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完全黙秘、等について ・・・ Bさんへ


2008年 11月 23日

塩見孝也

Bさんという方から、先日の私の文章についての意見などをいただきました。補足を兼ねて、Bさんへの回答をここに掲載させていただきます。


(一)共産主義者と暴力とについて 

 ●貴方は、「共産主義者」を固定的に考えられているようです。スターリン主義的社会、あるいは、レーニン主義的観点。しかし、時代に応じて、共産主義思想、理論は、創造的に、変化し、変革されて行きます。

 マルクス思想は、創始的思想で、資本主義批判−「資本論」を始めとし,プロレタア革命における、もっとも、基本的で原則的なことを言っており、殆ど、間違ったことは言っていません。この意味で、僕は、マルキストです。


 ●暴力を至上としていません。これは、先進国革命(現代革命)を考える場合、70年までの、民衆運動の枢要とも言える、僕の反省の総括のひとつです。
 僕は、何よりも、民衆中心主義者で、ヒューマニストです。変革の基本理念、理想は「血を流さないこと」「殺さないこと」「非暴力」です。
 その上で、反革命が、民衆を殺してくるのであれば、正当防衛としての自衛暴力は留保しています。それは、望ましくないが、許される、という立場です。


 ●「国家」の、戦争への道を、絶対的ともいえる見地で、拒否しつつ、これを条件に、(極力、平和的な)資本主義の民主主義的な社会主義への変革を追求します。

 この場合、現行の「国会」を、最高決定機関にするのか、下から創造されてゆく、民衆権力樹立、ないしは、それに、前者が、後者に権力委譲されてゆくのか、は、今後の5〜10年の情勢と実践の推移をを見守もる必要がありますが、 原則的・基本的には、下からの民衆中心のコンミューン権力の創出、樹立の方向が追求されるべきと思います。

 しかし、そのためには、「国法」的には、民主主義運動の高揚、戦いの前進と一体にですが、民衆側からの新しい「憲法改正」案が提出され、「憲法制定会議」のような機関の下で、それが、承認されるような「全国民的」規模の法的手続きが必要です。

 この眼目は、基本的には、資本主義的生産ー所有関係、是に基づく生産手段の私有の廃止です。

 このことは、諸個人の生活手段としての、諸財産を否定することを、基本的に、意味しません。

 しかし、これも、先ず、現行憲法の最大限の尊重、「尊憲」、「活憲」が、前提とされなければなりません。その成果の上に、「憲法の民衆的改憲」が日程に上ってくるでしょう。

 もうひとつは、あくまで、民衆中心で、ヒューマンな直接民主主義(間接の代議制、では無く)の政治参加様式の追求、創造が必要です。

 情報化時代のコンピューターらの技術を、集中してゆけば、十分練り上げられ、実際政治に活用されて行けます。
 そういうものとして、

イ、全民衆的課題における大規模な政治的デモンストレーション(街頭政治闘争)と

ロ、生産点での、資本の統制、労働者の経営参加、経済の自主管理、資本家の経営技術者としての登用の尊重(一種の「雇われマダム」化)、全権を持つ、「労働者評議会」の設立が追及されてゆくべきです。

ハ、もうひとつは、地域における、コンミューン的民衆自治機関の創出、地方自治体の変革などが追及されなければなりません。

ニ、もうひとつ、重要なことは、「世界同時革命」、「世界民衆共同体(諸民族の連邦)」の展望の下での、労働者ら民衆の国際主義的連携です。
 何よりも、イとロが要となるでしょう。
 

 ●しかし、この大前提には、人間観の根本的、民主主義的な変革、深く、広い意味での文化革命が、思想的に追求され、人類の前史とも言える、資本主義まで、一掃されなかった動物主義的な弱肉競争思想、個人利己主義の戦いが平行してやられてゆかなければなりません。特に、資本主義との「自由競争」という名の「社会ダーウィニズム」思想との闘いです。

 国家主義的民族主義は否定されますが、新しい概念、理念としての、パトリオティズムは残され、涵養されてゆくべきです。


 ●資本家の民主主義の規定は、ブルジョア革命期には、封建的専制に対しては進歩でしたが、明瞭な規定を持たず、本質的には、「資本家的弱肉競争戦の自由」以上の域を出ませんでした。

