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今、70年安保大会戦時の武装闘争を
どう捉えるべきか?


2007年 12月 13日

塩見孝也

これは、関西のあるフォーラムに提出された一人のメンバーの意見についての論評です。

当該者の文章、意見を紹介するやり方もありますが、事情もあり、そんなことに、関係なく、旧赤軍派やブント系新左翼、或いは、非ブント系の当時の武装闘争をどう総括してゆくか、の僕の意見として、全く、独立的に、お読みくだされば、良いと思って掲載しました。

基本的には、新たな総括論争の状況に合わせて、展開していますが、僕の従来の見解です。これまでの、意見展開と合わせてお読みくだされば幸甚です。



1. 70年安保大会戦における蜂起的闘争、ゲリラ戦ら武装闘争をどう見るか。
70年安保大会戦における武装闘争の主客における歴史的必然性。

60年代民衆闘争が、武装闘争まで、行き着くのは、物事の発展の道理、主体の理念、原則からして、必然でありました。

赤軍派やブント系諸派、非ブント系の新左翼諸派、アナーキスト的な人々、みんな武装闘争をやったのです。

どうして、それが、恣意的な一本の指令などでやられるでしょうか? 勿論、その種の指令があったわけでもなければ、そんな組織などありませんでした。

民衆一人一人が、決起しなければならないと思うような、決起を促迫するるような、世界的、国内的な情勢があったからです。(※注を参照してください。).

又、その主体の未熟性から、それが、敗れ、挫折するのも歴史的必然がありました。

そして、それが、敗れ、挫折したからといって、その栄誉は消えず、その歴史的意義をもつことが確認されるべき、と思っております。

だから、この栄誉な、蜂起的闘争、武装闘争、権力をめぐる闘争に挑戦したことを清算せず、その意義をしっかり自覚しつつ、その限界をしっかり総括することが重要と思います。

何故、武装闘争を行ったのか、どのような歴史的必然があり、歴史的意義があり、そこに、どのような限界があったか?

どのような、武装闘争はやってはならないか。どのような事柄を教訓とすべきか、このことを考えるべき、と思います。

そこから、日本民衆自前の権力闘争、武装闘争の道理を、完全とはいえないまでも、今度は、勝利すべく、想像、創造してゆくことと、思っています。

「1905年を闘うべきでなかった」といった、プレハーノフをやってはならない。日共のごとき総括方法をとってはならない。革マルら革共同的総括方法をとってはならない、と思います。

1905年のボルシェビッキらの民衆蜂起があったればこそ、−−それは敗北しましたが−−1917年の2月、10月革命は実現されました。

50年武装闘争の敗北の結果、日本共産党は、革命を放棄し、議会主義政党に変質してゆきました。

革マルら革共同は、本質的には、内容抜きに「党だ、党だ」といい、内ゲバにのめり込んで行きました。

僕等は、こんな、方向はとらず、栄誉を守りつつ、若き未熟性を、自己否定、止揚しつつ、現在に至っています。 

結局、武装闘争の教訓は、 あくまで、民衆(階級)の人間としての、命の尊貴性 、それを社会的に輝かせる人間の自主性、人間の情愛ある共同性、協同性、協働性の正当防衛性にあくまで立脚して、民衆自身が発動するものであること。

従って、あくまで、能動的ではあっても、平和追求、自衛、防御から発するものと思いいたっています。

非暴力思想と通底する「闘わずして勝つ」〈孫子)にパラダイム転換されるべきと思います。

結局、A氏の意見は、こういった、やってはならない三つの総括の方向の危険性を孕んでいるのではないか。


※ 注
国際的には、レーニンが言うところの「帝国主義と民族・植民地」問題が、未だ、1974年まで、世界で植民地主義、体制として、護持されていた以上、この問題をめぐって、国際帝国主義対民族独立闘争、それを支援する世界の人民の戦いが、世界の、民衆運動の連環の最大の環、焦点となり、最終的な決着を迫られ、決戦状況に至っていたこと。 赤軍派が主張していた、世界革命〈戦争〉の「防御から対峙の段階」論である。〈スターリン主義は、それを支援することにおいてのみ、そこでもいろんな問題を有してはいたが、唯一存在意義があった〉

