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1.29 スピーチ・レジュメ
「関西ブント・田原芳 論文集出版記念の集い」


2006年 2月 4日

                    塩見孝也


 皆さん、以下は、「関西ブント・田原芳 論文集出版記念の集い」での、僕のスピーチのレジュメ、概要です。

 時間の制限や他のもろもろの要因もあり、レジュメどおりに話せませんでした。

 又、集会や2次会、3次会で、改めて感じ、学んだ貴重なことも多々ありあり、それを事前に提出したレジュメに手を加え、僕の言いたいことを、まとめたものに、このレジュメは変貌しました。

 それを発表するのが、一番読者には良い、と思って発表します。

 レジュメ形式で、読解に難あり、とは百も承知で、申し訳無く思っていますが、僕としては、なるたけ、皆さんに、早く見ていただきたく思いました。

 どうか、手前勝手ですが、小生の配慮不足を、皆さんの逞しく、豊かな想像力で補ってくださりことに甘えさせていただきます。御寛如ください。

 集会を用意してくださった岩田吾朗さんを初めとする、関係者の皆さんに、重ねて感謝の意を表明させてもらいます。

 又、集会に多忙を厭わず参加され、「集い」を、楽しく、意義あるものに盛り上げてくださった、参加者全員にも心から感謝するものです。

 集会の報告は、後ほど、関係者の皆さんを中心に、参加者全員が、加わる形で、報告集が発表されると思います。

 皆さん、是非注目しておいてください。




 1・29『関西ブント・田原芳論文集出版記念の集い』スピーチ・レジュメ

 〜70年安保闘争における教訓と僕の未熟性の自己批判、「マルクス主義の超克」を実現するために〜

          2006年1月29日・塩見孝也



(序章) 中嶋さんら関西ブントの流れは、今何処に立っているか?

a,青春、学生運動時代の中嶋さんと僕
  63年、学対の指令で同志社支部に張り付く−僕を年下なのに、親しみを込めて「おっさん」といってくれる磊落さ−『「社会主義」「世界革命」「プロレタリア独裁」「暴力革命」らマルクス主義の原則を言う必要がある」』という中嶋流レーニン主義の豪快な提起、「俺の意見は…」という言い方に見られる自主独立の気風、「よくやった」の言い方の豪快さ、武士的な独立自主、覚悟、周到の問題の立て方。

 僕が獄にいて知らなかった70年以降の彼の論文を読んで見て、彼が自分の政治主張に忠実で、客観的には(?)、僕等赤軍派の動向を注視し、精神的、思想的に同伴してくれていて、僕等を理論的に補強していてくれたことが良く分かる。 僕は70年以降の、彼の理論活動の苦闘を我が物にして、共有したい。

b,中嶋さんの「世界同時革命」の提起、当時の時代にあって、もっと秀逸であった関西ブント政治学の画期、精華。  
僕の「過渡期世界論」は、これを僕流の「歴史観」と「プロレタリアートの能動性」の観点から継承、その他ブントの良きものを集大成した、と言える。後に唯軍事主義に流れたが。

 関西ブントの政治学、理論と実践の統一、知行合一、この実践哲学から「政治過程論」、「第3期論」、「世界同時革命論」は生まれ、この流れから、(=、→)「過渡期世界論」は生まれた。

c,関西ブントの経済学や哲学―関西ブント潮流はどこまで到達し、今何処に立っているか?
 12・18ブントの資本主義批判の画期性、講座派と労農・宇野派を越える内容を学者ではなく、革命家が獲得したこと。この方向でよい。これを、ベースに、人民大衆中心思想が、基礎付けられてゆく。

 しかし、ここまでで、ここから、完全に思考停止している。特に、哲学、思想的営為を系統的に蓄積して行く分野での思考停止が著しい。

 関西ブントの最も得意とする分野の政治学でも停滞している。

 実践はあるか?ないのではなく、ある。極めて、多様な分野で実践している。それが、これまでの予断と偏見の穴倉から出られず、不必要な壁を築き、事実認識や共同実践に於いて蛸壺化しているから、成果が綜合されていない。

