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*塩見個人の現在の見解です。「白船訪朝団」全体の見解ではありません。

白船「座礁」に思う。    塩見孝也


 白船は「座礁」した。誠に残念です。

 しかし、「敗れたりとは言え、大いに良し」と言いたい。

 このことについて団長としても個人としても、この見地でだが、世間になにがしか のかたちでの報告義務を感じています。

 参加申し込み者、協力者にこの見地で誠実な報告と些かのお詫びもしたい、とも 思っています。

 しかし先ず最初に一言わねばならぬのは、労苦を共にして下さり、今もして下さっ ている仲間達、とりわけ貴重な時間と労力、金、精力を費やされてきた、事務局の仲 間達に、その労苦に心から感謝したい、と言うことです。

 木下さん等事務局の皆さん、本当にありがとう。

 (一)我々は我々は我々の闘いを“良し”とする。

 訪朝という目的は実現出来なかったが、「四つのスローガン」という政治思想目標 の全くの正当性、「言うべきことを言う民間外交」のスタイルに秘められた破天荒性 と革命的とも言える生命性ーーその気宇・勇気・大胆さ、「交渉・交流・観訪」の行 動目標に示された気概とユニークな想像力を強調したい。

 1,日朝不戦はどん底の準臨戦的関係に入り始めていた日朝関係を踏まえ、「友好」 と言う標語が偽善であることがミエミエである状態が明になりつつある以上、「嫌い な隣人でも,隣人であれば、戦争しない方が良い」、「戦争しない、戦争を起こさせ ない」、つまり双方が実質相互不可侵を確認し合う。

しこうして「ピョンヤン宣言」 の内容に従って、それを友好関係に発展・転化し、東北アジアの平和を創出して行 く、という主張は的確な状況把握であり、時宜に適していた。

 2,ピョンヤン宣言は、基本的には日本の併合・植民地化のお詫びを前提にし、相 互安全保障、非核の方向、経済共栄、日朝国交正常化の方向を確認したもので近代以 降の日朝関係を肯定しうる内容で総括したもので、この宣言を反古にせず、実行に移 すことは、日朝双方が納得するものであること。

我々はこのことを強調し、ピョンヤ ン宣言を復興しようとしたのである。

 3,あらゆる核武装反対は平和を目指す人類の普遍的課題であり、我々は朝鮮核武 装に反対しただけでなく、アメリカ等帝国主義列強、中国、ロシア、そしてパキスタ ン、インド、イスラエルらの核武装にも反対したものである。

又唯一の被爆国である日本国民の国民的体験から来る、要求を朝鮮国とその民衆に分 かってもらおうと 提出したものである。

 4,拉致問題の早期人道的解決は過去の日本側の侵略や強制連行の非人間的残虐行 為の反省・自己批判を踏まえつつ、拉致問題の日朝両国家の政治利害を絡ませず、当 事者家族本位に解決すべきことを主張したものである。

この人道的な解決観点、方法 において、もつれにもつれ、糸口を見出せず、膠着しきり、力の解決に流れつつある 事態を民間から打開しようとしたのである。

 この4つのスローガンは全く時宜に適した、全く正しいスローガンと言える。

 「言うべきことを言う、民間外交」「交渉、交流、観訪」の対話路線は文字から受 ける穏和さと違って、白刃でわたりあうような日本人、日本民衆の気概、国際主義的 精神に基づく勇気と大胆さ、自己犠牲の覚悟を内包したものである。

極めて破天荒な 提起であり、之くらいの凄まじさ、義士・国士、民衆的変革者精神無くしては日朝関 係の打開、風穴を空けることは出来ない、と考えた訳である。

   そして何よりも、これらの目標のその根底に座っていた志の質と高さ、思想性、姿 勢、総じてこれらの意義を概括すれば、それは、日本民衆、民族の自主性、主体性、 そしてその国際主義的精神がしっかり座っていた、からこそ提起できたのである。

 このような精神、スタンスがあったればこそ、左右を越えたラジカルな人士の結集 を実現し得、日本民衆、日本人に問題提起でき、その心性に触れることが出来、メ ディアからも賛同や関心を得たのである。

 更に留意すべきは、之を単なる問題提起や空文句の壮語、“おだ”に終わらせず、 実際にそれを公然と掲げ、勇躍、行動を起こし、ここまで勇途して来たこと、その言 行一致性、めげない不屈の敢闘姿勢、ねばりと努力を我々が積み上げたことを強調し たい。

