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*近日中に(下)を掲載します

今年の朝鮮とよど号問題(上)


 今年も僕は活動の半分ぐらいはこの分野が占めると思っている。

 後の活動の分野は連合赤軍問題や赤軍派・ブント・新左翼の総括問題、そしてもう一つの分野がイラクら中東問題と考えているのだが。

 昨年の年末位から日朝の水面下の拉致問題での交渉が慌しくなり、新年早々も続き、最近の一月中旬ころからその全貌が明らかになってきている。

拉致議連の平沢代議士と朝鮮側関係者の北京での会談、その政府と家族会への報告、家族会の討議、覚醒剤密貿易者や亡命者の処理で外交官が訪朝したこと。

 この会談をセットした人物が誰であり、朝鮮側関係者はどのレベルの人達で、どのラインの人たちか、どのような提案でどのような意図があったか、何故今この時期なのか、はたまた「ミスターx」は関与していたのか、この人物は誰なのか、となかなか賑やかで、ことが拉致問題だけに、かなりの国民的関心が呼び起こされている。

 二月頃には第二回の六カ国協議も準備されていると聞く。

 いま一つは、拉致被害者の三分の一を占める「ヨーロッパ組み」の有本さん、石岡さん、松木さんの拉致に関与したとされる「よど号グループ」の子供達の第三陣が一月十三日帰国したこと、そして記者会見し予想に反し「親の見解を信ずる」と言い、柴田あきさんは自分の親である柴田君、八尾さんの問題についてはきはきと自分の見解を述べたことである。

二月二十四日には安部公博さんの妻である魚本さんも帰国することを公表している。

 これらの帰国裁判に備えてか「ヨーロッパ留学生拉致問題についての我々の見解」なるブックレットも公表されている。

   僕はこれらの動きを見てゆくことで幾つかの論点と注目すべきことに気づいた。

 その一は、何故この時期か、朝鮮側には強い日朝関係打開の意志ありと見たがそれは、「朝鮮国に危機あり(主として経済問題だが)」、だから、そのために、弱気になって、日本側になりふり構わず、愁訴してきたのか、それとも、彼等なりのこの二、三年の総括があり、今年から来年ぐらい、或いはもっと長期で、彼等なりの見通しを持ち、その計算から、強気で、「攻勢の外交」に打って出ているのか、と言う論点である。

 第二に、これと関連するわけだが、小泉ら日本政府、執権派勢力が、「朝鮮側に拉致問題に基本的変化なし」とにべない態度表明したわけだが、この意義である。

これは非常に重大な判断である。

このことも含めどんな基本的対応をするのか?という事である。

 第三に今年の日朝関係はどのような推移をするのか、このこととの関連で、日本民衆は今年どんな態度、見通し、方針を持つべきか、僕等との関係では、昨年僕達は四つのスローガンを掲げ、「白船」平和義士団の訪朝運動を闘ったわけだが、この第二ラウンドの可能性はあるのか、あるとすればそれはどんなものか、も考えざるを得なかった。

 僕は、我田引水かもしれないが、昨年の我々の運動は極めて妥当性をもっていたが故に、挫折したが各方面に刺激を与え、その表れが、この間の事態を産み出すに何がしかの貢献をなしたと信じている。

 第四は、よど号グループが帰国・裁判闘争対策として発表した、集約的態度表明と見受けられる拉致問題での態度、その表明としてのブックレットに対してどんな態度をとるか、である。

 ◆第一について

 僕は弱気からの「愁訴」と見ない。むしろ強気の、かなりの自信を持った「攻勢の外交」戦術と見る。

 一昨年、2002年の朝鮮をとりまく内外の情勢と比較すれば、昨年に引き続き、今年はそれよりもっと金正日政権にとって有利な情勢が展開すると、朝鮮国は見ている。

 それには一定の妥当性があると思う。

 彼等の最大のライバル、ブッシュ政権が、イラク問題でイラクを無法に侵略・占領したがその後、その無法性故にゲリラ達の執拗、不屈の抵抗を受け、被害が重なり、泥沼状況に追い込まれ、見通しも無く、本年の大統領選で赤信号と言わなくともそれに近い、黄信号が点き始めてていること。

