寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る

「9条改憲阻止、6・15実行委員会」発足に思う。

「9条改憲阻止の会」、「6・15 戦闘宣言」を発す。

2006年 12月 22日

私的報告、感想者 塩見孝也


T. 昨晩、12・21(木)は、「9条改憲阻止の会」の「6・15(2007年の)9条改憲阻止実行委員会」の第1回会議がもたれました。

つまり、来年の「6・15」に向けて闘争委員会が結成されたわけです。さしずめ「2007年に向けての、“改憲阻止の会”が「戦闘宣言」を発した、といったところです。

静岡から駆けつけた成島氏や始めてこの会議に参加した「新人」等含め20名余の、錚々たる人士が集まり、第2回の「改憲阻止6・15闘争」をやり抜こう、という会議でした。

半年先の闘争を設定し、本年末の今から、準備してゆこう、というものです。

実に、意気壮ん、といえます。

僕は、小川登氏、蔵田計世氏、その他の諸氏で創られた、このための、合宿の責任者の一人として、三上氏と共に、それぞれ、用意した合宿素案(粗案)を報告しました。

合宿は、「阻止の会」の政治的、思想的、組織的土台を確認する重要な会議で、これまでのような、せいぜい2〜3時間の会議では、こなしきれない、溜まっていた諸問題を、一泊2日で、処理し、「会」のコンセンサスを計り、「会」のトータルな活動を推進し、その蓄積の中で、6・15闘争を爆発させて行かんとする重要な試みです。

この合宿は「阻止の会」の活動の第2段階を画するものになるでしょう。

叉、そうしてゆかなければならないと、僕は思いました。

この会議では、

●2月3日(土) 14時〜翌2月4日(日)17時まで
町田市大地沢青少年センター


と決定され、合宿実行委員会は、呼びかけ文を年内に練り、来年早々、案内状を全国の「会」関係者、縁の人々に、発送する、事が確認されました。

皆さんの参加を呼びかけます。



U. この会議では、以下3点ぐらいに論議が集中してゆきました。

一点は、「国民投票法案」関連、二点は統一地方選、その後の参院選対策、そして三点目に、草の根的地域活動、それと職場闘争の結合の問題、この3点の関連で「6・15」の位置づけをどうするか、等でした。

◆「国民投票法案」を通過させないためは、どうしたら良いか、必要な臨戦態勢をどう敷くのか、に論点が集中してゆきました。

安倍内閣が、数を恃んで、教育基本法や防衛庁「省」昇格を強硬通過させたように、来春を前後して、この法案を強硬通過させる危険が生まれているからです。

これを、阻止するには、今春、「反共謀法」闘争の際、作られたような国会を中心とした動きに対して、議員、民衆一体の極めて迅速にして、密接な、全国的で、強力な、臨戦態勢が必要なわけです。

至明な事ですが、「国民投票法案」は改憲のための、地ならし的目的で、改憲と表裏一体に、執権勢力が追及しているものですが、民衆にとっては、今の所は、「改憲是非」とは無関係な、単なる手続き法案ぐらいにしか、捉えられていず、この点に関しては、民主党も自民党と大差ない見解なわけです。

これまでの、この草案では、マスコミ、特に外国メディアの意見表明を選挙活動への介入、干渉として、言論統制を行う条項があり、メディアも意識的に、反対する動きが強かったのですが、これが外されることで、反対表明も下火になっている情況が生まれています。

この点を踏まえながら、僕等「阻止の会」が、文字通りの、実践的行動団体に、全体の総意を反映させつつ、漸進的にですが、体質改善されなければならないのは、相当、火急の事柄となっています。

現在では、「会」は未だ、このような行動団体にはなっていず、そこから、自己脱皮してゆく、事が「会」に問われているわけです。

この意味で、「会」の組織改革が、最大限に総意を反映し、漸進的にですが、必要とされてきています。

◆叉、議会闘争の面でも、6・15闘争は、それまでの都知事選も含めた統一地方選、そして7月の参院選に対して、どういった主体的係わり合いを持ってゆくか、力量に応じてのこととは言え、その一つの軸心になってゆくべく、大衆運動組織としての「会」の真価(ないしは、進化)が問われます。

「国民投票法案」通過阻止の臨戦的体制、他方では、選挙闘争への関わり、このような目下の民衆が関わり合う生活者的政治世界との密接な結合なくして、「何の9条阻止か」、という問題が「会」に突きつけられてきているわけです。

