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10月31日 13:45〜 東京地裁104号室での
重信房子さん 「ハーグ事件」最終弁論公判に思う


                    塩見孝也

T.
 
先日、10月31日は、「重信ハーグ事件公判」の最終弁論の日でした。

 僕も世間に呼びかけ、鈴木邦男さんも誘い、仲間達と傍聴に行きました。

 104号法廷は日ごろの仲間達に加へ、新しい顔ぶれも参加し、満杯となり、重信さん本人と弁護団の陳述は、事実関係を緻密にきちんと押さえ切り、かつ思想上、格調の高い立派なもので、傍聴者たちは、これでもって、前回の検察側無期求刑の論告は完全に論駁されたと思ったでしょう。

 皆、「言いたいことをきちんと言ってくれた」と溜飲を下げたのです。

 この半年近くは、熱心に傍聴に出向き、来年2月23日の判決に向けて、2月に持たれる「無期求刑は政治弾圧、重信さんは無実・無罪だ」集会準備会にも皆勤しています。
 どういった結果になるかは予測がつきかねますが、この間の傍聴や僕自身の調査で、他の事件はいざ知らず、ことハーグ事件に関しては、重信さんは、全くのシロ、無実・無罪であると確信するようになりました。

 それで、残された判決までの期間は僅かですが、彼女の救援運動をやれるだけやってみようと思っています。

 重信さんが、言わずと知れた「日本赤軍」のリーダーであったことは隠れもなき事実です。だから、「処断されても当然」とか、「ハーグ事件も、当然指揮していたに違いない」と、世間は思いがちですが、しかし、事実は全く違います。この件に関してだけなら、正真正銘、彼女は「無実、無罪」で、彼女は、とんでもない弾圧に晒されている、と言い切れます。



U.
 
このような確信を持ったが故に、僕は僕自身のかつての被弾圧体験とそこでの教訓に鑑みて、徹底的に、重信さん救援をやり抜こうと思うようになったのです。

 僕には、法廷闘争における、苦い〜体験があります。

 「監獄記(オークラ出版)」などでも明らかにしてきましたように、70年の「よど号」事件について、その勃発、半月前に別件で逮捕され、警視庁で取調べを受けていたにもかかわらず、「赤軍派議長として、他の政治局員らと“順次共謀”し、“よど号”闘争を、現場指揮の田宮をも含め、“赤軍派議長”として“総指揮”したと“推認”される(判決文)」として、強引にペテン的に起訴され、無期刑を求刑され、これに抵抗し、闘ったものの、押し切られてしまい、20年の投獄を余儀なくされました。

 この法匪が紡ぎだした判決文の“順次共謀”“推認”“総指揮”なる呪文にも似た、玄妙不可思議な法律文言は、僕の脳裡に、忘れがたく、今もかっきりとこびり付いています。

 言うまでもなく、これは、「行為を裁くのであって思想を裁くのではない」といった「罪刑法定主義」の近代刑法の基本原理を投げ捨てた、当時の佐藤政府の理不尽極まる「行為ではなく、思想を国家が裁く」政治的報復、見せしめの、とんでもない政治弾圧でした。

 当時は安保闘争の只中であり、社会は極度に緊張し、赤軍派はこの政権と武装対峙していたから、政府は手段を選ばぬ弾圧に出てきたわけですが、「革命無罪」の基本姿勢を持ちつつも、法廷では、これと同じ比重か、それ以上に「言論には言論を!法律には法律を!」と法廷闘争の基本原則を捉えなおす必要がありました。そして、この無法弾圧に「法律で闘うのは、柔(やわ)すぎる」といった当時の間違った風潮を克服しつつ、きっぱりと「法律無罪」を対置し、民主的言論、思想闘争を意識的に喚起してゆく必要があった、と僕は、現在教訓化しています。

 この、反省があるが故に、時代は大きく違っていますが、重信さんが、本質的には、僕と同じシチュエーションに置かれ、苦闘しているのが良く分かるし、それ故にこそ、二度と彼女に同じ轍を踏ませてはならない、と痛感するわけです。

 とわ言え、重信さんと弁護団がこういった教訓に今も無自覚である、というわけではなく、その反対であることも強調しておきます。日本での、僕等のこの教訓と同じような反省、教訓を独自な彼女等の歴史的体験を通じて、彼女等も学び取り、それをしっかり踏まえ、既に実践している、ということです。

 彼女等は、時代の転換をしっかり踏まえ、かつての闘いに誇りを持ちつつも、当時の時代に規定された自らの限界、欠陥を十分に反省し、改めるは改めています。パレスチナ解放への連帯の闘いも、国際義勇軍として、パレスチナで闘うこれまでの路線も改め、日本中心で、日本の政府と闘ったり、日本の地から、パレスチナと連帯する国際主義と愛国主義を統一する方向を追及しているようです。又武装闘争に関しても、現在での有効性を否定し、「パレスチナでは必要悪的に認められても、日本ではそうでなく、日本では、非暴力・不服従の思想的、政治的闘いこそが重要」といった認識です。

 この、見地で彼女たちは「日本赤軍」を解散しました。

 又、この見地で、法廷闘争も進めています。つまり、僕流の「法律には、法律で、言論には言論で」と、同じ性質の方針と思えます。

 このような認識は、僕の総括、認識と殆ど一致するように思われます。
 さて、以上を踏まえてのことですが、僕は世間や、メディアの皆さんに次のことを訴えたいと思います。