 我々はこれらのことから、我々義士団の之までの行動を“良し”とし、大いに自負 し、互いに讃え合い、このことを大いに世間に宣伝すべき、と思うわけである。

 これを「ペテン」とか「世間をたぶらかした」と言う輩がいるなら、どつきまわし てもかまワン位でに思っています。

 犬に食われろ、と言ってやりたい。

 これを「人騒がせな」とか決して揶揄させない。

「それ見たことか」とかと、悦に 入る輩には、「手めーが何をやってきたか」を逆に問いたい。

 おちょくりだけが専売の「週間新潮」の様な輩を、今回は絶対に飛び出させて来な いように、確乎とした総括姿勢を堅持し、民衆に最大限大々的に宣伝し、逆にマスコ ミへは、我々の顛末を肯定的に紹介してくれるメディアを発掘し、育てて行くべきで ある。

 我々が先駆的に名乗りを上げるまでの、状況、イラク侵略戦後の状況を振り返って みる見るべきであろう。

日本列島、朝鮮国、日朝関係を覆っていた反動的、沼地的気 分を吹き飛ばすにはこのような、ある面では荒っぽい「壮語」「義士」的行動こそ敢 えて必要であった、と反撃すべきである。

 「火中にに栗を拾う」「虎穴にいらずん、虎児を得ず」の乾坤一擲の方針が必要で あったのである。

「“閉塞されきり、戦後最悪の状態にあった日朝関係に”白船平和義士団が民間か ら、風穴を空ける」運動方針は、世間を覆っていた異常に高まっていた朝鮮拝外主 義、ショー美にズム(大国主義的国家主義)の大いなる危険を吹き飛ばす、方針でも あり、全く必要で正当なものであった。

 実際の重要度は別にして、取り組みの実際面では、「イラク反戦」よりは、「朝鮮 反戦」は百倍も難しく、複雑である。

我々の方針はその難しく複雑な、「朝鮮反戦」 に上記の4つの正規・正道陣形を踏まえた上での、奇策的、奇襲的要素を含んでロマ ンティシズムとリアリズムを統一しつつ、持てる力量、特性を最大限活かしつつ、適 合的に取り組んだとと言える。

   「政治は結果である」という人がいるかも知れない。

確かにこれは真理に近いかも 知れない。

 しかし、政治を「政治・思想」的に、政治に力点を置いて見れば、我々の試みは 「挫折」と言えるかも知れないが、政治を「思想・政治的」に見て、力点を思想に置 けば、立派に政治的にも、勝利と言っても良い。

 思想宣伝運動と見れば、決定的に勝利した、と言って良いのである。

 我々は敢えて「勝利」という言葉を使うべきである。

 一、正しい立場、観点、方法からの正しい方針で闘い抜いたこと。

 二、沢山の民衆の支持と共感を得たこと。

長崎市長メッセージに象徴されるよう に、 或いは鹿児島の救う会の議員さん、同行を求めた日本人妻の家族、沢山の共感 してくれた人々、在日の人々、団体、  共感する政治党派、グループも連絡をとってきた。

 三、心あるメディアの人々の共感と関心を得たこと。

 四、何よりも、最終的には最後まで行動を共にしようとし四十数人の義士の同志を 始めとする、義士集団を形成してきたこと。

 五、今度は成功させることが出来る、教訓、情報、経験を積んだこと。

 六、誰にも迷惑は懸けなかったこと。

 七、これが、一番言いたいことかも知れない。

この運動に取り組んで、面白かっ た、と言うことです。

 どうでしょう。

こう、列挙しただけでも、勝利は明らかではないでしょうか。

 ここでしょぼんとし、うじうじ落ち込む必要は全くないとと思います。

 満々たる自負心を持ち、我々のこれまでの奮闘を攻勢的に、世間に語り、揶揄や中 傷など歯牙にもかけず、この我々の試みの意義を世間に広め、記録し、歴史に止める べきかと思います。

そして次のステップの滋養にすべきです。

 (二)我々は正道を踏まえ、奇策、奇襲で進んだ。

 朝鮮反戦は難しい。

この「難しさ」とはどういうことであろうか。

確かに朝鮮反戦 はイラク反戦に較べれば、百倍も千倍も難しく、かつ複雑怪奇なのである。

 イラク反戦と比べれば,このことを可成り明らかに出来る。

イラクは今年の可成り早い段階から世界の世論、反戦勢力と連携すべく、世界の反戦 勢力を受け入れてていった。

バース党も朝鮮党に比べれば、比較的開放的で、木村三 浩氏(一水会代表)も党員に受け入れ、「NASHOU」を介しイラク政府自らが、意見の 相違に拘らず世界の反戦勢力を招待したりもした。