 蛸壺からで出て、率直、フランクになり、愛と信頼の実践共有の関係を築いてゆこう。

 新開さんの、ローザ研究、グラムシ研究、市民社会が確立した社会(膠状の社会)での、陣地構築という現代革命の基本視座は、我々の基本視座の一つでであるべき。途上国の革命、カストロ・ゲバラ、パレスチナ、毛ら中国、アジア革命は機動戦、学ぶに足るが、基本的限界があり、金科玉条には出来ない。

 この見地も踏まえ、その上での、具体的な方針、路線を、新たな段階としてのグローバル独占資本主義の分析の研究や日本資本主義の普遍性と特殊性、従属帝国主義論の認識、分析に結実させる。この観点から、統一戦線論の研究、その実践に持ってゆくのも一つの選択肢であるのではないか?

 工場評議会運動、生協運動、知的道徳的ヘゲモニーの涵養の問題などもあるが。

 従属帝国主義認識は、日本永続革命(連続革命)における、基本性格、階級の諸関係、統一戦線戦術を措定する基本ベースとなる。

 第三世界、途上国の革命形態としての起動戦と質、水準の異なる陣地戦の視覚、僕等は機動戦に流れた傾向があった。

 実践を日々対象化する協同の場所や方法を獲得すべき。要は、真面目に政治討論をする、出来る場所を、獲得してゆこう。

 哲学は、マルクス、レーニンの見地の忠実な継承(黒田派との対決の立脚点、藤本進治から学びつつも)、これは、前提だが、「フォイエルバッハ第六テーゼ」や「ドイツ・イディオロギー」のままではいけない。 

 塩見の言う自主論の領域が必要。或いは、政治学では、特に、民族論(国家論、統一戦線論などを含む)が必要。

 ここから、「マルクス主義の超克」、「マルクス主義の日本土着化、日本化」が確立されなければならない。ここが、確立されない限り、人間中心思想やしっかりした民族論は確立し得ない。

d,「世界同時革命」の覚書、正確には「世界・一国同時革命」
 世界と一国、実念論と唯名論、「世界から捉えつつも、一国から出発する」、マルクス「宣言」の「さしあったって、自国のブルを片付ける…」の重さ、捉えなおし、レーニンの「ヨーロッパ合衆国(同時革命)創建の一環としてのロシア革命、そして、実際のロシアの実践においては、ロシア社会の普遍性と特殊性を総合した2段階連続革命」、毛の「マルクス主義を自国の実際に適用する」との関連で考察する。


(1章)僕の自己批判

  僕はこれまで30数年間、何度も、機会あるごとに、自己批判してきたが、要約すれば、人民大衆中心の思想の軽視、唯軍事主義(軍事至上主義)偏向の自己批判、ここが核心と思っています。

 人民大衆中心思想の弱さ。民衆服務の思想の弱さ。資本主義批判の弱さ。労働者ら人民大衆中心思想の弱さ。

 かつ、その思想的、哲学的核心としての、労働者ら人民の“人間性”の未確定、曖昧性、人間の本性が自主性(と和)であり、その自覚の弱さ、自主性の本質、その人間の最深部の規定をしっかりとし、そこから全てを捉えなおす。

 人間性とは「人間の命を最高尊貴し、その命を輝かせる自主性(=協同性)」と思う。

 我々は、唯物論者であるが、意識のウエイトも大切にする。

 しかし、物質と意識の関係において、物質的諸関係に対して、「主体性」と称して、意識の役割を超観念的に超肥大化させ、結局は観念論に密通してゆく「主体性」論に対して、自主性を持った成員と集団の関係、個と集団の矛盾を踏まえた一致を目指す、意識を社会性から措定する「場所」哲学から出発すべき。  

 ここから、人間性=自主性を措定してゆくべき。ここにおいて、我々は、人間をタダモノとしかみない、スターリン主義の「弁証法的唯物論」哲学とは、もちろんのこととして、黒田哲学―革共同哲学と根本的に相違する。


(2章)@と同じことなのだが、民衆の歴史的な社会生活単位としての民族と国(くに)を愛することの弱さ。

 我が国の歴史への通暁、文化と伝統への愛と革新の自覚の弱さ(ここも決定的核心)、ここから、変革の最大のアポリア、最核心を解決して行く。

 民族と国を愛することを、人間自主(日本人のもつ独立・自尊と和=協同の気風)、民衆中心で人類的観点、世界人民の利益、福祉、諸民族の共和、共栄、宥和の観点から実行して行く、(特に、統一戦線思想の欠落)

