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「小西さんらへの手紙」

                    塩見孝也



 
 やや長い間の無沙汰をしておりました。

1.最近の僕の状況

 この頃,殆ど貴兄らの動静を知らないし、他のことで忙しくしていて、手紙や情報も送れないでいます。

 最近の貴兄らにつきましては、僕の知っていることは、世間一般以上ではありません。又、それで、十分良いと思っています。

 だが、貴兄らのことをいつも考えてい続けることは事実です。

 僕の方は「監獄記」を書き上げ、「幸福論」「始末記」を経て、ほぼ「総括」「過去」を振りかえることに重心を置くことから、今年から「方針」「路線」を軸に未来に向け、表現、活動の重心を移そうと思っています。

 別に「組織的結束」とはいいませんが、――そのような旧来型の「組織」は桎梏性、マイナス面の方が多いと思いますし、そのような「組織」を僕は望んでいません――感覚的に、僕の考えることと一致するような新しい人々や昔からの人々のネットワーク的な信頼、連帯の絆が増えつつあり、それが徐々に新しい闘う力の創造力となってゆきつつあると思っています。



2.帰国の苦労を大いに多とする

 沢山の知り合い、友人とも会い、帰国に備え、沢山のことを準備されていることでしょう。

 森さんや黒田さんが帰国されることや、貴兄らも今年一杯位には帰国される予定なことを新聞やテレビでは知っています。

 「全員帰国」路線を実行してゆくことは、並大抵の苦労ではないでしょう。小西さんら皆さんの苦労を、大いに多とします。



3.前向きに凛として――― 帰国・裁判での基本対応

 小西さん。赤木さん、安部さん、若林さん、同志達は帰国しても、そのまま裁判、監獄闘争となるのですから大変です。

@しかし、それだからこそ、ここで絶対に「自分のことだけしか頭の中に無い」ような気振りに、或いは、「前途多難」で「途方もない課題」に、それに、一見打ちひしがれ、悲嘆にくれている様で、「民衆に同情を買う」「権力に哀訴する」ような態度を取っている、と民衆から見られたり、誤解されたりしないようにすることが大切です。

 逆に、大方の予想を見事に裏切る形で、大義、節義に忠実で、凛として不屈に「反米・“愛国”」の旗を、豪胆、かつ図太く、守り抜いて行く信念、態度をいつも且もでないでいいですから、象徴的な行為として鮮明に示してください。


 この基本態度さえ、守り抜けば、沢山の「助け手」は澎湃と生まれてきます。沢山の支持、支援の輪は急速に作られ、家族、仲間も勇気づけられ、絆はもっともっと強くなります。

 何よりも、貴兄ら自身が、無限の勇気、敢闘精神、心底からの自負心を湧出してゆきます。

 弾圧を跳ね返せる力も付いて来、必ず、大きな活路が拓けて行きます。
くれぐれも、日本民衆や権力に、決して曖昧な「愁訴」や「迎合」の姿を見せているような誤解を与えないことです。

 とにかく、ここが一番大切です。

 自己防衛に終始している、印象を払拭してください。
あくまで、日本民衆、国民、民族の反戦、反安保、(反改憲)の要求、感情を支持し、連帯する姿勢を示すことです。

 あなた方が、どれほど過酷で、信じられないほど辛い境遇に置かれているかは、日本民衆は百も承知です。

 僕が、あの70年、10・21の起訴の後、予想だにもしなかった、ハイジャックで逮捕、不当な取調べ、起訴を受け、前途は全く見えませんでしたが、闘いの原則を踏みしめ、前進して行ったようにです。

 あなた方は、あれ以上に複雑な位置に置かれ、弾圧されています。

 しかし、焦点は単純明快です。

 日本と世界の民衆は、貴兄らが権力に政治路線は全く柔軟でいいわけで、思想的に、屈服するか、不屈に抵抗の旗を掲げ続けるか、注目しています。

 連れてきた問題(「拉致問題」)や朝鮮国にどんな態度を取るか、などは二の次,三の次です。ここに焦点を据えられないよう、外すように対応することです。別の焦点を押し出すことです。

 あなた方がよど号事件以降、30数年の長き間、どのような生き様を貫いてきたか、それを日本と世界の民衆は固唾を飲んで見守り、それでもって自分達の態度を決めようとしているのです。

 民衆の同情の感情や権力の不当弾圧への告発は外の人々や弁護士や証人がやってくれます。又やらなければなりません。

 あなた方に要求されていること、なすべきことは凛として、不屈に義を貫く姿勢です。

 そうすれば、同情はもっと深まり、それは尊敬と連帯心、闘志に変わってゆきます。

 「連れてきた問題」についてあなた方の信じるところを言うのは一向に構いません。大いに言うべし。議論は当然、起こるでしょうが、それは始めからわかりきったことです。

 ハイジャックの戦術上の自己批判をするのも当たり前で、十分よし、です。

 しかし、当時、なぜ、日本の青年達が、あのような非常手段に訴えても、ベトナム侵略と日米安保を批判したか、その政治状況と民衆の闘志を語ることです。

 何度も言います。核心は凛とした、不屈の精神、姿勢をいつも且もでなくていいですから、シンボライズすることです。
法廷は、70年闘争を闘った人々、新左翼やブントや赤軍派の総括、決算が問われています。

