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*魚本民子さん帰国に寄せて

赤木君ら「よど号」グループの「欧州留学生拉致
問題への我々の見解」を評す  塩見孝也


        目次

  (一章)第三陣の子供達の帰国について

(二章)ブックレットの要旨・構成とその総評

(三章)このブックレットの事実関係の要点と批評

   有本さんの件、写真と石岡さんの件、恣意的な特殊機関単独行動説、八尾さんについて、キム・ユーチョル氏について、労働党は「よど号」が無関係と言ったか、何でも「アメリカの謀略」にして良いか

(四章)誰が「困難な時」「真価を発揮したであろうか」「誰が嘘を言い、卑怯者」と言えるであろうか。

   (1)「驚いた、驚いた」を連発する心理術のまやかしとその狙いについて

   (2)拉致問題では変革運動の原点に帰り「日本民衆の利益を第一」にして判断されなければならない。「誰がアメリカ帝国主義を利したか」を判断しよう。

   (3)誰が「困難な時」「人の真価」を発揮したか。

   (4)赤木君について一言

   (5)もう一つの心理術の目的――――是非善悪・理非曲直を無視した        情実関係、同情心に訴えるやり方

   (6)事実関係にまつわる反論を一つして置こう。

   (7)若干の残った事実問題

(終章)「同志」へ―再度連帯を求めて



(一章)第三陣の子供達の帰国について

 1月13日,よど号「かりの会」の子供たち、五人が帰国した。これは第3陣目である。これで、残り組みは、幼年組を中心とする数人となった。元気な無事の帰国を喜びたい。帰国がここまで進展して来ている事について、小西さんら親たちや関係者の努力を多としたい。厳しい日朝関係、日本での子供たちまで包んでの厳しい状況にめげず、頑張って、「祖国」日本の状況に適応してもらいたいものである。

 すでに「全員帰国」の方針は2002年7月に発表され、「よど号」グループ本隊の帰国は前提にされているものの、この実現は小西さんらにとって、並み大抵の覚悟と努力でも出来きれない、つらく重い〜課題といえる。

 この子達たちと僕は長い付き合いの関係があり、ずっと身近な存在と思っていた。この感情は子供さんたちと自他共に共有する感情であったろう。

 それが、「拉致問題」が露呈し、意見が相違し、本来なら、この子達の想い描いていた「祖国」で思いっきり、連帯しあえたものが、そんなことは、今のところ、ままならぬ関係に立たざるを得なくなっている現状を考えれば、人生の皮肉を痛感するものである。

 予想に反し、この第3陣の子供たちは、

1、ハイジャックに関しては、方法・手段は間違っていたと思うが、そんな行為に親たちを走らせざるを得なかった、当時の情勢に関しては理解している。

2、「拉致問題」(連れてきた問題)では、「親の言っていることを信ずる」と断言した。

3、柴田燦さんは自分の両親について、自分の見解を歯に衣着せない形で述べた。

 このような態度について、僕は青年らしい、かなり気負ってはいるがもの怖じしない態度として、言っている内容は別にして、好感をもった。

 と同時に、2の項については、少なからず「危なっかしさ」を感じた。

 もっと、落ち着いて、周囲を見極め、自分が納得するような経過を経て発言しても遅くはないのでわないか、思わざるを得なかった。

 子供たちは、親たちの見解に殉じる必要はないである。



(二章)ブックレットの要旨・構成とその総評

 このような親たちの見解に子供たちを巻き込むような態度をとらしめた基本原因、責任は、総じて親たち、「女性たちを含めだよど号グループ″」にあると言わざるを得ない。   彼らは「上」の部分で述べた、朝鮮国の「外交攻勢」の作戦、強い国家意思に応じつつ、より具体的に帰国を準備せざるを得なくなっている。

 帰国は次のことを情無用に要求する。言うまでもなく、ハイジャックと「連れてきた問題(『拉致問題』)で法廷闘争を覚悟せざるを得ないこと、それ故この対策、方針を彼等らは何はともあれ、打ち出さざるを得ない。

 そのようなものとして、これまで言っていたことを、整合、体系的に整理、集大成したブックレットが、子供たちの帰国に合わせて発表されている。

 先述した「欧州留学生拉致問題についての見解」(赤木司郎、若林盛あつ,「かりの会」発行)というブックレットである。

子供たちはこのブックレットレットの線で発言しているのである。
 僕は彼らと、「拉致問題」では厳しい論戦の渦中にあり、昨年も若干の提言もしたが、この著書は僕の意見などを幾らかでも容れた内容になっているかと密かな期待も込めて読んだががっかりさせられた。

 予想通り、手前勝手な理屈をひねり出し、組み立てたものであり、「知らぬ存ぜぬ」で整合され、有本、石岡、松木さんやその家族らへの配慮は全くない自己保身があからさまに露呈されたものであった。

 「やるやると言っていた説明義務」がこの程度の代物であったか、ということである。

 このパンフは、日本民衆、家族達の気持ち、要求を逆撫でするようなものともいえる。

 或いは日朝正常化に帰国を効果的に役立てる、といった彼らの本来の意図を大幅に減殺するものとなっている。全く残念極まりない代物である。

 日本民衆の「連れてきた問題」についての判断の目は鍛えられ、肥えており、認識水準は飛躍的に高まっており、このような見え透いた恣意的論理、論証素材の設定や使い方は民衆を愚弄するものとなっており、民衆からの反感を買う、事は必至であろう。

 一言で言って、「反米」を前面に押し出し、「強制帰国」に伴う非道な重弾圧への同情心を掻き立て、それを名文にして被拉致者とその家族についての関わりを否定することに終始している文章と言わざるを得ない。

   日頃彼らが口癖のように言っている「大衆が良いと言ったら良いのだ」と言った「大衆(の利益重視)」の信念とは反対の行動をとっている。

 何故、彼らがこのような手法を採りつつ、見え透いた嘘をつくのか、を彼等を取り巻く状況、複雑な歴史的事情、彼等の思想性ら彼等の動向の全体像を僕等民衆はしっかり見極めなければならない。

 そうすることで、彼らへの対応を過ちなき英知あるものにし、そうすることで誤った対応に彼等が気づいてゆくようにしてゆかなければならない。これははなはだ忍耐や自制心を伴った総合力の要る、難しい課題である。しかし、この課題は火急で必要なことである。

