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労働者は賃金という鎖で繋がれた現代の奴隷である。
資本主義の科学的批判を認識しよう。

2007年 3月 4日

塩見孝也


Aさんへ

メールありがとう。

僕の方こそ、やはり、少々多忙で、前回への返信が遅くなっています。

その上に、叉メールもらいました。

まず、どんなに忙しくても、真摯な、僕が見込んだ人は、忘れず、必ず返事も書くことにしています。

これを、忘れないで下さい。

叉、論点を徹底して詰めるのが、意見交換の本道ですが、その合間に、情報交換ら、必要で、やれることはやって行くようにしたら良いのではないでしょうか。

その上で、貴方が良ければ、適当な時期にお会いしましょう。

僕は、「4・28沖縄デーの復活」、つまり「第8回塩見塾」に取り組んでいます。

これは、実行委員会を行う予定です。

その合間に、「資本論研究会」も、顧問という形で、やっています。

いずれも、mixiに公開しているものです。

貴方が来られようと、何の問題もありません。 僕の確認がありますので。

来られれば歓迎いたします。

特に、「資本論研究会」は、最重視しております。

なぜなら、僕らが住み、働き、生きずらく感じ、しかも戦争や民衆抑圧に追い込んで行くのは、この資本主義の所有・生産関係とその体制、システムですから。

この、システムをどうみるかで、人、民衆の生き方、政治への関わり合い方は決定されてゆきます。

この社会システムでは、「自分は自由だ」と思い込まされ、錯覚している人が大半ですが、実は、賃金という鎖で繋がれた、現代の奴隷、賃金奴隷だと思っています。

個別の資本からは、一見「自由」のように思えますが、無数の資本関係、総体としての資本に対しては、プロレタリアートは、生きるための労働力を売り、それでもって自己が再生産するにたるかつかつの、生活資金(生活資料)、賃金を得る、賃金という現代の鎖に繋がれた奴隷だと思っています。

古代の奴隷は、文字通り、奴隷主に生殺与奪の権を握られている、生産用具ですから、非常に分かりやすいです。

中世―封建社会の農民は、土地を貸し与えられてはいるものの、 そこに緊縛され、地主に半ば生殺与奪の権を握られているやはり奴隷、農奴です。 
 これも、分かりやすいです。

しかし、資本主義下の労働者は、自己の労働力を私的に、一応、形の上では、自由に処分できるようになっていますから、「自由な私的商品所有者」のごとくありますから、この賃金奴隷制が、見えにくくなっているのです。

ですが、全体的に見れば、労働者は私的に生産手段を所有している資本家階級に、何処に行こうと、隷属する関係に置かれているわけです。

だから、一見それは、対等のように見えつつも、実は仮象に過ぎません。

資本は、契約関係では、対等の関係の如く振舞いますが、その関係でも、いわんや労働・生産関係、生産過程では、専制者、君主であり、賃労働者は、奴隷であることは、すぐに明瞭になります。

このような、資本主義の関係の特質は

1.生産手段の私的所有関係

2.互いに別々にある社会的分業関係

3.労働力までが商品として売買される関係

の三つに特徴付けられるのですが、 この経済、社会関係では、人と人の関係が、商品と商品、貨幣と貨幣、資本と資本の関係に転倒されてしまいます。

これが、資本制下の、人間の貨幣への呪物崇拝という現象です。

この現象は、生産手段を勤労民衆が共有し、交換関係、市場関係を無くし、生産と分配、消費を、交換抜きにし、それを民衆中心に、民衆が主体となり、自主性を発揮し、意識的に、協同,協働的に、やれば、理論的にはなくなります。

もう一つは、このような、所有・生産関係では、労働者が自己の労働力を再生産するに足るものを得ても、その労働力の消費は、それ以上の剰余を生み出しますが(資本専制の下、賃金以上の時間を越えて、強制的に労働時間を延長されるので)、その剰余価値は、資本家が懐に入れます。

そして、それを資本は資本制生産に再投下し、より資本間の弱肉競争戦の中で、資本蓄積をしようとします。

この資本間の「自由競争」、剰余価値の搾取競争が、資本主義の本性です。

これは、人間の欲望、煩悩と結びつき、それを奔騰させ、資本も労働も市場、資本主義競争の蟻地獄に入り込み、その流れは、必ず恐慌や戦争に向かいます。

この、法則を労働者、民衆は、階級意識を磨き、団結を強め、断ち切り、自分の労働の成果を奪還し、自らを主体とする、世界的規模の共同体を創出し、幸福を実現すべきです。
その能力を、労働者階級は、団結すれば、この階級こそが社会的生産の主体ですから、本来的に持っています。

その為には、労働者階級が、その能力、その核心としての、「自己の命を最高尊貴し、社会的に輝かすべく、それを保障する自主性」を有していることを確信することが大切です。

コミュニストの革命家は、以上のような資本主義批判、労働者階級の社会的地位、能力、叉人間としての自主性(世界の主体に、集団、団結を通じて成長してゆけるという信念)を確信すべきです。

現代の資本主義、グローバル資本主義は、もっとも最高度に発達した資本主義で、市場原理が、純化して発現して行っている社会です。

これは、マルクスが生きた産業資本主義社会、レーニンが生きた第一次世界大戦、その後の第2次世界大戦の時の資本主義、レーニン帝国主義社会とも違い、さらに発展している社会です。

言い換えれば、それまでの資本主義が、不純な前近代的諸関係を、未だ引き摺り、孕みこんでいた社会とは違って、こう言った不純関係が淘汰され、消失し、資本主義の特徴が純化して発現するわけです。 つまり、貨幣の呪物崇拝、市場を通じた、搾取競争戦が、純化して現われるわけです。

だから、皆、拝金主義、自己中に陥るわけです。

或いは、割り切りスタイルで、人を金で隷属させ支配し、言うことを聞かない人、民族、民衆には、「法」なるものを振りかざし、暴力支配し、時には殺してゆくわけです。

或いは、無政府的競争戦と資本主義的生産力増強が、核戦争の危機を生み出し、環境と地球を破滅させる所まで、人類を追い込んできているわけです。

資本主義の批判になってしまいましたが、この問題が、一番重要と思われますの、それをかいつまんで語ってみました。

今回は、これで。乱筆、乱文失礼します。


P.S. 本当に、良ければ、「資本論研究会」に参加されませんか。

HPに書いている通り、3月25日(日)にやります。

尚、現代資本主義論、グローバル資本主義=帝国主義の僕の、より詳しい見解は、2006年7月6日付の「ぱとりHP」に掲載しています。

叉、自主論も各所で展開しています。


               塩見孝也