 朝鮮党は純粋民族党であり、日本人は民族帰属を変えない限り入党は出来ない。

ま た如何に親しくとも「唯一思想・唯一指導ー一心団結」を認めない限り、外国人との 親しさは全くの限界を持つ。

朝鮮国はパルチザン国家的側面も残してはいるが、典型 的な独裁閉鎖国家、国家社会主義国である。

 加えて核武装を世界からの孤立を無視し、今強引に推進せんとし、よりその性格を 強めている。

 その根底には独裁の為には粛清の殺人・暴力の恐怖政治を是とする宿阿の闇をこの 権力はその中枢に宿している。

この宿阿をどうやって解決、治癒、治療するかは、朝 鮮民衆、民族当人だけでなく、世界の、人類の課題でもある。

日本との関係でもこの 宿阿の問題は、直接的に拉致問題として、彼の国の体制存続に直結しているが故に、 その事に朝鮮国内で公然と触れることは、たとへ外国人の日本人であれ、決定的にタ ブーとされ、厳禁されている。

 このような国に不戦やピョンヤン宣言実施では共通するところを持ちつつも、3, 4の核武装や拉致問題を公然と論じに行く民間外交は、たとえ民間外交とは言え、極 めて破天荒で、危険で、実現性が極めて低い最高の難問である。

 拉致や「連れてきた問題」関与が考えられる、朝鮮総連やよど号グループが「中 立」を装いつつも、執拗に反対し、妨害するのも十分に考えられた。

 この意味で、我々の今日ある事態は前から予測され、白船平和義士団運動の提起は 「駄目元」の性格が終始付きまとっていたのである。

 我々はこの宿阿の問題は敢えて触れない形で、表面ではそれを前面には押し出さ ず、金正日氏への手紙とそれへの朝鮮側の対応を挙げつつも、醒めた駄目元の姿勢、 入国不許可の可能性も前提にしていた。

 しかし可能性は諸々の諸要因を検討すればーー後で検討するがーー、絶対なしとし ない、とも考えていた。

 このような事態であれば、我々の真の構え方はどうであったろうか。

我々の取り組 みの基本的構え方、視点は全くそんな所になかったのである。

 確認したいことは、この問題を飲み込み、消化してしまうほどの満々たる平和の意 志を持って、白船平和義士運動に取り組んできた、と言うことである。

 我々は正道を進んだのである。

 優れて相手の『朝鮮国委せ』ではなく、主体的、自主的対応から、主体形成の観点 から、分かりやすく言えば民族と民衆の主体的覚醒、啓蒙、その観点での思想・政治 闘争の追求の観点から取り組んだのである。

 有り体に言えば、例え訪朝出来なくても、勝利を主体的には宣言しうる構えで、こ の運動に取り組んだのである。

訪朝出来るか否かを、焦点に置きつつも、日本の将 来、有り様,進路、日朝関係の有り様、朝鮮国の有り様、言い換えれば既存のその有 り様の根本的変革、革新を念頭に於いて、取り組んだのである。

 民衆を中心にし、朝鮮反戦勢力に足場を造りつつも、又コアとなっている、ラジカ ル派を結集軸としつつも、出来るだけ広範な国民的結集、その為の情報社会、劇場社 会の特性の最大限の活用、メディアの最大限の利用する陣形を取ったのである。

 かかる正規の基本陣形を前提にしつつ、作戦的に見れば、ある面で、奇策、奇襲の 戦術を採用したととも言える。

 根底では駄目もとの醒めた立場に立ちつつも、朝鮮側の曖昧さ、どっちつかずの玉 虫色の対応を逆手に取りつつ、それを最大限活用しつつ、運動を極力政治の焦点に押 し上げつつ、日本民衆の関心を結集しつつ、朝鮮国指導者・民衆を訪朝・交渉・対話 の場に引きずり出す、と言った作戦である。

 鈴木国男さんはこのことを「無から有を産み出す」作戦と言った。

「ワイド・スク ランブル」の山本監督はこのことをズバリ「奇策」と言ったのである。

 僕は、「奇策」の上で、更に「奇襲」でもあったと思っている。

 1%にも満たないかも知れない「実」、ーー実際はもっともっと多かったかも知れ ないーーを含んだ「虚」を実の如く、見せかけ、結果としては実にしてしまう、「瓢 箪から駒を出す」作戦である。

 之は小説のフィクションの手法にも似たシュールな手法とも言える。

 しかし、無から有は生まれない。

なにがしかの有があってこそ、その有は別の有に 変幻して行く。

   朝鮮国外交は実にしたたかなことは有名である。

今回もその事は遺憾なく発揮され たように思える。

 我々は、そのしたたたかさを更に逆手に取って、目的を実現しようとしたのであ る。

 どういうことか?   僕の手紙が上まで届いたか、途中で止まり、いい加減にされたか、ー僕は上まで 途届いた、と確信しているー又その返事が真に「熱烈歓迎」であったか、それとも、 “様子を見よ”ら他の指示であったか、上まで行かず、可成り、その下の段階で作ら れたか、かは興味ある問題である。

