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国会前ハンスト日記


2007年 3月 23日

塩見孝也


3月20日(火)
これから、ハンストに「出陣」するぞ!

今日、3月20日、午前7時10分、ハンガーストライキをやりに国会に出かけてきます。

場所は、衆議院第二議員会館前で、「九条改憲阻止の会」の仲間、5人とやります。それに、座り込みの仲間達と、10時からです。

昨日、会はこの会館、第四会議室で、40数人の仲間と賛同表明をされた、元全共闘議長、副議長の山本義隆、秋田明大両氏のメッセージを含む記者会見をやりました。

今朝、9:30結集し、決起集会をやって、10:00ハンスト突入です。

これから、5月3日まで、連続のリレーハンストを、「ゼンガクレン」「全共闘」の「ジッチャン」「バッチャン」「おじさん」「おばさん」はやりぬき、安倍と面々対峙するわけです。

ただ、このハンストは、「ラマダンハンスト」と言われるように、悲壮感など無縁な、多少とも「インチキ」な「手抜き」ともいえるものです。

イスラム教徒は、断食をやりますが、朝食は摂らない、ことになっていますが、その前に、摂るらしい、し、終れば、飲めや唄え、で一気に断食の元を取り戻すらしい。

10時前までは、大飯を食ってよいし、6時になると、開けて、夜・夕飯を食っても良い代物で、誰やらは、酒を飲んでも良いのだ、と言い張る。

結局一食抜き、なだけなようだ。

僕は、「資本論」一部の2分冊目を読みきろうと思っています。

みんなの意志は、「楽しい楽しいハンスト」、「家族に応援されるハンスト」のようだ。

カミさんなどは、貴方など、もっと痩せた方が良いわよ、丁度いいのよ、とのたまいます。

これで、良いのだと思います。

とにかく、それでも、戦士の覚悟で、これから出陣します。

これは、「4・28」「沖縄デー復活、安倍政権打倒行動」実行委員会の闘いと、密接にリンクもしています。

それでは、行ってきます。


ハンストをやりきったぞ!
国会前ハンスト行動第一日目報告


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  [写真提供:ムキンポ氏]

●9:30、議院会館前に到着しました。

既に「阻止の会」のハンスト実行委員会の事務局メンバーは来ておられ、きびきび仕事をされていました。

車から、いろんな荷物が降ろされつつありました。

幟旗、ハンスト宣言文が書かれた看板、横断幕、鉢巻、たすき、チラシ、机、小椅子や簡易の椅子、マイクらら。

それに60年安保全学連などが掲げた、全学連旗も降ろされました。

三派全学連副委員長の成島忠夫氏提供のものでした。

この旗は、由緒あるもので、50年代「全国学生自治会連合」が、当時本部を持っていたチェッコ・プラハに置いていた「国際学連」認証のもの(多分プロヒンテルン指導下)を、ずっと継承して来たものらしいです。

宣伝用のものは、全て「9条改憲阻止の会」、「9条改憲を許さないぞー」「国民投票法案反対」「ハンスト実行中」などの文言が書き込まれていました。

これだけのものを準備するだけでも大変だったと思い、改めて「ハンスト実行委」事務局のメンバーに感謝の念が沸きました。

僕も、「阻止の会」の合宿を準備した事務局のメンバーで、一苦労した経験がありますので、その大変さ、は良く分かるのです。

僕は、幟端の組み立てをやりました。

皆は、これを、ハンスト仲間と座り込み仲間を中心にしたスペースに配置し、デモンストレーション、宣伝を目的とした安倍内閣と対峙する一種の陣地、砦を構築しようとするわけです。

そうこうするうちに、続々と「会」の仲間達が駆けつけ、たちまち40数名となりました。

10時頃ともなると、他の団体もやってこられ、議員会館前の通路脇は、座り込みの人々らで埋まり始めます。

スペースのことで、多少、他団体といざこざがあったせいで、決起集会は10時過ぎになりました。

今日のハンスト決行者は、男性4人、女性4人(3名かも知れない)8名で、予定人員を上回っていました。


●これから、5月3日の憲法記念日まで、土、日、祝日を除き、約40日、雨の日も、風の日も、リレー方式で、ハンストは続けられてゆくのです。

大変な計画ですが、僕ら「会」は、それに挑んでゆくわけです。

そして、この貫徹の下、「会」の今年前半期の最大の政治目標、6月15日の「日比谷野音集会」と「国会包囲の大デモンストレーション」爆発に向け、組織活動を、さらにギヤー・アップしてゆくわけです。

4・28「沖縄デー」復活、安倍内閣打倒統一行動は、この「9条改憲阻止の会」の、6・15を射程に置いたこのリレー・ハンストとは、リンクし合い、車の両輪となって、相互に支えあい、力づけあって進む運動と思っております。

