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映画「『WE』……命尽きるまで」について

2007年10月3日

塩見孝也

1. 監督、藤山顕一郎らに感謝する。

僕は、先ず、第一に、この映画を作った監督・藤山顕一郎とその「オパスセブン」スタッフの方々に、「9条改憲阻止の会」会員として、感謝し、又、気心の通う仲間として、良くやった、とその労を多とする、と言いたい。

彼の経歴については、ML派の活動家であったこと、青山大学文学部を卒業の後、深作欣二監督について助監督を長くやり、その後、ハリウッドに渡り、10年近くアメリカで暮らしたことだけを、おさえておくにとどめ、彼の助監督、監督の歴史、その他につついては、ここでは省く。

彼は、自らが作ったもののうちの2本のDVDを僕に送呈してくれた。

それはフジテレビのドキュメンタリー「ダメ親父のラブソング」と、ハリウッドで作った映画の予告編的なコマーシャル的な作品であったのですが、それを観て、僕は、彼が、優れた技量を持った映画監督であることを了解したのである。


2. 新しい民衆運動に無くてはならぬ映像表現ら文化運動の試み。

この映画は、1時間35分の9条改憲阻止運動のドキュメンタリー映画である。

これを、鑑賞すれば、彼が、昨年の10・21行動から今年の6・15闘争にかけての、僕等の「9条改憲阻止の会運動」の姿をたどってゆく中で、その軌跡の中に、僕等の運動や「阻止の会」の全体像、経過、理念、組織原則、気風がどんなものであるか、を塗り込んでゆくような、映像表現の方法を採用していることがわかる。

とりわけ、今年、2007年の6・15闘争が何であったか、ここに集まり、闘った人々が、何を思い、何を語り、何を訴えたかった、かは、彼の映像化の努力なしには、絶対に伝わってゆかないと思えるほどの、ど迫力、圧巻の代物であった、ことは何よりも確認しておくべきであろう。

文化運動、芸術、表現活動は、時には、当の行動者すらが、自覚し得ないような、物事の本質を、ある面で、時空を越え、表出して行く。

「9条改憲阻止の一点で結集して闘う」「小異を残して、大同につく」「何よりも自主的な個人を主体として、運動を第一にして、特定のイディオロギー、組織を中心としない。 党派主義を排する。同時に、異質を排除する、排除の思想も拒否する。」「参加者、一人一人を主体、主人公とする運動を創出する」「異なった思想を認め合い、異質を融合させ、それをエネルギーにして国民主義的な質、規模の運動にしてゆく」ららの僕等が唱えた理念、原則が、百の説法より、遥かに説得的に伝わってゆくような映像表現となっているのである。

この意味で、「9条改憲阻止の会」とその運動を、広く世間に知って頂く意味で、「会」からすれば、もっとも効果的な、表現、コミュニケーションの武器を得た、といえるであろう。

参加者全員の姿が、どこかで映像化されており、運動にかかわりあった人たちは、「あそこに俺、私も出ている」と思うであろう。それほど、万遍なく、いろんな、人々が、丹念に、要領よく、登場してくるのである。

彼が使う、映画手法はフラッシュバック、ところどころにルポルタージュを挿入した、という手法であろう。

先ず、今年の6・15の会場である日比谷野音の玄関口の模様を紹介し、このような運動が、どのように形成されてきたかを、昨年の「9条改憲阻止の会」の10・21行動にフラッシュバックし、立ち戻りつつ、そこから追い上げてゆく形の映画構成をとっている。

この手法で、彼は、60年安保闘争、70年安保闘争の映像も巧みに織り込みつつ、鑑賞者が戦後史を瞥見しつつ、9条改憲阻止運動の全体像を、歴史的脈絡を、押さえつつで、効果的に掴んでゆけるようにしているのである。

また、さりげない行為や言質、事件の中に、運動や人間の本質を描出している。


3. 先駆的思想運動を映像を通じて表現する。

それにしても、6・15闘争がどれほどのど迫力、圧巻であったかを、この映像が余すところなく語っていること、このことは、いくら強調しても強調しすぎることはない、と思う。

とりわけ、6・15が、政治行動としては、いまだおぼつかない揺籃期の国民運動であったとしても、安倍政権の対極に立つて、彼等の思想、政治路線を、激烈に討ち果たす、先駆的、黎明的な思想運動、言葉の真の意味での、前衛的な、革命的思想運動であったことを、この映画は何よりも鮮明に表現している。