 人間の自主性、世界・人類の利益の観点を押さえつつも、まず、自国民衆、民族を尊重し、愛し、日本の民衆の歴史を良く知り、文化、伝統を継承、革(か)えてゆく(自主性、愛、信頼、義、徳、死生観らを機軸に)


(3章) 統一戦線、軍事、党と人民大衆、民族の総括の諸要点。

 日本独占資本主義が、戦後「従属帝国主義」を特質とする最新のグローバル独占資本主義であり、日共の描く「従属資本主義」でもなければ、ブント系が描いた、「自立帝国主義」でもないこと、ここから、現代革命としての統一戦線戦術、反米愛国統一
戦線の可能性、現実性が存在していること。



(4章) 70年安保闘争の総括と現在の反安保闘争(反改憲闘争)との比較。

 何故30年間の大後退、大転換があったか?
 ・中国の大路線転換、帝国主義が、その第3段階目のグローバリズム段階への到達
(人類史の新たな発展段階への到達、客観的要因)

 ・日本民衆の未熟性、マルクス主義の歴史的限界―マルクス主義の超克の余りのもの至難性故に、主体的な全面的総括には長い時間が要った。(主体的要因)

 ○人間観、哲学、思想、倫理、○統一戦線 ○軍事 ○国家論 ○組織論



(5章)現代のツインメルドワルド左派を創出するために!

 軍事・武装闘争の選択は、あるパラダイムからすれば、相対的判断であった。  

 選択した人、しなかった人、いずれにも、それなりの理があった。しかし、マルクス主義を誠実に信奉するものであれば、当時の主・客の歴史的事情からすれば、とりわけ、当時の我々全体にあった、主体的な未熟性とマルクス主義の歴史的限界を前提にすれば、武装闘争の採用は必然であり、そして、その何らかの形、質での敗北は殆ど避けがたかった。これは歴史的必然であった。僕は、この悲惨を含めた、闘いを栄光と考え、諸過ちを素直に反省、責任をとるが、僕らの戦いを恥じない。反対に名誉ある事柄として誇りとする。

 そして、この観点に立てば、非マルクス主義、反マルクス主義に立つ人ならばいざ知らず、闘いの歴史的限界、欠点、未熟性には、日本と世界のマルクス主義思想、世界観の当時の歴史的限界に負う所が大いにあったことも、確認しなければならない。

 このこと、つまり、「マルクス主義の超克」こそ、総括の核心問題としてしっかり、把握されなければならない。

 それは、ともかくとして、いったん決起した人々にとっては、「闘いの歴史的意義をしっかり、踏まえての、その歴史的、主体的限界をどう克服するか」であり、武闘清算主義でもなければ、武闘教条主義であってもならない。そして、 当時、いったん選択し、全存在を賭けて闘った以上、闘った人々は、そのことに誇り、名誉と責任を持つべきであるし、実際、誇りを持つ。けっして、「武器を取るべきでなかった」などの清算主義を言うべきでない。

 また、限界、欠陥を正視しつつも、その歴史的意義、経験を踏まえ、その限界をどう止揚するのかの原則的立場、観点、方法を僕等はしっかり踏まえるべきである。

 我々は、この経験から、何を学んだか、何を学ぶか、である。この経験、教訓をしっかり意識化し、未来に向けて、どう前向きに前進するか、どう団結するのか、の姿勢をとるべきである。

 歴史的意義、経験とは、ベトナム侵略戦争に勝利したこと、憲法改悪などさせなかったこと。軍事、武装決起の経験、国際主義の実行の経験、地下闘争・獄中闘争、被弾圧の経験、非転向堅持経験、軍事至上主義の誤りの経験とその過ちをすみやかな是正、路線転換し、名誉を保ちつつ、退却していく経験、敗北に打ちひしがれず、不屈に戦いを継続してきたことの意義、等である。