この観点から、自分達の生活の場に振り返ってみると、友人・知人の「だれそれが選挙に立つ」、「どのような議員を応援するか、どのような議員を落とすか」の日常生活、団塊の世代ー全共闘世代の「猪の会」、「生活者クラブ」の動きら、その外らの、地道で系統的なこれまでの選挙活動らが振り返えられて行きました。

各人の生活の場、地域に帰れば、自分ら各人でやれる、いろんな活動、形態があることが確認されてゆきました。

以上のような3点の諸活動、或いは労働者の失業対策、諸労働運働の推進らを積み重ね、結合させて行きつつ、「そのピークに6・15闘争を設定する」ら、意見がまとまってゆきました。

◆後一つ、「6・15」の日取り設定について、「会の出自性」と、より広い、国民的、民主的・市民的広がり、との調和をどう実現してゆくか、の問題もでました。

「ブント残党の集まり」「ブント同窓会」、「過激派」「他の非新左翼系人士、潮流を排除する事にならないか?」といった議論です。

「会」は、60年安保「全学連闘士」(達)の呼びかけ、これに呼応した、70年「3派全学連」「全共闘」の世代を中軸にして、結成されているのは紛れもない事実ですが、これと「広がり」の問題です。

確かに、ある種の「狭さ」が付きまとっていますが、しかしこの出自性は、別の面から言えば、ある種の、他団体とは違う無尽蔵とも言える革命的可能性、広大な広がり、地盤、エネルギーを秘めており、このメリットの面を活かしつつ、広がりを追及すること、その広がりと「可能性」、エネルギーは矛盾せず、叉矛盾させない思想性を「会」は「小異を残して大同につく」原則で、十分獲得しつつあることが確認されるべきと思いました。  我々は、自らの出自を、全く卑下する必要はないこと、「欠点、限界は改めるに如かず」、ですが、他面では、我々のこれまでのデメリットを上回る長所を確認し、自らの出自に、逆に、プライドを持つことが、決定的に必要と感じました。

我々は「そんじゅうそこらの“ただのおじさん”ではない」ことをはっきり自覚し、能力を発揮すべきなのです。

このことを、もう少し、順序立てて説明しますと以下です。

どういうことか?

1)もとより、「会」は、「9条改憲阻止」である限り、護憲派であろうと、“革命派”であろうと唯物論者であろうと、宗教者であろうと、どんな政治的経歴、思想・信条、性別、年齢、民族、人種に関わり合うことなく、広く門戸を開いています。

その、構成は、自主・自由なる諸個人を持って構成され、その組織性格の基本は“自主、自由なる人間の連合した組織”、と言えます。

「会」は、「小異を残して大同につき」、「9条改憲阻止」を目指し、賛同される方々の諸個人は、全て同志と考えています。
 これが、「会」の基本理念、基本組織原則だと思います。

2)とは言え、物事には常に出自とそれに関わる歴史があり、どんな組織も、それと無関係、無媒介に生まれるものではありません。

この意味で、僕等は、「会」の出自を大切にし、それに誇りを持っているべきで、その出自を隠す必要は全くありません。

その出自からのエネルギーを源泉にして闘い続け、このプロセスを経て、非新左翼系、いろんな人士、諸団体と交流、共闘し、またそれらの方々を、礼を尽くしつつ迎え入れ、然るべき発言の場、ポジションを提供し、参加していただき、諸個人の連合した国民的大衆組織(の一つの機軸)に自己脱皮してゆけば良い、ということです。

出自に拘り、狭く々、自らを位置づけることは、全くの邪道ですが、−−我々はそんな態度をとらないし、これまでとって来ませんでした、−−無媒介に、出自抜きに、「会」の発展を展望して行けば、逆に虻蜂(アブはち)取らずになる、ということです。

この点で、来年「6・15」を、一大闘争日と設定する方針は最終的には、何の異論もなく、参加者全員によって、賛同されました。


V. この日、僕等は「実行委員会」を発足させ、安倍改憲内閣に、戦闘宣言を発した事になります。

戦後、平和憲法は、あの悲惨な先の戦争の国民的戦争体験の教訓から、認知され、生まれ出でた物で、先の戦争が、余りに悲惨で、アジア・太平洋の人々に迷惑をかけ、悲惨と迷惑が国民的規模であったが故に、逆に、この21世紀に超出しても、十分輝く、世界に誇れる憲法として出自したといえます。

