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池口恵観法主のこと

2006年 12月 11日

塩見孝也


 12月19日、池口恵観法主(鹿児島最福寺)の「三つの祝賀会」に出席いたします。

 恵観御坊とは、長年の付き合いで、故田宮高麿同志の告別式には、お経を上げていただきました。

 氏は、野球選手、清原の恩師などで、世間には知られていますが、真言宗・密教の高野山大阿闇梨であられました。

 この度、御坊は
 1:「添護摩一千万枚焼供」で、
 2:祖山の高野山より、僧侶の最高位である「大僧正」に昇補されました。
 3:12月15日でもって、この度、古希をお迎えになられたこと。

 この「三つの祝い事」で祝賀会をなされます。

 僕は、正月、御坊の新年の集まりには、招かれて、大体、毎年、参加させて頂いております。

 著名人、自民党などの政治家や財界のお歴々の中で、僕は惑星的異端の存在で,隅に居る事に決めていますが、御坊はいつも丁重に、処遇してくださいます。

 何故、塩見などが、こうした御坊などと付き合うのか、疑問に思われるでしょう。

 それなりに、理由があるのです。実は御坊と僕は、ある種の獄友なのです。

 氏も叉、若き日、逮捕され、取調べを受け、23日拘留された経験をお持ちです。

 1961年の暮に、三無事件(さんゆうじけん)という、破防法適用第一号となった大きな事件がありました。

 氏は、この事件に連座されために、その後逮捕されました。しかし、「若輩」「末席」であったが故に、不起訴、釈放となり、その後、「改心」され、郷里の親御さんの最福寺を継がれ、逆境の中で衆生済度、世界平和のため、修行、精進されてました。

 僕が1990年、出獄した直後、誰かの仲介で、お会い、対談する機会があり、その時、双方の事件や獄談義に花が咲き、その後、〈よど号〉の仲間などのことで、何くれとお世話になる、関係になったわけです。

 氏の中では、若き日の行動の想いが、燃え続け、それが、形を変えて、その後の精進になって行ったわけでしょうが、氏は、赤軍派のことについても、関心と理解を持ち続けられ、非常に深い、内容のある、豊かな、若き日の革命家的センスも含んだ文章も書いて来て下さったりし、氏と僕は非常に気が合う仲な訳です。

 御坊が、生半(なまなか)な仏道修行者ではなく、今も、修行に、修行を積まれていることは、一日一万本の護摩木と2000枚から3000枚の添え護摩木を焼供され、〈添え護摩一千万枚〉という、大偉業を達成されたことで、十分理解できます。

 護摩行をご存知でしょうか?

 僕も、最福寺で、御坊が、護摩を焚かれる姿を観覧させて頂きましたが、実に熱く、普通の人なら火傷をしそうになります。

 このような状態で、炉の中に、護摩木をくべてゆくわけです。投げ込まれるわけです。

 護摩木には、衆生の方々の〈願い〉が、書き込まれ、それを祈念しつつ、投げ込んでゆくわけです。焦熱世界で、衆生救済を祈念されるわけです。

 僕と、御坊は、世界観は違っていますが、民衆を思う気持ちは、同じだと思いました。

 この10年近く、御坊の盛名は高くなる一方のようですが、その御坊から、「19日は祝ってください」と携帯に電話があったのです。

 時々、御坊は、高遠なことで、電話を頂く栄に、僕は、浴しているわけですが、僕は、招待状を頂いたことは、知っており、瞥見はしていたのですが、正月ではなく、本年、19日とは確認していませんでした。

 「是非来てくださって、祝ってください」とおっしゃり、僕を感激させて下さったのです。

 僕は「新春は行く予定にしていましたが、19日は知りませんでした。招待して下さるのは実に嬉しいし、他ならぬ恵観さんのことであれば、何が何でも行くつもりですが、しかし、法主!僕は貧乏人で、一万円は無理です」と答えました。

 「塩見さん、何を言われるのです。そんなことは良く承知しております。身一つで来て下されば良いのです」と言われました。
これが、経緯です。

 僕は、来年は、法主らと共に世界平和のための、行動を起そうと、その実現の方策を、これまで以上に具体的に考え始めたのでした。

               塩見孝也