確かに、安倍内閣の退陣は、日本民衆の多方面、多戦線の怒りの集積、そして参議院選における与野党逆転という事態に起因することは明かである。

だが、それにしても、です。

かつて、若き日、「過激派」と自他共に自認していた人々が、その後、40年から50年、雌伏しつつ、60代から70代になんなんとしてゆく中で、「9条改憲阻止の会」を結成し、日本民衆と邦(くに)と民族の否定的未来、つまり、戦前への逆転化の時代、へと歴史が回ってゆくかもしれない危急存亡の時、断じて、それを許さず、と決意し、不屈に、再決起したこと、この思想的、精神的凝縮性、余人に与える衝撃性の特殊な意味についてです。

もっと端的に言えば、この思想的インパクションの衝撃度のことです。

僕は、このことに於いて、いくら夜郎自大の主観主義といわれようと、それが、安倍ら改憲勢力に、決定的一撃を浴びせた、と思っている。

僕等の集会参加者、デモ隊は高々千名余ではあった。かつての数万規模の規模に及びもつかない人数ではある。

とは言え、拝金主義、個人利己主義、低水準な快楽主義が蔓延し、価値観が揺らぎ、その「思想的多元化」のまやかしの中で、民衆が判断基準を失いかかっている時、何が是で、何が非であるかを、自己の歴史にかけ、自己の生き様をかけ、老境をいとわず、なりふり構わず、信念を賭け、決起し、表現したのである。

その、思想的確信力が、民衆を「愚物の迷える子羊」としてしか見ず、欺瞞することによって、いつ、いかなる時でも、奴隷化しうると考える権力者たちの傲慢さ、「信念」に決定的一撃を与え、動揺させ、民衆の蒙を開いていった、ということについてです。
「高々の千名」が、かつての百万の仲間への「復活→再生」の一条の光を差し込ませる可能性を秘めていたこと、このことの意義についてです。

そして、この世代の後の各世代の迷妄を晴らし、覚醒させてゆく衝撃性の意義についてです。

政治的物質力という点では、まさに高々の1千名余であったかもしれませんが、精神性、思想性に於いては、かつて、同じ価値観、思想性を有していた、同世代において、覚醒の起爆力と成り得るか否かを基準とすれば、一千名の強固な思想家集団の登場は、決定的ともいえる思想覚醒の起爆力になった、と思う。

思想覚醒の起爆力になりえたか否か、に於いては、一千名は十分すぎる人数といえる。
 いつの世も、世の変革は、先ず思想運動があって、而して政治運動なのである。
変革運動も、先ず激しい権力者たちとの思想闘争から始まる。思想闘争の結果を経て、物質力をもった政治運動が開始されてゆくのである。

民衆の変革運動は、まず価値観、思想、哲学、総じて人間観の創出、確立なくしては始まってゆかない。
 「阻止の会」の運動は、この意味で、この価値観、新しい人間観を創出しつつ闘われたのである。

藤山は、ここにぴったりとカメラの照準を合わせているのである。
 
 
多種多様な「9条改憲を許さない」諸思想は、6・15闘争に於いて、桶に芋の子を入れて、攪拌し、洗いしだき、おしまいには、粘っこいどろどろの混合物の一つのエネルギー体と化していった。

諸異質思想の交流、混合、分解、融合の過程は巨大なエネルギーを発揮する。

6・15集会は、諸「憲法論」を内に秘めつつも、その「憲法論」を、「憲法闘争」論――「如何に闘い、如何に行動するか」に、転化し、そのエネルギーを凝集する場となっていった。

さまざまな人々が、発言し、数々の名演説、淵上、泉の名司会が織り合わされ、集会は、いやが上にも盛り上がっていった。

女性も子供たちも、青年たちも登壇した。ガンで余命いくばくもない老闘士も登場した。

沖縄の人、全国から駆けつけた人々――どの人も、自分の人生、思想をかけて発言した。

この熱気は、決して軽々しいものでなく、年季の入った信念に裏打ちされたものであるが故に、決して非論理的な絶叫調の悲壮感を帯びたものでもなければ、ただたたの情緒抜きの理詰めのクールなだけのものでもない。