 とりわけ、僕は歴史的にも、又この十数年の関係からしても因縁浅からぬ「仲間」としてこの課題に応えてゆかなければならないと思っている。

 彼等は嘘を最後まで吐き通すこと、「人間誰でも、一つや二つは秘密を抱え、墓場に行くものだ」「毒食わば皿まで―――嘘を吐くなら地獄の底まで吐き通す」――こういった覚悟をしている。

 まことに「壮絶」といえば「壮絶」なのだが、一体この「壮絶さ」は何を基本的意義にしているか、民衆の利益、国や民族の利益に真に尽くす、民衆、民族の国際主義的連帯といった大義から発したものであろうか。否、そこから相当ずれてねじクレタところから発しているのである。

 1、真相を明らかにしてゆく事が、70年代、80年代前半の彼らの行動明白化に及んでゆくと思っており、そういう風に至ることを朝鮮国との関係、そして彼等のそこでの歴史的軌跡や主体的な諸事情が絡んで、是が非でも阻止すること、つまりそこに繋がって行くと思われる最初の部分、「拉致問題」の蛇口を何が何でも締め切っておかなければならないと思っているのである。

 2、これまで、反弾圧運動を救援運動として行を共にしてきた子供たちら家族や極少数の救援者達、とりわけ子供達との絆を今のままで、なんとしても保持、継続しておきたい、と思っているのである。

 正直僕の方も「嘘つき」「裏切り者」とか「卑怯者」とか言われれば頭にもくるし、心も索漠とし、凍てついてしまう。

「反米」「反米」と言って、拉致問題が朝鮮国自身やそれへの彼等自身の関わりの誤りから発している問題を誤魔化す無反省、無思想振りには、彼等の置かれている状況を考慮してもがっかりする。

 はたまた、30数年を経て、権力の重包囲のなかで強制帰国と重弾圧を余儀無くされる過酷さに思いを馳せれば心は痛む。嘘を突き通さざるを得ない覚悟も分からなくもない。

 しかし僕はこの錯綜とした、複雑で重苦しい状況から、割り切ったり、一面化したりして逃げることなく、しっかりと道理に基づいて、暖かい寛容の心を持ち、統一的総合的に向かい合おうと決意している。

 人間自主、民族自主、民衆中心、愛類=国際主義の精神、資本主義批判があれば必ずや活路を拓けると信じている。



(三章)このブックレットの事実関係での要点と批評

 このパンフレットの要点を紹介し、僕の評価を述べよう。

1、有本さんをキム・ユーチョル氏や八尾さんがコペンハーゲン経由で朝鮮に連れて行こうとした際、映っていた男の写真は安部君ではなく岡本武さんである。外事や公安は岡本さんであるにもかかわらず、彼が死亡しているので、今も健在の安部さんにすり替え、引っ掛けようとしている。安部さんはこの件と関係ない。

2、バルセロナの動物園で映っていた石岡さんを中心としての森さん(田宮夫人)、黒田さん(若林夫人)、三人の写真は「確かに本物」で、「石岡さんに声を掛けられ」撮ったスナップ写真であり、海外旅行中の日本人同士が偶然に出会って撮るよくあるタイミングから産まれたものである。

 しかし、その後マドリッドで交際を続たり、ウイーン旅行に誘った、なんてことはない。  石岡、松木さんをピョンヤンに連れて行っていない。連れてゆくはずがない。

 何で、この二人がピョンヤンに居たのか、全然分からない。

3、自分らはこの三人には「会ったことも見たこともないし,したがって、連れてきたこともないし、オルグしたこともない」が、「八尾が田宮らも知らないところで(当然自分達も知らないところで)、朝鮮特殊機関に引っこ抜かれ、有本さんの拉致やその他に関与していた」ことは考えられる。

4、八尾は88年逮捕され、その時から、公安、CIAに屈服、転向し、「拉致活動」らを自供していた。官憲はその時から「拉致」行動を知っていたが、出す、タイミング、を測っており、その時は出さず、90年代後半の拉致問題追求の運動が盛り上がり始めた時、八尾を表に出し、全面的に使い始めた。これこそアメリカの謀略である。

5、キム・ユーチョル氏は大物スパイ(情報部員)ではなく、単なる駐ユーゴスラビアの外交官で女性たちを中心とするよど号グループの海外旅行の世話をする係りの人であった。

6、朝鮮労働党とは自分たちが一切「拉致問題」に関与してない、ことを確認している。

7、拉致問題が大衆化してきたのは、アメリカの「軟着陸路線」が挫折した後、新たな朝鮮国攻撃の作戦、謀略として実行されて来、八尾はそれに使われた。

 大体、こんな所である。

 ・1については、これまでこの説を関係者に流してきたようであるが、公にしたのは今回が初めてであろう。僕は初めて聞く見解である。

 僕は安部君が『結婚詐欺』や『誘拐罪』などの破廉恥罪に問われる理由は、断じてない、と考えているし、八尾さんの本で、コペンハーゲンのくだりで、安部さんを嵌め込んできた可能性を排除しないし、この動きを作っている、日本政府、検察の動きを批判する。とは言え、八尾さんが言っていることが本当ではないか、と言う感覚の方がはるかに強い。しかし正直なんともいえない。

 いずれにしても、この有本さんの件は、僕の体験的感触の外の件であり、発言をこれまで戒めてきたところの問題であるから、今のところ、あれこれ言うつもりはない。

 そして可能性としては、彼らが主張するところの、あくまで、可能性としてなのだが、特殊機関の八尾さんを巻き込んだ「秘密行動」説がないとは言えない、とも思っている。

 しかし、この見解は検証されていないし、写真を解読する主観の問題となってゆくであろうし、世間の「なぜ、急に゙岡本"君を持ち出してくるのか?死人に口なし、だからではないか」といった風評を拭いきれない不自然さは付きまとう。そもそも、よど号グループは組織的にかわり合っていないといった立場をとっているのに、岡本君は、どういう理由、経過で登場してくるのであろうか ?

