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2月23日の「重信房子さん裁判」における
裁判所の判決を、さらに糾弾する!


2006年 3月 23日

                    塩見孝也

2月25日にアップした文章に手を入れ、「重信房子さんを支える会」の会報である「オリーブの樹」用の原稿としました。

控訴審方針や、重信さんの接見禁止問題、獄中生活、健康面についても加筆しました。

「他の紙面でもこの原稿は使っても良い」と了解をとっていますので、ここにあらためて掲載させていただきます。


2・23「重信房子さん裁判」における不当判決を糾弾する!

「思想ではなく、行為を裁く」近代刑法の基本原理、罪刑法定主義の投げ捨てを許さず、重信さんと共に“人間が、人間らしくある”ことを保障する基本的権利、思想、信条、言論の自由を守り抜こう!

1:
この判決文を入手し、仔細に検討したわけでなく、傍聴メモと裁判終了後の弁護団を囲んでの、救援者達が、討論し、幾つかの重要点を、確認しあったものから書いたものであり、若干の不正確さも伴うところがあることを、予めお断りしておきます。


2:
ライラ・ハリッドさん(被占領地のパレスチナ人や世界各地の追放されたパレスチナ人からなる、パレスチナ国会、PNCメンバー、PFLP政治局メンバー)は「ハーグ事件は、PFLPの作戦で、その下で日本人の国際義勇軍が動いた」という、極めて重大な証言を全く無視し、「日本人が、日本人を奪還した」という現象的な論に終始しています。

裁判長は、検察側起訴の決め手として、当初、目玉として、挙げられていた「手紙の件」を証拠採用していないように伺えました(?!)。

何故なら、そのことが、述べられていると思われる「西川」調書(西川純氏は、ハーグ事件現場コマンドの一人)には、触れていないのです。

和光さん公判では、「元メンバーの供述は、重信被告の関与を強く疑わせるが、重信被告の尋問をしておらず、証拠価値には限界がある(判決文)」として重信被告の共謀を認定しませんでした。

このことにも見られるように、西川純氏への「手紙による指示」の検察側提示の「唯一の物証」が、崩され、公判の維持できなくなった状態で、既に、不当な取調べ時のこととして、法廷で撤回されているTさん、Gさんの調書を、逮捕時、重信さんが持っていたパソコン・フロッピー(?)の当時の模様書き込みの検討から、それが符合し、証拠性があるという、新手の言説を展開しています。

これが、判決文の、冒頭の展開になっており、傍聴者には、極めて、奇異な印象を与えたのです。

そこから、「共謀の詳しい内容や時期、場所は明らかでないが、被告がアラブの協力組織を介するなどして、実行犯と共謀したと認められる」とし、「謀議があったとされる時期には、リビアに居て、実行者と謀議するのは不可能」という、弁護側に対して「共謀することは可能で、アリバイとしては成立しない」と断じているわけです。

これこそ、全くの予断と偏見の「推認論」の手法といえます。


3:
和光さんが、執拗に主張している「殺人の意志は無かった」の言に判断を示していません。

和光さん公判では、それまでの「現場実行班」の会議でも、「武器は、殺人目的ではなく、威嚇用である」と確認していたことが立証されてゆき、和光さんら3人の高度な射撃能力の水準からして、「射撃は、正確に、致命傷を外した、肩、腕、膝らを狙った」このような主張は、射撃に通ずる専門家が、鑑定すれば、たちどころに、認定される事柄である。

重信さんは、もちろん、この謀議には、関与していないのですが、立件の「犯罪行為」の「態様」の措定、それ自体においても、判決文はめちゃくちゃにいかがわしい、ことも明らかになってきています。


4:
それは一面では法匪(ほうひ)的とも言える法律家特有の職業的言い回し、「先達」という曖昧模糊なる言葉を使い、最高責任者か、単なる協力者の幇助者の程度なのかの判断を避け、一方では、無期有罪の根拠あり、としつつ、他方では、有期刑の最高刑、20年の「温情判断」を行った、といった恩着せがましい唾棄すべき態度を示し、八方美人的で玉虫色の、責任回避可能な、「韜晦に付す」量刑判断を展開しています。

