訃報

 元赤軍兵士 関博明同志
6月6日未明 逝去す。



  胃癌との闘いを続けてきていた、かつての同志、関博明さんが6月6日午前5時51分、亡くなられました。

  享年55歳でした。 

  謹んでご冥福をお祈り致します。


  なお、告別式等は、下記のとおり執り行われます。



   −−−記−−−

 通 夜 : 6月11日(土) 午後6時〜7時

 告別式: 6月12日(日) 午前10時〜11時

 場 所: 川崎市立北部斎苑(かわさき北部斎苑)

      川崎市高津区下作延1872番地
            (044−822−3171)

      最寄りの交通機関:JR南武線 津田山駅 下車 徒歩7分

 喪 主: 関 直美 様 (奥様)

     


関 博明 同志を悼んで


 関君は、アメリカ帝国主義とそれに加担する日本独占資本主義のベトナムへの植民地体制護持の侵略戦争に反対し、1971年、赤軍派M作戦を闘い、その後、裁判闘争を経て、確か5年の判決を受け、長野刑務所に下獄しました。

 出獄後、針鍼灸師の資格を取り、開院し、連合赤軍裁判の救援を引き受け、「原詩人」同人として数多くの作品を獄に届けてくれました。彼は詩人で、自分が主催する詩誌も発刊していたこともありました。

 以降も永田さん、植垣君の公判救援を引き受け続けました。

 又、国内外の赤軍派系の同志達や武装闘争を闘った人々の世話をし続けました。

 僕が、出獄した時も迎えに来てくれ、一席もうけてくれました。

 その後「連合赤軍事件の全体像を残す会」の活動を中心に、活動を続け、彼の自宅は、各方面の仲間達の溜まり場、センターになっていたと聞きます。

 連赤総括では、僕とも意見の違うところがありましたが、僕が主催する集会、催しなどに、極力顔を出してくれました。

 少し前、「相当悪い」と聞き及び、見舞いを考えている矢先に、斯くなりました。  

 これから幾らでも活躍できる年齢なのに、残念無念です。

 僕は、今でも関を同志と思っています。

 関よ、思いの限り、よく生き、よく闘った。安らかに眠ってくれ!


 ご家族の皆様に、心からお悔やみを申し上げます。

 又「全体像を残す会」の方々にも、心から弔意を表します。


  2005年、6月8日  塩見 孝也