 であれば、彼らはもっと明確に自らの主張を客観的に裏つける必要はあろう。

 ・2については全く頂けない。

 マドリードで、バルセロナでの邂逅の後、交際が続き、その宿らも確定され、一緒に交際していた人、Aさんが名乗り出、交際の状況、「ウイーンに旅行に行かないか」と二人が誘った模様が検証されている。これは八尾さんの「謝罪します」の発言とほぼぴったりと重なる事柄である。

 石岡、松木の両氏がウイ―ンからどんなルートで、どんな模様で朝鮮に入ったかは、検証されてないが、二人が朝鮮に居て、有本さんと石岡さんは結婚し、子供さんもいたこと、ははっきりして居る。

 動物園で「たまたま会い、スナップ写真を撮っただけ」というのは全くの言い逃れと言わざるを得ないし、余りに「偶然」が積み重なり過ぎるのである。

 二人が両氏の朝鮮入国に何らかの関与をしていた可能性は非常に高いのである。

 僕が、小西さんから聞いた言説をこれに付け加えれば、なおのことこの可能性は高くなるのである。

 実際にこの耳で聞いた、本人の僕にすれば、どういう入国の模様であったか、入国してどんな関係であったかは、分からないが、彼らが関係していたことは確信されるのである。

 客観的に裏付けられてきている事実に「やってないことを立証することは難しい」なる、超主観的な言説を振りまき、黒を白と言いくるめんとする、やり方は、これまでの「つれてきたのは事実であるが、別に暴力的に連れてきたわけではない。オルグするためであった」からどんどんずらされて行き、いまや「全く関与してない。つれてきても居ない」の似ても、似つかぬ主張に変貌してしまっている。

 僕との対話の中で反論しなかった「オルグのためにつれてくるのは当たり前のことだがオルグ仕切れない場合は、帰国のためのアフターケアーを責任を持ってやるべきである」といった僕の主張に゙朝鮮労働党が出てきたら自分たちの手の届かないところになる″と言い沈黙した態度は、どこか霧の中に消えて行ってしまったのである。

 石岡さんの件は「でっち上げ」と言いつつ、自らの説をでっち上げていると言わざるを得ない。もっと別の「真相説明」の仕方、内容があろうというものである。

 魚本さんはメキシコ滞在の件で真実を語った。そのように何ゆえ、係争の争点に立っている、森さん、黒田さん、或いは安部君本人が直接説明に立たないのか。

少しだけ、注目に値する、まあー新しい見解と言えば新しいのは、これは言い逃れ不可で、形勢不利と見てのことであろうが、「スナップ写真」が本物であることを、正式に認めたことである。これまで高沢浩二の『宿命』批判などでは゛合成写真かも知れない"と全く脳天気なことまで言っていたわけだが、今回は本物と認め、その分だけ、より強硬に、その後を「一切関わりなし」で、再構成、整理したわけである。

 ・3について

 「特殊機関単独行動」説は一応考えられなくもない、ことは、上記したが、それは有本さんの件までのことであり、石岡、松木両氏の件にも、ストレートにこれを拡張適用するともなれば、あまりに、飛躍しすぎ、余りに現在の要求から整合されすぎ、かえって、有本さん、コペンハーゲンの件まで捏造と思われてしまうであろう。

 この説を一貫させようとするならば、テレ朝の「目撃者Aさんの証言報道」は勿論、NHKが展開した、「労働党のヨーロッパでの組織戦略に完全によど号グループは組み込まれ、密接に連携していた」についても逐一の反証が必要となろう。この件での反論は魚本さんの「メキシコでの行動」の件のみである。これでは全く弱いのである。

 1、2、3全般を通じて言えることは、彼等のもろもろの、上記した深刻な諸理由から、裁判対策を意識して、「特殊機関単独行動説」を前面に押し出しているが、ここに恣意的に整合しすぎ、かえって不自然な感じを人に与える、ということである。

 有本さんの件で、八尾が秘密にリクルートされた「特殊機関単独行動説」までが怪しく見られざるを得なくなることである。 

 やはり、真相、真実を、いろんな配慮を測りつつも、語るべきであろう。魚本さんはメキシコ滞在の件で真実を語った。そのように何ゆえ、係争の争点に立っている、森さん、黒田さん、或いは安部君本人が説明して行かないのか。

・4について――八尾さんについて

 八尾さんについては付き合いもなく、殆ど知らない。彼等の彼女についての指摘も了解し得る。彼女に問題があるのははっきりしている。

 しかし、彼女が被拉致者の立場にたって謝罪してきた行動を、そこにいろんな思惑、歴史的経過、彼女を取り巻く政治的環境ら複雑な諸要因があることは百も承知だが、それを考慮しても、全否定し全く無意義で「アメリカのみを利した」として反動的行動とみるのは、赤木君たちの一面的見方である。

 赤木君のように「良心の証し、などでは全くない」とは僕は見ない。これは「彼らに害をなしたから」という、きわめて独善的見方であり、世間の人々はそうは見ない。

 彼女の「謝罪します」の行動は、有本さんのご両親を勇気づけたし、反拉致・拉致解決運動に大きな力となった、と言える。

 あの「謝罪します」は全面的に信じるわけには行かないが、「よど号グループ」や朝鮮国の実際を明らかにした資料としては全く貴重であったと思う。

又このブックレットについては、特に事実関係について八尾さんは反論もあるだろうし、僕はそうすることを期待する。

 以下は見解の相違であり、検討に値しないとされるかもしれないが、八尾さんへの提言である。

八尾さんはあくまで「反帝国主義第一」で朝鮮との関連では「スターリン主義克服」とか、「朝鮮の改革・開放」とかを追及する立場で、諸関係からもみくちゃにされる「受身状況」を脱して、主体的行動をとるべきではないか。

又反拉致運動へ協力を続けつつも、その歪みには主体性をもって、対すべきであり、とりわけこの運動への協力と検察、警察への協力は厳格に区別し、裁判でよど号グループを有罪に追い込む行動には非協力であるべきであろう。

基本的には証言拒否の不出廷の態度をとるべきであろう。

 どうしてもの事情がある場合は、その本意を明瞭にして慎重に振舞うべきであろう。

 とわいえ、八尾さんの混乱、誤りは朝鮮労働党やよど号グループの指導の過ちが、「拉致」の過ちの淵因としてあり、そういった問題を赤木君のように全く内省せず、彼女を「アメリカ帝国主義の手先」としてだけ一面的に見、断罪するのはどうかと思われる。

