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「チャンネル 桜」での討論の報告

「改憲?護憲?憲法9条を考える」


2008年 5月 1日

塩見孝也

1. 去る4月25日に収録した、「日本文化チャンネル 桜」での、「改憲?護憲?憲法9条を考える」の討論を報告します。

この模様は、今日(5月1日)、明日(5月2日)と放映されます。

前半 : 2008年5月1日(木)夜8時〜9時30分
後半 : 2008年5月2日(金)夜9時〜10時
スカイパーフェクTV!241ch(ハッピー241) : 日本文化チャンネル桜


出演は、 以下のメンバーです。(敬称略)

パネリスト

 潮匡人(評論家)
 佐藤守(軍事評論家・元航空自衛隊 南西航空混成団司令 空将)
 鈴木邦子(外交問題研究家)
 三輪和雄(日本世論の会 会長)
 江田忠雄(9条改憲阻止の会 会員・元60年ブント・元テレビプロデューサー)
 淵上太郎(9条改憲阻止の会 会員・元ML派指導者・経営者)
 正清太一(9条改憲阻止の会 会員・元練馬区議会議員・元社会党員)
 塩見孝也(9条改憲阻止の会 会員・評論家・元赤軍派議長)

司会:水島総(日本文化チャンネル代表, 評論家)

今回は、作戦もしっかり立て、「9条改憲阻止の会」の猛者、精鋭の仲間達であった所為か、論戦では圧倒したと報告できます。

こういった報告はこれまでしたことがなかった、わけで、少々、あっけにとられている感じ。もっとも、このテーマで、負けるようでは「《9条改憲阻止の会》は何をしとるのじゃ−」となりますが、今回は充実した、良い討論ができました。

向こうは、お馴染みの論争相手である、元自衛隊空軍二佐、現評論家の潮匡人氏を除き、初顔合わせの人達です。

僕等は、「会」仲間の江田忠雄、正清太一、淵上太郎、それに僕のメンバ−。

いつも、激論したり、国会に座り込んだり、合宿したり、デモしたり、飲んだり、もう丸二年近く付き合っている気心の知れている連中です。年齢的にも、60歳後半で、相手側より佐藤氏を除き人生の先輩、修羅場の場数も踏んでいます。誠に心強いのです。

司会は、僕の政治的《論敵》と言って良い、水島聡氏。氏については、司会の仕方の「セクト主義」について、前日にメールを入れておきました。その為か、今回は比較的中立的でした。

始まる1時間前に、スタジオ近くの喫茶店で「物分りの良い対応をせず、強引と思われても、言いたいことを言う」「味方の多少の意見の違い、に触れたりせず、味方を擁護しきり、徹底的に相手を、一丸となって叩くことに集中する」「絶対に負けられない、勝つ。言いたいことも言わず、帰れば、慾求不満になる。言いたいことを言って帰れば、たとえ<負けても>悔やむことはない。言うべきことを断固として言おう。」こう意思一致しました。

さすが、元闘士、活動家で、文化人然とはしない立派な人達です。この通りに奮戦し、これまで5回(今回で6回目)やった際、右翼保守の挙動に懸念したりして、足並みが乱れるようなことは、全くありませんでした。



2. 又僕等は、内容上の問題で、これまで「阻止の会」で、一般に確認されてきたように(9条改憲阻止」の一点で団結する、「反9条改憲」の論は、各人の自由である、を、しっかり押さえた上でのことですが、こと4人に関しては以下のように意思一致したのでした。

i: いわゆる「歴史認識」について:戦争の性格付けについては三つある。

a,「先の戦争の評価、性格付け」について、白人のアジア・太平洋における植民地化からの黄色人種の、それからの「解放戦争」、「大東亜解放」の「人種間戦争」、

b,「ファシズムに対する反ファシズムの戦争」、勝者が敗者を裁いた米国史観、

c,「資本制帝国主義のアジア・太平洋侵略」「日米帝国主義のアジア・太平洋に渡る、植民地の奪い合いの帝国主義間戦争」であった。

4人は、cが基本性格であるで一致した。

「戦争の根源は、近代では、利潤追求第一の資本主義にある」。従って、「本来、9条の実現は、資本主義の廃止と一体である」と、4人は(この4人だけの話で 、別に「9条改憲阻止の会」全体が同一意見であるということではない)、「資本主義批判と一体に、「9条改憲阻止」論を、原理的位置づけよう」と、確認しました。これで「聖戦論の復権」からの、改憲論を批判してゆこうと確認しました。