 対朝鮮のもう一つの戦線を開くなどは、イラクで手一杯で、とても無理で朝鮮核武装についても、始めの態度とは打って変わり、朝鮮側の「核武装自制と引き換えの不可侵条約の締結、金正日政権の保証」と言う方針に、たじたじで受身になりつつあること。

 朝鮮側は、かかる事態をしっかり認識し、従来の「先軍政治ー強盛大国」路線の決め手としての核武装路線にさらに自信を持って来ていること、これで国民をある程度「飢餓問題ー経済の回転停止状況」があるものの集約しつつあること。

 そればかりか、今年か、来年を射程に於いて、党大会をもって、「全党の意志統一」を追及し始めていることである。この党大会の意味するところは非常に大きな意義を国民との関連でも、彼の政治生命を新たに強化、展開してゆく意味でも絶大な意義を有している、と考えなければならない。

 父親の権威に依拠し、金日成政権を継承して、指導権を獲得したものの、金正日氏の政権基盤は決して安定したものではなかった。

 党大会はもう十年以上開かれていず、金正日氏にとって党大会で最高指導者として承認されることが、国内外名実ともに最高指導者として認知される最大の指標である。

それを今年か来年やろうとしているのである。

 もし、この党大会が実現されるなら、朝鮮もまた長い政権交代の混乱期を経て、ーそれは「世襲制」の自己矛盾、自縄自縛に凝縮してきていたーー、「中国やベトナム、キューバのように「社会主義」国本来の政治体制と路線をもって、世界に安定した形で伍してゆく行く、居場所を獲得したことおなり、それは一応は喜ばしいこととなる。

 やっと金正日氏等朝鮮労働党がこの「自縄自縛から脱却する理路、条件」を獲得しつつある、ことを意味する。

 氏は権力を父親である金日成主席から、党中央委員会、人民代表者会議の承認という形式を通じてであれ、移譲された。しかし氏の党での政権基盤は磐石とは言え無かった。

 その根本は、二十一世紀を領導するような新しい総路線が確立し切れていず、模索の過程にある、からである。

 これは、氏にとっては、二重の意味で難しいのである。

 どういうことか?

 この総路線がその本来に於いて、マルクス主義の超克する内容、パラダイムの転換的内容を内包し、それ自体これまでの国際共産主義運動が抱えてきた普遍的な困難さを持っていること。

そしてその困難さは朝鮮に於いては、権力の世襲的移譲に伴う「自己矛盾」「自己撞着」「自縄自縛」を解決すべき、という難問と結びついているのである。

 一方で「金日成体制」を忠実に継承し、他面では、それを誠実に否定しなければならぬ、といった難問である。

 これは、朝鮮党が信奉するところの、チュチェ思想の真髄をしっかり持ちつつ、それを全くこれまでとは違う情勢の中で運用する問題である。

 ある意味では、金日成思想を継承するような外観をとりつつ、全く別の性格も持つ金正日思想を創り上げねば成らぬ、と言った一見アクロバットまがいなことをやらねばならぬ事となる。

 労働党内部では、このような手探りの自主的で創造的な動きに対して、金日成思想を掲げた、帝国主義派や欧化派(米、日,韓を無条件に受け入れる)や中国派、ロシア派が不満や批判を唱え、とりわけ経済と政治では、守旧派として潜在する。これは新しい総路線が確立するまでは簡単には収まらないし、外貨獲得のためのなりふり構わぬ活動(武器輸出・出稼ぎ・観光、覚醒剤、密貿易、偽ドルすら噂になっている、なりふり構わぬ「せびり」外交等何でもありの状況)、軍と工場労働の関係、根元のエネルギーと農業・食料問題の根本的打開策の未確立、全体としてのかっての「東側」経済の解体からの「西側」経済にリンクして再生産、拡大再生産してゆくリズムやインフラの未確立ーーー本当になんでもあり、の状態なのではないか。

 このような、状態が渦巻く「党」の整理、整頓は最高の難問題といわねばならない。

   その彼が最高権力者就任以降、最初に最大の政治目標としたものは、このような難物の「党の整理・整頓の課題」はひとまずさておいて、先ずもって、何が何でも、軍を掌握することであった。内外の危機の連続に対して、なりふり構わずで国家の支柱である、人民軍を掌握し、軍事第一のやり方をとることであった。

