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緊急アピール
教育基本法「改悪」に反対します。
強行採決を許すな!


2006年 11月 15日

塩見孝也



 教育基本法改悪反対の、諸市民団体の連合による、日比谷野音集会に八千人の人々が参加し、活気あるデモを展開しました。

 16日の強行採決を阻止すべく、衆議院第2議員会館、第3会議室で緊急集会が、11/12(日)の13:00よりもたれました。

 こういった動きと、あのインチキな「タウン・ミーティング」のやらせとは、全く一体です。12日の集会でも、このことは各発言でも暴露、糾弾されました。

 国会議面前では、座り込みが連日続けられているようです。

 安倍内閣の戦前回帰、復古主義、超国家主義、ネオ軍国主義志向の憲法改悪準備、これと一体の教育基本法改悪は、戦前の天皇絶対の帝国憲法と一体であった教育勅語を復古させて行く質の内容を持ち、全くとんでもないものです。

 国家による「愛国心」「伝統・文化」「宗教的情操教育」の認定とその押し付け、このようなことで、現在の子供達の状況と学校教育の事態が克服されるわけがありません。

 「単純」という言葉は、真理を直裁に表現しているという意味で「真理はシンプルに表現される」「Simple is beautiful」なのですが、ただ、ただ表面的に、“単純”なだけなのは、「単純馬鹿」、有体に言えば、「馬鹿」を意味します。 

 安倍晋三の政治は、この意味で、「馬鹿」丸出しで、その「馬鹿」を補完する行政手法も、全部透けて見えます。

 それほど、彼の政治、思想は深みがないのです。

 教育基本法への対応もまた、全く然りなのです。

 正に字義通りの無思想、蒙昧、痴呆的ともいえる戦前型天皇絶対志向、国家主義、軍国主義の文化の単純極まる、押し付けであり、「宗教的情操教育」の「宗教」は、「国家神道」の復活であり、阿呆、陳腐、思考停止、全く、絵に描いた様な保守政治なのです。
 このような志向を持った為政者達が、教育を鋳型に嵌めんとしたからこそ、或いは、他方で、市場原理至上、新自由主義の弱肉強食の競争原理容認を、執権勢力の実利本位でプラグマチックに、無媒介に、統一せんとし、教育基本法を軽んじてきたが故に、現在の「教育の荒廃」原因が在ると言っても過言ではない、と思います。

 教育基本法は、憲法の理想、精神、政治の在り様に応じた、“教育の憲法”として、その基本理念、原理や実際の基本細目は全く正しい、といえます。

 人間の自主性、戦争否定と世界平和、主権在民と民主主義、子供の家庭看護と地域、社会のその援助の関係、地域自治の尊重とこれと一体の教育の在り様、教育の機会均等、学問研究の自由、義務教育と国家の補償、こういったことこそが、新自由主義と保守復古政治のゴリ押しの下で、守られず、ないがしろにされ、創造的に運用されず、憲法理念とは全く正反対の理念、原理なき実利政治や戦争のできる体制構築の動き、新しい質の貧困、階層格差の累積が、大人のモラルと教養の低下、家庭と地域の共同、協同、協働的関係性の崩壊、教師や実務体制を揺らがし、教師に自信を失わしめている、のではないでしょうか。

 単純馬鹿の、安倍などはこのような事柄とその内容の実際が何もわかっていないのです。

 平和と教育問題の揺籃地、地域政治、地方自治重視の観点からも、このような安倍単純馬鹿政治を一掃してゆかなければなりません。

11/19の沖縄知事選、福岡市長選、統一地方選を、福島知事選の勝利を引き継ぎ、打ち勝ってゆきましょう。

以下、資料として、 教育と文化を世界に開く会の、2002年の「声明」を転載させていただきます。

〈声明〉教育と文化を世界に開かれたものに
――教育基本法「改悪」に反対する呼びかけ


 いま、世界は大きな変化の時代を迎えています。情報コミュニケーション技術の飛躍的な発展や国際化・グローバル化の進展などに伴って、経済構造・生活構造の再編が進み、国際的な科学技術開発競争・経済競争も激化していますが、もう一方で、多民族共生や地球環境問題をはじめ国際的な協力によって克服すべき課題も多くなっています。こうした時代の変化と課題に対応して、教育の在り方も問い直され、さまざまの改革が進められています。