よど号グループも八尾さんも、主体的反省は不可欠なものの、大きく見れば、冷戦時代や国際政治の犠牲者であり、このことをしっかり捉えなおし、見つめなおしつつ、如何に苦しくとも、新しい時代、そこでの新しい対応を模索しつつ、相互理解、和解の道を必死で追及すべきでなかろうか。

 ・5について

  キム・ユーチョル氏が「大物スパイ」で無いならなぜ有本さん朝鮮入国に介在しているのであろうか。何故、岡本君まで登場するところに、彼が出てくるのか。

この点は1の補注として既に触れた。

・6について 

 9・17首脳会談の際、朝鮮労働党は有本さん、石岡さん、松木さんの3氏の「拉致」について「労働党の責任である。」とは述べているが、「よど号グループ」の関わりについては、「調査中」であるとして、「関係ある、なし」を明瞭にしていなかった。

 この態度が撤回されて、「よど号グループは関係ない」と言った態度をその後表明 した事実を僕は知らない。

 彼等と労働党が同一歩調をとって居るかのごとく、振舞っているが、これが事実かどうかは今も不明であり、同一歩調でない可能性が十分あるのである。朝鮮労働党内部にもこの問題についてはいろんな考えがあると思われる。

・7について

 大筋この認識で良いと思うが、拉致問題追求の運動は、たとえ「救う会」や「拉致議連」らアメリカ追随派の肩入れに負うところが大にせよ、この問題は米朝関係に内在すりより、日朝関係に内在する問題であり、日本の内部から問題が顕在化した問題であり、アメリカはこの問題をそれほど重要視していず、認識も薄かったのであり、この大衆化の最大の要因は「家族会」の奮闘に基づくものであることははっきりしている。赤木君たちはこの日本民衆の大衆運動である、と言った本質を全く見ようとしていない。「朝鮮労働党が自己批判したことが、悪い。アメリカ謀略説を堅持してくれたらよかった。まずいこと言ってくれた」という思いがこのパンフレットにもにじみ出ている。もっと言えば、「アメリカ謀略説」をまだまだ本気で脱却しようとせず、延命させているのである。

 これまでの「朝鮮無謬国家」観を拠点にして、そこに居る自分達を「無謬の高み」に押し上げ、「優位性」とし、日本の支援者・同志に対したり、「反米絶対主義」を押し付ける思い上がりとしての錯誤から卒業していないのである。朝鮮無謬説はもうとっくに揺らぎ、解体し始めているのにそれにしがみついているのである。



(四章)誰が「困難な時」「真価を発揮したであろうか」「誰が嘘を言い、卑怯者」と言えるであろうか。

 赤木君は「続出する支援者証言」で僕を集中的に非難する。

実際、このブックレットは、いろんな分野や事柄を論じているが、その最大の狙いは僕の批判に主眼に置いて、書かれ、構成もされている。

 一昨年の秋の論争以来、一年半が過ぎた。あの論争で僕は既に決着が付いたと思っており、その後彼等が部分的反撃をしているのを耳にしていたがさして意に介さなかった。

   しかし、この一年半の間に赤木君等は、塩見との関連で諸意見、諸状況を集約しつつ、想を練り、満を侍して反撃してきたのであろう。よく読めば苦心の程も伺える。

 とはいえ、その割には、「困難な時ほど、人の『価値』が現れる」「塩見はアメリカを利し、裏切り、卑怯にも嘘をついた」という大仰なものであるが、内容薄く、貧弱でたわいなく、情けない代物と言わざるを得ない。

挑まれた以上、論争の第二ラウンドを受けて立つ。

 そうである以上、赤木君も金正日氏の「拉致容認の自己批判」への態度、労働党の評価、帰国への基本的態度らはっきりさせ、そこから論争しようではないか。朝鮮国無謬論や「拉致はでっち上げ」の旧来の態度の守旧は許されない。

僕のこれまでの「よど号グル−プ」への関わりの原則的態度を初めに確認しておくことから始めよう。

 この問題については、一昨年の「創」での意見発表以来、僕の立場、見解は明瞭である。民衆を中心にして考えるか、自分中心に考えるか、民衆の利益、要求を中心に考えるか、それとも、被弾圧者の利益、要求を中心に考えるかである。

 僕の立場は前者である。真実を追求するか、真実を語るか、嘘を言うか、嘘の言説を「反弾圧」の名文で許容してゆくか、反弾圧の見地を堅持しつつも、真実に忠実になるか、僕は、友情や個人間の仁義より、民衆への仁義、大義を優先させてきたのである。それが、友情や個人間の友情にとっても良い結果を生み出すと信じて来たのである。この優先順位を踏まえつつ、弾圧の問題も十分考慮して対応したのである。

 その歪みや意見の相違を克服するように努力すべきだが、僕等は被拉致者とその家族の立場を尊重し、最大限その立場に立ちつつ、その上で、被弾圧者の「よど号グループ」の立場を最大限考慮し、「裁判(ブルジョア)」に臨んで行かなければならない。

 こんなところであった。

 (1)「驚いた、驚いた」を連発する心理術のまやかしとその狙いについて

さて、ブックレットでの論点、問題事項に入ろう。

 赤木君は「続出する『支援者』証言」の項で僕を批判する。いろんなことを言っている。

 しかし極め付きは「驚いた、驚いた」を連発しつつ、まともな、事実関係の反駁は二の次にして、感情に絡めて、その人の「驚きの心理状況」の「虚」「隙間」に付け込み、間違った主張を展開し、間違った僕への非難をやり、人々を混乱させようとする論法を取っていることである。 

      なかなか考えたものである。そういうことであるので、赤木君得意のこの心理戦術を解析することから反批判し、その上で赤木君の間違った批判を反批判するのが至当と思えます。 第一は「驚いた、驚いた」を連発する。が何にどういう意味で驚いたか、は全然はっきりさせないままである。これは、彼等が金正日氏の「拉致容認、自己批判」の事態やそれ以降の労働党の政治展開の意味を「拉致問題の主体的総括」が出来ていないから、状況展開についていけず、今もその意義を捉えきれず、混乱し、僕の対応を冷静、客観的に捉え切れていないからである。はっきり言って、赤木君は朝鮮が変わってゆこうとしているのに対し、「朝鮮の中の保守頑迷の守旧派」である。何に「驚いた」かは、本当は僕に対してでもあるが、キム・ジョンイル氏の行動なのである。

