着をつけてゆかないと、僕などは、全ての人々、社会、民衆から注視されているから、運動を続けてゆこうとすると、必要な自己批判をしてゆかないと、闘う民衆から相手にされないような環境がありました。

(獄中から)出てからね,『今語っておくべきこと』という本と『リハビリ終了宣言』とか『監獄記』,あと『赤軍派始末期』とか『幸福論』とか書いている。

 そこでも、自己批判が基本ですよ。

 70年安保闘争を総括し、−−自己否定、自己批判しつつ−−自分の基礎を作ったのは『幸福論』や『監獄記』あたりかな。それからまとまった本は出していない。mixiには書いているから、自分では前進しているとは思っているけれど。

 自分は、だいたい隠れる事の出来ない存在なんだよ。隠れても,頭隠して尻隠さずみたいなね。

 どうしても見守られている存在なんだよね。だから,もう,諦めているんだよ。

 山本さんみたいにアカデミシャンとして過ごせるそういう環境にないんだよね。

 そうすると,マスコミまで全部さらけ出してね,けれど絶対イデオロギー的,理論的には妥協しないっていうね。自分の編集で本を作ったりテレビに出たり色々やる。そういう行動でやって来て,その代わり信念がない限りは表に出たら叩かれて,潰されてしまうけれどね。

 あるいは左翼内部の理論闘争や党内闘争みたいなのでね,やられてしまうけれど。幸か不幸か,ぶっつぶされかかったことはあっても,基本的にはぶっつぶされないでやってきたのよ。

 山本さんなんかな,彼,「9条改憲阻止の会」で座り込みには来てるんだよ。だから,本質的なところでは、彼なんかも全共闘で頑張った人であって,彼なんかもう少ししたらいろんなことをやり始めるんじゃないかって思っている。

 最首悟さんなんかでもまだ理論的だけれどよ,やっぱりもっと動くと思う。

 一応,最首さんも「9条改憲阻止の会」のメンバーだからね。秋田明大だってもっと出てくるんじゃないの。

 その人たちがすぐリーダーシップを発揮するかどうかは別だけど,今のような情況で黙っていたら,何のために生きたのか、そういう問題が問われてくるわけだからよ。

 人には色々言えるけれど,自分自身を納得させることができないんだよね。

 誰だって皆,自分に自負もって生きてきたと思っているんだからよ。 そういう意味では,俺は自分たちの世代を信用しているからよ。そういう人たちがリーダーシップを発揮してくれればいいと思っていますよね。

──いい話ですね。僕らがキャンパスに引きこもっていては分からない世界を,一人でも多くの人たちに伝えていけたら良いなというのが,ジャーナリスティックな活動です。
 
 やっぱりこういうことをやるのはすごく意義があるよ。

 東大でそういうことやって,ある種の反逆と革命的な方向でのインテリゲンツィアとしての主体性を持ってゆくだね。そうすると必ずね,インテリっていうのは自分の理知的なもので説明がつかんとあかんといかんから,色んなイデオロギー作るんだけれどよ,結局、人が納得するようなイデオロギー作り出さな,いかんってことになるからな。ひ弱なところもあるけれど,しっかりした革命的なインテリゲンツィアっていうのはやっぱり闘争心持って抵抗していくっていうふうになる。

 あんたなんかは,ゼミとか含めて,勉強したり研究会したりやってるんですか?

──まだまだですけれども,頑張っています。表さんの影響は強いですね。今の大学生はどんどんダメになってきている。予備校時代なら大学生へのルサンチマンがあるから「熱い」んですけれど。

 そういうのはあるわな。予備校が一番昔の大学みたいな感じがあるんだわな。

──僕自身は,過去に他大学にいたりとか,少し人とズレていますから,周辺のエネルギーを活かさないと,というところはあります。



▲予備校の人たち

 表さんのどこに非常に魅力があったり,思想的な面で共感したりしていたの?

──それは難しいですね。

 難しいのか(笑)核心のところでは。彼は「ドイツ・イデオロギー」か,初期マルクスの研究なのか? 彼は何が専門なんだ?