 こんにち教育とは、一人ひとりの子どもの自己形成を支援し、豊かな人生を切り拓いていくことのできる力を育むことを目的にした営みです。一人ひとりの子どもが、文化と伝統の好ましい側面を継承するとともに、新たな文化と伝統を創造していく力を育み、豊かな文化社会の展開に参加していくことを支援する営みです。そのためにも、教育は、未来と世界に開かれたものでなければなりません。一人ひとりの子どもが、自分の将来と社会の未来に希望を持つことのできるものでなければなりません。多様な他者や異文化を許容し、ともに高め合っていこうとする姿勢を育むものでなければなりません。世界の多くの人びとと交流・対話し、協力し合う意欲と力を育むものでなければなりません。

 しかし、近年の教育改革の動向は、その基本を歪め、時代の変化と課題に逆行する傾向を強めているように見受けられます。とりわけ、現在、中央教育審議会において議論されている教育基本法「改正」の方向には、憂慮すべき危険な徴候が見られます。激化する国際競争やグローバリズムへの対応を重視するあまり、偏狭なナショナリズム、エリート主義、強者の論理によって教育を再編しようとする動きが強まっています。とくに、「伝統文化の尊重」の名の下に、「愛国心」や「国家への奉仕・献身」の重視と復古的な道徳教育の強化を主張する議論が強まっているように見受けられることに、私たちは強い危惧の念を抱かざるをえません。

 伝統は、それが好ましいものと感じられる限り、尊重されるべき重要なものです。しかし、その好ましさが特定の人々によって独善的に決められ、すべての子どもに押しつけられるようなことがあってはなりません。私たちは、歴史の教訓として、「伝統の重視」が偏狭なナショナリズムや歪んだ国家主義を鼓舞し助長することになる危険性のあることを知っています。その危険性を回避することが重要だと考えられたからこそ、半世紀前に教育基本法の案文が検討された際、「伝統」の二文字を入れず、「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」という表現が採用されたのです。その歴史の教訓と先人の英知は、これからも生かして行くべき貴重なものであると考えられます。

 私たちは、平和主義・民主主義を掲げた日本国憲法の精神に則り、「個人の尊厳を重んじ真理と平和を希求する人間の育成」と「普遍的にして個性ゆたかな文化の創造」を掲げた現行教育基本法の理念は、21世紀の教育の指針として維持するにふさわしい理念であり、日本を含めて世界中の国々が批准した「子どもの権利条約」の精神にも合致するものであり、その意義は、国際化・グローバル化の進む、この時代にあって、これまでにも増して重要になっていると確信するものです。

 教育基本法をめぐる論議が歪んだ方向に展開していくことのないように、復古的・エリート主義的なイデオロギーや関心によって現行教育基本法の理念が歪められることのないように、進行中の教育基本法「改正」の動きを見守り、その「改悪」に反対する議論と運動に多くの人が参加し、声を挙げてくださることを期待します。

 2002年7月18日

教育と文化を世界に開く会



呼びかけ人(50音順)

味岡尚子(全国PTA問題研究会)
石井小夜子(弁護士)
梅原猛(哲学者)
大岡信(詩人)
尾木直樹(教育評論家)
奥地圭子(東京シューレ)
川田龍平(人権アクティビストの会)
喜多明人(早稲田大学教授)(事ア局長)
小森陽一(東京大学教授)
佐藤学(東京大学教授)
佐藤秀夫(日本大学教授)
瀬戸内寂聴(作家)
俵義文(子どもと教科書全国ネット21)
辻井喬(作家)(世話人)
暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)(世話人)
中川明(弁護士)
中山千夏(作家)
なだいなだ(作家・精神科医)
西原博史(早稲田大学教授)
灰谷健次郎(作家)
藤田英典(東京大学教授、前教育改革国民会議委員)(世話人)
増田れい子(エッセイスト)
牟田悌三(俳優)
毛利子来(小児科医)


<以下、追記です>


 上記、資料とさせて頂いた「教育と文化を世界に開かれたものに---教育基本法『改悪』に反対する呼びかけ」は非常に優れたものと僕には思えます。

 それにしても、安倍政治の本質が僕には見えてきた感じです。

 坊ちゃんの二世政治家、何の深い人生経験もなく、政敵とは言え、戦前の政治の苦渋を全身に帯び、それでも保守政治にしがみついた、吉田氏とか後藤田氏、中曽根氏、三木氏---、開明的な石橋氏や河野氏は別格としてですが---らといった保守政治家連中とは違い、親の七光りで、何不自由なく成人し、たまたま、それが民衆の政治が、行き詰まり、彼等に有利な時期、政治的地歩を固めた連中、いわば全共闘世代、団塊の世代の後の、哲学も思想も何もない、プラグマティストのひ弱な保守政治の信奉者の彼等が、頭から「マルクス主義」も「過激派は悪い」と叩き込まれ、それを単純に信じた、このような世代の実利主義、チャッカリズムの政治が「美しい日本へ」を一皮むけば、そのベースにあるように思えます。

               塩見孝也