   金正日氏に本当は「転向、変節」位のレッテルを貼りたいわけだが、そうも出来ず「アメリカを利した」位しか言えず、それも控えめな、言い方でしか言えないのである。

 僕が、氏の自己批判を踏まえ、拉致問題に関しては「人民大衆中心」「民衆本位」の観点から、反米や日朝関係の在り様を再規定し、反拉致運動を民衆の運動と捉えなおし、そこからよど号グループの「連れてきた問題」を捉え返し、発言しているのが分からないのでる。

 だから、当惑し、「驚いた」を連発しているのである。「驚いた」の意味を説明できないから、その内容説明を保留し、心理術でごまかすわけである。

 核心は「反拉致運動にどういう態度をとるか」にあるのである。

赤木君は今でも「反拉致運動」を民衆の運動として評価してないのである。否、評価したくないのである。だから、金正日氏の自己批判も僕がこの運動の評価から彼等への対応も定めるのを評価しないのである。そして「アメリカを利した」論を持ち出すのである。

 「朝鮮国」無謬ならそれで良いが、残念ながら朝鮮国は過ちを公然と認めたのである。であれば、拉致問題では、朝鮮国も拉致関係者も先ず被拉致者やその家族、その運動に詫びつつ、その中で「反米」を貫かなければならない。このプロセス抜きには、「反米」は人間中心、民衆中心の原点の思想を喪失してしまうから、偽善で勢いのないものになってしまう。この典型が赤木君達なのである。

第二は「こんなにも驚いているのだから、塩見が嘘を言い、自分達は嘘を言ってない。信じてくれ。」人のびっくりした心理の虚にすっと入り込み、人に嘘を承認させようとする心理作戦である。ここが狙いなのである。

第三に、さらにそれを進めて「自分達は猛弾圧されている。自分達が嘘を言っているか、否かはもうどうでも良いではないか。弾圧されているのだから、嘘を黙認してくれても良いではないか、乃至は嘘を擁護してくれても良いではないか」こういう驚きの心理と同情心に付け込む心理手法である。本音の本音の狙いはここなのである。

 心理は心理である。論理、論証ではない。「拉致容認」の意義や理解できず、その後の対応に対処できないから、この事態を解し、迅速に方針を出している、僕に正面から対峙できないから、苦肉の心理術を持ち出してきているのである。

(2)拉致問題では変革運動の原点に帰り「日本民衆の利益を第一」にして判断されなければならない。「誰がアメリカ帝国主義を利したか」を判断しよう。

僕の発言が誰を利したか?「アメリカを利した」という見解は全く過ちである。

 拉致問題は特殊な問題である。

拉致問題はいつも我々が闘っている、アメリカ帝国主義とこれに従属する日本独占資本が創り出したのではなく、この勢力の非道な抑圧に置かれている朝鮮国が作り出したものである。被抑圧国であれ、他国の民衆の人権や主権を侵すのは如何なる理由があれ民衆の利益を損なっているのだから、間違っている。

そうであれば、日本民衆は、朝鮮の非道を克服しつつ、アメリカ帝国主義と闘わなければならない。朝鮮国は日本民衆に詫び、この問題を解決しつつアメリカ帝国主義と闘うべきである。

これが、拉致問題に関する原則的な基本観点である。

 日本にいず、朝鮮に居る朝鮮国盲従主義者は朝鮮国の利益を第一に置くから、この基本観点を軽視し、朝鮮国の「拉致問題はもはや解決済み」の風潮に迎合しつつ、自らの犯した過ちを隠蔽すべく、「反米」を前面に押立てて、日本民衆の利益を無視、乃至は軽視してゆくのである。

僕の発言は明らかに日本民衆、被拉致者とその家族を利した。アメリカ帝国主義を利した、のはむしろ、あれこれの言い逃れをやり嘘を言った、そのことでそのみっともなさで反米運動に水を差し、アメリカ帝国主義らが、付け入る隙を与えた赤木君の方である。

 彼は、まず第一に、日本人民の利益の利益を追求するのか、日本人民の上に「反米」を置くのかで混乱がある。このことを理論的に整理してみよう。

反米は人民の利益を害するから、反米なのであり、害さないなら我々は「反米」をとる必要はない。この人民大衆中心の観点から、この次に、この利益を誰が犯し、誰が擁護しているか、で敵味方を定め、戦略・戦術が決まってゆく。

普通の諸問題での日本民衆の利益はアメリカ帝国主義とその日本での追随勢力と闘う事が常側であるが、拉致問題の闘いでは、この主敵と闘うには、まずもって朝鮮国の過ちやよど号グループの過ちを正しながらしか闘えないのである。日本民衆と朝鮮民衆、日本国と朝鮮国の間にある「人民内部の矛盾」は解決しない。「まず最初に、『反米』ありき」では正しく闘えないのである。

 拉致問題は、アメリカが創り出したのではなく、朝鮮国が創り出したのであり、それで民衆の利益が害されたわけである。そうであれば、反拉致・拉致問題解決の民衆の要求運動が朝鮮国やそれに若干なりとも関わりあったと疑惑される「よど号」の人々に人権侵害、主権侵害として向けられるのは当然のことであり、この運動は「官製」の「謀略」運動ではなく、―そのような歪みを持っていたにせよ―明らかに日本民衆の人権や国家主権を守る正義の運動である。

 この運動を「利する」のは全く良いことである。

 正しい、真実の運動であったからこそ金正日氏は自己批判したのである。これは正しい対応で、氏は立派である。

 氏の対応を赤木君は「アメリカを利した」と非難するであろうか。

 金正日氏と赤木君の違いは月とすっぽんのような違いがある。  指導者の金正日氏が党を代表して,事実を認め、自己批判したのは、我々も驚き入ることであった。

 このような事実が提起された以上、それに従って、我々もまた、これまでの対応を反省、捉え返し、戦線を再整備しなければならなかった。

 赤木君はこの反拉致運動が日本民衆の利益、要求であったこと、社会正義を目指す社会運動家なら、この利益、要求にこたえることをまず第一にすべきことを認めようとしてないのである。旧来の「朝鮮無謬論」を引きずり、「反米」を持ち出し、本末を転倒させようとしているのである。