 しかし、そんなことは、今は主要な問題ではない。

重要な問題は、我々日本人側と 朝鮮側との関係で見れば、朝鮮側が不確かで、曖昧な、玉虫色の対応をし、我々は迷 惑を蒙ったこと。

このことである。

 言い換えれば、朝鮮側のぼやかした、ずるい対応に対して、その手紙への対応が、 その事実関係がしっかりした検証を見ない段階では、そこから飛び出してきた「熱烈 歓迎」の材料を使って如何様にも料理して良いと言うことなのである。

結果に対して 責任ある主体的対応をとること、別の形で言えば民衆に対して、又国際的信義におい て実害が生じないよう最大限配慮することを条件にしてだが。

 我々、日本側の方も、出所や経緯の曖昧な「熱烈歓迎」が「様子を見て、拒否する か、受容する」類に玉虫色の性質の判断方法、之は結局は、こっち、日本側にどっち にせよ責任をおっ被せる、ずるいやり方である。

我々は之を逆手にとって、「熱烈歓 迎」を振りかざし、ドンドン運動を推進し、受け入れるか、拒否するか、の朝鮮側の 態度を鮮明にさせて、いずれの選択においても責任は朝鮮側にある、ことを鮮明にす るやり方を取ったのである。

 之は奇策と言って良い。

 つまり朝鮮側の曖昧さに、マヤ化され、こちらが混乱され、運動を中途で放棄すれ ば、我々の負けである。

七、八月の第一ラウンドは、これで見事にしてやられた。

こ ちらがマヤ化されず、「招待状を出すべき、出すべき」と連呼しながら、出してこな くても、之に拘らず、「熱烈歓迎」を武器に、正しい政治内容と力量、体制を構築 し、運動をどしどし推進し、行くところまで行きつけば、朝鮮側は正体を現してこざ るを得ないようにし向けたのである。

 実際10月10日の段階で「朝鮮総連国際局広報部声明」という形で、現れてき、 「花連盟の韓さん失脚説」も流布されることとなった。

 康さん等「国際民間交流協会」の実態も明瞭になっていった。

労働党、朝鮮国家機 関の内情も可成り露呈していったのである。

康さん等は之にまともな一片の反論も出 せていない。

 朝鮮側は今のところ「花連盟」の韓氏と康さんの「独断専行」と言う形で、トカゲ の尻尾切り的収拾でお茶を濁そうとしている。

 しかし、果たしてそれだけであろうか。

僕は、どうもそうとだけは思えない。

之だと、余りに総連や保守派に都合が良すぎるではないか。

確かに韓・康連合に直接 の責任があるだろう。

しかし決して、そんなエピソード的類に根本原因を解消させて はならない。

朝鮮側総体に責任を求めなければならない。

もっと言えばその中の保守 派にこそ責任を求めなければならない。

朝鮮労働党内部の路線闘争の現状やその国際 情勢との関係をしっかり知り分析する必要があります。

 ゆめゆめ、「韓・康連合のペテンを信じた塩見達の軽はずみに問題があるのだ」と 言った保守派の狙う絵図、漫画に乗せられてはならない。

 問題の本質は何処にあるのだろうか。

 責任は最後まで朝鮮側にあり、その根本は拉致問題、連れてきた問題に露呈し始め ている、国家社会主義の独裁、殺人、暴力の粛清・恐怖政治を保守せんとする保守派 にある。

彼らにとって、我々義士団の存在とその行動は爆弾並の御しにくさ、扱いに くさを持っていたこと、それ故に、若芽の内に摘み取ろう、としたこと、入国させ ず、臭いもの蓋をしてしまおうという、お決まりの対応をしたのである。

ここにこ そ、事態を結果させた反動的本質があると思う。

 この問題は次の補論の所で述べます。

 奇襲とは上述した「熱烈歓迎」を逆手に取りつつ、精鋭で 多士斉々だが、まだゼ ラチン状態にある混成の義士団が、四つのスローガンに凝集される平和への一心、民 族的誇りと国際主義精神の一心で覚悟し、過渡期に入り、分化、再編の端緒、錯そう たる路線闘争の渦中の朝鮮に極力正体を隠しつつ、飛び込み、革新の息吹を持ち込む こと、返す刀で、日本革新の潮を創り出して行くことである。

 この正規陣形に基づく奇策、奇襲は「勝利」した。

 次の段階はどうすべきか。

 もはや、奇策、奇襲は止めにし、この過程で分かった様々な関係性と教訓をしっか り分析し、隊伍を整え直し、正規陣形を創り出し、朝鮮国が無視できぬ力を付け、 堂々たる外交戦を展開する事、その手始めが三百人の白船と言うこともあるであろ う。
        十一月五日         塩見孝也    


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