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「制裁」という言葉に思う。

2006年 10月 25日

塩見孝也


 朝鮮核実験を巡ってやたらと「制裁」という言葉が、無神経に、メディアでは踊っています。

 僕は、この言葉は、自分の肌合いのレベルで、根本的に好きではありません。

 これは、「国連決議でどうなこうな――」で始まりますが、この言葉に、僕等は鈍感であってはならないと思います。

 この言葉は、覇者、列強、強者の言葉です。現代では、帝国主義列強の使う言葉です。

 翻って、いまの現状で、この言葉について、冷静に考えて見る必要を感じます。

 勿論、僕は朝鮮国核実験に反対するものですが、

1:この言葉の推進的実行者、アメリカ(帝国主義)は、こういった道義的言葉を使う資格があるでしょうか。

 先ず、この国は、我が日本国、広島・長崎に原爆を落とした戦争犯罪の最大の下手人だ、ということです。
 そして、イラクらでも劣化ウラン弾を使っています。

 こういった国が、核独占をしたいが為に、他の国は使うな、持つな、といっているわけですから、どう見てもおかしなわけです。

 とてもではないが、エゴ丸出しで、理屈の通らない話しです。


2:さらに、我が日本国為政者達です。

 確かに、日本は、原爆の犠牲になった最初の国であり、この体験を生かして、道義的に、朝鮮国を批判する非常に重要な資格を持っています。

 この資格は、とてもとても重要な資格です。何故なら、この為に朝鮮人らも含む約0万人の犠牲があり、しかも身近では、僕の身内沢口友美を含む被爆者や被爆2世が今も苦しみ、亡くなっているのです。

 非核3原則をかなり、ざる、にしてきてはいますが、十分、世界に対して、人類に対して、身を犠牲にして警告できる資格といえます。

 僕等日本人は、これを、あくまで、2度と核戦争などを惹起しない方向で、核には核で、報復する戦争政治の反対の方向で、有効に使うべきです。

 ところが、中川(自民党政調会長)や麻生外務大臣らは、こんなことは、忘れ去り、否、忘れさそうとして、「核武装の検討」のアドバルーンを揚げたりし、その資格を投げ捨てようとしているのです。

 こういう、動きをすれば、日本だけが持つ、世界に発信できる道義性を失ってしまうことは、今の時期、しっかりと押えられておくべきです。

 それ以前に、この核問題の根底に、ある種の「朝鮮征伐」「征韓論」、有体に言えば「朝鮮討つべし」といった、秀吉以来の、支配階級が、大陸膨張を目指す際の、朝鮮人蔑視を基底とする、軽薄極まる他民族排外主義の伝統的武断主義の「制裁」「報復」熱があることが押えられるべきです。

 明治以来の、朝鮮半島侵出、朝鮮人侵略、植民地化の決着は未だついていません。それが為に、今回の問題が起こった要因があることも見て置くべきです。

 日本は、この問題を決着つけず、冷戦情勢に乗っかかり、戦後一貫して頬かむりしたまま、アメリカに従い、朝鮮国敵視、朝鮮民族分断を推し進め、今に至っているわけです。

 そして、「アメリカには負けたが、朝鮮人や中国人には負けてない」という、政治勢力が、現今、政治の主導権を握ってきたのです。
 こう考えれば考えるほど、「制裁」などといった、覇者の、たいぎょうな言葉を弄ぶ前に、己が、これまで朝鮮人に何をなしてきたか、こそ、反省することから、日本人も為政者達も始めるべき、と思います。

 この反省を基にしてこそ、話し合いが始められるべきなのです。

 この姿勢が、あれば朝鮮国指導者や朝鮮民衆も、耳を傾けるでしょう。「ピョンヤン宣言」への復帰も可能です。

 これが、道義を考えるなら、先ず第一に確認されるべき、倫理的態度というものと思います。

 こう言った姿勢を、先ず民間から、最初の段階の徒労は覚悟の上でも、倦まずたゆまず始めることが、大切ではないでしょうか?

 僕は、かつて2003年、39名の(最終的には29名となりましたが)、同志達と、こういった観点で「白船平和義士団」の運動をやりました。

1.日朝不戦
2.ピョンヤン宣言実行
3.あらゆる国の核実験、核武装に反対する
4.拉致問題の人道的見地からの早期解決
 
(日朝両国家は政治介入せず、被拉致者とその家族の自主性に任すべき)

 これが、訪朝団(白船平和義士団)のスローガンでした。

 あの時以上に、状況は悪化しています。だからこそ、この企図が、より一層、復活的に要求されていると思います。

 少し、今、考えています。

 やや、余談ですが、「征韓論」は、西郷隆盛が唱えたとし、進歩的学者すらも、そう断じて来ましたが、彼は、全く「征韓論」者ではなく、司馬遼太郎が「飛ぶが如く」で力説する如く、「遣韓論」者でした。

 対露、対欧米警戒のアジア主義者であった西郷は、膨張主義の反対の見地で、日、朝、中のアジア連帯を、考え、朝鮮側の受け手で、開明君主であった、大院君と話し合おうとしたのです。

 西郷には、ある程度の目算があったようです。

 そのために、自己を「遣韓使」と位置づけ、身を挺し、単独で話し合いに向かおうとしたのです。

 「征韓論」を実行したのは、その後の、大久保利通の方であったのでした。

 今の、為政者達に問われているのは、このような視野、姿勢、度量、覚悟なのです。

 「周辺事態法」を適用し、朝鮮国艦船を臨検するなど、全くの傲慢極まる、大国の戦争政治に直結するアホ極まる政治です。

 安倍は、ここで、それに、黙っていない朝鮮側軍部を挑発し、それをやっつけて、名を上げようと算段を目論んでいるのです。

 重ねて、全くアホのことだと言っておきます。

 安倍は、大西郷の爪の垢でも煎じて飲むべきであろう。

 中国や韓国に飛ぶなら、同時に朝鮮国にも飛ぶべきであったでしょう。

 彼は、2度、かの国に行った経験もあり、朝鮮側も、それまでの、彼が包囲網を創る前は、名指しの批判はしていなかったのです。



               塩見孝也