 反米の問題は主要で基本的な民衆の最優先課題であるが、こと拉致問題に関しては、先ずこの問題を正しく日朝人民が解決しつつしか、しこうしながら反米愛国の方向にこの運動を持ってゆくことしか出来ない。

 (3)誰が「困難な時」「人の真価」を発揮したか。

「人の真価は困難な時に発揮される」正にその通りである。正に、9・17首脳会談後の状況は「困難で、人の真価が試される」時であった。その思想が試される時であった。

 僕は「民衆第一」を置き、よど号の仲間達との軋轢も覚悟し、敢えて「人民大衆中心の見地」で「疑惑を表明」し、その根拠を示し、「真相を明らかにする」ことを要求したのである。これは正当で、必要なことである。

 赤木君は日本民衆第一が弱いか、ないが故に「会ったことも、見たこともない」で嘘を言いつつ、「知らぬ、存ぜぬ」の守旧派の立場をとり、「反米」を言いつつ、自己防衛の「真価」を発揮したのである。正に、「真価」にもいろいろあろうと言うものである。この「真価」は自己防衛、守旧の「真価」でしかないのである。

 「裏切り」とか「卑怯」とか、いった人の人格を決するような言葉は、最大限使うべきでなく、使う時は、問題が根本的になっている事態、すなわち、人民大衆の利益が犯されるか、否か、ここにかかわる問題の時である。

 赤木君は、そのような意味で使わず、結局は「自分達を害したか否か」の狭い自己利害との関連で使っているのである。醜くはないか。

 僕が何故「嘘を言う」ことで利益を得るのであろうか。アメリカ帝国主義と闘うことを止めたであろうか。

 昨年、僕は侵略戦争を起こさせないために空爆の可能性のあるイラクにも行った。

 「白船」平和義士団の仲間達と共に、「日朝不戦」「ピョンヤン宣言実施」「あらゆる核武装反対」「拉致問題の人道的、家族中心での早期解決」のスローガンで、拉致問題のなんらかの解決の糸口をつけようと体を張って、朝鮮に行こうとした。

 赤木君たちはこの「白船」運動に協力しなかったし、反対に妨害したようであるが、拉致被害者とその家族のことを考えれば、こんな行動は当然と思った。

1昨年の10月の時と同じ発想で、人民の利益に殉じようとしたのである。

 嘘を付かざるを得ない個人的、個人利己主義的動機は僕の方には全くないが、赤木君達の方には無数にあるのである。

 日本では、僕の発言で驚いた人は無数に居るでしょうが、そうは言っても、誰も真相究明を前提にしてのことであり、言っている内容と事情を聞けば、その驚きは鎮まって、納得していったのである。

  (4)赤木君について一言

 こういう心理術を駆使するなら、僕も赤木君について一つ語ろう。

 赤木君は「よど号グループ」の中でも、随一の官僚主義の割り切りきりスタイルで、スターリニストと言われている。

 低劣な彼の発想の根本には「自分を批判し、自分達に害を及ぼす人は悪で、不正義で、嘘つきである」といった徹頭徹尾自分中心の独善主義、自己絶対化が存在する。「彼は口を開けば、自分たちは朝鮮に来たお陰で連合赤軍問題など起こさなかった」ととくとくとして語る。果たしてそうだったのであろうか?

 党と指導者絶対主義の世界で、その無謬神話の中で生きてきたこと、その影に沿いながら、行動してきたことがこんな発想を産み落とす、観無きにしも非づだが、我々は「連赤問題」を通じ、人民大衆を第一にして自己批判する作風を否応無く学んできた。

 田宮同志などは「自分たちの結婚問題で嘘を言っていた」と率直に自己批判したし、彼は自己批判の作風を持っていた。

 赤木君は果たして自己批判の作風があるのであろうか。

 彼は組織の徹頭徹尾の縦割りの上位下達の組織構造から、直接当初は、もしかしたら、田宮と小西さんのみが知っていて,知らなかったのか知れない。僕に小西さんが語った事実を聞いていなかったのかもしれない。

だから、これほど意気込むのかもしれない。しかし、僕にはそれよりは、やはり全員に近い人が知っていて、それを「秘密共有集団」として隠す、自己中(ジコチュー)の独善の方が「かっている」ように思えてならない。

 「人民の上に、無謬の自己を置かんとする」彼は、「人民の利益よりも自己の利益を上におき」その必然として、「嘘を言っても良い。嘘も方便である」といった思想があるように思えてならない。

 赤木君のような無謬信者、スターリニストには自己を無謬の高みにおくことによって、実は「自分や自分たちを害した人は、全てアメリカ帝国主義の手先、人民の敵」なる夜郎自大の傲慢なる、転倒した思考があり、ここには「人民は入ってこない」のである。なぜなら、人民はすでに普遍者たる、彼に内化されて、しまっているからである。彼がイクオール=人民、人民の普遍的な利益の体現者なのだ。民衆を第一とする思想ではなく、民衆の上に自分を置いているのである。

 ともあれ、僕は彼より「上位」の小西さんから、彼が知らなかったかもしれないが、この耳で直接聞いたのであり嘘ではない。

「たまたまのスナップ写真」論のような、馬鹿馬鹿しく高慢で強引きわまる屁理屈は、朝鮮国にいるから、平気で言えるだけで、日本に居たら、とてもではないが、持たないことこそ知るべきである。

    (5)もう一つの心理術の目的――――是非善悪・理非曲直を無視した情実関係、同情心に訴えるやり方

 この「驚いた、驚いた」にはもう一つの心理術の目的が隠されている。

 つまり、同志なら「弾圧もあることだし、黙っていてくれていても良いではないか。黙っているべきである。」こういった情実に訴えるやり方である。馴れ合いのやり方、お馴染みの日本的な談合慣習に訴えつつ、嘘に協力するか、嘘を黙認せよ、と訴えて居るのである。 この訴え方の方が「驚いた論」の最大の狙いである。