 安易に「あれは仕方がない」「全く異質な世界のことで、自分には関係ない」と考えず、「共謀法」の反動的マヤカシには、かつての「過激派」「超過激派」であろうと、「普通の市民」であろうと、分け隔てなく「無実・無罪なものはあくまで無実・無罪」として、自分の問題として、この裁判を考えていただければ、ありがたい、ということです。



V.
 この事件は、パレスチナ人の対イスラエルからの解放を目指す政治、軍事組織PFLP(パレスチナ人の国家組織、PLOを構成する有力な組織の一つ)が自組織に国際義勇兵として参加していた、日本人安田氏を、パレスチナ解放運動の観点から、奪還しようとした作戦であったこと、このことは、かつての「ハイジャックの女王」で、現PLO国会議員、パレスチナ女性同盟委員長、ライラ・ハレッドさんが、わざわざ日本までやってきて、法廷で明確に証言しています。

 当時「日本赤軍」は結成されていず、重信さんらはPFLPの指揮下にあったこと。従って、「日本赤軍の組織と重信の指導権の強化のための奪還作戦」という検事側「動機」論は、ライラの証言に加え、当時の情況をつぶさに知る、重信さんの同僚、丸岡修さんらの証言もあり、全く当たらないこと、事件当時重信さんがリビヤにいたことや占拠コマンド、西川純氏宛の「指示の信書」なる検察側の唯一の「物証」も別の人のものであることも明らかになり、西川氏本人がそれを証言しています。3名の自供書も本人たちによって法廷で否定されており、更に注目すべきは、占拠コマンドの指揮官、和光晴生氏公判判決で、「重信最高指導→和光現場指揮」の検察側図式は否定され、「ハーグ事件において、重信は関係していない」と認定されていることです。

 この辺は、圧倒的宣伝不足もあり、何か僕の身びいきの主観的判断と思われるか知れませんが、事実であり、弁護団や重信さんの陳述書や重信救援誌「オリーブの樹」ら参照されたらお分かりしていただけると思います。

 検察側は、「日本赤軍」への政治的報復の弾圧のため、他の事件では立件不能ゆえ、なんとか「引っ掛けられそうな」なハーグ事件で、立件してきたのです。   
 しかし、もともと「無実、無罪」で、立件できぬものの立件であるが故に、その「立件」は余りに杜撰となり、結局物証なしの「凶悪なテロリストの元凶」「重信最高指導者」「自供書の恣意的解釈」の諸論を振り回す、超政治的意図丸出しの、強引極まる図式に論告に終始せざるを得なかった、わけです。



W.
 
この4〜5年、30数年前の闘いの中で、抱え込み、脳中にとぐろを巻いていた、僕にとって宿痾とも言えるような様々な課題にも、回答がかなり与えられるようになり、大分世の中や僕の進むべき方向も見えてき、人と人の関係も相当上手く捌けるようになりました。

 やっとこのようになれたことを思うに付け、監獄20年の体験は、出獄し、15年が経ったことを考え合わせれば、やはり、これほどまでに重いものだったのか、と認識しなおしています。 

 現在、浮薄な「小泉大勝」後、全ての人々が、思想的、政治的に、己を振り返り、構えなおすことが迫られて来ています。

 祖国の根本的進路、在り様を情況は容赦なく全ての日本国民に問うてきています。

 従属グローバリズムの覇権主義とそれに伴う戦争と侵略の危険の増大、民主主義破壊、憲法改「正」、生活・環境危機、それに人間の心身両面での“壊れ”等全て深刻です。

 僕は、日本人パトリオット(愛国者)として、民衆主義者として、人間の尊厳性たる自主性の旗の下、「徳高き、恒久平和を目指す、信義ある日本」を目指して、この窮状を打開すべく頑張ろうと思っています。闘いのスタイルは、非暴力、不服従、民衆の自主・協同のネットワーク型関係です。

 この間、大略以下のような活動をやっています。民族派「右翼」の見沢知廉氏の「反米愛国戦士としての追悼」、「世界」や「民衆」や「人間」をしっかり踏まえて上での、反米愛国、民主主義、反小泉の左右の垣根を越えた統一戦線作り、これと市民運動の合流、このための旧赤軍派やブント、新左翼関係、全共闘・団塊の世代の連帯の強化などです。それに、特殊には反弾圧の見地を堅守しつつの、「よど号」グループの帰国支援やこのグループのヅレ、外国権勢に寄生したリモコン政治の克服ら、です。

 重信さん救援運動は、このような全体的で、多方面の闘いと結びついているし、とりわけ、憲法改「正」の道を掃き清める「共謀法」制定を阻止する闘いと密接不可分で、表裏の関係にある重要な結節環としてあります。

 しかし、この環は、僕個人の人生に照らした場合、このことに加え、特別な意味を感じさせます。これまで不連続にさせられて来た70年闘争と現在のギャップを埋め、70年体験を今に連続化させる、といった個人的な思い入れなくしては関わりあえぬ、貴重な環としての意味を持つっている、といった認識です。

 皆さん、この運動をよろしくお願いします


       2005年11月2日