寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る


 

*月刊誌『創』11月号から

元赤軍派議長からの痛恨の呼びかけ
 塩見孝也 (元赤軍派議長)


 ここに掲載するのは、元赤軍派議長・塩見孝也さんのインタビューである。日航機「よど号」ハイジャック事件の直前に逮捕され、20年近くを獄中で過ごした後に出所。ピョンヤンのかつての同志たちとその後も親密な関係を保ってきた。その塩見さんが「よど号」グループの拉致問題への関与についてホームページで発言したのは今年3月の八尾恵証言の後だった。そして9月17日、北朝鮮が拉致の事実を認めて謝罪。一方、「よど号」グルーブは9月21日にコメントを発表し、拉致間題との関わりを改めて全面杏定した。それに塩見さんが異議を唱えたのが、このインタピューである。塩見さんがこのように「よど号」批判を全面展開するのは初めてで、99年に訪朝した自民党の野中広務氏と「よど号」グルーブの秘密会談や、拉致問題をめぐる興味深い事実も明らかにしている。影響は決して小さくないだろう。(『創』編集部)

 今の「よど号」グループの対応は自己保身にすぎない

 昨日(9月25日)、ピョンヤンにいる小西隆裕と電話で2時間くらい話した。僕も今回こんなぷうに態度を表明するにあたっては悩んだし、自分の考えを「よど号」グループにぶつけてから発言しようと思ったわけだ。

 9月17日の小泉訪朝で、金正日総書記が拉致の事実を認め、「よど号」グループが「自分たちは潔白だ。拉致問題は身に覚えがない」という声明を出してから、僕の立場もいろんな人に注目されて、どうするのかという話になっている。この問題については、八尾恵さんや高沢皓司たちとも違うし、小西たちとも違う、第三の潮流でありたいと思っている。日本の民衆の立場に立脚した態度表明をせんとあかんと思っている。但し、今後、僕の発言が「よど号」グループの裁判に使われる可能性もあることは念頭に置き、注意していかなければならない。一方で彼らをおもんぱかるあまり、自粛して"だんまり"を決め込むのはよくないとも思っている。混乱を最少限に止め、諸関係者にとって良き打開の方向を明示する、僕のみに課せられた義務を感じている。そもそも今回、どうして北朝鮮が拉致を認めて謝罪したがというと、恐らく内部に、守旧派に対抗する改革開放派みたいなのが生まれてきているのだと思う。そう考えないと今回の事態は理解できない。だとすると、その連中の意向は明らかに軍や特務機関を批判し、小西たちを追放することだ、と考えられる。

 但し安部公博に逮捕状が出たことを受けた赤木志郎の発言を見ると、北朝鮮が自分たちを見放すことはないと大見栄を切っている。それは何故かというと、もともと彼らの行動は金正日総書記と密接な運携のもとにやられたもので、その点では、互いに運命共同体的な性格もある。だから彼らを下手に切り捨てると、金正日さんの権威にまで波及する。ある程度まで防衛しようとするだろう−−恐らくそういう思いが「よど号」グループの最後の拠りどころなのではないか。今「よど号」グループを動かしているのは、革命とか日朝友好ですら関係ない、本質的には彼らの自己保身でしかないと思う。しかし家族や日本政府の追及で、いずれ真相は漏れてくる。もし拉致事件とは関係がないことが立証されれば、それでいい。僕の認識に限界があったというわけだ。しかし、逆に「よど号」グループの関与がより明らがになる可能性もある。それなら、彼らがでぎるだけ早く真相を明らかにして出直すというのが一番いいと思う。

「毒を食わば皿まで」の心境に…

 僕は昨日、小西と話し、疑問もぶつけたんだけれど、もはや彼らは覚悟を決め、「毒を食わば皿まで」の心境になっているように見える。このまま地獄まで行く決意をしているようだ。どんな客観的な科学的証拠が出ても「知らん!」と言い続けようという覚悟を僕は感じ取った。