 我々は、武器を取らなかった人々を、とやかく言うつもりはない。又、そこに一定程度ある、妥当な道理を学ぶし、団結を求める。しかし、武器を取った人々を、その人々がプレーハーノフみたいに、体制、権力を利する形で「武器を取るべきでなかった」ととやかく非難し、その誇り、名誉を誹謗中傷するとしたら、それは、容認できず、断固として反批判する。



(6章)僕等の目指す党風、党観について

 人間性の凝縮である、革命家としての政治生命を持つ党員革命家をやたらと除名すべきでない。

 たいした過ちでない人はもちろんのこと、比較的大きな過ちを犯した人でも、その人の政治生命を尊重し、その生命が、再び輝くよう最大限の配慮を払うべきである。常に大義から問題を立て、堅忍と抑制に基付く、同志を信じぬく寛容の作風、組織における、成員の地位と役割を常に正しく定めてゆく全員の気配り。

 関西ブントは、そのようなおおらかな(他面でアバウトな)党風を自覚していなかったが持っていた。

 同志を自己の目玉のように大切にし、尊貴して行くべきである。

 第2次ブントは、明大闘争における除名を慣習にし、マル戦派の引止めの失敗除名、そして、赤軍派グループが自己批判し、復帰を申し出ているのに、それを拒否し、除名した。

 この、三つの事件における対処の過ちが、第二次ブントの党的生命力を奪ってしまった。

 日共的「一枚岩の党」や「革共同」的、「宗教的指導者への帰依」の宗派主義的党風とは違う党風を確立し得なかった。

 その結果、9回大会は実質を伴わず、「党」を言えば言うほど、細分化し、ばらばらになり、分解していった。

 後には、尊敬や信頼に替わって、憎悪と敵視の関係のみが残っていった。

 このことは、赤軍派の因を帰することは、決して出来ない。

 「武闘を唱えなかったから、自分はまともだった」言う人が居る。

 しかし、党内闘争では、武闘を無原則に行使し、殴り(M君やF君)、リンチし、挙句の果てには、同志(M・J君)を死に追いやったではないか。「権力に向かわない、武闘派」も存在したこと、このような武闘派も、しっかり反省すべきである。宮廷政治で対話不能な情況を醸しだした問題もある。

 民衆奉仕の基準がない。資本主義批判(人民大衆中心、人間中心)無き、「自立論」は、アナ―キスティックで徒党的なままでありがちとなる。

 様々な問題を、まず己にひきつけて、反省する思想的営為が必要でなかろうか?

 人間、革命家は正しいこともやれば、過ちも犯すのであり、「無謬の人」は居ない。

 過ちを出来るだけ、大きくせず、少なくする、あくまで人民大衆中心、人間中心で、集団の英知を発揮できるようにし、過ちを少なくし、過まてば、二度と繰り返さないように、改める党風を確立すべき、ではなかろうか。



(7章)僕の革命・維新の党のイメージ、8つのスローガン、当面の重点目標と方針の環について

a,僕の革命党イメージ・8つのスローガン

 ・世界平和・人類福祉の党
 ・愛国の党
 ・民衆中心・人間中心の党
 ・国際主義の党
 ・徹底民主、共和・資本主義の害悪是正の党
 ・同志を自分の眼のように尊貴し、愛し、やたらと除名しない党
 ・自分と認識や発想の全く違う人々とも共闘出来、民衆と民族の英知を汲みつくせ、統一戦線を駆使できる党、
 ・日本人を愛し、そのいのちを革(あらた)める党、

 徳高き信義ある日本を!

b,当面の最重点目標 

 ・日米安保廃棄・反米愛国!アジア・世界との共生!
 ・憲法改悪阻止!
 ・徹底民主、共和・資本主義の諸害悪是正!
 ・戦争と売国と反動・資本主義害悪氾濫の自民党体制を打倒しよう!

c,左右の反米主義者は、英知の限りを尽くし、民族と国の復興を目指し、創造的努力を積み重ね、反米愛国統一戦線を構築してゆこう。

 この統一戦線の中に、反戦平和、人権・民主主義、生活防衛と労働者の権利拡大、環境防衛、人間の“壊れ”との闘い等の民衆の諸要求を集約し、実現してゆこう。

       2006年 1月 29日