国内的には、上記、国際情勢、3ブロック(先進資本主義国群、第三世界、「社会主義」国ブロック)の階級闘争と有機的連関、結合関係にある情勢下で、対米従属下で延命した日本資本主義が、より帝国主義復活を成し遂げ、世界に膨張してゆくか、戦後革命において、不徹底で、敗北しながらも、なおヘゲモニーを有していた民衆側が、資本の攻勢に対抗して、変革、権力闘争を展望し、激突してゆくか、(さもなくば、戦わずして、奴隷化されてゆくか、)の階級的激突は、避けられなかった。

岩田弘氏も、象徴的に唱えていた如く<戦後妥協体制>を、いずれの階級が打ち破って、ヘゲモニーを確立するか、の決戦期であった。

戦後民衆派の革命的急進主義の翼である、反スターリン主義、社会主義革命、世界革命、暴力革命を掲げるブント系が、その理念、原則、路線に忠実に従って、権力闘争、蜂起的闘争、武装闘争を試みるのには、歴史的必然性があった。

この理念、原則に従った、ブント系以外の誠実なコミュニストの(たらんとした)人々は、あらゆる政派、個人を問わず武装闘争に決起しているのである。

今も獄中で苦闘したり、外国で、戦っている革命家達を忘れないで欲しい。闘いは、今も、継続しています。



敗北、挫折の必然性、その未熟性の主体的原因について。

ブント、新左翼潮流は、スターリン主義批判、マルクス思想、レーニン思想〈主としてレマルクス思想を信奉するが〉、社会主義革命、世界革命、暴力革命を基準にする革命的な急進〈民主主義〉主義者の集団であリました。

社会主義革命、世界革命、暴力革命は世界で、試みられては来たが、未だ、先進資本主義国では実現、成功していない革命思想であった。 パリコンミューンという先駆的試みを除いて。

権力闘争、蜂起的闘争、武装闘争は、日本民衆にとっては、初めてのの試みであり、模範とするものは、外国のそれ以外にはなかったから、試行錯誤の連続となるのも必然でありました。

それを、赤軍派らブント系や新左翼系コミュニストは自前の闘争として、初めて、この日本の地で、試みたのでした。

しかも、その出自からする、理念・原則とは違って、依拠階級基盤が、プロレタリアートではなく、プチ・ブルジョアの学生大衆に立脚して行ったのです。

もう一つ、言えば、日本資本主義は、現在のような行き詰まりの長期停滞の経済状況になく、日本と世界の経済も一定の発展性がありました。

とりわけ、日本は、たとへ、資本主義の根本的矛盾の存在や国家独占資本主義の経済政策が、民衆に困窮を、与えていても、民衆へのパイの分け前は一定程度ありました。

だから、反戦平和と日本の針路を巡っての、全民衆的な政治闘争、それにベースを置く武装闘争ではあリましたが、この安保大会戦、武装闘争の永続性は、その経済的、民衆的、階級的基盤からして、限界づけられていました。

であれば、第三世界の民族解放闘争と連合しつつ、主として国際的結合性によって、或いは、国家独占資本主義の、矛盾の亀裂点や底辺での民衆の闘い、生産点や地域での粘り強い闘いに結合し、決起しつつも、あくまで民衆本位に闘い、これは、非常に難しいことですが、適当な時点で、退却しつつ、矛を収めるべきであった。

僕は、そうしてきたつもりです。

要するに経済危機の質、レベル、規模の要因、資本主義とその体制に、生命力が、まだまだあった、ということです。

このような、敗北、挫折における客観的モーメントに加え、主体面でも未熟でありました。

ブントは「マルクス主義コミュニスト」を自認する未熟な、若きコミュニスト集団であった。

その未熟性の主たる原因は?