 永田洋子さんが連合赤軍事件の裁判で「一切は森恒夫さんがやったことで、私は従っただけだ」という論理を展開した。誰の目から見てもおかしいと思ったが、彼女はその論理を崩さない。虚偽だと分かっても、本人はそれでしか生きられない。そこを外すと自分の思想が自己解体してしまうと思い込んでいるわけだ。永田さんはそれであの主張を貫いた。「よど号」グループもそれと同じような決意をしているような感じを受けた。

 そうであれば僕のほうも、勢いに押されて引き回され日和見主義に毒されないように覚悟を決めないといけない。彼らに対してあいまいに対応するのでなく、決裂ではないけれど、思想的には厳しく対峙しないとならない。しかも、それは八尾さんのように、権力と結びついて朝鮮国批判や「よど号」批判をやるのとは違う性格でなくてはならない。

 昨日の電話での小西は「知らないものは知らない」「やっていないものはやっていない」の繰り返しだった。どんなに言われようともう決めている。仮に事実が暴露されることがあっても、法廷で論争に負けても翻さない。監獄に入っても、獄死しても翻さないということだと思う。もしかしたら、彼らは朝鮮に"白烏事件"の指導者のように残り得るかもしれない。しかしそれはひっそりと日陰者としてである。現実にはそれも難しいのでは、と思うが。

 彼らはよく「灰になるまで」と言う。亡くなった田宮高磨を中心にして、まあ「田宮党」というか、ハイジャック事件もそうだし、その後も生き死にを共にしてきた。ある種の運命共同体とも言える。日本で獄中にいる田中義三も含めて、「ともに灰になる」という結束を保っている。

 自らを批判して解体していくことは、いまは容易ではない。帰国しつつある子どもたちやこれまでの救援者達との信頼関係もあるから、簡単に「間違ってました」とは言えない。子どもたちが自立してからならともかく、そうでない状況で、親の決定的な醜態(もちろん僕は醜態だとは思っていないが)をさらすわけにもいかない。だから論理とか物的証拠とか、科学的な根拠が示されたとしても、世間の人が全部認めたとしても「知らない」と言い張るのだろう。

 僕とピョンヤンにいる連中は、未来については思想的にほとんど一致しているが、よど号事件以降の過去の認識については共有していない。未来については一致しているが過去は違うというのは一種の共闘だ。未来も一致となったら同志である。僕は連合赤軍問題とかも含めて「日本の赤軍派」の総括をやっていくし、彼らとは「よど号」ハイジャック以降の総括をやっていく。それができたら、もの凄く固い結束になると思う。

 真実をはっきりさせながら相対的に独自なスタンスを保って、同志的友人の立場、人道の立場というか、そういうことから救援を継続する。それが僕と彼らの関係だ。「救援しながら真相を!」という潮流を創出する正しい対応だと思う。これは闘争だと思う。平和的な闘争により、うまく解体して過去が共有できるようになれば、凄く強いものになる。地獄の底まで嘘を言い通すという小西らの対応をずっと追及し続けるのが、僕の基本的な立場だ。

 有本さんと2人の男性についての責任

 有本恵子さんと2人の男性については「よど号」グループが北朝鮮に連れてきたが、手に負えなくなって、結果的に朝鮮労働党に手渡す、ないしは労働党が権カを行使して強制的に引き離したということは考えられることである。でも、その場合は連れて行った責任はとらなきゃあかん。帰国させるところまでアフターケアをやる責任がある。

 もしそれができないのならば、真摯に自己の思想的・政治的総括を続けつつ真実を語ったうえで「北朝鮮の政治ないしは体制の犠牲者であった。生きるためには仕方がなかった」と率直に打ち出すべきだ。同時に裁判、獄中でも権力とは和解せずに闘い抜く道があると思う。

 僕に彼らの擁護がでぎるとしたら、彼らがすすんで人民が亡くなることに手を貸したわけではない、と言うことだろう。朝鮮の社会・政治システムの中でこういうことが起こったんだということを言ってやることだ。朝鮮国の辛い事態はよくわかっているつもりだ。それでも僕は正直言って、朝鮮労働党に対しては頭にきている。勝手にいろいろ利用しておいて、最後にはポイ捨てではたまらない。もうちょっと信義を貫いた対応はあるべきだと思う。