この、議員会館前の通路の陣地の正面に国会があります。

そういった場所柄もあり、僕らの座り込みスペースは、この国会での安倍内閣の動向を睨み、監視しつつ、滅多なことをさせないよう、滅多なことをやる場合は、直ちに、それを全国の心ある民衆、人士に報告し、国会、東京、全国・地方から反撃の大波を起してゆくわけです。

この意味で、このハンスト・スペースは、安倍内閣を睨み、睥睨し、非暴力ながら、民衆の抵抗の政治ミサイルをぶっ放す、前線基地、鋭利極まる前哨といえます。

この、政治ミサイルが安倍内閣の頭上に炸裂する事に戦々恐々とし、安倍晋三は夜もろくろく眠れないようにしてしまうのです。

ここまで行くか、否かはやって見なければわかりませんが、僕ら「会」は、主権が誰にあるか、平和と人権がどれほど尊いか、民衆の労働・生活の安寧・福祉を抜きに、国や人類の「繁栄」が如何に空しいか、を安倍に面々対峙しつつ、思い知らせてやる事に置いて、僕らのハンスト行動、ハンスト作戦は絶大なる意義を有していると確信します。


●歯切れの良い司会者の下、決起集会はてきぱきと進行してゆきました。

最初ハンスト者、次に広島ら全国、地方から駆けつけられた方、東京、関東の参加者の順の発言で進められてゆきました。

皆さんは、皆、それぞれの思想的営為、人生の総括と決意を持って参加された、自主的な方ばかりで、その発言は、気持ちよく、重みのあるものばかりでした。

発起人で、関西から駆けつけられた小川登(72歳)氏が、先ず、最初に、挨拶されました。

僕も手短に発言しました。

事務局長の蔵田さんは、他団体との交渉に大忙し、実務を仕切っている江田さんも、その方面が忙しく、挨拶は無理でした。聞きたかったです。

この日の参加者は、「会」関係で、80名ぐらい(延べ)で、激励・差し入れの方を加えれば、悠に100〜120・130名は越えていたのではないでしょうか。 

最初から最後の6時まで、このハンスト行動に付き合った方は、ハンスト者を中心に30名から40名ではなかったでしょうか?

朝日、東京新聞、共同、時事らの社が取材に来られました。叉、フリーの記者達やドキュメンタリーの製作者達やカメラマンも来られていました。

国会に他の用事で来られ、僕らのハンストを発見し、激励やカンパをしてゆく第一次安保「ゼンガクレン」の「旧友」達、僕の「パトリ」や「ミクシー」を見て、会社の空き時間にふらっと陣中見舞い、差し入れに来られる方も結構いました。
 多分、こんな形で、参加者の各ネットで、情報を得て来られた方も多かったのではないでしょうか。

第一次ブントの指導者、島成郎氏夫人の弘子さんも激励、差し入れに駆けつけられました。

国会からは保坂展人氏が挨拶に来られ、丁度「議員会館」で会議を、やっていた、斉藤貴男氏や佐高信氏らの「反改憲・全国行脚の会」とは、エールを交換しました。

国会情報を総合しますと、5月12日頃「国民投票法案」の強行採決が行われること、そのためにやる、内閣が主催する国会、各所で行われる「公聴会」の成り行きが、議会面では、一つの政治的対決の環、結節点となっているようでした。

それで、僕らは、3月22日の国会での「公聴会」に傍聴者として、駆けつける予定です。


●午前中は、雲も僅かしか流れていない、全面、青空のぽかぽか陽気で、防寒対策は不必要と思われるぐらいでしたが、さすがに午後になると温度は下がり、特に僕らハンスト者のスペースは陽が差し込まない,陰の部分となり、体が強張ってきます。

僕も手袋を出してきたり、ジャンバーのフードを頭に架ける、らしました。

多少とも、下着類を着込み、靴下も厚手のを、2枚履くなど、準備はしてきたのですが、それでも寒いのです。

これでは、予定の宇野弘三氏の価値論を、批判的に検討するために読んで行く余裕も生まれません。

そうこうしていると、同僚の女性のハンスト・メンバーが「カイロがありますから、使ってください」と差し出してくださったのでした。

それは「ホカロン」というものでした。

僕は、その「ホカロン」というやつを、胸と腰の部分に、下着上から貼り付けました。

なるほど、ぽかぽかしてきます。

5年ほど前、心臓をやられた僕にとって、この胸部の防衛は、緊要極まるもので、実にありがたかったわけです。

その彼女は、ズボンは皮製で、ひざ掛け毛布、厚手のセーター、帽子、マフラー、ら完全防寒体制をとっておられました。

寒くなると、自然と仲間達は、陽の当たる場所に移動しようとします。ところが、こんな当たり前の行動に、警備官(警官?)が文句をつけてくるのです。

道路脇のガードレールの方は、日当りが良いから、自然とそこに移動し、それに腰掛けたり、座り込もうとすると、彼等が「タバコをすうな」「そこにいると、歩行者の妨げになる」「座ることは許されてない」と執拗に文句をつけてくるのです。