 何故そうしたか、については次の三つの狙いがあったであろう。

 その第一は軍を敵にまわしては彼の政治生命は在り得ない。彼の政権を脅かす危険性と実力をもった勢力は唯一、他ならぬ国家の軍事的政治的支柱である人民軍そのものであった。決して党ではなかったのである。

 この勢力を掌握せずしては、初めから彼の最高指導者としての政治生命は成り立ちようが無かったからである。

 さらに対外的には、政権担当者の交代の隙を突いて、正日政権の転覆を企てる「外部勢力」アメリカに対しての軍事的「ついたて」として人民軍を強化することが必要不可欠であったこと、第三に、内部的には、この「ついたて」の武装力をもって、未だ完全には信服していない、労働党党員への威圧力としとする必要が在ったと言うことである。

 普通常識的には、「党が軍を統率する」「軍は党が政治をやるための、軍事的道具である」これがマルクス主義共産主義の政治と軍事の関係における基本原則である。

 ところが、氏はその常識に逆らって、破天荒にも人民軍軍事委員会を国防委員会に昇格させ、これを政治局や中央委員会の上位に位置付け、「先軍政治」路線を敷き、果ては「核武装」路線を公然と展開し始めたのである。

 そしてこの路線の何が何でも、他の様々な損害を無視しても、実現しようとしてきたのである。

 そして、それが一応「成果をあげた」としたら、次の段階として党の全面掌握に踏み出す、という訳である。

 こういうこととして党大会が準備されようとしているのである。

   何故氏がこのような破天荒な変則的対応を取ったか、取らざるを得なったか、ここにこそ現代朝鮮国の全体像や朝鮮労働党の内部状況、諸関係を解析できる、そして今後を占う鍵、基本問題が潜んでいるわけであるが、このことの詳細を展開するのはここでは避けるにして、結論的観点のみを指摘しておこう。

 金日成主席は自己の権威を、自己の死後まで磐石にするため、自分の息子を後継者にするのが一番良いと考えていたのであろうが、世襲した息子の金正日氏も又権力を獲得するためにそれを利用した。親の権威を最大限持ち上げたのである。

 金正日氏が親の権威を借りたり、利用したりせずとも、自らの才質で、時代のリーダー足りえる人であったか、否かは判定の難しいところであるが、当時の時代状況、朝鮮独自の慣習を加味した場合、金正日氏が後継者とされるのは、日本人が考えるほど、異常なことではなく、自然な側面があったことは確認されてしかるべきであろう。

 とは言え、このような形で権力者に就任することは、如何に才能があり独立自主の人でも、世襲制自身が孕む宿命的自己矛盾を抱え込まざるを得ない。

 親とは違う息子達の時代には、その人たちに見合う変革の総路線が生み出される必要があり、その路線を創造・実行してゆくには、親の時代の路線・体制をその「革命的本質」「真髄を継承」するにせよ、大胆な改革は必要とされ、時には権力移譲者である親を真っ向から批判する必要も生まれる。

 何時までも「神君家康候の一字、一句をそのまま踏襲する」ような訳には行かない。

 しかし、親の権威を借り、自分もそれを利用して権力を「世襲」した以上、朝鮮の封建的風土、儒教慣習の根強さも手伝えば、新しい路線、新しい体制を敷き、自由闊達な政治を展開してゆくのは、逆に非常に難しく、大胆な政治は展開しにくい。

 中国文革直後の華国峯氏の自己矛盾を見ればそのことはかなり了解できるであろう。

 つまり、大胆な改革をやろうとすれ、自らが採用した世襲システムが今度は自分の首をしめるものとして、自分に跳ね返ってくる、ということである。

 かって有利であったことが、不利となってくるのである。

 具体的には、保守勢力が金日成の権威を掲げて、反対するし、それに対抗し、これまでの政治を全く清算した勢力が登場し、それが後継者の一人の体のうちに内包され、極度の自己矛盾を爆発されざるを得ないのである。

 保守勢力は必ずしも金日成氏の同僚を意味しないし、要は若い世代でも、この大義で彼の権威を脅かすことも考えられ、清算派も々ことが言える。

 金正日氏のヘゲモニーに反対したり、反発したりする人が、そのまま正面から自己の主張を表に出して理非を争ったりせず、或いは自己の利己主義や野心を金日成氏の権威を借りて、持ち出してくると言うことである。