 僕が八尾証言の後、「よど号」グループに対する疑問をホームページにアップした件でも、小西たちぱ何も言ってきていない。あれも最初に立ち上げる前に彼らに送ったが、何も返事がないから、そのまま出した。それに対して彼らは何も対応していない。やめてくれという要請もなかった。恐らくできないのだろう。あのホームページは重要な決意をもって出したわけだが、マスコミはあれを引用させてくれとか、あの件でインタピュ−したいとか、言ってきた。「それは今できない。引用もしてくれるな」と僕は言った。マスコミが僕と小西らとの対立を煽るのに巻き込まれたくなかった。ただ自分の見解がこうであるということは知っておいてほしいと思った。彼らとの矛盾を拡大していこうとしているわけじゃない。

 小西らは突っ掛かってはこなかった。と言うより彼らは今、誰に対しても突っ掛かれなくなっているのかもしれない。例えば元赤軍派の上原敦男が『週刊新潮』で彼らに「北朝鮮で切腹して死ねばいい」とまで言ったのに、突っ掛かっていかない。全部受身なんだ。

 「拉致」問題についてのある種の確信

 「拉致」問題についての僕なりの確信は、ある程度ある。例えば今回有本さんと同じ日に死亡したと発表された石岡享さんのことだ。彼が田宮の妻である森順子さんらと一緒に写った写真が、93〜94年頃『文藝春秋』に出た。拉致疑惑を「よど号」グループは否定していたので、「それなら僕も一肌脱ごう。石岡さんが自主的に来たという論陣を張るから、資料をくれ」と電話で言った。すると「まずいから、今はとにかく騒がないでくれ」という返事だった。その時、すごく不自然だと感じた。

 その後95〜96年頃、産経新聞とか週刊誌の中で「よど号」グループについての疑惑が出始めた。その時も僕は石岡さんらのことを「よど号」グループに訊いた。すると「オルグしようとしたけど、手に負えなくなった」という返事だった。もちろん、連れて来たというのを前提にしての話だ。結局「よど号」グループの手に負えなくなり、労働党が出てきた。その結果、石岡さんらは「手の届かないところに行った」というのだ。

 ところが2000年の「よど号」30周年の時に北朝鮮に行った折り、他のメンバーが訊いたところ「確かに写真は存在するが、その男性を連れてきてはいない」という説明に変わっていた。おかしなこと言うなあと僕は思った。それまで「連れてきたが無理やり拉致したわけでない」という話をしていたのに、「連れてきてはいない」という説明に変わっていた。どうもその頃、彼らぱ次の局面に向けて自分らの路繰を軌道修正し始めていたらしい。

 八尾さんの『謝罪します』(文藝春秋刊)は「見てきたような嘘」も多くまじっているように思え、そのままにわかには信じられないので検証が必要だと思う。ただ彼女の体験に基づいて具体的に書いているのは確かだ。事実経過を具体的に出しているのだから、本来なら小西らも具体的に反論できるはずだ。高沢皓司の『宿命』(新潮社刊)は文学的表現が多くて、どこまでが事実かわかりにくい面もあるが、八尾さんのは体験した事実だという形で書いている。それを「よど号」グループのように「事実無根だ」と木で鼻をくくるように言ってすますのでは説得力がない。

 そういうことも小西に訊いた。僕のほうから論点を全郡訊いていったんだ。そしたら「全都嘘だ、でっちあげだ。『見てきたような嘘』だ」という返事が返ってきた。僕の立場から言うと、『謝罪します』についてはそんなふうに切って捨てるのでなく、徹底して解析して、具体的に真贋を見極めないといかんと思う。