時にユーモアに溢れ、時に人生哲学が入り、時に人の心を打つような闘争体験がにじみ出るような、型破りなものばかりでであった。

「権力は、われわれに喧嘩を仕掛けてきた。それなら、この喧嘩、とことん買ってやろうではないか。俺は命尽きるまで闘うぞ。」

「我々は、闘争し、いつも負けてきた。一度ぐらいは勝たなければならない。ところで、この憲法闘争は勝てる闘いである。そうであるなら勝とうではないか。勝って、再び、この場所に集い、みんなで飲もうではないか」−−ざっとこんな具合である。

そのように方向付けたのは、国会前ハンスト―座り込みであったわけだが、この時点で、「阻止も会」は、その思想を行動に結びつけ、己の秘めたる本領性を、初めて発揮してゆく。

昔の仲間がどんどん駆けつけてくるようになるし、さまざまな出会い、再会がなされてゆく。運動は全国的反響を呼び起こし、国会内闘争と、院外闘争は有機的連携性を生み出してゆく。

この闘争の成果が、6・15闘争に集約されてゆくのである。

昼の部は、首都6拠点からのリレーウォーク、国会請願、樺さん追悼、献花集会となり、夜の部は、野外音楽堂集会、デモとなってゆく。

こんな調子であるが、どうも、その雰囲気を僕は表現できない。僕の表現力の乏しさも関係しているでしょうが、この雰囲気は、どうも文字では表現しきれないもののように思える。

このような、表現の問題を見越して、映像表現が期待されてゆくのだろうが、映画「WE」ーー命尽きるまで、は、この座り込みから6・15闘争を、圧倒的度迫力、圧巻の勢いで再現してくれいるのである。

まるで、藤山は、このことを最初から、見越したようにカメラを回し続けていたように思える。


4. この映画は、新左翼、「過激派」の、止揚された意味合いを込めた復権の映画とも言える。

この立場からの、次代の各世代への闘いのメッセージとも言えよう。

監督・藤山は「過激派」であり、今も「過激思想」の持ち主である。

その観点で、典型、象徴的人物に焦点、スポットを当て、臥薪嘗胆、雌伏から再決起、浮上の精神史的、思想史的営為をインタビュー形式、あるいは、ルポルタージュ形式を駆使し、追っている。

その人数は少なくはないが、10名ぐらいに限られ、映画は、それに可なりな時間を割いている。

これは、いくらかの物議を醸すかもしれないが、全く意義あることであり、正解的映像表現と考える。

参加者は、すべて、戦後政治運動の、ラジカリズムの尾根を歩んできた人々である。

インタビューは、そんな人々の、若き日の、思想的挑戦、挫折、反省、そして再度の挑戦といった、ある面での未熟な血気盛んな青年から大人への歩みのドラマを想起させて行く。

藤山は、この踏み込みの中に、映画の生命性の半ばが、込められるべき、と信じているようだが、僕もそう思う。

僕や三上、蔵田、江田、鈴木、東間、小野正春、泉、斉藤、黒羽、篠田、淵上、そのほかの諸氏やその家族が登場している。

おざなりで、コンパクトなだけが取得の凡庸なアジプロのプロパガンダ用のドキュメンタリー映画とは異なって、ドキュメンタリーでありながら、そこの登場する人々の内面に踏み込んでいる、という点で、大げさに言えば、この映画は、戦後精神史を記述する性格も帯びているのである。


5. 新しい文化運動は創造されるか。

まだまだ満点をつけるわけには行かないが、次代を予兆させる、荒削りで、今後の民衆映画運動の礎石となる映画であろう。これからの次代に挑戦できる、最初の創造的な文化運動の試みではないか?

宮嶋義勇「怒りを歌え」、足立正男「PFLP−赤軍世界革命戦争宣言」と比較してみる必要を感じる。

若松孝二「実録連合赤軍」とこの映画の関連においても。

安倍が、肩透かし的に消えうせた事態の中で、持久戦的な総路線構築の試みが必要とされてきているが、そこにでは、沖縄闘争が、決定的比重を持って取り込まれなければならないが、このような中での、映画創造など文化運動戦線での闘いは、今後ますます貴重となることを重ねて強調しておきます。


6. 私的なこと。

僕が、何度も登場するのは、光栄でもありますが、他面、汗顔の至りとも思っている。かみさんは、いかなるメディアにも登場することを嫌がり、これまで一度も登場したことはない。彼女の出演は、一重に、執拗な監督の口説きの成功の結果であり、小生が提起したものでは全くない。


〜 以 上 〜