──何なんでしょうね(笑)思想・哲学,マルクスを中心としたところだろうとは思います。

 予備校の先生としては?

──英語ですよ。ただ,内容を伴った英文理解のためには背景知識を学ばなければならないというころで,いつのまにか教養の授業になっているようなところはありますね(笑)

 そういうことか(笑)そりゃ,魅力的だな。

──それをあの勢いでやるすごさですよね。だから,学生がついていくのですよね。人間としての魅力みたいなものはありますね。あとは,言動一致ということとか。大学の教授とかいう地位などはありませんけれども,それでも自分の信念を体現し続けていますね。

 全共闘の人で,ある種の流れていった場所っていうのは予備校が多いんだよね。あそこには70年闘争をやった連中のリンクが形成されている。特に河合塾はそうじゃないか?

──はい。駿台と,東京なら代々木もだと思います。学生で,予備校時代に学生運動経験者に習って,当時の政治問題に興味があるという人はわりといますね。

 僕はね,89年の12月29日に出獄したんだけれど,一応ね,監獄で20年いたんだけれど,出る目処がついて,出獄の3年くらい前から何しようかと思ってね。メシ食わなあかんなって。英語好きだったからさ,受験の大学入試の各大学の英語の入試問題をやってみてね,どのくらい点が取れるかね。48歳くらいだったけれどよ,あんまり取れなかった。

 けれど,もしかしたらやれるかも分からんってね。ずっと英語を思い出してよ。だいたい大学入ってから学生運動ばっかりで勉強したことなかったからよ,けれどやってよ。それで,どうやったら予備校の先生になれるかってよ,牧野(牧野剛。河合塾国語科講師)に頼んだんだよ。牧野が結構動いてくれてよ,ある程度行けそうなところまで行ったんだよ。ところが,理事会が反対したとかで,色んな理由でダメだったんだよ。それでどうなったかっていうと,現代文でな,金は出すと。けれど,生徒とのコミュニケーションとるのはやっぱり遠慮してくれ,と。 現代文の添削だよ。それを100枚くらい毎週送ってきてよ。普通の人の2倍くらい多いんだ。これで稼いでくれ,とお茶を濁されちまったんだ。 あといくつか塾,回ってやってみたけれどよ,結局色んな政治闘争があってできなかったんだよ。一応,予備校の先生,そういう方向でメシを食おうと思っていたんだよ。そうなると,カンパとかメディアとか,これは効率はすごい良くて、メシは一応食えるわけやんか,闘いながらな。 

 だけど,今言った,労働者がどうのこうのという問題に関してはやっぱり,非常に旧来の意識みたいなのが残ったというかな,そういう風に思っているんだけれど。いずれにしても,自分みたいなのは市民社会に半分くらいは足を突っ込めるけれどよ,二本足で市民社会に浸かり込むことはできないのね。半分の別の足は,出している。

 そういう生き方しかできない。自分の結論だよな。もうちょっと時代が進展して,革命的政治グループだとか,革命党だとか(旧来の党じゃないにしても)できるようになってくれば,またメシの食うスタンス考えなきゃいかんと思っているけれど,今はこれくらいで関西ブンドやブンドの連中とのつながりを含めてね,それとは全然違うフリーター闘争とか「改憲阻止の会」の運動で,両方で行かないと。

 関西ブンドやブンドとかが集まってもね,皆、じいさんでね,センスが悪くなっているわけね。言わしてもらうけれどね。現場を持って自分を鍛えていくという姿勢がなくなっている。どんなところでも現場離さずにそこで思想を鍛えていくということでないといけない。

 自分なんかはフリーター闘争の運動なんか一番早く結合している。雨宮処凛ちゃんなんか,あれは、僕の一水会,鈴木邦男なんかのつきあいのなかで左翼になった。何人かが一水会系で左翼になった人いるんだけれど,彼女なんか自分の影響だと、いえないこともないね。