 こう言った被弾圧者としての赤木君達の心情も十分わかっているつもりである。

 しかし、大義と小義は優先順位をはっきりさせ、その中で反弾圧の問題は処理されるべきである。僕は真実を言う。嘘は批判する。

 あの緊急な時期、自分の思想に忠実となり、仲間への弾圧過重化を念頭に置きつつ、反拉致運動に協力し、何がしかでもそれを激励し、それを正しい方向に向けなおすことが優先されなければならなかったし、この大義を軽んじ、「知らぬ存ぜぬ」を決め込もうとする赤木君たちに、あくまで「疑惑」だが、「疑惑を提出し、真相を語るよう」要求、提言するのは正当にして必要なことであった。

 沈黙は心中から湧き出てきている自分の体験から発する疑惑を押しつぶし、金正日総書記が自己批判する新しい事態にあっても、依然として弾圧・自己防衛しか頭の中にない「知らぬ存ぜぬ」論を誇示する旧態然の嘘の赤木君たちの態度を容認、ないしは黙認してしまうこととなり、反拉致運動に協力する大義を捨ててしまうことになる。

 これは、政治・思想闘争の最前線に立っている自分の公的立場を自ら絞殺してしまうわけで、全く出来ない相談であったのだ。

 疑惑まみれの赤木君の朝鮮に居ること良いことにした強引きわまる「知らぬ存ぜぬ」論を、沈黙し、見過ごすことは断じて出来なかったのである。

 当然にも、弁護士にも相談し弾圧には最大限配慮したし、警察、検察への弾劾・非協力をはっきりさせ、仮に裁判で今後出頭命令が出されても、証言拒否・出頭拒否の覚悟を固めてのことである。

 僕は現行裁判制度を基本的には信用してないし、仲間の自由を奪い、有罪の懲役刑を課す、司法システムには協力しない。納村君や遠藤さんも自説を堅持し、赤木君らと闘うべきだが、証言は拒否すべきであろう。

 八尾さんもそうすべきと思う。

 これは、やや古いが、今も正しい毛沢東の「敵対矛盾と人民内部の矛盾を区別」する対応である。

  しかし、そうだからと言って「よど号グループ」は嘘を言って、自己弁護に終始して、良いとはならない。これは亡くなっている(とされる)被拉致者と家族が存在し、注目したり、傍聴しているのであるが、その人たちを冒涜することになるからである。

 起訴状の不当性をあらゆる角度から徹底批判するのは良いが、又批判すべきだが、―批判すべきことは山ほどあるし―しかし、それを「嘘」の立場を作ってやろうとするのは全く間違いである。こういう裁判闘争における原則はこの30年近くの経験の中で民衆が確立したものである。

 嘘は一時人を騙せても、必ず破綻するし、彼等の人格を貶め、堕落させてゆく。誰も信用しなくなる。

 覚悟して真実を述べるか、黙秘権を行使すべきである。しかし、赤木君たちは、嘘を言おうとしているのである。真実こそが、人民の利益を守る、と言う真理を否定し、虚為でもって、自己を守り、民衆の利益を害する個人利己主義者の所業である。

 それに、情実に訴えつつ、救援者や同志や弁護士に協力せよ、でなければ「裏切り者だ」と。

 誠に身勝手である。

 弁護士は見識を持ち、嘘を使わず、彼等を防御することに全知全能を傾けるべきである。

 旧知の人が窮地にあるから、それが間違っていても「黙っていてやろう」「嘘を黙認してやろう。嘘に協力してやろう。」と言う発想は物事の正邪・理非曲直を曖昧にする、「なあなあ主義」は日本人の悪い慣習である。これが、日本民衆の自主の精神を鈍らせ、なえさせているのである。

 赤木君は続々と出る「元支援者の証言」として、その本質や原因を考えず、僕を筆頭とする人達を「アメリカ帝国主義を利した人達」と断罪する。オイオイ待ってくれよ。身勝手に決め付けるな! とんでもない。拉致被害者やその運動を利したが、その意味でよど号グループを害したが、アメリカ帝国主義を利してはいない、言い返したい。

 僕はあのような事態であったからこそ、自分の思想に忠実になり、「自分の真価」て、あの困難なとき「人民大衆中心」の思想から情実を離れ、決断したのである。

「同志」の利害を優先させるのではなく、被拉致者とその家族の利益を優先させたのである。

 いったい、誰が、救援運動をしていたり、同志である人で、己を省みず、思い切った勇気ある発言が出来るであろうか。

 僕が述べたから、いろんな人が人間関係の情実、談合主義を離れ、勇気をもって、発言したのである。遠藤氏や納村君、一時は柴田君も発言した。別に僕が気脈を通じ、組織的にやったわけではない。自発的にである。

 時にはMのような、怪しげな便乗主義の輩も入り込むか知れないが、それ以外の、これらの人は「アメリカ帝国主義の手先」であろうか。違う。被拉致者やその家族の利益を守ろうとしただけである。この人たちをどうして「アメリカ帝国主義を利した」「朝鮮排外主義」と断罪できるか。

 何度も言うが、赤木君は敵、アメリカ帝国主義を利した、と言うが、それは表面で、実は裏言葉で゛自分達の利益を害した、自分達との仁義に反した"と言いたいのである。

 これでは、やくざや暴走族の大義など無い、自分達の集団の利益を第一とする身内関係の仁義に低落してしまう。

 人民の利益に立脚し、真実を述べることは、一時はアメリカ帝国主義を勢いづかせるかもしれないが、本質的には、長い目で見れば、付け込むことができなくなり、真実に立脚する民衆が勝利するのである。

 何度も言う。「真実を言い、自己批判した」金正日氏は「アメリカ帝国主義を利した」であろうか。

 革命党も立派な指導者も無謬ではない。無謬でありたいものだが、時には過ちを犯し、抜き差しなら無くなってしまう。その時は、人民大衆を信じ、人民大衆を第一にして、自己批判する。

 自己批判した金氏は立派なのだ。

 (6)事実関係にまつわる反論を一つして置こう。

「小西から有本さんのことを直接聞いた、と言うことを唯一の根拠にしている。これは、高沢氏が、田宮から聞いた、という手法と変わらない」――について

 手法など何も別に無い。聞いたから聞いた、と言っているのである。

 ただ、「石岡さんのことを聞いた」ということが「小西さんから、有本さんのことを聞いた」にすりかえられているが、これは非常に重大な間違い、嘘であり、聞き捨てにしておけない事柄である。僕は有本さんの件は一切発言していないのである。

