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過渡期世界の攻勢の段階とは?(その3)

過渡期世界の対峙段階とは?―中国の路線転換と米中同盟の成立


2008年 12月 20日

塩見孝也


  過渡期世界の対峙段階を正しく規定するのは、非常に難しい、と思います。なぜなら「対峙」とは、対等に向かい合う、謂いですから、対峙すべきに足る革命的力量が、客観的にも、主体的にも形成されていることを意味します。

 客観的側面については、ある程度、いえますが、主体的力量といえば、主に、思想的、政治的モーメント、未定形とも言える、ボワ−ンとした階級的成熟度といったモーメントとしてしか言えないからです。

 ですが、敢えて僕は、1975年から、2005年ぐらいの期間を、「過渡期世界の対峙段階」と言っておきます。

 「対持」という性格は、資本主義、資本家階級との関係で、相撲のように四つに組む、という具合ではなく、――最後の時期はそうにせよ――どうもそういったもののように思えます。

 そのことを以下四つの論点、領域から語って行くこととします。

1、対峙段階とは?その不明性。予測が全く違ったこと。

2、中国の現代化への路線転換と反「社会帝国主義」・米中連合の成立、カーターへ。

3、ネオ・リベラリズム資本主義とは何か。グローバリズム資本主義の確立、展開、破綻へ。

4、革命的左翼の模索、対象把握、批判と主体確立の両面から。



防御段階突破の後の裏切られた、僕の対峙→攻勢の予測。
●僕は1975年、サイゴン陥落、インドシナ解放戦争が勝利した後、「第三世界」の植民地封建国(農業国)が次々に解放されてゆき、植民地体制が崩壊して行くことは、予測していました。  

 そして、それは予測の通りに進んで行きました。

 もう一つ、予測していたのは、この第三世界が、中国革命型の「農村から都市へ」スタイルで、「世界の農村から世界の都市へ」と社会主義に全世界が、その後進んで行き、この第三世界からの革命の波が、先進資本主義に一挙に波及し、そこで社会主義革命が爆発してゆく、という予測でした。

 「過渡期世界の対峙段階」は、その波及の過程に位置するものと想定していたことでしたが、はっきり規定していませんでしたし、出来ませんでした。
 つまり、大まかに、≪防御≫の段階から、≪対峙≫を経て、一挙に、≪攻勢≫の段階が出現してゆく、という予測でした。

 しかし、その後者の予測は、その後の過程を振り返れば、そうでなかった、ことを示しています。
 
 僕の予測は、完全に裏切られたわけです。

 ≪防御から攻勢≫に到る≪対持≫の間には、そのような短期間の瞬時の期間ではなく、僕らの予想を超えた、約30年余の長い期間が横たわっていた、と言えます。

 ≪対持≫段階は、それほど長いスパンが必要とされ、しかも、その大半の時期が、僕にとっては獄中での模索と後退戦の時期、出獄してからのリハビリ期間としてあったのでした。もちろん、マルクス主義革命家としての原則は守り抜き、どんな場所、時期でも実践活動を堅持してきましたが。

 中国が、このような、世界革命の「大後方(根拠地)」となって、この世界革命の波を促進してゆく、このことが、この予測の要をなしていました。

 なぜなら、毛沢東に指導される中国共産党、中国は、たとえ、スターリン主義を脱却しきってはいなかったとはいえ、「プロレタリア文化大革命」を1964年に発動して以来、約10年間、正に「世界革命の根拠地」の役目を果たしていたからです。

 しかし、「一国社会主義革命」論者、毛沢東、周恩来、朱徳の三巨頭達の現実認識は、そのような「甘い」ものではなく、第三世界の「民族解放・社会主義革命」は勝利するにせよ、その波が先進資本主義国に波及し一挙に、連続的に、世界が、革命の坩堝に叩き込まれてゆく、見通しではなく、その間には、かなり長い、スパン、段階が必要とされる、 つまり、中国自身が、「社会主義」国として国力を、もっともっとつけ、現代化しなければならないこと、つまり、「革命中国」としての  「現代化」が必要とされる、という認識が存在した、と言えます。

 毛達は、すでに、インドシナ−第三世界の勝利は、折込済みで、その勝利後を予測し、それに、備えるためにどうしたら良いか、が、1970年以降、彼らの最大の関心事であり、すでに、1972年、アメリカ国務長官・キッシンジャーを招き、70年中期以降、中国が展開していった基本絵図、「米中連合による現代化とソ連《社会帝国主義》の打倒」の世界戦略を算段し始めていたのでした。
 
