F様
改めて、初めまして。元赤軍派議長でありました、塩見孝也です。
今、「4・28沖縄デー復活!安倍政権打倒!闘争」で多忙で、貴兄の質問に十分には、答えられないですが、時間の許す限り答えます。
先ず、貴方は(共産主義者同盟)赤軍派と「連合赤軍派」、パレスチナで活動した「日本赤軍」、よど号ハイジャック闘争をやり、朝鮮「共和国」に行った「よど号赤軍」派らが、一緒くたになり、目茶目茶に混同されています。
第2に、貴方は、僕ら赤軍派や新左翼、全共闘系活動家が、どれほど、「あのような連合赤軍事件を二度と惹起させない」 事に置いて、どれほど思想的、政治的、理論的に苦悩したか、その深刻さが殆ど捉えれきれていず、何か、僕らが、軽々しく、「もう一度テロリズムをやろうとしている(あの戦いは、テロリズムではありませんが)」といった具合に、武装闘争堅持を、全く軽く捉えていることです。
これは、全くの認識不足で、改めてもらわないと困ります。
僕は、この連合赤軍事件を、殺された遠山や山田ら赤軍派5名、革命左派7名の遺志(革命への意志)を胸に秘め、この人達を、常に胸に思い浮かべつつ、武闘教条派や武闘清算派の両思想傾向と闘いつつ、「止揚派」の立場で、研鑽と実践を続けてきたのでした。
この辺の、経緯をFさん、貴方には、是非認識して欲しい、と考えます。
貴方の、指示されている「日本赤軍」は、永田さん、森君の自称「新党」を名乗った、“野合”「新党」の、「連合赤軍派」のことです。
僕は、これ等の、後に分派して行った、これ等の諸派の母胎であった赤軍派のリーダーですが、その後の諸派については、基本的な責任はありません。
その責任は、その諸分派のそれぞれの指導者が責任を持つべきです。
森君・永田さんの起した「連合赤軍」派の「同志粛清・インチキ“共産主義化”」とは、組織面は勿論、政治・思想的に全くといって、僕は政治、思想の両面で関係がありません。
この辺は、外国人のコミュニスト(アナーキスト?)である、貴方には大変分かりにくい、と思いますが、僕の著書「赤軍派始末記」「監獄記」「幸福論」、或いは「リハビリ終了宣言」など、お読みになれば、お分かり願えると思います。
僕は、獄中にあり、物理的に関与し得ない条件にありましたが、基本的なことは、赤軍派の思想・政治路線とこの「同志粛清」とは、当時20代の青年で、僕にも、未熟性はありましたが、本質的には、何の共通性、関係性もないこと、このことは、はっきり申し上げておかなければなりません。
理由は、この「同志殺し」は、「毛沢東思想派」の、「革命左派」、通称「京浜安保共闘」派から、非合法に分派した、永田さん達と他方、赤軍派から分派した、赤軍派の一部、森派の「軍治至上主義」を名文とする、野合から生じていること。
そして、僕ら赤軍派は、この野合の「新党に」結成には、始めから、強く反対していた、ということです。
赤軍派は,通称新左翼系の「トロッキズム」、革命左派は毛沢東思想派で、粛清を肯定するスターリン主義でした。
前者は「一段階社会主義革命」派、後者は「二段階革命の民族民主主義革命から社会主義革命の連続革命」の路線です。
このように、政治・思想路線の全く違う両分派は、本来、合流して「新党」など創れるはずがありませんが、二人の政治判断の過ちとエゴイズムから、それをなしたが故に、野合に反対する、外の獄中両主流派を支持するグループを、山岳に召集して、騙して「新党」をでっち上げようとしましたが、まとめきれず、その部分を粛清・抹殺した、これが、連合赤軍問題の真相です。
しかも、これを思想的・政治的に主導したのは、スターリン主義者の永田さんで、森君はそれに、違和感を持ちつつも、その強引さに屈服、引き摺られた関係です。