 重信さんも若生さんも、丸岡さんもその他の戦士達もその任務を不屈に引き受けました。あなた方は、その任務をより包括的に、総決算として引き受け、より複雑な情勢の中で、法廷闘争を闘う光栄な任務が課せられています。
 
 どうか、この任務を果たしてください。
それは、田宮の遺志ではないでしょうか。


Aこの上で、弁護団はあなた方が、冷戦時代の犠牲者、国際政治と国家に翻弄されざるを得なかった存在であることを、世界と朝鮮半島、極東の情勢、歴史の中で、立証してゆくべきです。

 あなた方も本質的には「拉致被害者」と同質の、犠牲を蒙った事を強調すべきです。


B時効の法律論争を、裁判の基本論点にしっかり据えて、今から全力で準備してください。

 小泉は、年金問題の際、1972年の「未払い」を「30年前のことだから、古いことだし、もうチャラになっていること」と嘯きました。

 よど号事件は、その2年前のことです。

 小泉の論法はそれなりの「常識論」であり、この論法でいいのではないでしょうか。

 よど号事件の裁判もこの基調が貫かれるべきである。

 そうさせようとしないのは、朝鮮半島、日朝・極東の政治情勢であり、「その政治状況を裁判に持ち込むな!被告達を巻き込むな!」「よど号事件が、つい2〜3日前に起こったような扱いをするな!被告達を “朝鮮国”排外主義の格好の利用対象して、お祭りをするな!」と弁護団は主張すべきです。



4.監獄でも幸せは獲得できる

 監獄は、一見過酷で辛い、辛い所でもありますが、生きる姿勢さえはっきりしておれば、「監獄記」でも書きましたように、又これまでも言って来ましたように、楽しいところです。

 ここで、十分人間的に、幸せに生きれます。

 僕の当時とは、はるかに難しいですが、自己の信ずる活動も出来ますし、最高に民衆を鼓舞、激励できます。

 家族を民衆の手に託しつつ、しっかりとした絆も保て、家族を貴兄らとともに鍛えてゆきます。家族を信ずるべきです。

 小西さん、どうか、貴方がいつも言っていた「自己の運命の主人となる」ことによって、あなた方の運命を切り拓いていってください。



5.「裏切り」と思っても(思われても)協力し合える

 僕は、この頃「義のために貴兄らを敢て裏切った」と思うようになっています。僕の信ずる疑惑の表明を、貴兄らが「裏切り」とするなら「それはそれで良し」と甘んじて受ける気持ちです。
「裏切り、ごめん」で、これは大いによし、で根本のところでは、僕の「疑惑提出」の態度については、誇りを持っています。

 この点は、「創」や「始末記」の「二部」で、すでに述べているので、繰り返しません。

 僕は大義と友情を統一できると思っていましたが、これが並大抵のこと、生半可なことでは、出来ないことも痛感しています。

 そして、この溝は、簡単にさしあったっては埋まらなくても良いとも思っています。

 何故なら、この問題は、海峡を隔てた、国家と国家(ここでは明らかに、日米に非があることは確かです。)の歴史的懸隔、また日本、朝鮮の民衆の置かれている位置,性格の相違が厳然と横たわっているからです。

 生易しい問題ではありません。

 それでも、互いは自主・自立して進むことは避けがたいにせよ、お互いに自主・自立の変革者として、この隔たりを確認したうえでも、大義のために隊伍を整え、協力し合って行ける余地は十分あると確信しています。

 まして、互いに「自主日本」を目指す、民衆の“愛国者”なら、協力し合うのが当然のことではないでしょうか。

 更に、帰国を目前にして、この「祖国」で、ともに共通の敵に対して闘う環境を共有しあう時期に入っているのであれば、です。

 歴史的な我々相互の繋がりは言うまでもないことです。



6.意地を張る時期は終わりつつある

 ところで、僕は被拉致者とその家族、日本民衆の立場にたちつつも(これは、当然包括的な、日朝の歴史的関係を念頭に置いたうえでのことですが)、しかし、反弾圧の原則を一歩も踏み外してはいないと自負しています。

 若し、それを感ずるなら指摘して欲しい、です。何でも答えます。正当なら改めます。

 さて、その上でのことです。

 もう、分かったはずです。
 「連れてきた問題」「疑惑」の問題で、感情、意見の相違はあっても、それが協力し合わない、決定的障害となるでしょうか。

僕は、ならないと思います。
「連れてきた問題(疑惑)の問題」は、残ります。僕の説を、別に撤回するつもりも全くありません。しかし、この点は、あくまで「疑惑」であって、証拠、証言になるものではないし、当然僕はそうしません。

