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「追悼の会」へのメッセージ(敬称略)


  秋山善國
 原点を確認し、生きざまを呼び戻し、思い出を集積して文章に残し、思い、真実を知らせたい、との主旨に賛同すると共に、みのりある集いになることを期待します。
 同時代を生きてきた者として、それぞれが背負った重荷はそれぞれ背負い続けなければならないけれど、歴史はどんどん変動し進んであり、立ち止まっていると過去の存在になってしまうでしょう。できることは大なり小なり人それぞれちがっても、人生を終えるまで、自分の生き方をつらぬき、歴史の流れの中で主体的にかかわり、前進しつづけねばならないとおもいます。やがて老い衰えても最後まで光を放ち、歩を進める先輩たちでありつづけてほしいと願っています。(慰霊の旅参加者)

  大泉康雄
 ・殉難者(犠牲者?)追悼の主旨が主軸となる会となるように希望します。
 ・ご遺族はいまだ、わり切れぬ思いでおります。万が一にでも、神経を逆撫でするようなことがあってはならないと思います。
 ・あくまで追悼を主旨として、モメゴトなどを起こしてマスコミの餌食にならないよう参加者が自制してくれればと願っております。
 ・諸準備、ご苦労様です。

大野信廣
 語り続けてください。失敗に終わらせたくありません。続けねばならないものがるはずです。

小野田襄二
 ・僕は連赤について二つ書いている。公表した(『遠くまで行くんだ』6月号)もの、未公表のもの。当日持っていきます。
 ・僕は革共同(中核派)なので今回(3月)『革命的左翼という擬制』を出版する。

加藤倫教
 亡き14人の青年が求めた社会変革。真の社会変革とは何か、アメリカの主導する"グローバリゼーション"が席捲するいまこそ、そのことが問われています。中央集権的思考やシステムも新しい世紀に機能しなくなってきました。地球環境に適した新しい社会システムが必要です。分権・市民参加・持続の社会の実現こそ亡き同志たちの想いを実現する道だと信じます。

菅孝行
 所用にて参加できませんが、主旨に賛成します。世界を変革しようとする志が全くいわれもなく処刑という名の殺戮によって断ち切られるというようなことが二度とくりかえされぬことを祈ります。人は生きなくてはなりません。生命をかけることは美しくても、生命を捨てること、すてさせることは許されません。

蔵田計成
 「追悼の会」を開催することは、第一に、殉難の真の意味を明確にすることであり、第二、死者がが命に賭けた想いと、その想いを断たれてしまった無念さを弔うことであり、第三に、連合赤軍が犯した悲劇の歴史的意味を明らかにし、連赤問題を正当に総括する行為の重要な一環だと思います。これをなし得る立場にある人達は、貴君たちをのぞいてはいないはずです。是非成し遂げてください。及ばずながら、最大の協力と賛同を表明します。

重松雍明
 個人的事情で参加できません。皆様方のご努力に感謝いたします。

城崎香代
 盛会を祈ります。若き人生を尊い命を犠牲にされ親として忘れる事の出来ない苦しい思いです。ご苦労様、唯々頭が下がります。

鈴木邦男
 趣旨に賛成です。いまこそ、連赤事件を振り返り、キチンと向かいあうべきだと思います。ぜひ出席したいのですが、2/16〜2/25までイラクに行ってます。残念ながら出席できません。この趣旨で、これからも討論、集会などやる時には、参加させて頂きます。


高橋伴明  2/23はすでに、仙台での仕事が入っており、スケジュールが動かせません。残念です。こういう会をもっともっと早く開いてほしかった。映画でできることは、たかが知れています。

穂積 満
 進藤君、山崎君は一緒に闘った仲間であり、志中途でたおれた無念さはいつまでも心の中に残っています。意見の異なる者たちの殺害という方向へ進んでしまった闘争の変質について、未だに総括しきれていません。今回は時間がありませんので参加できません、悪しからず。

牧野一樹
 仕事柄、残念ながら出席出来ません。皆様の仕事に敬意を申し上げます。一昨年出家しました。実家(寺)に帰る準備をしています。瀬戸内の小さな島ですが、志は皆様と共に有ります。僧名を含んで小さな庵でゆっくりと、夢見てますがどうなることやら。「閑楽庵 愚蓮」というのが、僧名です。今後はこの法名でお願いします。

丸岡まゆみ
 ご案内ありがとうございます。いろいろな人が語られる話を聞きたいと思いましたが、遠方につき参加できません。気持ちが響き合うつどいになることを祈念しています。おつかれさまでございます。

水戸喜世子
 直接存じ上げている方は誰もいませんが、ひとりひとり、人の幸せを願った素晴らしい方たちばかりであったことを信じています。過ちをくり返さず、この死を無駄にしない為にも、追悼の会(「加害者」も「被害者」も『被害者』)を存続させることの大切さを思います。

向井 孝
 私たちはその死にセンチメンタルにならざるを得ないが、すくなくとも何らかの通底するおもいをもった生者として、まず己をきびしく総括して、己の中から運動そのものがもつ「負」をはっきりさせねばならない。死者もまた加害者たりえたことと共に。