スターリン主義は、日本毛沢東派の中に、肯定的に継承され、それが、日本,70年安保闘争の中で、復活していった、という関係です。
だから、ブント思想の流れの行き着く果てが、連合赤軍事件と考えてはなりません。
ブント思想は、未熟性を持っていましたが、本質的に、粛清の思想は持っていませんから。
この事件は、粛清思想を肯定する革命左派、それを悪く凝縮した永田さんからもたらされました。
ですから、「粛清」の「同志殺し」は、外国の毛沢東思想を教条主義的に持ち込んだ革命左派に因があり、誰かが、いみじくも申しましたが、我々、ブント系から見れば、全く「突然変異」的現象であったのでした。
もっとも、花園君のように、赤軍派でありながら、革命左派に乗り移り、野合「新党」を、肯定、推進した軍事至上主義,盲動主義、匹夫の勇の人も居ましたが。
彼は、このことを未だ、自己批判していませんし、今度は、中国派ではなく、朝鮮スターリン主義を担ぎ、同じ事を2度やろうとしています。
叉松平君のように、「武装闘争はやるべきでなかった」という、プレハーノフの様な清算主義の日和見主義者もいます。 この二人は、連合赤軍に於いて、いなお居り主義と清算主義で、間違った総括の両翼をなし、相補しつつ、連合赤軍事件を混乱させてて来ました。
これに、僕の弟子筋の、ブント内革マル主義の荒君たちが介入し、さらに混乱を深めさせようとしました。
しかし、荒君は、本気で連赤問題を総括する姿勢は、もともとなく、息が切れて、いまやマルクス主義、革命闘争の戦線から、破産し、脱落してしまいました。
二人は、これからの闘いを共にやる中で、その立場、方法、観点を改めてゆくべきです。
新左翼の主流、ブント(塩見もその指導部の一部であった)やその最前衛、赤軍派(塩見が指導者であった)は、粛清を肯定せず、スターリン主義の批判を思想的バネに、誕生した潮流です。
重信さんら「日本赤軍」はその赤軍派の継承者の位置にありましたが、「マルクス主義の本当の超克・止揚」をなせず、弾圧の中で、テロリズムに陥り、一時、破産しましたが、今獄中で、不屈に和光さん、丸岡さん、重信さんらは闘っていす。
「よど号赤軍派」は後に、スターリン主義の朝鮮労働党に屈服し、スターリン主義に転向しました。
その後、朝鮮労働党の指揮の下、意義あることもやれば、大きな過ちも犯し、現在に至っております。
20年の非転向の監獄闘争の後、塩見が出獄した1990年(精確には1989年12月29日)の時期は、外は、赤軍派、ブント、新左翼潮流は、ばらばらで分解していました。
或いは、ブント思想とは違う、黒田寛一の思想を根元とする革共同系は、連合赤軍問題と並ぶ新左翼系のもう一つの宿痾の問題、内ゲバ主義を脱却していませんでした。
叉、資本とその権力は、この問題についての、われわれ赤軍派の、このような、思想的弱、反スターリン主義闘争の脆弱さ、つまり、思想的にも、政治的にも、組織的にも全く関係ないが、森派を出してしまった、という事の未熟性の克服、そのその真摯な自己批判に最大限付け込んで、反マルク主義宣伝をやり、左翼を1972年〜73年の「粛清と銃撃戦」の連合赤軍事件以来、あれから、約30年間の長きに渡って、解体の危機に陥らさせ続けて来ました。
僕についても、様々な予断と偏見、デマが蔓延し、この、僕の政治的、思想的、理論的抹殺の包囲網との敵、味方両面での戦線での、思想的、政治的死闘が僕の主要な闘いであったともいえます。
僕も、上記したような、解析を当初は完全には、やり切れず、やっと、この10年間、それをやり遂げ、完全化し、この5〜6年、反撃に出て、これを、梃子、原動力に、民衆運動と革命運動は再建、攻勢の緒に着いた、というのが僕の現状認識です。