ii: 戦後憲法は、「押し付けられたか否か、」(の過程)は別にして、悲惨な全国民的戦争体験、戦争の全国民的反省から生まれた、良い憲法である。戦後出発の原点は、この国民的体験を基として、「二度と戦争をしない」、というものである。これが「憲法」に結実した。経過はどうであれ「良いものは、良い。」のである。

iii: 中国らアジア革命の進展、冷戦関係、朝鮮戦争の勃発下、アメリカの対日政治が変化し、憲法9条1項、2項を、骨抜きにし、否定する動きが趨勢となっていった。ここで、米軍の行動と存在自身を防衛し、補完してゆくものとして、警察予備隊→保安隊→自衛隊のプロセスを経て自衛隊が発足し、拡大、強化され、旧帝国軍人は、ここで生業を得ることとなる。

この論理が、「自然権としての、国家自衛権論」であり、「これは憲法9条と背反しない」、この論理に、旧社会党や日本共産党は、屈服し、「違憲合法論(違憲だが、合法)」で、許容していった。

新左翼系も、「革命後」、国家常備軍としての「赤軍」を認めることにおいて、似たり寄ったり、であり、(敵の改憲論には、憲法を持ち出し、批判し、「社会主義」では、国家常備軍としての「赤軍」を認める)、といった、矛盾した方便論、憲法利用主義であった。これは自己批判されるべき、と総括した。

4人は、この「自然権としての国家自衛権論」は過ち、「自然権としての自衛権」は、「国家にはない」、「自然権としての自衛権を持つのは、社会を構成する、個々の民衆のみ。」この原理的な、基本観点が、しっかりと押さえられていないからである。

我々は、仮に民衆革命が成功したとしても、国家常備軍をもつようなことはしない。

各人の有す、正当防衛としての自衛権に立脚する、コンミューン原則としてある「全民衆の武装」「ミリシャス(民衆的、民兵的)自衛」が自衛論の基本原理である。憲法9条原理に徹してゆけば、こうなるのである。

iv: この憲法原理に違反する「国家自衛権論」が、あたかも法的原理の基礎にあるかのごとく如く、錯誤されることによって、憲法9条は、その後、ないがしろにされてきた。そして、自衛隊は、最初「専守防衛論」で、定着して行き、その後は「国際貢献論」で、「集団的自衛権論」「一国平和主義では駄目」論などで「海外派兵軍隊」として、実質化されてきた。

自衛隊は、もともと、米軍占領、その後の日米安保の下、米軍の下請け軍として発足し、今もそうである。米国−米軍の言いなりの従属軍隊であり、「国軍(国家常備軍)」ですらないこと。

改憲論の現在的主張の最大の比重は「20数万の、近代正規軍が存在するのである。」であれば「この現実に合わせ、憲法を変えるべきである」に置かれている。

v: 9条改憲論には、二種類ある。

一つは、米軍占領の延長としての対米従属の日米安保をそのままにして、従属軍である、自衛隊を、「国軍(自衛国民軍)」とする論である。(潮氏)

もう一つは、対米従属関係の日米安保を破棄し、自衛隊を「国軍」とする論である。これには、いろんなバリエーションがある。極端なのは、戦前の「皇軍」の復活である。

核武装もする、という主張もある。水島氏はこの見解であり、潮氏は前者の見解である。

今のところ、両者は、9条ニ項を否定し、正式の「日本国自衛軍」とする、で中身は違うが、共同している。

潮氏は「9条こそが、日本を悪くした根源である」という本を出しています。今回、対戦した4氏(正確には、水島氏も含む5氏)は、何はともあれ、この「9条こそが諸悪の根源である」で一致し、共同しているのです。

vi: 僕等は、この共同した、「現実論」としての改憲論に対して、「あらゆる戦争は、国家自衛論を名文として行われた。自衛戦争を掲げなかった戦争などどこにもない」「自衛論のまやかしこそ自覚されるべきである。」「国家常備軍は、国内的には、戦前の皇軍が、民衆を守ったことがないように、民衆抑圧軍であり、軍人は、他国、他民族に、侵略軍として、自己の存在価値を試してみたくなるものである。」と主張する。