千代田区は、路上喫煙禁止区ですから、タバコはしょうがないにしても、レールに腰掛けたり、座るのは何の、実害もないわけで、警備とは、全く関係ないし、彼等は、そんな権限もないのです。

それでも、下手な対応をしない、と心得ている面々は、適当に聞き分けますが、2〜3人の剛の者は、悠々と幾時間も論争を続け、退りぞこうとしません。

国会警備は、時代が変わり、機動隊対デモ隊の激突、座り込みと牛蒡抜きの構図は、もう過去のものですが、この間、目立たないような形で、人員が増加され、周辺の防衛も強化されてきています。

司会者は、このような事態に、気を利かせ、身体をウオームアップすべく、歩行行進を提案しました。

手や腕をぐるぐる廻したり、足を屈伸させたり、蹴り出したり、腰を揺すったりして、50メートル位を「9条改憲阻止!」をシュプレヒコールしたりしりしつつ、往還するのです。

これを、3往復ぐらいやりますと身体がホカホカしてきます。

効果があるのです。

これには、一応歩行路を歩行しているだけですから、文句を付けられません。

僕はこの時、府中刑務所で、超監視の中で、「不正運動」のレッテルを貼られ、懲罰房送りにないようにされないように注意しつつ、正座のままで手足を動かしたり、腰を揺すったりした行為や工場で、担当刑務官、看守指示の下、元資(もとで)無しの暖房対策、「天衝き運動」運動を想い起こしました。

要するに、班長の掛け声に合わせつつ、「よいしょ!」言いつつ、膝を縮め、屈み込み、今度は背伸びしながら両手を突き出してゆくことを、繰り返す行為です。

これを、60人くらいの懲役が、繰り返すと工場中が揺れ動き、実に壮観で、そうしているうちに体が暖まって行くのです。

こんなことをやりながら、午後小集会を持って、互いを鼓舞し合いしつつ、合間合間にチラシを撒いたりしながら、ハンストと座り込みを続けて行きました。

誰か女の人ががソウルフルな唄を歌ったりもしました。

僕らの気持ちを表現してくれ、実に良かったです。

4時近くになりますと、もう他の団体は引上げて、僕らだけでした。それから、6時までが結構時間が長く感じられ、これを良い機会と、議員会館の周辺を40分くらい散歩しました。 近くに神社があったり、坂道があったり、丘があったりで、起伏が豊かで、面白かったです。

5時40分頃から締めの集会をやり、皆それぞれ、今日一日の行動をやり遂げた意義を口々に確認し、在日コリアンの女の人は、「憲法こそが、日本人の戦前の他民族抑圧の反省の印であり、朝日人民は団結して、反改憲闘争に勝利しましょう」と挨拶されました。

社民党の方が叉来られ、憲法があったからこそ、日本は「ベトナム戦争に自衛隊を派遣せず、有為の青年を死なせなかったが、お隣の韓国は、何万人も派遣して、青年が6000人も戦死した」と挨拶されました。

最後に、僕らは例の9条改憲と国民投票法案への僕らのスローガンをシュプレヒコールしました。

その時、ある元映画監督が締めのスローガンはこれだ、と司会者にコチョコチョと耳打ち的に提案しました。

それで、「帰ったら孫と遊び、楽しむぞ!」というシュプレヒコールが提案され、「俺には孫はいないぞ!」「だったら嫁さんと楽しめ!」「嫁さんがいなかったらどうするのだ」「うるさいぞ、ゴジャゴジャ言うな、これでよいのだ!」と衆議一決し、これをシュプレヒコールして、僕たちはハンスト行動第一目を無事終了したのでした。

僕ら「9条阻止の会」のこの様な運動は、未だ社会的に知られていません。それを各人が知恵を絞り、各人のパソコンらを駆使し、全日本規模のネットワークにし、広めて行くべきことを痛感しました。

叉青年達が少ないことも反省材料でした。これこそ、「4・28沖縄デー復活、安倍政権打倒行動の担う任務と思いました。この成功に於いて、これが水路となって、青年達が「9条改憲阻止の会」の運動に合流すればよいのではないでしょうか。

おなかは、ただ1食抜きの手抜きの「ラマダン・ハンスト」ですから、水は飲み、少々芋焼酎を飲む無頼行為にもつき合わされたし、そんなに空いていず、疲労度は相当のものでしたが、僕は満足感に浸りつつ家路に付いたのでした。

               塩見孝也