この憲法が在ったが故に、我が日本民衆、国民は曲がりなりにも平和を享受し得、一定の繁栄を実現してきました。

それを、小泉政権、現安倍政権、歴代の自民党政権は、ひっくり返さんとし、とりわけ、現安倍政権は、「平和、主権在民、民主主義」の基本とする基本憲法原理を根底からひっくり返し、「美しい国へ」とか称し、ネオ国家主義、ネオ軍国主義の「戦争が出来る国家原理」にすべく、「新しい憲法」を樹立せんと、具体的に日程に上らせてきているわけです。

70年代頃まで、国民の共同主観であった「平和、主権在民、民主主義」は、それ以降軽視されるか、弊履の如く、打ち捨てられる、僕等民衆は、今や、国民的・民衆的危機の土俵際まで、追い詰められてきている、と考えています。

しかし、この土俵際まで、追い詰められる過程で、僕等民衆、国民、日本人は、自らが享受し、保持して来ていた、国民主権のこの憲法の、輝ける意味、ありがたさのなんたるか、我が日本国憲法が何物であるか、を自覚し、これが、民衆が拠って立つ、真に民衆が拠って立つことが出来る、さし当たっての最高のもの、規範であると、再発見しつつある、といえます。

二日酔いのように、80年代、90年代と彷徨っていた日本民衆は、安倍らの傍若無人な、奢り高ぶる攻撃を受けることによって、逆に自己の人間性、民衆性が自覚され、その保障の基本ベースが日本国憲法にあることを、はっきりと自覚しつつある、と言い切れます。

人は、失いかかってみると、その失いかかっているものの大切さを自覚するものです。

この意味で、安倍は格好の反面教師といえます。

戦後直後、日本民衆は、この憲法を、自己の国民的戦争体験として勝ち取って行ったと言えますが、他面では、それには、上から与えられた面、血を流して勝ち取ってない面があり、それが如何に正当で、素晴らしいものであったとしても、民衆の憲法感覚、意識は脆弱であったとことも否めません。

そうであるが故に、冷戦時代が到来し、アメリカとつるんだ為政者達が、憲法を否定し、「逆コース」を歩み始めると、憲法を軽視するような傾向が、全体的にも、生じ始め、冷戦以降は、とみに民主主義感覚の別の面である、民族意識、国民意識の脆弱性を衝かれ、簡単に他民族排外主義に流され、これと一体に主権在民感覚を否定するようなとんでもない事態が生まれてきているわけです。

この意味で、日本民衆は戦後直後の「“革命”」 の中途挫折、50年代の“妥協体制”成立以降の状態を、その「戦後レジーム」を、右から安倍などが、保守・反動的に再編しようとしているのに対して、逆に再「“革命”」、再「“民族独立“の“革命”を完遂することで、保守反動化、一言で言えば、反革命を打ち破り、やり残したままの戦後革命を左からやりきって行く、民衆側の「再編成」課題が浮上しつつある、といって良いと思います。

この「変革」“革命”の過程で、「日米安保破棄」「米軍一掃、自衛隊解体、民衆のミリシャス的自衛武装」が問われてゆくこととなります。

或いは、日本社会主義への道が、憲法を完全実施するその果て、暁に、この民衆自主の徹底化の回路を通じてのみ、拓かれてゆく事も明瞭になって来ています。

僕等は、かかる道への一歩を歩み始めていると、捉えるべきです。

「日本の現実が、斯くあるから、憲法を変えて、別の憲法を作る」ではなく、「憲法の規定から逸脱した現状を、民衆の決起によって、憲法の理念に従って、元に戻して行くべく、逆に、現実を変革してゆく」、このような姿勢こそが問われています。

これを、僕は、世界同時革命の基本理念、方向、資本主義批判ーー労働者等民衆中心、人間中心に実現してゆかなければならないと思っています。

考えて見て下さい。

西欧諸国であろうと、ブッシュの牛耳る米国であろうと、途上国であろうと、支配階級は、自国の憲法を尊重し、これを規範にして政治を行います。

この意味で、執権勢力が、「押し付けられた」とか称し、自らの国是的規範、理念を年から年中、否定する事に血道を上げて居る国なんて、実に珍しいのです。

それほど、我が日本国憲法は、「押し付けられ」て、「反民衆的」なのではなく、それほどまでに民衆的性格を持っており、執権勢力には息苦しく、煙たくてショウガナイ性格だということなのです。


               塩見孝也