この総括の順序は
A,マルクス資本主義批判をしっかり学び、労働者階級の革命的能力、地位、役割をしっかり掴み取ること。
叉、この資本主義批判をベースにして、マルクス、赤軍派の「世界同時革命」論を基礎付けました。
B,次に労働者も人間であり、そうであれば、人間の本性を哲学的に、解明、獲得し、Aの階級性に加え、プロレタリアートの主体形成、構築の思想的基礎付けと主体形成の論理を獲得することでした。
それを、僕は「命を再高尊貴し、それを社会的に輝かせる能力としての自主性」に措定しました。
これが、未熟性克服の第2段階でした。
C,次にBと一体に、「階級性と民族性」の関連、「階級性と民主主義」の関連を解明、措定し、左翼の混乱に基本方向を打ち出しました。
D,この上で、最近、第4段階として、資本主義の第3段階、グローバル資本主義を解明し、そここら、現代の最新の革命の政治路線、戦略―戦術、新しい社会主義、共産主義像を確立しつつあります。
こういった、具合に総括を進めてきたのでした。
僕ら、赤軍派は、不完全であれ、武装闘争を先進資本主義国で追及した、という点では、全く正しく、画期的、革命的で、日本民衆の最前衛であった、と自負しますが、いかんせん、沢山の未熟性を抱え、これを克服し、成熟してゆくのに、この30年間、四苦八苦してきた、というのが、率直な、僕の偽らぬ、あけすけな、感想です。
しかし、僕は、この過程で、以下3点に要約される教訓、政治思想的深まりを、上述の総括進展と一体に、獲得しました。
1、マルクス資本主義批判(「資本論」)を我が物とし、これを武器に、一方では、現代資本主義・帝国主義のグロ―バル資本主義を正しく、批判できるようになり、他方では、赤軍派の綱領的機軸、「世界同時革命」をきっちりと唯物論的、経済(学)的基礎から位置づけられるようになり、現代世界と日本のプロレタリアートの階級意識を、科学的に捉えられるようになったこと。
2、この「資本主義批判、世界同時革命」を基本世界観としつつ、プロレタリアートの主体形成として、「人間論」を、「人間の自主性」として確立し、思想、哲学、世界観の領域で、人間観を確立し、愛や信頼、信義その他の倫理の領域、或いは、社会主義、共産主義の未来社会の構造、特質、そして、それに向けての戦略、戦術、路線も展望できるようになり、この人間認識、思想の一番深い分野での諸問題を解決してきたこと。
3、この、1と2の領域、解決の下で、「階級性と民族、人類の関係性」「階級性と民主主義の関連」を整理し、革命の世界性と一国性、そこでのナショナル民族アイデンティーを越える、世界に開かれた、諸民族性が、個性を持ちつつ融合するパトリオティズム・アイデンティーの立場、方法、観点を確立したこと、また、男女の生、性の関係も解明してきたこと。
これ等の諸点に置いて、かつての、赤軍派の未熟性はほぼ完全に克服されてきていること。
軍事における政治と軍事の関係、非暴力と暴力の関係も、基本的な解決を見つつあります。
赤軍派は武装闘争を主張、実行しましたが、決してテロリストではなく、もともとから、テロリズム、テロリストではありません。
マルキスト、レーニン主義者でした。
マルクス思想、レーニン思想にはテロリズムはなく、反対に、両思想は、これと闘ってきた、歴史的由来があります。
長たらしい説明は、賢明なる貴方を当て込んで、省きました。
どうか、ご賢察を。
それにしても、貴方の日本語の堪能さには驚き、敬意を評しています。
元赤軍派議長 塩見孝也(2007年3月31日、35年前のよど号ハイジャック闘争の開始の日に記す。) |