 この本来の解決は、正しい親の時代の路線を、チュチェ思想の真髄を活かしつつ、真に止揚した新しい路線を出すこと、それで実績を示しつつ、それを大衆的選挙で決着つけることであろうが、真の新しい路線が未だ手探りの模索中で、打ち出されていない場合、後継者の抱える自己矛盾は極限化して行くのである。

 日本人だから、よりわかり易く説明すれば、武田信玄と武田勝頼の関係の中での、常に父親の信玄と比較され、悩む勝頼の周りのような事態が就任直後は特に顕著で在ったのであろう。もちろん、これはたとえであり、金正日氏が即勝頼と言うつもりはない。

 「世襲制」はこのような事態、自己矛盾、自縄自縛の論理を宿命として普遍的に孕んであいる、ことを確認したいだけなのである。

 党は未だ世代交代もしていず、路線論争は百花争鳴で、百鬼がある面で夜行する状態で、未だ模索中であれば、存在意義と目的がはっきりし、しかも現実的に存在意義が切実である軍の掌握に後継者が全力を集中するのは理の当然である。軍の目的は極めて具体的で、限定され、党のように国と民族、人民の全体、過去・現在・未来を総覧する極めて、多様で包括的な役目はもっていない。

 国家もその点では軍と同じく具体的な国民の生活と外交関係の実際を処理する機関であり、包括的と言っても、党ほどでは無く、やはり限定的なのである。

 だから、金正日氏は軍の次に必要な国家官僚の人材を適宜活用したのである。党が後回しにされ、その党の任務でも、もう一つの目火の急務である「経済」は、権力保持という観点に立てば、さらに後回しにされざるを得ない。なぜなら、新しい総路線は、従来の「社会主義世界体制の一部」として、存在していた経済システムを、これまで敵対し合っていた「西側」システムにリンクするか、そのシステムに編入してゆくことを前提にしているわけで、それをゴルバチョフのように経済優先、政治のそれへの従属というやり方で対応すれば、これまでの全システムを清算する事となり、それは、当然自己の清算、失脚に連なってゆく。

 開放・改革と言っても、その前提には自己の権力とも言える歴史的に形成されてきた戦後の朝鮮国の体制、つまり党・軍・国家を前提にしてのことである。これは朝鮮政治にとっては疑うべくも無い大義でもあった。

 ちなみに、朝鮮では、今でも「改革」と言う言葉は禁句なのである。

それが「金日成」批判と解されるからである。

   こういうことで、比較的ややこしくなく、自己の権力維持に枢要で、かつ対外的に国家防衛の緊要な機関、軍から権力固めをするのは、前述したように合理的で、彼にとって全く「正当」なのである。

 換言して言えば、「世襲制」の孕む自己矛盾、自縄自縛の宿命から脱却してゆくためには、一見破天荒でアクロバットに見えるような常識破りの「変則的対応」が実は彼の権力確立の為には、道理に立脚していた、といえるのである。

 もちろん、朝鮮人民軍も又父親の金日成氏が創った軍隊であれば、金正日色に脱色してゆかなければならない。

 しかし、これまでの情報・資料からすれば、一応金正日氏はその目的を完全とは言わないが、先軍政治ー核武装化路線で軍の心をつかみ達成して行きつつあると見るべきであろう。

 この権力の要を掌握しておれば、逆に芯がしっかり固まっているから、内剛外柔の総路線が敷いていけるのである。芯がしっかりしていなければ、外には柔軟路線は取れず、居丈高で強がりを言い、ヤマアラシが針を立てるような対応となるのだが、芯がしっかりしておれば反対に柔軟路線が取れるのである。

 そして、本当に芯が固まるとと言うことは、やはりヘゲモニーの中心で、全体を総覧する党を総路線である『解放・改革」で一丸化し、党の権威を復活し、軍と国家を従えて、最終目的、経済戦線に進出してゆくことである。

