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「日本核武装化」論を斬る!

2005年 11月 8日

                    塩見孝也


 例の「日本文化チャンネル、桜」のM氏と一昨日話しましたが、氏と会うと、彼の方から、いつも吹っかけてくるので、必ず「日本核武装化の是非」の話になり、僕もこの点では一歩も退きませんから、議論は、表面の穏やかさとは反対に、熾烈を極め、一時間の予定が、結局延々3時間に及びました。

 約一週間前の、10月28日に発表された、自民党の「新憲法草案」は、「小泉大勝」を反映して、対米従属、安保体制、アメリカ帝国主義中心のグローバル・スタンダードをより徹頭徹尾、護持強化する従属覇権の路線としての「9条改憲」でした。つまり、これまでの草案が、常に、アメリカ式グローバル・スタンダードと復古主義的「日本主義」、超国家主義的性質の内容を折衷する二本足構成であったものが、前者を中心にしたものに純化され、一本足化され、統一されたものになっているということです。言い換えれば、中曽根私案のような日本のナショナリズム(国家主義的民族主義、超国家主義)、伝統、文化を重視する面が、切り捨てられているのです。

 実際は、必ずしもそうでなく、「嫌い嫌いも好きのうち」といった親米の面も持っていますが、「日本文化チャンネル、桜」は中曽根氏をもっとウルトラ化した、極右の反共保守主義の潮流ですから、それ故、孤立感を感じ、非常にエキセントリックになっていると思われます。

 つまり、この人たちは、自らのより所である、反共保守主義、超国家主義の路線を軍事的冒険主義もいいところの「日本核武装化」論に、情勢の推移に規定され、短絡的に凝集せざるを得なくなって来ている、ということです。

 この核武装化論は「男系天皇制」に基づく天皇の再神(カミ)化を核心とする「神国日本」論、他方での「“赤”の“共産主義”の中国、朝鮮らの頭からの脅迫観念に近い敵視」論に立脚しています。

 別の言い方からすれば、「神国日本」論と反共主義の二本柱の狂信のイディオロギーの行き着く果ては、これまた狂信の軍事至上の「日本核武装化論」になる、ということです。
 これこそ、クラシカルな意味での、時代錯誤もいいところの、蚩うべき「天皇主義国家ファシズム」の再現です。

 天皇家も、全くの"ありがた迷惑"なことではないでしょうか?

 「民族」を、唯物論に従って、“歴史的社会的存在”と捉えず、観念論的な社会ダーウィン主義の生物主義的血縁論でのみ捉えようとすれば、神道の宗教思想を機軸とする神秘主義的民族論に行き着くわけです。

 かつての、ヒットラーの汎ゲルマン主義、天皇絶対(神)化の、その「神」を始祖とする「赤子」のヤマト民族主義、現在のイスラエル・シオニズム、或いは、ブッシュ等ネオコンの超保守キリスト教で武装した「アメリカ選良国家」論、らのように、常に、好戦勢力は、宗教的神秘主義に染まりつつ、自己を「選良の最優秀民族」と非合理に絶対化するわけです。

 この神秘主義的な自民族神格化は他方での他民族蔑視、否定、非合理な他民族排外の強化と一体に進みます。

 Mさんら「日本文化チャンネル、桜」はこういった、非合理極まる自民族神格化、他民族排外のエスノセントリズム(自民族中心主義)の典型といえます。

 その画龍点睛の目玉として、唯武器主義的に、核軍事を弄ぼうとしているのです。戦前は、この思考の罠に皆が嵌められていったわけです。

 驚いたことに、この論拠にMさんらは「朝鮮国核武装論の効用性」を挙げます。

 朝鮮国が、「核武装することによって、韓国、中国、日本はおろか、アメリカさえ、それを無視できず、ブッシュは、金正日閣下殿、といい始めた」「舐められなくなった」 「世界第二の経済大国、日本が核武装すれば中国もアメリカも舐めてこなくなる」「世界各国が、核武装化すれば、核独占が打破され、核の脅威は相殺され、核は廃棄されてゆく」「これが、リアルポリティックスだ」と。

 僕の民族論はこのような民族論とは全く縁もゆかりもありません。民族を、唯物論に従って「歴史的、社会的」に捉え、その標章を、血縁ではなく、主として言語、広い意味での文化に置きます。パトリオティズム(愛国心)の捉え方の哲学的、理論的土台はここにあります。

 人類は、アフリカから生まれ、世界に分布してゆき、地球環境やその歴史に規定されて、その生きる環境に適応し、実際的、便宜的性格として、「人種」、「部族」、「氏族」、「民族」に分化してゆきましたが、別にそれに、截然たる、境界線、つまり「純正民族」など、あるわけではないことは明らかです。

 また、人は、どの民族、どの人種に属そうと、みんな命を大切にし、自主性を伸ばそうとします。

 そのような、目的意識に従って、愛、信頼、徳、幸せを求め、そのために義に殉じることを、躊躇(いと)わない点で、何の変りもありません。

 民族の起源、歴史、現在は、人間の命と自主性を向上させてゆくために、環境と時代に応じて、そのための社会生活的単位を「氏族」、「部族」「部族連合」、「民族」という形で、向上化させて来た、という唯物論的な歴史的事実として、明白に説明されます。

