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過渡期世界の攻勢の段階とは?(その2)

第一段階目の「防御の段階」について


2008年 12月 16日

塩見孝也


 今回の(その2)につきましては、過渡期世界の階級攻防の第一段階目の「防御の段階」について、語ってみます。


●ロシア10月革命の成功、社会主義政権の成立は、人類、世界の民衆に巨大な影響を与えた、世界史的事件でありました。

 レ−ニン存命中のコミンテルン3回大会まで、国際プロレタリアートは、文字通り、ロシアにおいて世界革命の根拠地を獲得し、これまでとは違ったレベルの世界プロレタリアートとしての結合の質を獲得していった、と言えます。

 そう、実態主義的に言わないでおくとして、この世界史的事件を経験することにおいて、国際プロらタリアートは、新しい階級形成の段階に至った、と言ってよいと思います。

 新しい段階の階級意識、“能動性”を獲得したといえます。



●しかし、歴史とは不思議と言うか、奇妙で、皮肉なものです。

 歴史は、歴史の新しい段階が到来すれば、又新しい質の階級闘争の攻防関係の段階に到れば、10月革命の関係の質が、そのまま、更に直線的に高度化してゆくわけには行かなかった、このことを、僕らに教えてくれます。

 この能動性の質は、生まれ出ると同時に、途端に、一挙に、レーニン死後、レーニン主義に似て非なる、スターリン主義へと変質、疎外されていってしまいます。



●したがって、世界の階級攻防の最前線は、「東方」で展開されてゆくこととなります。

 なぜなら、この地域においては、征服と略奪、殺戮の重商主義の帝国主義政治が、未だ野放図に産業資本主義→独占資本主義段階に至るも継承され、展開され続けていましたから。

 その犠牲を余儀なくされることを潔ぎよしとしない、アジアの民族主義、民主主義者が、ロシア革命で覚醒され、マルクス主義(実はスターリン主義)で武装し、欧米、日本の帝国主義と反帝国主義・反植民地主義・反封建主義の旗を掲げ、闘い始めて行きます。

 粗野で、文化水準の低いアジア的専制を色濃く残した官僚制国家「社会主義」のスターリン主義は「西方」では、効用を発揮しなかったのですが、ここ「東方」では、未だ有効性を持っていたのです。



●この点を、もう少し詳しく、対象の側から、つまり経済(学)の側から、見てゆけば、以下のことです。

 19世紀後半以降、資本主義は、“金融寡頭制の独占資本主義段階”に達しました。

 この、資本主義の第二段階である独占資本主義を解明したのが、レーニンが著わした、「帝国主義論」です。

 このレーニンが解明した「帝国主義」が人類、民衆を規定して行きます。

 1975年のインドシナ民族解放闘争が勝利するまで、つまり、資本主義生産の犠牲的基底と言える植民地体制を消失せしめられるまで、この資本制帝国主義経済システムが世界を回してきていたのでした。

 この帝国主義システムが、今では、古典的「帝国主義」と言われるようになるほど、現代グローバリズム資本主義は、そこから、脱皮し、資本主義の第3段階目と言われる資本主義の段階へと移行して来ていますが、、それまでは、この段階の帝国主義が、世界を回していたのでした。
 

 経済外強制の「暴力」である帝国主義軍隊の駆使を機軸に、植民地国、半植民地国で、不等価交換によって途方もない超過利潤を搾取・収奪しつつ、独占資本家階級は超え太っていったのでした。

 レーニンは、このことを、

1.資本の集積・集中、2.独占資本の形成、3.金融資本の形成と金融寡頭制、4.資本の輸出、5.勢力圏形成、6.帝国主義間戦争、

 と言う展開の論理構造で、資本主義世界と帝国主義間戦争であった第一次世界大戦をマルクス主義経済学の見地で見事に解明、予測しています。

 資本主義にとって、植民地を獲得し、世界を分割したり、再分割したりして、排他的勢力圏を作り上げ、利潤を上げることが死活であったこと、この意味で、レーニンが強調する「帝国主義と民族・植民地問題」が、経済、政治的に焦点になる、必然性があり、又そこで語られる内容こそが、資本主義の生命力の源泉であったと言えます。

 資本制独占資本主義もまた、産業資本主義の帝国主義と同様、植民地、半植民地を自己の再生産の、人民にとっては犠牲的な、必要不可欠な基底としていたのです。

 第二次世界大戦もまた、ソ連「社会主義」の出現、あるいは、これと連動していた民族解放闘争と言う新たな要素が加わってはおれ、第一次世界大戦と同様の植民地、半植民地を巡る帝国主義間強盗戦争であったと言えます。

 先のアジア、太平洋戦争は「反ファシズムの世界戦争」や「白人帝国主義に対するアジア・黄色人種の解放戦争」などではありません。

 これは、アメリカ独占資本や日本独占資本が自己の利潤追求の欲望を隠し、民衆、民族を戦争に動員するための、単なるイチジクの葉っぱだったと言い切れます。



●このことを、プロレタリアートら民衆側、つまり「過渡期世界の展開構造」に照らしてみれば、次のようにいえます。

 防御の段階が、「帝国主義と民族・植民地問題」の矛盾を集中的に受けた、植民地国・アジア、とりわけ、半植民地国の中国を最前線として、開始されてゆくということです。

 それが、最初、スターリン・コミンテルンの制動を受け、数々の失敗を繰り返す中で、毛沢東が主導権を獲得し、コミンテルンから中国共産党が自主的になることで(完全にはスターリン主義から脱却していませんが)、中国革命は前進し、49年に成功してゆくことになるのですが、このことから見て、防御段階とは、帝国主義の植民地体制を民族解放闘争が、食い破って行く攻防の展開過程が国際プロレタリアートの闘いの中軸に座っていた、と言えます。

 この中国革命を中心に、朝鮮革命(朝鮮戦争)、ベトナム革命らインドシナ半島での革命が1975年まで続き、これらの革命の勝利において、ここにおいて50数年間の「防御段階」は終了します。

 米軍が、ベトナム・カンボジア、ラオスら、インドシナ半島から叩きだされることで、この波が、一挙に「第三世界」と言われていた、植民地諸国、アジア・アフリカ、中南米に拡大し、帝国主義の死活の経済的生命の再生産のヒンターラウンド、資本制帝国主義の犠牲的基底部たる植民地体制を解体させて行きました。

 こういった基本的流れとは、別個に、中国革命よりも、もっと新しい生命力を持った、スターリン主義でない、カストロ−ゲバラらのキュ−バ革命(やパレスチナ革命)が誕生し、全世界的影響力を増してゆく、といった事態もあるわけですが、いずれにしても、「過渡期世界の防御段階」は、反帝国主義・反植民地主義の「マルクス主義」、プロレタリアートの主導する民族解放闘争であった、と言えます。

 確かに、スターリン主義・ソ連は、擬制的な意味、スターリン主義に疎外された「根拠地」として、国際プロレタリアートを結合させてはいますが、事態を本質的に捉えてゆけば、3ブロックの国際プロレタリアートの結合軸は世界革命の最前線を担った植民地国、半植民地国の民衆の闘いであったと言えます。

 (「その3」に続く)

塩見孝也