 これを、批判して「命の最高尊貴性とそれを社会的に輝かせる人間、民衆の自主性の最高尊厳性」、これこそを、民主主義の基本内容として対置すべきでしょう。


 ●以上、要点を列挙しましたように、僕の描く「共産主義(コンミューン)」は、極めて、「開かれ」て、フレキシブルです。

 貴方は、カール・ポッパーやジョージ・ソロスを持ち上げていますが、それ以上に、「開かれ」ています。

 コミュニストにもいろんな方がいらっしゃり、いろんな、政党、政派があります。

 今の時代は、その分化、再編成期で、これを、一般論で捉えて、決め付けないようにすべきです。



(二)株式制度について

 資本家は、株式制度を持って、資本主義は変わった、「経済民主主義」が実現されて行きつつある、といっています。

 しかし、株は筆頭株主ら資本家が、経営権の固守を脅かされない限りの、資金調達方式で、資本家ら経営者同士では、乗っ取り合戦をやりますが、そこでは、彼らの利潤追求第一や労働者、民衆の搾取はより有効に守られて居ます。

 あくまで、資本制生産が前提です。戦争と搾取、民主主義破壊が前提です。

 だから、資本制下では、民衆、庶民の「経営参加」−「経済民主主義」など、極めて限界のある、欺瞞的制度といわなければなりません。

 “意欲”の問題は、労働者が経営を管理し、自主生産ー自主管理してゆく中で、生産の主体、労働者階級が、自らの剰余生産を労働者に、適切に分配して、生活向上を果たすことになれば、十分に生まれてきます。

 その、方式の中に、株式に見合ったような資金調達ー利潤分配方式は、止揚されて、継承されてゆくことになると思います。

 Bさんは、生産、労働の主体から、労働の剰余を、労働者中心で分配して行くか、資本家を中心で分配して行くか、といった、分配主体がどちらにあるかを、はっきりさせていません。だから、資金調達は、社会主義でも、内容を変えて、株式制度みたいなものは、有効であることを、頭から「採用しない」と思い込んでいます。

 銀行機能みたいなものも、「止揚」されて、その良き役目は、継承されてゆくべきと思います。

 労働者の財産を「遊休」にしておく、理由はどこにもありませんから。

 しかし、自分は働かないで、労働ー生産に寄生し、その剰余労働を収奪する投機資本などは、規制、懲罰されるべきです。

 資本家は、搾取者としてではなく、「雇われマダム」として、殺されたり、人権侵害をされるようなことはされてはならず、社会主義の下で、その有益、優秀な経営技術者として、尊重され、その能力を十全に発揮されてゆくように処遇されてゆけば、良いと思います。



(三)弾圧と完全黙秘について

 Bさんは、完全黙秘よりも自由な取調べ中の、話し合い、真実、真相を語るべき、と、他意なく、素朴に語っています。

 しかし、公安警察は、政治警察で、資本主義を防衛する、資本家達の靴磨きをする役どころをもって、これを職業としている専門集団です。

 派出所の、おまわりさんや殺人課の刑事達とすら違った特別の役目として、設立され、戦前の治安維持法を守らんとした特高警察の延長の類なのです。先ず、この認識を、しっかり持っておいてください。

 第二に、貴方とこの公安警察は、資本主義防衛でイディオロギーが一緒ですから、こんなのんきなことを言える、ということです。

 民衆運動家は、資本制社会の民主主義的変革を目指してはおれ、一般に執権勢力、特に公安警察などとは、立場が全く、違っています。であれば、その政治的、思想的信念、運動をつぶそうとすることに最大の任務を置いており、憲法違反など、朝飯前の連中なのです。

 ここでは、民主主義的関係など、全く、関係ないほどの世界なのです。

 日本は、貴方が願望し、幻想するほど、民主主義的ではなく、封建的ですらあるのです。そのために、公開の裁判所などでは、自己を弁護する発言をするのは当たり前で、正当ですが、「公安」独裁の密室では、それは、全く保障されては居ません。

 民衆の状態を指摘し、正義を堂々と主張するのは、公開の場である裁判所で、やるべきで、こういうところでやるべきではありません。そんなことを、のんきにやれば、情報は、向こうに筒抜けとなり、貴方はスパイの役目を果たしてゆくことになり、しまいには、本物のスパイにされてゆきます。

 僕は、ヒューマニズム、民主主義の信奉者で、人間の可能性を信じているものですが、それを、取調べ室で、貴方の言う「正々堂々」を実行しようとは思いません。

 これは、貴方が、「全体主義」という点で、「共通する」という、「人間に不寛容」な「ナチズム」「スターリン主義」とは、全く関係ない事柄です。
 連赤事件の根源は、スターリン主義ですが、このことと、公安取調室で、思想・信条、自己の人格と仲間を守るために黙秘権を行使し、「沈黙の共和国」を創ることっとは何の関係もありません。

 完全黙秘は、民主主義とヒュ−マニズムを守るための、民衆、人間が守るべき最低にして、基本的な責務です。



塩見孝也