それは、

第一に、しっかりとマルクス資本主義批判〈資本主義の運動法則の理解)を理解し、プロレタリアートの地位、役割、能力の理解において、人民大衆中心思想が、半分かりであったことです。

何故、マルクス資本主義批判が必要か、といえば、彼の経済学が、もっとも科学的に、資本主義社会・経済の内的運動法則を解明しており、プロレタリアートの一員である自分や他の人々が、置かれている位置、状態をもっとも鮮明にしてくれるからです。

彼は、資本主義的私的所有関係〈生産手段の私的所有、生産の社会的分業関係、労働力の商品化)のもとで、

@ その生産物、商品と貨幣を分析し、市場の原理を明らかにし、何故人間が貨幣を神化して崇拝するか。

A 貨幣が普段に資本に転化する要に、労働力の商品化があること。

B 資本制生産の下で、何故、剰余価値が生産され、それが資本家に搾取されるか。

C 上記Bのようにして生まれた剰余価値から、資本の蓄積がどうなされてゆくか。 絶対的、相対的剰余価値の搾取の構造、法則を解明しています。

D 資本制生産の再生産の構造、それを繋ぐ流通はどうなっているか。

E 地代はこの生産関係の中で、どういう位置づけを持ち発生し、どんなものであるか。

F 資本制生産の総過程の構造と恐慌 。

を分析しています。

こうして、プロレタリ社会主義革命の経済的基礎、必然性、プロレタリアートが、それを担う階級であることを立証しています。

そのことで、プロレタリアートの一員である自分や他の人々の生きる苦しみ〈階級苦)が、賃金奴隷であることから発生していること、かつ、この苦しみを通じながら、同時に、プロレタリアートは、生産と生産の社会化の担い手として、現に社会を支え、資本主義に取って代わる社会、社会主義の基本的担い手たる事を分からせてくれます。

こういった原理を展開しながら、プロレタリアートが、資本主義をどう批判するか、そして、資本主義に取って代わる次の社会の原理、アウトラインを描きます。

このような分析、法則解明、資本主義批判は、僕らプロレタリアートが、何故自己解放のために、革命を追求しなけならぬか、どういう内容の資本主義への批判が必要か、どう変革のための準備、闘いがなされるべきか、を分からせてくれます。

何故変革が必要かを、万人が認めるような思想的、対象分析的内容、形で書かれ、この理解抜きには、一人のインテリのロマンや個人的英邁さや献身性、勇敢さら、ではなせないこと。正しいプロレタリア解放の戦略―戦術も出せないこと、らが鮮明にされています。

このようなことが理解されてみれば、赤軍派や当時の新左翼系の人々が未熟で、何故、革命を自分が追求するのか、その根拠は?について曖昧で、武装闘争などすれば、かなりな過ちを犯したり、根拠も分かります。

このことは、毛沢東思想の限界、批判や当時の僕ら自身が持っていた、プチブル的革命性克服の拠り所となりました。

第二に、他に民主主義闘争や民族闘争における問題の理解の未熟性や欠落という、非常に、重要な問題があるのですが、それは、今はおくとして、もう一つは、哲学、人間観において、唯物弁証法に通暁し、人間の命、それを社会的に輝かせる人間の自主性、情愛ある人間の関係性としての幸福追求の志向の最高尊貴性について、しっかりした思想、観念を有していなかったことである。つまり、思想、哲学において、民衆中心、人間中心の思想、哲学が未熟であったことだと思います。

大半が、20代の青年であるブント・コミュニストには、これは無理な話である。つまり、この方面でも、未熟であったのです。

前進、向上方向を堅持し、未熟から成熟へ。現在の位置とは?