 小西に「死ぬなよ」と言おうかと思った

 先程言った「地獄の底まで」「毒を食わば皿まで」という彼らの態度についてだが、僕は、彼らに金正日さんの後ろ盾がなくなっていると想定していたから、もしかしたら自決するかもしれないと思った。小西との電話で、一瞬「死ぬなよ」と言おうかと思ったほどだ。結局、言わなかったけれど。

 9月17日に拉致の事実が明らかになって、「よど号」グループの声明が出るまでに3〜4日かかった。その間、彼らは沈黙して態度を明らかにしなかった。恐らく朝鮮労働党と意見を出しあい、自分たちの意向を伝えたりしていたのだろう。その結果、あんなふうに大見栄を切った声明になった。だけどあれはあくまで「戦術的」対応だ。「戦略的」に見れば、朝鮮国にとって彼らを置いたままでは、アメリカや日本に対して国を開いていくことはできない。日本でこれだけ国民的な関心を呼んでいる問題だし、北朝鮮側は、恐らく今後、改革開放派の意見を採用していくと思う。

 朝鮮に連れていかれたけれど「よど号」グループの説得に従わず、また日本に戻ってきた人がいるという話もある。それなのに有本さんや石岡さん、松木薫さんたちが帰国できずに留まることになったのは、特殊な事情があったのだろう。どういう理由でそうなったのか、それをはっきりさせないといけない。八尾さんの理屈では2人の男性が来ていて、若い20〜25歳の女性が必要だということで有本さんが連れて来られたと。代を継いで革命家を育てるという戦略を、朝鮮も「よど号」も持っていたと。ただ小西はそれに関しては「まったくのでっち上げだ」と言っている。でも「八尾さんは反革命だ、転向者だ」とか言う前に、日本での状況も知らずに先発隊として彼女と柴田泰弘を日本に送り出し、彼らの逮捕という事態を生み出したことをまず自己批判するべきだろう。柴田夫婦は朝鮮路線の一番の犠牲者だ。今は柴田と八尾さんは憎み合っている関係だし、八尾さんとピョンヤンにいる娘さん達の関係もそうなっている。今回の彼らの対応については、日本国内の支援者たちの多くが「お手上げだ」と言っている。「よど号」グループの声明を聞いて、そのまま鵜呑みにしている人はぽとんどいないんじやないか。僕が提案しているのは、その日本での支援者の何人かで「真相究明委員会」を作って、ピョンヤンの小西たちに真実を話してもらうよう連名で要請することだ。救援の方向性を「毒を食らわば皿まで」の秘密共同体に収斂させたり、八尾さんのように権力に結託した反「よど号」の立場に立つのではなく、第三の立場で、一定の距離を置きながら救援するというのが僕らの立場だ。拉致問題についての日本人の反応は、朝鮮人への報復や暴力による制圧に向かわない限り、道理があると思う。一方、36年の植民地支配、強制移入、従軍慰安婦問題等があって、朝鮮人は拉致なんか比較にならないくらいの暴虐の中で生きてきたのに、日本はそれを詫びずに日米安保体制で潰そうとしてきた。朝鮮側からしたら恨みには恨みということで何をしてもよいというのは、あり得る論理だ。でも双方が憎悪には憎悪という構造でいくのは明らかによくない。これを踏まえてだが、断じて拉致は間違っていると言わねばならない。

 今こそ双方の痛みを双方が理解し合い、悪径環を断ち切るべきである。それは生易しいことではないが、その方向に友好、共存の屏が開かれつつある。

 2年前から広がった「よど号」との亀裂

 「よど号」グループと一番親密だったのは、2000年くらいまでだった。1999年に杉嶋岑さんの拘束問題があっても、亀裂は生じなかった。それで2000年に「よど号」30周年記念集会をやった。その時に毎年やってる「国と民族の自主を考える9・2集会」をピョンヤンでやろうという話になった。ところが、6月か7月の段階で、「よど号」グループから「やっばりやめてくれ」と言ってきた。いろんな事情があって、派手にやりたくない、静かにしておきたいんだ、という言い方だった。