 あなた方は、あなた方の信ずるところを、臆せず述べればよい訳で、それを僕が、妨げたりしないことははっきりしています。

 この、問題は、我々にあっては、もっと、後に解明されるかもしれない事柄と思います。

 こういうわけで、我々が、話し合わないほうが圧倒的にデメリットで、メリット少なく、話し合う方が、圧倒的にメリットは大きい、となります。

 意地を張る時期は、もうとっくに終わったのではないでしょうか。

 この問題は、あなた方がどう思おうと、僕から見れば、「小異」です。
「小異」は、これまで述べてきましたように、無理して、今すぐ埋める必要は全くありません。

 「小異を残して、大同につく」で良いのではないでしょうか。

 これも、あなた方が、いつも言っていた言葉ではないでしょうか!

 僕は、個々の救援の課題・戦線では、人並みで、もっと優れた有能な人々が頑張ればそれで良いとおもっています。

 必要で、頼まれれば、それはそれでやりますが、僕のやるべき領分は人と人をつなぎ合わせ、ネットワーク型で、隊伍を全体的に整えることと思っています。

 それは、情報を集中し、全体を分析、洞察し、要所を押さえ、沢山の埋もれた力を発掘し、そのための構想を出し、その認識を貴兄らと一致させることでもあります。

 多分、この仕事は今のところ僕以外の他の人では無理と思っています。

 しかし、これとて、別に僕が専売特許的にやることとは思ってはいません。

 中心は、あなた方ですから、何人かの「顧問」「相談役」の一人でもいいのです。

 ただ、間違わないでください。「中心」という言葉は、どっちかというと、「当事者」という意味合いが強く、反弾圧運動の全体のリーダーという意味とは必ずしも機械的に一致しない時もある、ということです。当事者が中心であることが望ましい、ですが、中心、リーダーは、双方自立した各被救援者、各救援者を貫く、全体の運動のリーダーであることを意味します。

 このことを踏まえてですが、何人かの各分野の顧問、その座長的な人のイメージは僕にはあります。
  


7.メディアへの対応を的確にし、攻勢に出るべし

 昨年末、「テレビ東京」で「戦後日朝関係とよど号事件」というテーマで1時間ものの特集を組みました。「よど号グループと拉致事件」という風な題名は,ややおどろおどろしさがありますが、内容はきわめてバランスの取れた、多角的、全体的視野を持った、良い特集と思っています。

 最近では、一番良いテレビ企画のように僕は思っています。

 僕も出演し、何がしかの相談に預かりました。見てなければ、ビデオお送りします。
「反米、反安保」もあれば、バッファゾーン、光州事件、連赤事件、韓国の動向、らいろんな「絵」が入っています。

 最大の特徴は、これまで、メディアが垂れ流していた、あなた方を「よど号事件の時の“ヒーロー”、その後は一転して“拉致”の“犯罪者”」という、「前半」「後半」の“つながりの無さ”、“ちぐはぐ”、「無媒介的接合」を、基本的には「冷戦時代の歴史的産物」として、「前」・「後」を統一的に冷静に捉え、貴兄らに理解を示していることです。

 ここには、ぜんぜん「おどろおどろしさ」はありません。

 (当時よど号に乗り合わせていた、聖路加国際病院理事長の)日野原さんなどは、そこはかとなく貴兄らにエールを送っています。

 若し、見ていなければお送りします。

 昨年、後半ぐらいのメディヤ、マスコミへの貴兄らの対応は、効果的でなく、受身で、「物言えば唇寒し、秋の風」で、むしろ、逆効果になっています。

 それは、1の3点を押し出していないからです。

 マスコミは、もっともっと、効果的に使えるし、使わなければなりません。
貴兄らは、この分野でも方針を持っていません。
 
  今の貴兄らの対応は、余りに全体的視野を欠いており、余りに引っ込み思案で、“日陰者”対応です。
なぜそうなっているかを、しっかり考えてください。

 ではこれで。
                   塩見孝也


P.S.
 僕は、貴兄らに「反米・“愛国”」「人間中心・人民大衆中心・国と民族の自主・愛類」の決意を問い、変革者であり続けることを要求しましたが、このことを、以下のごとくに、是非とも誤解しないでください。

 これは、決して「党」“革命家”とか、「“党”専従者」を要求しているのではありません。

 この態度表明と同時に僕は、この反対に、「自分達は、出獄した場合、社会に信任されるような、職業人になるべく、職業を身につけ、自分の生活費は自分の労働、職業で得る。このことは、自分等の掲げる志の実現となんら矛盾しないばかりか、これからの時代に適合的で、必要で正当である。」と高らかに宣言して欲しいのです。

 貴方方4人が、それぞれ「自分はこのような仕事がしたい、このような職業に就きたい。」と言うことです。

 小西さんなどは「中途であった医師になる」とか声明されては如何でしょうか?

 このことは、時代の転換やあなた方のそれへの認識を、決定的にシンボライズすると思うのです。