 そして、世界は、ベトナム革命勝利以降、そのように回っていったのでした。中国が路線転換したのですから、第三世界諸国の革命家たちは、中国を見習って、少数を除き、「民族解放−社会主義」の継続革命の道を放棄し、資本主義の発展の道を歩み始め、「資本主義の発展途上国」になって行ったからです。

 一国社会主義者(建設可能論者)の毛たちには、それは当然であったのでしょう。
 
 これは、僕ら新左翼系革命家たちにとっては、大変迷惑な話でした。
 
 ただし、三巨頭達は、「文革」を継承し、「現代化」する立場ですから、上記のような世界戦略を追求するにせよ、革命の変色の危険が生ずるなら、「再度、何度でも、継続革命の基本観点で、何度でも文革を発動する」ことも宣言していました。

 しかし、三巨頭が逝去した、76年以降、ケ小平たちによって、「白猫でも、黒猫でも、ねずみを取る猫は良い猫である」と称し、生産力至上の「資本主義から学ぶ道」、実は「資本主義に変色してゆく道」を採用し、資本主義を無原則に取り入れるべく、「継続革命・プロレタリア文化革命」の路線は、「毛沢東晩年の過ち」と規定され、78年、清算されてしまいました。

 ロシア10月革命の勝利の後、レーニン死後の革命の後退、保守化がとたんに起こったように、≪対持段階≫に到った世界革命の波も、ほぼ数年にして、とたんに後退、保守化して行ったわけです。

 ベトナム戦敗北以降、ニクソン・フォードらの敗戦処理の任務を引き受けたカ−タ−らのアメリカ帝国主義は自信を喪失しましたが、このような中国の内情、路線転換を読みつつ、民族解放闘争に勝利した第三世界諸国と中国を資本主義発展の道に取り込んで行こうと、徐々にアメリカ帝国主義もまた、彼ら流の路線転換を行い、米中連合を世界戦略の機軸に据えてゆきます。

 戦争敗北後、ダブつき、過剰化した金融資本、過剰資本は、途上国と中国に投下されてゆきます。そして、米中連合による新たなソ連包囲網が形成されてゆきます。

 これに、折り良く、IT革命の波が起こってゆき、資本主義の生産力とその質は圧倒的に飛躍、向上し、ソ連はそれに立ち遅れ、凌駕されてしまいます。

 この構造、枠組みの中で、かつての植民地国、第三世界は、「資本主義発展途上の国」へと、方向確定して行きます。

 このような趨勢の中で、アフガンから中東へ、或いは、アフリカへ覇権を覇権を拡張しようとしたソ連は、徐々に孤立して行き、米帝に後押しされた、イスラム勢力によって、先ずアフガニスタンで阻まれ、ベトナム並みの「泥沼」常態に陥り、これが契機となり、全般的にソ連の生産と社会は停滞し、80年末の「ベルリンの壁」−ソ連とソ連圏の崩壊へと歩んでゆくこととなります。



現実に進展して行った、予測とは大幅に違った対峙段階の構図とは?
●米中連合を機軸とする世界の構造は、アメリカ資本主義らに、自信を回復させ、新しい段階、資本主義の第三段階目ともいえる資本主義の段階に到達させてゆきます。
 それが、ネオ・リベラリズムを基調とするグローバリズム資本主義であったわけです。

 カ−タ−から始まりレーガン、サッチャー、中曽根の時代、それは確立し、親ブッシュ−クリントン時代に展開し、子ブッシュの時代、そのネオ・リベラリズム基調のグローバリズム資本主義は全面開花し、破綻へと到った時代です。

 アメリカ、イギリスでネオリベの経済学者、ハイエク、フリードマン、ミ−ゼスなどの多数の経済学者達が台頭し、ガルブレイスなど多くのケインジャンの経済学者が、政治の表舞台から放逐されてゆきます。
 
 これからのオバマ時代もまた、グローバリズム資本主義の時代ですが、予測されることは、ネオ・リベラリズムの経済特質は批判・清算され、グローバリズム資本主義は継続されますが、一度、ネオ・リベラリズム経済学者に批判、否定されたケインズ路線がネオ・ケインズ経済学として再生され、それがグローバリズム資本主義の核心に座ってゆく、可能性が増大していると言えます。

 「過渡期世界の対持段階」とは、本質的には、それを批判し、闘って行ける能力を持つ勢力の登場が基本モーメントとなります。

 そのことを通じて、レーニン以降、スターリン主義に変質し、破綻してしまった共産主義運動と共産主義の新しいイメージが、マルクス思想の基本理念、基本原則に従って、想像的、創造的に再生、蘇ってゆくからです。

(「その4」に続く)

塩見孝也