 引用文章と該当箇所を指定してもらいたい。それが出来なければ、正式に撤回してもらいたい。

 当時、僕が尋ねたのは唯一石岡さんについてである。しかも、当時は石岡さんの姓名は分かっていず、「写真の青年」として尋ねたのである。このことしか知らなかったし、松木さんも有本さんも当時知らなかったのである。そして、例の小西さんの返事となったのである。

 唯一このような経過として発言しているのであり、有本さんと石岡さんを混同してもらう、やり方は全く困る。こんなザル頭では、塩見の本音、本旨すら理解してくれていないことになる。

 僕はあなた方のことがあるから、極力慎重に言ったり書いたりしているのである。

 さらに「高沢君と同じである」として「゛悪"の高沢のやっていることと同じなら塩見も゛悪”だ」この理屈も間違っている。

 これは「江戸の話(有本さんの件)をもって、それを長崎の話(石岡さんとの写真の件)にするかえる手法」として、既に反批判して来た。

 さらに、高沢君は大いに問題あるが、高沢が田宮から聞いたことが、まるっきり事実に反するか否かは検証されていず、高沢が赤木君達に害をなした、からといって、彼の言っていることがまるっきり嘘だとはいえない。

 むしろ、納村君にせよ、遠藤さんにせよ、権力側でない人で「聞いた」という人が沢山登場している、その事態こそ「火の無いところに煙は立たない」の格言もあるように真剣に考えて見るべきではないか。

 あの時、僕を「排外主義」と非難した斉藤明は「人間の真価」を発揮したであろうか。彼は実際を知らないこともあろうが、もともと化石化した保守的思考の持ち主で何の判断も出来なかったのである。左翼の中にも、状況便乗主義の裏っかえしとしてのアホな逆便乗主義者が居て、そういう輩があんな流動状況では飛び出してくるものである。実際、赤木君達は斉藤君を「人間の真価」を発揮した人として、信頼しているであろうか。否である。利用しただけで、重用などしていない。

 あの時、「自分は救援の立場」であるとして、沈黙を続けた人たちが居る。どうしてであろうか。その理由は単純である。無理も無いが、判断できなかったからである。

 荒君などは、「俺達にも一枚かませ」の例の党利党略でしゃしゃり出たのみで、被拉致者やその家族の苦悩など、なんの眼中にも無かったのである。

 (7)若干の残った事実問題

最後に、もうある程度確認済みなのだが、この論争の初心者も居ることだろうし、若干の事実の残った事実問題も述べておこう。

 イ、赤木君は一昨年の論争で「最初に『文芸春秋』で、例のバルセロナの動物園での三人の写真が出た際(90年代の前半)、僕が、゙君達のことだから、暴力的にではなく、自発的に連れてきたのであろうから、僕が擁護するから資料など送ってくれと国際電話で提案した際、そんな事実は無い、と否定するのではなく、゛それは一寸まずいから止めてくれ"と言い、それっきりになったことに、どう答えるのか。この返答をまだ聞いていない。

 ロ、赤木君は「驚いた」「驚いた」を連発するが、赤木君達は既に、9月の「日朝首脳会゛談」に先駆けること6カ月前の僕等「自主日本の会」のホームページで、かなり基本的態度は出しており、これをプリントアウトした文章はピョンヤンに既にファックスしていたのだから、大体は知っていたのである。

 これは、八尾さんの証言を聞き、有本さんのご両親を目の前に、たまたましたのが、強烈な刺激となって 、その感想、思うことを率直に書いたものである。それについて、何の返事も無かったのである。

 ハ、「創」発表(10月10日、実質6日)前の九月末に、ゲラを小西氏等には、見せており、中止ないし延期してくれ、とは言わなかった。

  そう言ってきたなら、僕も中止、ないし延期を考えることもやぶさかではなかった。自分の痛いところの本音は語らず、こっちに下駄を預けて、責任を回避するづるいやり方である。

 何分急ではあったが、事前に意見は聞いているのであり、決して「いきなり」ではないのである。

 赤木君らの「見たことも聞いたことも無い」については、「創」発表以前にホームページや「東京新聞」らでも「首脳会談」を分析しつつ、批判的意見を述べ、赤木君は「奇怪な言動」と論評しており、この事実でも「いきなり」ではないことは明らかであろう。



(終章)「同志」へ―再度連帯を求めて

  民衆第一の観点で、批判があった以上論戦の赴くところ、僕の方も厳しく反論して行ったが、時代や国際情勢や路線の変化の中で揉みくちゃにされながら、過去を犠牲的に背負い、生きて行くのは本当につらく、痛ましい限りと思っている。

 しかし、次のことも合わせて言いたい。

日本に居る皆もそうなのだ、ということも忘れず、この事態にめげず、民衆第一で、朝鮮で学んだチュチェ思想を日本民衆として我が物として、如何なる状況にも屈せず頑張って欲しい。「自己の運命の主人」として生き抜いて欲しい。

万難を排し、極力早く帰国して欲しい。活路はここにしかない。

 又「人民大衆中心」の観点から、真相を明らかにして進んで欲しい。嘘に固執すれば、不必要な疑惑まで被り、味方になる人まで敵に回してしまう。最後は日本民衆や朝鮮民衆全員まで反対派に回り、孤立してしまいます。

 真実を言えば、必ず力になってくれる人々が無数に登場してくるし、内側から無尽蔵の力が湧いて、貴兄らを不屈に鍛えてゆく。

 「反米」を堅持することに敬意を表す。しかし貴兄らは「家族を中心とする反拉致運動」の評価で間違っていることも同時に 言わなければなりません。これを反省し、この運動を尊崇し、良きように発展するよう尽力して欲しい。そこに、本当は根本的活路があります。  そうすれば、八尾さんとも和解していけるのではないでしょうか。いがみ合いの愛憎は愛の関係の変はります。

 そうすれば、これまでの救援運動は一握りの、囲い込運動の狭さを脱し、大きな広がりを持ってゆくでしょう。

 最後に次のことを言わせてもらう。

どうか文字通り、一握りの「秘密共有集団」に甘んぜず、真に日本人として自主思想を打ち立て、貴兄らを誰よりも理解している、と自負している僕と、つまらない風評に 惑わされず連帯して欲しい。(2月19日)