     そうして、今年、党というわけである。

党大会の成否は氏の政治生命の今後を占う試金石となるであろう。

 以上からして朝鮮国は「攻勢」に出ているのであって、決して弱気の「愁訴」をやっているのではないと予測されるのである。

   朝鮮半島は、戦後すぐ世界政治、冷戦の矛盾の焦点としてあり続け、世界の火薬庫と称された。朝鮮民族は二つの国家に分断され、北半分の朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮国)は米・日本の独占資本主義国と対峙しつつけ、他方では、ソ連や中国と言う「社会主義」大国の「支配主義」と別の質の対峙を余儀なくされ、それは民族の主権を守りぬく上で民族が一丸となることの政治的要請からクル、極端な負担を民族に課した。

 それは、異常なほどの指導者への結集要求となり、指導者を神格化する政治システムとなっていった。

 指導権を安定させるための後継者の「世襲」といった極端な指導者の世代交代のシステムを産み落とすこととなった。

この体制は冷戦時代では最強固な体制であったが、冷戦が終焉しかかった世界情勢の新たな展開の中では、その体制は逆に適用不可の事態を産み出し、中国が転換し、ベトナムが転換しても、又ソ連が崩壊しても新しい事態においそれと転換するわけには行かなかった。

 新しい指導者にとって、それは先述した「世襲制」の「自己矛盾」として、自己を雁字搦めに縛りつけることとなっていたからである。

とりわけ、中国やベトナム、或いはキューバのごとく、国家や民族の分断状況を民衆の力で打ち破りきれず、分裂が継続して、双方がしのぎあったいる状況では、更に冷戦からの脱却は難しく、遅々として進まないのである。

 以上の朝鮮国の事情を上をしっかり踏まえつつ、我々日本民衆は、これまで通り朝鮮国の主権を認め、朝鮮半島の安定平和、民族の統一を願いつつ、内政不干渉の原則を守りつつも、次の四つのスローガンに立つ民間外交を展開してゆく。

1、日朝不戦
2、ピョンヤン宣言実施
3、あらゆる核武装反対
4、拉致問題の早期、文字通り、家族中心、家族本位の人道主義的解決。

 又内政問題には、干渉しないが、独裁反対(特に軍事独裁反対)、粛清反対、朝鮮国民の自主権尊重、核武装とこれを弄んでの軍事的冒険を戒めること、飢餓問題を切り捨てず、執拗に打開してゆく努力、を提言する。

◆第二、第三について

 小泉政権は、昨年末からの朝鮮側の外交攻勢に、若宮氏や吉田氏のロビストの動きやや平沢氏や家族会の一時の動揺を押さえつつ、にべ無く拒絶し、経済制裁ら締め付け路線を変えていない。

 この対応は今後も、早くとも、参院選までは、六カ国協議で大幅にアメリカの朝鮮対応が変化しない限り、変わらないであろう。

 しかし、アメリカ大統領選、参院選の成り行きで如何では、米日為政者も「たじたじの受け太刀」では済まされないであろう。民主党が勝つようなことがあれば、世界政治は一変してゆく可能性も十分孕んでいるイラクーアメリカ関係なのである。

 小泉政権の対朝鮮政策はアメリカよりも自衛隊イラク派兵に踏み出した以上、今のところアメリカ以上に固い、であろう。

 長期的で、広い範囲から問題を考えれば、この方向は全く経済的に有利と言えないのだが、従属独占資本にとっては、アメリカ覇権戦略に加担するほうがよりメリットを感じるのだろう。全く近視眼なのだが。

 しかし、大統領選の行方や中国の驚異的経済成長、日本の最大の貿易相手国がアメリカから中国に変わったことらも考え合わせれば、日本の経済界の中に脱米の潜在潮流も更に台頭してゆくであろう。

 朝鮮国の側は、こんな日本側の動きにめげず、終始変わらず「攻勢の外交」戦術を取り続けるであろう。

 この構図の中で「拉致家族」の人びとは苦しみ続けなければならない。

この意味で、この気持ちを慮りつつ、政府ロビーストやメッセンジャーたちの活動とは性質の違う民衆の要求、感情を集約するような大衆的民間外交の存在意義は依然として低まることなく、存在している、と言わなければならない。

 我々は、『自衛隊海外派兵」に反対する行動を積み上げつつ、四つのスローガンのもと対朝鮮民間外交を引き続き追求してゆく。
◆第四について  よど号問題について(続 下として)