「現実に合せて憲法を変えるのではなく、憲法(理念)に合せて、現実を変えてゆくべき」「憲法の戦後出発の原点的理解、真に、“交戦権を有さず、軍事力を放棄する”に立ち戻るべきである」「戦争と常備軍否定の非暴力国家に還ってゆくべきである。この大理念を目指すべきである」「こうすることで、日本民衆、国民は、戦争の国民的体験を真に活かし、21世紀に冠たる、社会共同体の範を示すことができる。」

「日米安保を破棄し、自存・自衛の国軍を持つ」などの主張は、結局、「戦前回帰でしかないこと」「自衛の、原理的位置づけは、社会構成員、それぞれの正当防衛としての自衛活動であり、国家常備軍でない、それぞれの個人に立脚した、地域の非常備のミリシャスしかないこと。これを、軍事的には鍛えることである」「このような、原理的観点に立つ、《国民国家》を超え、これを自己否定的に廃止してゆく、世界民衆共同体を展望する、民衆国際主義、つまりプロレタリア国際主義の政治こそ、追求されるべき」である。

以上の如く、4人は意志一致したのです。


3. 司会を中央において、4名同士は、テーブル越しに、左右に別れ、向かい合いました。最初、左、右、左、右と順繰りに自己紹介し、戦後や戦争体験、憲法感覚、憲法体験を語ってゆき、自己の憲法についての所論を展開し、その後、双方で論戦してゆくやり方を取りました。

正清さんは、9条の原理的認識を述べながら、差しあたって、自衛隊の段階的解消を展開し、先ず海外派兵を止めること、天皇制は、たとえ象徴天皇制であれ、反対するが、それには慎重で、長いスパンが必要で、天皇と天皇家は差し当たって、京都に帰り、政治から遠ざかるべき。政治に利用されないようにすべき。核武装には絶対反対である。原爆体験を持つ、日本人、日本民衆は、あらゆる核実験、核武装に反対する、ら述べました。


佐藤氏は、スクランブルらも何百回もした。「税金泥棒」など“日陰者”扱いされながら、自衛隊員は、精勤、努力し、やっとここまで来た。」「ここまで、来た以上、正式の国民軍隊として、認められよう、憲法は改正して欲しい、改正すべきである」「専守防衛は守る」と、自己の体験に照らして、主張しました。

江田さんは、「軍隊は国民を守る」というが、一体「皇軍」が、「日本国民を守ったことがあるか」、「朝鮮国(北朝鮮)」を「拉致問題」「核武装」で、批判し改憲を主張されるが、拉致は悪いに決まっているが、わが国と朝鮮国は、未だ戦争状態にあること。この、国交回復の努力なしに、軍事力を云々するのはおかしい」「朝鮮や中国の軍事的“脅威”を強調するが、向こうからすれば、20数万の米軍と一体の正規軍を持ち、その国が、改憲をすることは、巨大な“脅威”である。」「「冷戦構造的に、核武装化も含んでの、軍拡競争をやってゆけば、戦争抑止どころか軍拡競争の倍々ゲームとなり、危険極まりないチキンゲームに陥り、人類は破滅する。軍拡の論理にはまらない、次元、原理のの違う政治が必要なのだ。それが、憲法9条に銘記されている」

三浦氏は「9条が日本を繁栄に導いた、といわれるが、それは間違い。日米安保と自衛隊があったからこそである。貴方方の言われるのは、元社会党書記長、石橋氏の(非武装中立)論と同じ。これは、既に、粉砕されてしまった、理想論で空論である。」「自分は、ほぼ同時代を生きた団塊の世代であるが、昔、新左翼は、過激で、元気が良かったが、非暴力、とは何事か」

