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「テロ特法」についての覚書


2007年9月25日

塩見孝也


*この法律の正式表記は、
平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法
です。ここでは「テロ特法」と略します。


1. 2001年の9・11、ビーン・ラディンを指導者とする「アルカイーダ」のアメリカ国際貿易センターらへの攻撃を「テロリズム」と規定し、ブッシュ・アメリカは<テロ撲滅の国際・国内を問わない報復戦争・テロ掃討戦>を宣言する。

アルカイーダが当時の「アフガニスタンのタリバン政権に庇護され、アフガニスタンをゲリラ戦争の根拠地としている」、と断定し、その年、10月、タリバン政権に無法にも宣戦を布告し、侵攻を開始する。わずか、2ヶ月で、タリバン政権をまたたくまに倒壊せしめる。

これは、国連決議に基づかない、アメリカの「自衛戦争」と称され、アメリカとその主張を支持する有志国の勝手きわまる実力行使であった。

この行動は、冷戦以降のアメリカ帝国主義の覇権主義戦略、アメリカ一極主義の典型中の典型といえる。

小泉・日本は、このアメリカの行動を直ちに支持し、アメリカ支援の法案を通過させた。

これが、「テロ特法」であった。

2. 「テロ特法」は、米、パキスタン、外の有志国艦船に給油、給水し、艦の補修作業、海上で武器搬入の臨検活動らを援助する、といった内容である。

しかし、給油、給水をする主要な艦船が、米艦船であり、最近、その艦船の回航先は、アフガニスタンではなくイラク行きが大半である、ことが暴露されてきている。

この法律は2年毎の時限立法で、これまで3回更新され、この11月1日で、4回目が更新される予定であったが、現在の<ねじれ国会>事態で、きわめて困難になりつつある。ともあれ、それから、3回更新されつつ、以降6年間、この業務は海上自衛隊が担って来た、ということである。

当時の、テロリズムキャンペーンの激しさ、他方での自公与党の衆参両院での過半数の多数派条件の中で、この法案はなんなく通過した。ただし、物議は野党側から醸されていた。

国連決議でもなく、「アメリカの“自衛”、“愛国”のために、なぜ、日本の自衛を旨とする自衛艦が出動しなければならないのか?」という主張である。

実際、これを支えている論理は、「同盟国が危険に晒された場合は、その国の安全に協力する、詰まり、その国を支援することが、自国の安全を保障することとなる。」といった、従来の相互防衛条約的性格を超えた、<「価値観を共有する諸国の多国間の集団自衛」論の構想>をその当時から孕んでいたように思える。

これは、全く破廉恥な辞職を遂げた安倍晋三が主張してやまなかった論理であるし、しっかり煮詰めきられて、公式に発表された見解ではないが、ある面での、アジア、太平洋規模のNATO構想であったように思われる。

この主張は、<朝鮮が攻めて来る。朝鮮と戦争になった場合、アメリカの支援が必要である。そのために、日本と全く関係のない、ブッシュ・アメリカとアラブ・ゲリラの戦争関係に、アメリカとそれを支持する諸国の側に立つことによって、バーターする」といった当時の日朝関係、当時の米・アラブ関係を念頭に置いた小泉―安倍らの現実主義的情勢認識を基礎に、膨(ふく)らまされていった、全く、現実には、日の目を見ず、立ち消えていった悪名高き幻の「集団自衛」構想であろう。

3. 安倍晋三は、インド歴訪の後、オーストラリアで、ブッシュや、ハワード豪首相と鼎談した際、ブッシュに「テロ特法」延長をやりきると対外公約した。

しかし、其の時は、参議院での惨敗、与党の参議院での少数政党化の後のことであり、強引にやって、衆議院を通過させても、参院で否決され、再度、衆議院に差し戻されて、再決議するにしても、それは余りにも多難であり、事実上無理といえた。

このことは、議会運営の規定からする、「テロ特法」延長決議の期限のリミットからしても無理といえた。

安倍は、この対外公約実現を「職責」「進退を賭けて」と大見得を切り、所信表明を行ったものの、参議院での力関係の変化を目の当たりにして、このことに気がつき、たじろき、首相辞職を決意せざるを得なくなった、といわれている。

「テロ特法」の延長が、間に合わない場合、いったん自衛隊艦船を帰国させざるを得ない。

対外公約は守られなかった、としたら、この一時の中断をアメリカら関係国に詫び、空白期間を前提にし、<給油、給水>に限定した、野党・民主党を刺激せず、取り込めるような応急策としての「新法」提出しか考えられなくなる。

このような「新法」を纏め上げられるか、否かが、<調停穏健派>福田政権の手腕の発揮しどころであるが、イラクからの自衛隊の撤退法案まで提出せんとする民主党であれば、取り合うはずはなく、国会は常に、対決基調が前面化する、解散含みの流動性の高い動きを呈してゆくものと思われる。

与党としては、特別国会(臨時国会?)を乗り切り、予算案を決める来年1月の通常国会に漕ぎ着け、会期末の3月、解散―総選挙としたいところではあるが、こんな悠長な見通しは、ほとんど現状では考えられず、年内中の解散も十分考えられる。

まさに政府危機はすでに始まっており、日本社会は戦後未曾有の政治危機に入り込んで行きつつあるといえる。


〜 以 上 〜