ブント、赤軍派は、この基本指針において、70年闘争において、急進的大衆闘争、労働運動、コンミューン的権力闘争の萌芽としての全共闘運動、武装蜂起的闘争やゲリラ戦的武装闘争ら、いろんな革命的試みを行ったのです。

そして、その敗北後、後退戦の中で、非転向獄中闘争、世界革命、国際主義を貫く闘い、労働運動らさまざまな民衆的大衆闘争、革命党建設の試み、思想面、政治面、理論面でのマルクス資本主義批判の獲得を中心とした、理論・思想面での進化〈深化〉、発展、総じて、人民大衆中心、人間中心思想、哲学を進化させ、未熟性を止揚し、成熟してきた、わけです。

日本民衆は、初めて、思想的、政治的に鍛えられた、自前の武装闘争、権力闘争の経験を持ったこと、今度は、それを、正しく総括することで、有利に活用できる条件に至っています。

依拠階級基盤も、学生大衆ではなく、労働者等人民大衆にほぼなってきています。

この、60年代の進撃戦とその後に続く、対峙、後退戦、そして、再び、私たちは、反撃と前進の時代を前にしています。

私たちは、進撃と後退の過程での試みを、未熟を卒業し、成熟したマルクス主義コミュニストとして、しっかりと総括し、課せられた任務を果たさなければならないと思います。

武装闘争の意義を押さえつつ、その完全な総括については「未決着」でいいのではないか。

この総括の枢要が、70年安保大会戦で実践された武装闘争に収斂してゆくのは当然である。そして、その評価、総括をめぐって、物議、論争を惹起し続けるのは当然のことである。

なぜなら、戦後、否、戦前の、民衆闘争の中で、初めて、掲げてきた綱領、路線に従った、意識的に試みられて民衆側の権力闘争であったからです。

関西ブント系、ブント系、あるいは、すべての民衆を団結させてゆこうとするなら、この総括は、この蜂起的闘争、武装闘争の歴史的意義を押さえた上で、未熟性としての歴史的限界性を押さえるに止め、今の段階では、この総括については、未完成、未決着、保留とするのが、よいと思う。

必要なら、その条件を、慎重に考慮し、議論していっても良いですが。

ただし、以下に述べる内容で、ブント系を混乱させている、連合赤軍問題についてだけは、しっかりした評価、総括を行い、混乱を終息させるべきであると思います。

連合赤軍事件についての基本評価だけは、しっかりとしておくべきです。

この事件は、基本的には、こういった、日本コミュニストのこの未熟性に付け入って来た、中国党・毛沢東思想を教条化する、スターリン主義を信奉する外国権威崇拝、盲従の部分が主導してなされた事件であり、その主体が、若く、未熟であったとしても、本来の赤軍派、ブントら新左翼の思想、世界観、人間観、哲学、理念から生まれたものではなく、いわんや、その思想・哲学・理念の必然、とすることは、全く出来ない。

この事件は、赤軍派は、政治的にも思想的にも、理論的にも、基本的に関係ない、事件です。

プロレタリアートに依拠する蜂起的闘争や都市ゲリラ戦ではなく、中国革命を模範として、全くの幻想である、山岳に根拠地を置く、<遊撃戦争路線>、粛清を肯定していた組織建設路線とそれに基づく2名処刑、路線抜きの野合<新党>の追及〈獄中赤軍派指導部や革命左派指導部に隠れた〉、そのために野合反対派の「共産主義化」を掲げ「粛清」、抹殺、指導部が、革命家軍人として、軍事にも精通し、率先して、軍事の先頭に立つことの否定、指導部神格化のスターリン主義的な、官僚専制の中央集権の組織建設路線ら。

この事態を、隠蔽し、赤軍派のせいにする永田さんや、それに追随する人々の責任転嫁の策謀と権力の、これに結託した「赤軍派排外主義」で、あたかも、ブント、赤軍派の流れが<同志殺しをやった>という謬論が風靡し、赤軍派、ブント系に多大な害毒的影響、混乱を与えたことら捉え返されておくべきです。