塩見は「小学2年頃、疎開先の岡山の山奥の学校で、若い女の先生に叱られた。いたずらをしたからである。その時、<塩見君、黙ってなくて、先生の言うことが納得がいかないなら、いくらでも言いたいことを言いなさいよ。今は、戦前と違って、何でも言って良いのよ>、と言われた。子供心に、新しい世の中が来たのだ、と明るい印象を受けた」「朝鮮戦争の時に、親たちが<又沢山毛布を買っておかなければならない(灯火管制のために)>と相談している時は、暗い印象を受けた。」「学生運動を始めたのは、自民党が、憲法公聴会を各地で、大体的に開き、改憲し、再びアジアに戦争を仕掛ける動きが強くなったからである」「20年間、投獄されたが、自分を守ってくれたのは、憲法とその諸条項であった」と述べました。

「日本のように、執権者が、年から年中、自分が、それに従って政治を行おうとする規範である憲法を、批判して、改憲を主張する国は、世界にどこにもない」「憲法の番人である、司法、裁判所が、特に最高裁判所が、憲法の基本理念が犯されているのに口をつぐんだり、それを(憲法理念、9条)批判するのは、全くとんでもないことである。かつて戦争を推進した勢力が延命し、その子供たちが権力者であるからこんな事態になっている」

チキンゲームとしての軍拡競争での戦争勃発の危険率より、国家常備軍を廃止した、非暴力の国際主義政治を追求することからの戦争の危険率の方がはるかに少ない。同じように危険が伴うなら、原爆体験を含む戦争の悲惨の国民的体験を活かした、非、オア、反戦争、非暴力の国際主義的連帯の道を歩むべきである。日本民衆が、この道に向け闘ってゆくことで、世界的規範を示した方が、どんなにか人間的、どんなにか、人類的に叡智ある道であることか。

世界は、グローバル資本主義の段階に到達し、かつてのような国民国家間同士の戦争の危険は、皆無とはいえないが、遠のきつつある。いまさら、国家を前提とする(自衛軍)など、時宜に適していない。市場原理至上の局地戦は続くが、この永続的局地戦をやめさせることなどを中軸に、国民国家の枠を超えた戦争の根源、資本主義を批判しつつ、資本主義の犠牲にされ、資本主義と相容れない、プロレタリア・人民大衆を中心とする世界同時革命を追求すべきである。我々は、自衛を、資本主義を批判し、民衆中心の国際主義的連帯を強化すること、国家中心の自衛論のパラダイムとは、全く違う、国民国家を前提としないパラダイムで、貫徹する。

戦後遣り残し、中途で挫折した変革を完遂することで、自衛を実現してゆく。これは、空想やロマンではなく、今の世界に合った、極めて、現実的な考えである。

潮氏は「9条こそが諸悪の根源」といいつつも、いつもは明晰な氏が今回は冴えなかった。

淵上さんは、自己の中国・東北三州((満州)からの引き上げを述べつつ、関東軍が、同胞を残して、さっさと逃亡して行った、事を指摘した。又(押し付けられた)を主張するが、「1946年、帝国議会で、共産党以外の全議員が承認した憲法である。吉田茂首相すら、この席で、共産党の「自衛権すら放棄するのか」に対して、「そうです。」と答えた。れっきとした法的根拠を持つ憲法である」と強調した。

氏は、例の(一寸待ってくださいよ)を連発し、相手側の気勢を制し、同時に、水島司会の勝手さも合せて牽制しました。

鈴木邦子さんは、自分は女性であり、母であり、命の大切さを、よく知っている。しかし、非暴力で世界の平和は守れるのか。9条では、守れない。これまでの平和は、日米安保と自衛隊が存在したからだ。今こそ、日陰者とされながら、「国を守ってきた自衛隊を正式の国軍にすべきである」と主張しました。

こんな具合で、(倒論)は、しっちゃかめっちゃかに進んでゆきました。

この9条改憲をめぐる激突は、本格的に試みられたのはこれが、初めてのことでした。これは、一応の手合わせの序盤戦といえます。

まあ、それでも圧倒したことは確かでしょう。又、「親米派」と「復古派」のちぐはぐも見受けられ、今回は、「親米派」の論客が集まったようでした。佐藤氏の主張は、体験に立脚したものであり、やわらかいが警戒すべきと思いました。


塩見孝也