 例えば,沢口友美さんという「反戦ストリッパー」なんかね,亡くなっちゃけれど,彼女なんか、死ぬ前は左に行ったんだけれど,残念ながら白血病。原爆のね。

 立派な革命的な女性だったね。色んなやつが左に来てるわな。鈴木さんもだいたい自分の政治的、思想的テリトリーの中に入り込んでいる。

 これは民主主義運動というよりは民族運動。民族運動をプロレタリアート革命の中でどういう風に位置づけていくのかっていうね。そこがキッチリしていたらね,あいつらとつきあっても全然負けないよね。

 こっちに持ってこれる。鈴木邦男さんは右翼からは孤立しているけれど,左翼には圧倒的に受けているというかな。そういうふうに見りゃいい。



▲「運動」のこれから

 僕らの時代はなんであんな革命化してたくさんの学生が学生運動やったかっていうのは,一方で社・共があったけど,革命党みたいなのが労働運動から生まれる条件がなかった。やっぱり共産党を批判して生まれる。共産党が戦前はスターリン主義の問題があって,戦後になるとフルシチョフが出てくるよね。そういう時代に議会主義の問題があって。

 そうするとどうしても批判してくる連中が出てくる。それが基本的にはブント。一方で,どうしても労働者には立脚しきれていないとな。
 将来,労働者に,とかそういうこと考えていたけれど,中途の時期が,50年代末?60年代・70年だと思うんだよね。もうひとつの特徴は戦後民主主義があったから,学生運動が層として成立すると。いわゆる「層としての学生運動」が、歴史的条件からして、可能であったわけ。 戦後民主主義っていうのは支配階級も含めて全部,戦争が悪かったし,戦後民主主義で憲法を軸にしてやろうという似たり寄ったりな,共通の価値観があったわけだよ。少なくとも70年頃まではあったんだよ。

 「層として学生運動」が成立しているというのがあった。

 共通の「平和と民主主義とよりよき生活」というもがあったからな。憲法は基本的に良いという。社会党と共産党の減衰期。総評ともうひとつ,全学連。これが内部でワーワーやりながら共闘するようなところがあったけれどよ, それが「反安保国民会議」。60年頃にできてるんだよね。全学連はその最左派として左から突き上げる存在なんだけれど,その中に入っていた。 それはなんでそうなっているのかと言えば,共通の戦後民主主義という基準があって,そこで色々反スタだとか違いがあるけど,基本的にはそういうことやがな。同時に学生もポツダム自治会で共通の戦後民主主義で生きていたからよ,やっぱり戦争反対とか大学の統制反対とかワーッと同じ基準で出るわけだよ。そっから「層としての学生運動」な。自治会で決定したらワーッと街頭まで行くっていうな。そういう行動があった。

 それが70年まで続いた。そっから戦後民主主義が崩壊してよ,やっぱり80年代は,一番、資本主義の安定期だよな。基本的には70年闘争が最後だよな。そっからイデオロギー的に分化していってしまう。戦後民主主義に対してナショナリズムが出てくるし,そうするともう「層としての学生運動」が成り立つ基盤がなくなるわけよ。

 そうすると,反スタのイデオロギーを持った学生運動っていうのは戦闘化するからよ,ある種の「疑似前衛」になる。あくまでも「疑似」前衛党であるようでない,擬似的な前衛な。ブントみたいなんがガッてやれば,社会がある面で触発されて動くっていうな。

 それを「先駆性論」というわけだ。学生に先駆性があるって。疑似前衛党のブントみたいなんが動いて先駆性を発揮すれば,社会を流動させるっていうな。

 そういう構造が50年代末から60年代にかけて特殊な時期があるわけだ。それで,全学連がバーンってでる。70年の頃から構造が,大学が変わって,労働運動の方も全部変わっていくっていうか。これは自民党の影響力というか要するにネオリベだよな。

 年功序列制も変わっていく。そうすると,社会の構造が変わって行く中で学生が引っ張っていくということがなくなっていく。

 だけど,逆に言ったらそれで安定期があったけれど,安定期が終わりだしたら労働者が食う問題にぶち当たって行く中で,もう一回,青年・学生がやっていた時の問題を,労働者を基盤でやり直すというな。そういう時期に来た。