このことで、武装闘争の追及それ自体が、否定されたり、ブントの流れや、それを、正反ない混ぜに継承した、ブントの正系たる赤軍派の流れ、それ自体が否定されたりする混乱も生じたのです。

毛沢東思想教条化、中国党盲従主義の害毒は、日本だけでなく、国際的に見れば、ポルポト派ら、明白です。

又、50年頃の第一次安保闘争、朝鮮戦争時での、日本共産党の、中国党に影響された、51年綱領ら軍事・政治における混乱を思い起こして欲しいもののです。

外国の経験に学ぶことは、良いですが、がそれをそのまま、自国の民衆闘争、軍事、権力闘争に持ち込むことの害毒性を考えてみるべきです。

いわんや、これに、加えての外国権威教条化、盲従が、日本の民衆運動、コミュニスト運動に、常に決定的な時に、害毒性を発揮してきたかは、32テーゼら戦前からの日本民衆運動の、伝統的弱点、脆弱性としてあったかは、いまさらあげつらう必要もないでしょう。

これは、34年間、この問題を、考え続けてきた、僕の基本的判断です。
 
こういった、基本性格、関係性をしっかり捉えておくことが、連合赤軍問題総括においても、赤軍派の評価においても、極めて重要です。
 
従って、赤軍派は、その未熟性故の権力闘争、武装闘争追求の栄誉を有するが、他方でその限界性も露呈しました。

しかし、その限界は、断じて、「同志殺し」、「粛清」などの性質では、ない、と僕は言います。

僕の自己批判は、赤軍派、ブントの未熟性の自己批判ではあれ、或いは、戦後人民大衆の未熟性を、民衆の代表しての自負を持って、続けてきたものです。

総じて、民衆解放運動の前進、成熟の志向を持って自己批判してきたものです。

連合赤軍事件の当事者としての自己批判では全くありません。これを、混同してもらっては困るのです。



2. フォーラムについて
未熟だが、歴史的な意義ある闘いを、新しい民衆闘争の展開の時期に、今は、成熟したコミュニスト革命家として、さまざまな試みを、意義と限界として、総合的に総括し、備えるべく、フォーラム的活動を準備してゆく時です。



3. 下手に決着をつけるべきではない。
いろんな、武装闘争についての戦術上の総括につきましては、ちなみに、「前段階武装蜂起」を目指した大菩薩軍事訓練闘争、よど号ハイジャック闘争ら赤軍派の武装闘争につきましては、その意気は壮とするも、プチブル革命主義の軍事として、自己批判し、否定しています。

しかし、当時の僕らの未熟性からすれば、こんなことを言えば、みんな、脛に傷を持つものだったといえるであろう。

それを、徐々に、反省し、否定し、プロレタリア革命主義、民衆中心の軍事、武装闘争の原則を確立し、一定の軍事体系やイメージを描けるようになってきていると思います。
一つの、押さえておくべきことがあります。

このような権力闘争、武装闘争があったからこそ、この試みの教訓、その後の活動を堅持した後の総括活動、獄中闘争、国際主義の闘い、労働運動、組織建設の闘いらは、根底において活力を有し、70年までの活動を、内容的には、レベルアップした、と見る。

いずれにしても、武装闘争の問題は、今の段階では、下手に決着をつけるべきではなく、総括の方法論をしっかり確立し、その歴史的意義だけは、押さえておくことで十分である、と思います。



4. 哲学、思想、人間観、人と人の関係の作風、ここを確立しなければならない。
a) 僕等は、マルクス「資本論」において、資本主義批判を学び、労働者階級の地位、能力、役割を確認してきた。
 或いは、これを前提にし、「レーニン帝国主義論」を、捉え返し、インドシナ民族解放戦争以降の資本主義を、資本主義の第3段階、グローバル資本主義と捉えています。
 ここから、グローバル資本主義下での、大体の「現代革命」をイメージ化できつつある。これを、もっともっと、実践を積みつつ、しっかりしたものにしてゆくべきであると思います。

b) しかし、このような客体分析と同時に、これを揚棄する、哲学、思想、人間観、人と人の関係の作風ら、主体の側の哲学が確立しなければなりません。

・客体に規定されつつも、それを主体の側が、逆規制し、能動的、批判的に包摂してゆく哲学。結局、変革は主体から発する。
・人間の本性の規定、命、自主、情愛〈幸福追求〉、人間中心、人間自主、人民大衆中心、僕の提唱している“自主の哲学”が必要です。