全くの、保身的な無責任な判断といえます。


5:
この判決は、総じて、共謀の動機を法律的に明確な形で措定出来ず、その事実関係に至っては、明確に「日時、場所、態様」を措定出来ない、予断と偏見に満ちた、裁判官お得意の「推認論」をふんだんに使った、決定的に、不公平、不当極まる、稚拙なこと極まりない作文と言える代物です。

「思想を裁くのではなく、行為を裁く」近代の法曹上の「基本原理」「基本原則」である「罪刑法定主義」から逸脱し、「テロリズムの元凶」「日本赤軍の最高指導者」といった内容で、重信さんの思想を有罪として裁いています。

「よど号事件」発生、半月前に逮捕され、警視庁で取調べを受けていた僕(塩見)を、当時の佐藤政府と裁判所が「赤軍派議長」という名文を振りかざし、「有罪」と認定した、思考法、手法と、本質的に全く同じであります。

 僕は、判事が、判決文展開の整合性維持に難渋し、そのために、多用された、物証無き「推認される」という、文言を、今でも、忘れることが出来ません。

この言葉は、僕の脳裏に、深く、深く、刻み込まれ、生涯、消えることは、ありません。

このような、事態を僕等は2度と、重信さんに再現させてはなりません。

正にこの判決文は「共謀法」制定、実行の「先取り攻撃」であり、民衆への、見せしめの、予防拘禁攻撃と言えます。


6:
弁護団、救援者、家族らは、「不当判決に抗議し、控訴して闘う」ことを確認しました。

これは、重信被告と諸救援者たちの、正当な怒りを、自然に発露したもので、全く正当極まる判断です。

僕等は、控訴審では、あくまでも、道理ある法曹上の、理非を、詰めに、詰めた鉄壁の論陣を築き上げ、権力者たちを追い詰めてゆく、重信さん救援の大衆的思想、理論闘争の大波を組織してゆかなければなりません。

「重信なら、やったに違いない」「やってなくて、彼女なら仕方がない」「普通の市民のことなら、救援も考えるが、過激派のことだから、自分たち普通の市民には関係ない」等の予断と偏見、揣摩臆測、陋劣な「長いものには、巻かれろ」意識を突き破り、この問題が、看過し得ない、日本民衆の権利の実質化の闘い、重要決まる、全ての日本民衆に繋がってゆく思想、信条、言論の自由の問題であることを、重信さんとともに、不屈に訴え続けなければなりません。


7: 判決公判が終わっても接見禁止が、解除されない事態は、極めて異常です。

丸岡さんの時は、確か、検察側求刑後、条件付とは言え、和光さんの時は最終弁論の後には解除されています。一体これはどうしたことでしょう。

これこそ、思想を裁いていた、戦前常態化していた予防拘禁の復活であり、この国の権力者たちが狙っている「戦争が出来る体制」作りの重要な一環といえます。

裁判官は、「オウム並みにする」と言っているらしいのですが、オウムの方々は、控訴審、上告審すら接見禁止のまま、という事態です。

オウムの方々にとっても、決してこれは許されてはならない事態ですが、重信さんについても「オウム並みにする」など全く言語道断で、断じて、許容されてはなりません。

彼女の獄中生活、健康保持の面でも、そうです。外部診断、外部医療の実現の面からもそうです。接見禁止の署名入りの抗議文を裁判所が音を上げるぐらい、毎日毎日舞い込ませてゆきましょう。


8: 控訴審は新しい証拠が見つけられない限り、書面審理の危険すらあります。幸い、判決後、ちらほら出たように、和光さんの喚問が適合し、工夫すれば、西川さんも考えられます。

さらに、ライラの証言を、パレスチナ側から補強するハマスの政府要人を、証人として招いたりし、或いは、フランスの刑務所に服役中のカルロスさんを証人に立てるべく、フランス刑務所の特設法廷を要求するなど、闘う術は、権力、体制の非道、無道故に幾らでもあります。

要は、不屈の闘志です。闘志を無くし、坐したまま、僥倖が舞い込んでくるなど、一瞬すらも、僕達・救援者、重信さん、弁護団は考えてはなりません。

闘って、闘って、自らの力で展望をこじ開けてゆくことだと思います。

僕はこんな時、獄で「道に適えば、助けは多く、道に外れれば、助けは少ない」という毛沢東の言葉を、反芻していました。

多少、古くて恐縮ですが、皆さん、頑張りましょう。