 学生運動が「先駆性論」を発揮するようなことはね,多分、もうないよな。学生運動がボカッと出てっていうのはそういうのはないよな。

 学生も全体の運動の中の一部としてやっていくという。そういうふうに変わってきている。

──某11.2の集会もそういう構図でしたね。労働者が圧倒的多数でした。

 あの頃は,反帝・反スタ,新左翼で一つの時代を表明していたからよ,やっぱりすごい影響力を持っていたと思うんだよね。反スタというのは今でも生きてるんだと思うけれど,社会全体の責任を持って政治をやらんといかんようになるとな,やっぱり学生指導部みたいなのじゃやれない。

 やっぱり年を経て色んな経験を積んでな,もう一回再登場する。その間が30数年,長かったけれどよ,じょじょにそうなってきている。今度は本物の,学生が暴れて、労働者を左から突き上げて行くというのではなくて,自分自身が労働者になっているからよ。労働者の利益を守ると。 その中で学生はやっぱり,やっぱり革新的になってな。けど,層としては行かない気がするな。

──40年前と情況は違いますからね。

 違う。労働者階級がガーッと頑張ったらインテリゲンツィアが出てくる。もちろん,インテリゲンツィアが労働運動の指導部になるとは思うけれど。学生運動の指導者と学生運動で社会が変わるっていう,それは時代として終わった。あの時代は全世界的にもスチューデント・パワーっていうのがあった。そういうことだと思うのよな。ソ連スターリン主義の批判をやりながらよ。

──韓国のクーデターは学生でしたよね。

 韓国の場合はもうちょっと長く続いているんだよな。韓国の場合は日本よりももっと筋が通っている。学生運動の指導者も命がけでやっている。
 日本の学生運動の指導者の方も真面目ではあっても,そこまで運動が煮詰まってはいなかったよな。赤軍派はそういう中で煮詰めようとしてね,最後の段階でもう一つ,左に動かそうとしたんだけれど,動かしきれなかったね。でも,それはそれで,一定の40年たった後の大きな権力闘争の,革命の問題では,問題提起をして敗れた,とね。

 だから,武装闘争やらないよりはやった方がいい。

 だけど,あの時必ず皆,武装してやるべきかって言ったらね,それはまた相対的で,色んな選択肢があったっていいと思っているんだよね。 だから,やらないやつにお前ら日和ったとか言うつもりはないしな。 向こう側も「武装闘争は極左冒険主義だ」とかそういう形で切り捨てずに、うまく手分けしてやればいいとは思っているんだけれど。

 いずれにしても,負けたよ。負ける必然性が主体的にも経済状況にもあった。今度はそうはいかないよ。経済条件でもあるし,主体もそういう意味で色んな総括をしてきているからね,これが根付いてまとめられていけば,行ける。でもまだ焦ってはダメで,4,5年やってな,主体力量をプロレタリアートがつけてゆくことだね。

──まだまだ,情況は悪くなりますよね。

 まだ手探りだよ。あんたらが俺らの言っていることも含めて吸収してな,それで,要はあんたらの世代はあんたらの指導部を作らにゃいかん。俺らの世代が指導部になって引っ張って行くっていうのは,これはおかしなことだよ。俺ら全共闘の世代は,その世代では指導部になるけれど,あんたらの世代はあんたらで作らないかん。そのためにお役に立てることはできるだけ色んな形でやってな,見本を示せるけれど。そういうふうに思っているわな。そりゃ,世代の違うところが,別の若い世代に,一時は何か見本を示せるけれども,指導者はそこから生まれない。

 本物だったら,その世代は付いていくよ。20代30代の間でやっぱり優秀なやつが,もしくは優秀な政治グループみたいなのがな,出てくる兆候はいろんな面であるからよ。まだ兆候だけれどよ。変わり始めたら動くよ。

 レーニンじゃないけれど,10年間は全然何にもたたずに淀んだ感じで動かなかったけれど,「10年を1日に圧縮する」ような形でグーッと動き出したらよ,本当1週間くらいで社会が変わるっていう,そういう時期もあるのよ。

 そういう時期がだんだん出てくる可能性が強まってきているって,そういう風には言えるよな。

                 聞き手:近藤伸郎