この主体からの、そのための生産〈再生産〉、労働、ここからの資本主義の関係性の批判を捉えなおす必要です。

A氏報告は、こういった総括方向、分野は全くといって存在しない。旧来の、非常にあやふやな、黒田批判があるだけである。

この領域を営為しておれば、こういった報告は、なされない、と思います。

・レーニン主義的組織論への批判的視点も持つべきである。マルクスと違う。この辺についても、教条主義的といえます。



5. 総括の立場、観点、方法としては、スターリン主義的総括手法を批判し、「未熟から、成熟へ」の方法論をとるべきです。
a) 「止揚的」というのは、自己否定的定立、“脱構築”に近い。前進、向上の観点で、過去を肯定的に見るも、そればかりにこだわらず、それを自己否定し、過去を揚棄してゆく方法論です。

  新しい事象、認識、教訓に対して、その認識を一方で、定立し、拠り所にしつつ、他方で、その上で、過去を、良きを守り、悪きを捨て、自己否定すること、而して、現在の立場を構築してゆくこと。そして、又、肯定―自己否定―再措定の螺旋的発展である。
退却しながら、前進する。前向き、前進しながら、退却する。前進が前提となります。

「階級の成長」といっても、この実践者のそれぞれの体験に基づく、自主性があってこそ、であり、その体験、認識の総和としてなければならない。

だから、諸個人の諸個人としての総括、自己否定、再構築の思想的、政治的総括が必要とされるのである。

A氏はそれを、やっているでしょうか?

b) 人間の成長は、全体的に見て、自己否定を孕んだ揚棄のプロセスとして、生理、身体、認識の螺旋的成長の発展構造を持つ。こういう意味で、「止揚」されてゆく身体なのです。

こういう、認識方法でこそ、総括が出来、団結してゆけます。
 
こう言った唯物弁証法の発展法則を理解できない、形而上学のスターリン主義的認識と組織観、指導権闘争論は駄目です。

曰く、<あの時は、あの指導者が、君臨し、すべてを、間違った指導路線で御していたからだ。今度は、正しい路線と指導者が出たので大丈夫だ。徹底して、過去の指導者を排撃しよう。>

これは、民衆の個人の集合としてある階級、個人の体験と認識の成長のプロセス、そういった「階級」の成長過程として、総括してゆく方法ではないのです。

スターリン主義の、路線転換、指導権をめぐる争いは、中央集権制の組織を、前提とする、闘ってきた未収諸個人の体験を、民衆諸個人が集大成して行く、自主的な集団的営為を第一にするものではなく、一種の観念史観、英雄史観なのです。

 
c) 労働運動、労働者階級の状態、労働力の再生産の場、地域、家庭の状態の分析が欠落するか、この方面での、人民大衆第一、民衆運動第一の観点が弱い。

d) 連合赤軍問題は、赤軍派の思想、政治、作風とは全く関係ない、外国、中国党、毛沢東思想の中にあった、スターリン主義が、中国革命教条主義の持ち込みの中で開花したものである。赤軍派らブント急進主義運動の帰結と見る見方は、事実に反しているし、このような見方で、武装闘争の歴史的意義が帳消しにされてはならない、ことを、再度強調しておきます。

連合赤軍問題の事実関係を調査、研究すべきである。僕が、書いてきたものも参考にしてください。

A氏は、ほとんど連赤問題を考えていない、と思います。

塩見孝也