 人類は、その人としての、普遍的向上意識を、自らが帰属する社会生活単位の文化的、政治的、経済的な協同・協働の歴史に従って、その社会特有の文化的アイデンティティーを文化共同主観として実現してゆくこと、それ故にその共同主観、アイデンティティーにその構成員は愛着するし、又歴史的経験を通じ、その良きものは伸ばし、悪しき物は脱ぎ捨ててゆく中で、その民族特有の個性を作り出し、その成員はその個性を慈しみます。

 この個性、アイデンティティーを大切にし、愛着し、思い入れる意識こそが、パトリオティズム、愛国心(=愛クニ心、愛郷心)だと思います。

 このアイデンティーは、人間としての普遍性と同時に決定的に大切な意識です。

 この愛国心を、常に、普遍的人間愛に結合し、高めてゆくことが大切です。普遍志向(実念論)は大切で、個別志向(唯名論)は、常に、普遍志向を念頭に、鍛えられなければなりませんが、個別志向から出発せず、個別志向を前提にしない、普遍志向は観念論です。

 我が日本国は深刻な戦争体験を持ち、かつ被爆体験を持つ国です。

 平和志向は、日本人が営々としてこれまで培ってきた、僕が考える日本人の三大民族性の一つと言えます。

 つまり、日本人の基底には、一万年の縄文時代に始まり、平安時代に明確に言語化された「ものの哀れ」に凝集されてきた、自然愛好・自然との共生・一体化、人間も含めた、あらゆる自然をいのちとみなし、慈しみ、優しむ志向があります。

さらに、それに、続くものとして、「言ったことに責任を持つ」「覚悟の思想」、言ってみれば、日本人的な「自主・自尊」の志向としての、「もののふ心(武士道精神)」が創出されてきました。これが、近代以前までに、日本人が作り出して来た二つの、優れた素晴らしい民族性だと、言えます。

 これに、近代において、悲惨な世界戦争の国民的体験としての平和志向が付け加わりました。

 この、三つの民族性は、日本人が世界に誇れる、優れた、素晴らしい精神的財産です。

 「日本核武装化」論は、この近代で獲得した戦争否定、核否定の国民体験、国民性に直接的に反しているばかりでなく、三つの民族性を総和した国民性に反し、民衆、国民の命と人間性=自主性を、軍事、暴力、唯武器主義の冒険主義で弄ぼうとする点で、反民衆的、反人間的、反国民的、反人類的と言い切れます。

 僕は、パトリオットとして、この思考を徹底的に否定します。

 あらゆる国の核武装、核独占による覇権政治、これに伴うパワーポリティックス、軍拡競争、帰結としての先制攻撃論にいたる核チキンゲームらの軍事的冒険、軍事的熱狂のファナティシズムを否定します。

 当然にも、「社会主義」国の、核武装も否定します。「自らを、“選良の社会主義国”、“人民の国”だからとして、“自分たちの核は特別の核”で、帝国主義の核とは違う」などの妄言は、権力者階級特有の考え、として否定します。

 世界の、どの権力者たちも、資本主義の利潤追求第一、唯生産力主義に感染し、唯軍事主義に陥っているのです。

 日本は、先述の三つの国民性を活かし、このような世界とは、全然違う世界、非暴力・平和、反核、反軍拡の先覚国として、諸国、諸民族の魁がけとなるべきです。

 このような、軍事的ファナティシズム、好戦、好核志向に、日本、日本人は、別の「戦」「核」を対置するのではなく、全く別のパラダイム、貪欲と人間蔑視の非合理の暴圧に、理性を持った非暴力、不服従、徹底抵抗(レジスタンス)の旗こそ、高く掲げるべきです。

 日本、日本人に要求されているのは、アメリカに代替させることも含めた軍事力強化や核武装化などの唯武器主義、唯軍事主義ではなく、このような魁のパトリオティズムであり、それに伴う国民一人一人の、独立自主、自尊意識の向上であり、これと一体の、これまで以上に文化、政治、経済活動の分野での質的高度化、レベルアップをはかることだと思います。

 これ等に並行して、適切な英知ある自衛の体制を創造してゆくことだと思います。

 さし当たっては、対米従属の安保体制、つまり占領の継続体制からの脱却し、自主、自立する闘いが基本であり、自衛隊の反米愛国の自衛軍への改革、再編成の推進が急務です。この中での、英知ある、自衛の体系の創造だと思う。

 国際的には、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカら世界の民衆、民族との国際主義的連帯の強化である。

 もちろん、拉致問題の時のように、一定の緊張を覚悟しても、国と民族の自主を守り抜き、言うべき時は断固としていわなければなりませんが、日本、日本人の基本的態度は、これらの努力を通じて、大陸の中国、朝鮮らとの緊張を解き、対話、交流、共存・共栄を深め、その他のアジアの国、民族も含めた、全アジアの民衆との国際主義的連帯を強めることです。

 返す刀で、同様に、アメリカとの民衆との国際主義的連帯、国との連帯、共存、共栄を実現してゆくことだと思います。

 こうすることによって、戦争の根源である、資本主義の利潤追求至上に民衆、民族が社会の主人として、轡を嵌め、コントロールしてゆくことです。

 その陣形としては、自衛権―専守防衛派、その意味での「自民党とは違う」“改憲派”と民衆を主体とする「反改憲、非暴力、反核」の勢力が連合する、反米愛国・反安保の国民的統一戦線を構築して、小泉らの「従属改憲派」と対峙するものとならなければならないと思います。

       2005年 11月 8日