 お達しがあったのだと僕は見ている。と言うのも、この当時朝鮮は、米朝対話路線という方向にいった。テロリスト国家という枠を外してくれ、と。だから「よど号」グループもあまり目立たないようにして順次、帰国させていく。僕との関係もなるべく切りたいという意向があったと思う。

 それでいろんなことが重なって8月に僕が心筋硬塞になった。そして、僕が病院にいる間に家族5人の帰国がバタバタと決まる。病気見舞いとか、エ−ルは送ってくるけど、僕に相談もなしにどんどんものを進めていく。とにかく急激によそよそしくなっていった。一時は、病気で政治生命も終わったと思われたかと考え、彼らの信頼がこの程度であったのかと悩んだりもした。けれど今思うと、ちょうどあの頃、路線が変わったのではないだろうか。

 そういう経過がある中で、今年3月の八尾証言に出会った。八尾さんの証言を間くと、結構思い当たるところがあった。僕はよく考えて、「八尾証言はでっち上げだ」と言ってるだけじやだめだと思った。有本さんが朝鮮に連れて行がれたらしいという疑惑の具体的事実があげられているわけだから、せめて家族の気持ちに思いをはせるのは当然だろう。そう思って自分の考えをホームページに意を決して書いた。

 田中義三とも論争した。八尾証言の後、ピョンヤンに送ったのと同じものを東京拘置所の田中にも送った。予想通り田中は「田宮がそういうことをするわけがない」と言う。僕たちの間では田宮に対する共通認識があるわけだけど、世間の人に「田富が…」と言っても何の役にも立たないし、論証しないとだめだ。田中だって責任の一端はあるわけだし、自分の心とか過去を直視していないように見える、とも言った。

 とにかく彼らが拉致への関与を認めるにせよ認めないにせよ、仮に有本さんが朝鮮にいるなら、長年朝鮮に住んでるんだから、有本さんたちを探し出して、帰れるような状況を作り出したいと言うのが正論だと思う。自分たちは関係ない、知らないと言うだけではすまされない。これだとどうしても保身に汲々としていると見られるだろう。

 99年に野中広務との会談をセット

 これは知られてない話だが、1999年に杉嶋事件が起きた訪朝の時に、実は僕がセッティングして自民党の野中広務さんと小西たちが頂上会談をやった。これは帰国の絶好のチャンスだから、野中さんと交渉してうまくいくかなと思っていた。野中さんも「最大限あんたらの面倒見ますよ」と彼らに言ったらしいんだけど、小西らは「無罪帰国」を主張した。そのせいで話がすれ違って、野中さんも「アホらしい」と言って結局、もの別れになってしまった。

 今思えばあの頃が帰国への最後のタイミングだった。この7月、彼らは「無罪帰国」方針を撤回したわけだが、「自分たちはもともと無罪にしろと言った覚えはない」とかアホなことを言っている。それだったら野中さんとの会談で話をまとめればよかったんだ。

 いま「よど号」グループは非常に厳しい局面に立たされている。彼らはどんなことがあっても「拉致など身に覚えがない」と言い通す道を選んだようだ。これは一種の判断停止、思考停止の呆けた状態で、世間の人は笑うかもしれないが、僕にとっては痛々しく、無念な事態と思える。僕にはよくわかるのである。残るに残れず、帰るに帰れず、喋るに喋れずの宙吊り状態なのだ。朝鮮にいては言えないことを、日本にいる僕は言ってやらねばならない。八方塞がりの中でも、人民と祖国と人間を信ずるなら、必ず活路はある。その活路とは、真実を明らかにして謝罪し、自己解体してやり直す道である。辛く苦しい作業だが、その潔さがむしろ、彼らに日本での自主の道を開くことになると思う。どうか、全員帰国の声明を出した"日朝友好の為に人柱になる"精神を思い起こし、その道を進んで欲しい。僕はどこまでも救援する。

 ※この文章は、「創」さんのご厚意により、載せました。著作権は「創」編集部にあり、無断転用を禁止いたします。