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*これは2月23日行われた「連合赤軍殉難者追悼の会」ーー彼らは如何に生き、如何に闘ったかーーに送ったメッセージです。イラクに行く直前に書きました。 余裕あればこの後趣意書や「会」の報告文を送ります。塩見から読者へ

「連合赤軍殉難者追悼の会」(2/23)へのメッセージ     塩見孝也


 皆さん、お忙しいところ、お集まり下さってありがとうございます。連帯の挨拶を送ります。

 又この集まりを準備された呼びかけ人の方々の労に敬意と感謝の意を表します。

 今日この日、目一杯に連合赤軍問題で殉難した遠山や山田ら12−14名の同志達を偲んであげて下さい。又そのご家族の方々の辛苦に思いを馳せてあげて下さい。

 又指導部として自決したり、今も獄にあって死刑攻撃を受け苦闘している森君、永田さん、坂口君、そして吉野君や板東君等同志達にも思いを馳せて下さい。

 今日この日を挟んで18日から28日は31年前、連合赤軍の同志達が浅間山荘に籠城し、銃撃戦を闘った日々です。そしてその後、同志殺しとしての「粛清」が露呈して行く日々が続きました。

 同志殺しと銃撃戦としてあった我が同志達の連合赤軍事件はコマンド達の変革への執念,闘魂の凄絶さを示しながらも、しかし日本の民衆運動に否定的な意味を持って、深い衝撃を与え、変革運動そのものの存在根拠やその根元にあったマルクス主義の世界観おも問うこととなりました。マルクス主義の限界の問題は今に至って益々明瞭になってきています。

 森君や永田さんの個人的要素もあります。未熟からの野合、或いは毛沢東教条主義、スターリン主義の要素、赤軍派・ブント・新左翼のプチブル急進主義、、トロキー主義的弱点の要素、おしなべての軍事至上主義の偏向の問題もあります。しかしマルクス主義、或いはマルクス・レーニン主義に立脚する限り、あのような事件は避けがたい要素があったと思えてなりません。

 とは言え 「粛清」なしに銃撃戦ら武装闘争が貫徹される可能性が全く無かったかと言えばそうでないとも言えます。現にそのような闘いは、問題をそれぞれ抱え完全とは言えませんが、ある程度は存在しました。世界に目を広げればそんな闘いはあったと言えます。

 問われているのは、「イディオロギー」や「世界観」「路線」や「理論」の検討はそれはそれでしなければなりませんが、当時我々が本当に心底から人間を信じ、愛し、民衆を思い、同志を信じ愛していたか、自分の言葉を持ち、日本の民衆の体験、感情、要求をしっかり理解し、そこから足が地に着いた変革を志向していたか、と問えば、僕自身に関して言えばそうでなかったと言わざるを得ません。

 しかし我々がその様な方向、世界を必死で、全知全能を尽くし、全力で目指していたことはハッキリ言っておかなければなりません。

 日本と世界には不正、不合理がまかり通り、民衆は苦難の中にあり、我々はそれを改めようと決起したのです。この初心を誰が否定することが出来るでしょうか。

 皆さん、殉難者の同志達を偲びつつ、この初心を忘れず、我々の過ち、未熟を追求しつつ、今も存続し続ける不正、不合理と対決し続けようではありませんか。

この集まりに出席したかったのですが、「戦争を起こさせない為」にイラクに行くことを優先させました。イラクの地にあると思いますが心は皆様と共にあります。

2003・2・14 イラク出発前日

 
R−30 連合赤軍問題を考える会